若いころ映画監督になりたいと思っていた僕は、その後、自分の人生という“映画”をつくり続けながら生きているのだ、と気づいた話
先日、ポートランドの創造的な仲間とやりとりするなかで、僕が昔、映像をやっていて、本気で映画監督・映像作家になりたいと思っていたという話をした。
今の大学の研究・教育の職から考えると、ずいぶんと違う分野に見えて驚かれるのだが、僕のなかではつながっている。
こういうとき、パターン・ランゲージや本という作品をつくるということが映画づくりに似ているんだ、というがこれまでの僕の説明の仕方だった。
そう思ってきたし、今もそう思っている。
でも、これまでいくつもの離れた分野の研究をし、野菜を育て、料理をつくり、イラストも描き、歌もつくるし歌う、そんな独特の人生とは結びついていなかった。
でも今回は、話しながら、その一段深いつながりに気づいた。
僕は、自分の人生の物語をつくり、そのなかを生きているのだ、と。
自分で脚本を書き、自分で監督をし、自分で主演し、自分で上映してお披露目している、そんな、ひとつの人生の物語だ。
「自作自演」というと、ネットの世界では捏造的な意味になり、悪い意味になるが、ここで言っているのは、人生を自作自演している、という良い意味だ。
「ナチュラルにクリエイティブに生きる」ということについて、単に僕が研究したり語ったりするのではなく、僕自身が、ナチュラルにクリエイティブに生きるということを実践し、その生き方・生き様をつくり、見せ、共有する。
そういうことを、僕は人生のライフワークとして、やっているのだと思う。
僕はあるとき、それまで取り組んでいた映像の世界やシミュレーションの世界から、外のリアルな世界で活動することに関心の軸が移った。
ちょうど、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)の教員に着任した30才の頃だ。
それまでは、現実の写し鏡としての映像世界やシミュレーション世界のなかで現象を生成することに興味があったわけだが、その限界というか、間接性の物足りなさを感じ、もっと直接的にリアルワールドのなかで変化を起こすことに関心が移ったのだ。
そして、ずっと関心のある「生成」「創造」ということを、リアルワールドで起こすための研究・活動をするようになったのだ。
いま思えば、20才くらいのとき、映像の道に進むことをやめた(厳密には、今後は映像だけを自分の表現手段とするのではなく、内容や目的に応じて表現の方法とメディアを選ぶことにしようと決めた)後は、僕は、自分が思う理想の生き方・生き様を体現すべく生きてきたと言える。
だから、
自分の作品はもちろん、「つくる人生」とそのためのあり方・体制をしっかり構築しつくり続ける、村上春樹さんや宮崎駿さん、谷川俊太郎さん、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ、ミヒャエル・エンデ、久石譲さん、森博嗣さん、
つくる歌と人生が素敵にシンクロしている Mr. Childrenの桜井和寿さん、 Bump of Chickenの藤原基央さん、
テクノロジーを駆使することで、自分の好きな場所(ニュージーランドやバリ島)に住み、自然が豊かな環境でクリエイティブに生きている四角大輔さんや尾原和啓さん、
慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)という、まったく新しいコンセプトの大学・学部をつくった、石川忠雄先生、高橋潤二郎先生、井関利明先生、加藤寛先生、相磯秀夫先生、
僕の師匠でもあり日本経済と人々を救うため政策の現場にまで関わった竹中平蔵先生、ユニークな発明家型研究者の武藤佳恭先生、あやしくて魅力的なポストモダンな社会学者の熊坂賢次先生、インターネットの父とも呼ばれる豪快な村井純さん、
「研究者」という言葉には収まりきらない、ひとつの哲学・世界観を打ち立てた、クリストファー・アレグザンダー、ニクラス・ルーマン、ジャン・ピアジェ、レフ・ヴィゴツキー、ジョン・デューイ、クロード・レヴィ=ストロース、川喜田二郎さん、
東洋と西洋の知を交わらせ独自の知を編み上げようとした、南方熊楠、井筒俊彦さん、河合隼雄さん、
ストイックに自分のあり方を磨き上げ、自分との闘いを続けるイチロー、羽生善治さん、
自分の実践コミュニティを持ち、実践者を育てながら自らの探究を続ける松岡正剛さんや小阪裕司さん、
僕の友人でもある、本気の起業家、佐野陽光さん、山口絵理子さん、
農業の分野で未来をつくる活動をしている友人、大津愛梨さんと小島希世子さん、
大工から作曲家に転身し、素晴らしい映画音楽を生み続けながら、若い作曲家も育て、そのための仕組みもつくっている渡邊崇さん、
子どものような好奇心を振りまきながら周りにいる人の面白がり力を高めるおっちゃん市川力さん、ナルシストなキャラでゆる〜い斬新なプロジェクトを立ち上げかたちにしていく若新雄純さん、
ポートランドで食材にこだわって挑戦を続ける創造的なシェフNaokoさん、五〇代で若くして自分が育てきた会社の社長を辞めて地方のまちづくりに中川敬文さん、
こういう、僕がリスペクトし、刺激を受け、敬愛している人たちはみな、その生き様が映画になってもおかしくない人たちだ。
とてもユニークで、とても本気で、とても創造的に生きている。
もちろん、誰もが自分の人生の主人公であって、自分の監督・脚本作品を生きている。
でも、ともすると、標準的な物語の型を取り入れて、自分らしい作品(人生)をつくることをしなくなってしまう。
監督や脚本を誰か別の人に委ねてしまったり、主演を誰かに譲って自分は脇役のような気持ちになってしまったり。
誰もが自分の人生の主人公なのに。
だからこそ、「つくる」ことと「ナチュラルにクリエイティブに生きる」ことを研究している僕は、自らそれを実践するとともに、そうやって生きたいと思っている人を応援する研究・活動に取り組んでいる。
パターン・ランゲージも、幸せのたまごも、僕のやる授業も講演もワークショップも、書く本も歌も、すべてそのためにつくった、それぞれのかたちである。
そうやっている僕自身も、自分らしい物語をつくりながら、それを生きていく。
今回、話ながら気がついたのは、そのことだった。
なんだ、俺、映画監督の夢を捨てたんじゃないんだ。
グレードアップして実践してたんだ、と。
人生がますます面白くなってきた。
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