見出し画像

黒から虹へ(『アイカツスターズ!』が「エモ」を孕むまで) 2018/02/24(Sat)

西暦2022年7月30日に付された前註:
 .docxからnoteに直接コピー&ペーストするだけで本文内の各編集事項が直接反映されるということを今更知った。ここにアップロードされるのは、筆者が西暦2018年3月30日に電子書籍として無料頒布した「やばいくらい -『アイカツスターズ!』読解集成-」からの単体記事抜粋である。


 結論から先に書こう。『アイカツスターズ!』の楽曲『MUSIC of DREAM!!!』の重要性は、80年代英国シンセポップと00年代米国エモーショナルハードコアとを一直線に結んだことにある。この2ジャンルは「軽症化の時代におけるユースカルチャー」の共通項があったにも拘らず、結合までには至っていなかった。そのミッシングリンクを単体で浮かび上がらせたのが『MUSIC of DREAM!!!』だと(事後的には)言える。

 以下、順を追って述べる。

 まず、木村敏・中井久夫両氏の言葉を銘記しよう。

 20世紀の半ば頃から、統合失調症の勢いは目立って衰えてきた。わたしが精神科医になったのは1956年だが、当時はまだブロイラーの教科書に書いてあるとおりの典型的な病像を示す統合失調症がいくらでも見られた。しかし、その後まもなく「分裂病の軽症化」ということが語られ始めた。それはけっしてそのころ開発が始まった精神病治療薬の恩恵ではない。薬をのむ前の患者の病像も以前より軽症化しているからである。
 病像が軽症化しているだけではない。精神科をはじめて訪れる患者の中で、疑いなく統合失調症と診断できる人の数が間違いなく減ってきている。なかなか完治しにくい慢性の病気だから、すでに発病してしまっている人を含めた患者数が減少するのはもっと先のことだろうけれども、全体として右肩下がりの傾向にあることは間違いないと言ってよい。

『現代人の自己の病理』木村 敏

 時間を50年遡って、垢だらけで来る日も来る日も病棟の片隅に突っ立ったり、うずくまっている患者たち、隔離室でまるで軽業のような極端な姿勢を何年もつづけている患者たちを「分裂病」の典型とみていた時には「統合失調症」という名称は思いつかなかったであろう。
 確かに何かが変わった。「分裂病の軽症化」は、すでに1960年ごろから、その徴候があった。軽症化の原因にはあれこれがあげられているが、一般に物事の改善は何か1つの突出した変化では起こらず、多種多様な条件が次第に揃っていくことによって起こる。手さぐりもあり、迷いもあり、逆流があっても、患者、治療者、家族、公衆の改善への努力と、環境の変化があってのことであろう。

『「統合失調症」についての個人的コメント』中井久夫

 分裂病(Schizophrenie : 日本では2002年8月に「統合失調症」に改称)が軽症化の徴候を見せはじめたのが1960年前後、として両氏の言は一致している。さらに佐々木中氏の容赦の無い指摘を加えよう。「それ〔分裂病〕に取って代わるように前景に表れてきた境界例は、強迫神経症と分裂病を合わせたような症状を見せている。彼らは分裂病者と違い、救済や呪術や嗜癖の享楽(自傷、この自己創設のエクリチュール!)を拒絶しない」*1 。これが1960年代から兆候が見られた「軽症化」が全面化した結果だという。この時代における「症状」は、「垢だらけで来る日も来る日も病棟の片隅に突っ立ったり、うずくまっている」のでも「隔離室でまるで軽業のような極端な姿勢を何年もつづけている」のでもなく、嗜癖(佐々木氏は直接に挙げていないが、自傷以外にも過度のアルコール・薬物摂取、浪費、狂言自殺なども含まれよう)を拒絶しないようになったのだと。

 納得できる話だ。わざわざ例など挙げずとも、「救済や呪術や嗜癖の享楽を拒絶しない」病者の姿など、書店でコミックエッセイの棚を覗くとかSNSで検索とかすれば簡単に見つかる。それどころか、友人関係をざっと見渡してみて(自分自身を含め)その傾向を持った人間に憶えがないほうが珍しかろう。自己啓発とかいう「救済」、前世占いとか六星占術とかスピリチュアルカウンセリングとかいう「呪術」、対人嗜癖(好き? 好き? 大好き?)、これらの享楽に耽りつつ「病んだ」人間でいることが成立しうるほどに「軽症化」が進んだ時代、それが現在なのだろう。規則正しく打たれるメトロノームの拍が120のBPMをキープするように、適量を超えて呑み下される向精神薬や、手首に撫で付けられる剃刀やカッターナイフなどが「症状」を担保してくれるわけだ。むしろ統合失調症に取って代わった境界例とは、嗜癖を反復して自分自身の身体に投与し続けることで「普通じゃない自分」を担保することによって成立する、とも言えるだろう。*2

 さて、2018年現在の「症状」に思いを致したところで、時計の針は80年代に戻る。


Ⅰ 1980-1985年:ティアーズ・フォー・フィアーズ

*3
 1983年3月7日。ローランド・オーザバル、カート・スミス、2名の主導によるシンセポップバンド:ティアーズ・フォー・フィアーズが1stアルバム『The Hurting』をリリースした。バンド名はプライマル・セラピーに由来する。これについては筆者より年配のビートルズファンの方が詳しいだろう。ジョン・レノンがこの療法のクライアントだったことはよく知られており、プライマル・セラピーの音楽的実践として作られたのが『Plastic Ono Band』であり……などはビートルズファンたちによって存分に「エモく」語られてきたはずなので、ここでは省略する。
 プライマル・セラピーの名はジョン・レノンの伝記的事実としてよく知られているが、この療法の発案者であるアーサー・ヤノフの名はさほど知られてはいないのではないか。このロシア移民の精神科医が考案した療法は右のような内容だ。「ヤノフは、幼児期のトラウマ、満たされなかった欲求、愛情の欠如が感情を抑圧することにつながり、成人後に神経症や、感情的な問題を引き起こす原因になると考え、『原初の叫び(プライマル・スクリーム)』を表現させる、つまり原初的苦痛を再体験させることで、患者が抑圧してきた感情を解放するのを助けようとした」* 。なるほど、フロイトの自由連想法の応用……と軽率に書くのは憚られる。なぜなら、アメリカに亡命した精神科医の理論が自己啓発の源流となってしまったように、ヤノフの療法もアメリカ流に馴致されたものであるかもしれないからだ*4 。しかもレノンがヤノフの患者となったのは1970年。ばっちり例の「軽症化」以降にあたるではないか。

 ティアーズ・フォー・フィアーズに話を戻そう。ローランド・オーザバルとカート・スミス、イングランドの離婚家庭に育った2人によって結成されたこのバンドは、ヤノフの著書『Prisoners of Pain (1980)』の章題から命名された。初期の彼らの音楽がいかにプライマル・セラピーに影響されていたかは、『Suffer the Children』『The Prisoner』などの曲名から推し量れよう。彼らは80年代中盤に実際にヤノフと対面したそうだが、かの精神科医があまりにもバビロンな人間に成り果てていたこと、「私についての曲も書いてくれないかい」と気易く言われたこと、などによって深い失望を味わったという。

 精神科医がバンドに与えた影響はともかく、ティアーズ・フォー・フィアーズは2ndアルバムで大きな飛躍を果たした。1985年2月25日にリリースされた『Songs from the Big Chair』は、シングル『Everybody Wants to Rule the World』のUSビルボードNo.1ヒットによっても大きな成功をもたらした。アルバム名『Songs from the Big Chair』だけ見ると「すわ、精神分析の長椅子」と勇み足にもなるが、そもそもこのタイトルはテレビ映画『Sybil』の影響で名付けられた。カート・スミスによる『Sybil』ストーリー要約はこうだ。「母親から手酷い虐待を受けたために16もの人格を持ってしまった少女。彼女が安息を感じられる唯一の場所が分析医の椅子だったんだ。そこでは自分を護るために複数の人格を使わなくても済むからね」。分析医の椅子が安息の場所として名指されていることに注意しよう。ここにはフロイトのエディプス分析に窒息させられたハンス少年の姿も、51回もの電気ショック療法を強要され続けたアントナン・アルトーの姿も重ならない。患者と精神分析医との関係は、生徒と教師のようにカジュアルなものとなり、逆に「家庭」の「問題」が前面に出てきたかのようだ。これはもちろん「軽症化」の効果、もっと言えば精神分析が20世紀的な「核家族」に適応した結果の形象にすぎないと言えるだろう。だとすれば、ティアーズ・フォー・フィアーズの音楽も、60年代以降の「軽症化」の効果としてカジュアライズされた「病んだ」人間を題材にしているに過ぎない、のだろうか。


 少なくともローランド・オーザバルは、楽曲『Shout』において自分たちの音楽とヤノフの療法とを短絡させる理解を拒絶している。「多くの人々は、1stと同じで『Shout』もただのプライマル・セラピーソングだと思ってるんだろう。実際はもっと政治的抵抗の意味合いが強い楽曲なんだ。冷戦の余波でこれからどうなるんだろうって戸惑ってる人々に抵抗の勇気を与えるためのものだよ」。この言を信じるならば、彼らは『Shout』で既にヤノフからの影響を脱しつつあったのではないか。アメリカ式の精神分析療法から政治的抵抗へ。そう、ドゥルーズ=ガタリが「幼いハンスが〈馬になること〉、これはまさに政治的選択だ」と書いていたことを思い出そう。
 結果として『Shout』は(『Everybody Wants to Rule the World』の3ヶ月後に)アメリカでもシングルカットされ、No.1ヒットを記録した。歌詞を読んでみよう。 “Shout / Shout / Let it all out / These are the things I can do without / Come on / I'm talking to you / Come on” このフック━━というかチャント━━とヴァースの往復で曲は進む。スタジオ版では慎ましいボーカルワークだが、ライブでは “Shout / Shout” のチャントは大合唱となる。ヤノフのプライマル・セラピーの方法論を音楽的に昇華させたものと言えよう。しかし先に引用した通り、この楽曲の本領は「政治的抵抗」にある。それは “In violent times / You shouldn't have to sell your soul / In black and white / They really really ought to know / Those one track minds / That took you for a working boy / Kiss them goodbye / You shouldn't have to jump for joy” などの歌詞に端的に現れているだろう。

 かくして、離婚家庭の2人によって結成されたティアーズ・フォー・フィアーズは、アメリカ式精神分析からの影響から出発しながらも、ついに『Shout』で音楽的飛躍を果たしたと言えるだろう。あえてむずかゆい書き方をすれば、心に傷を負った子どもたちのための音楽がここに結晶したわけである。
 しかし、アメリカにおけるティアーズ・フォー・フィアーズの影響は、その後長らく見失われていた。90年代の音楽ジャーナリズムは(主にグランジの影響によって)80年代とは比べ物にならないほど「壊れた家庭」や「心の傷」を囃し立てたにもかかわらず、他ならぬ「壊れた家庭」や「心の傷」を主題にし続けた英国シンセポップバンドの存在は等閑に付されたかのようだ。実際、ティアーズ・フォー・フィアーズはカートの脱退によりローランド単独の活動となり、1993年に『Elemental』、1996年に『Raoul and the Kings of Spain』をリリースするも、2004年に両者が和解して『Everybody Loves A Happy Ending』をリリースするまでは沈黙状態が続いた。ではそれまでの間、アメリカにおけるティアーズ・フォー・フィアーズの影響は完全に途絶えていたのだろうか?

 ひとつだけ、特異的な例を挙げよう。イリノイ州シカゴ出身のバンド:ディスターブドが、2000年に『Shout』をカバーしている。これが、まあ、凄い。良くできたカバーというのではない。もとの楽曲に込められた「政治的抵抗」の文脈があっさり無視されているどころか、なんかの勘違いによってテストステロンが大量に注射されてしまったような、違和感たっぷりの珍カバーになっているのだ。
 


 何度聴いてもイントロで噴き出してしまう。時あたかも2000年、Kornやリンプの登場によって「ハイエンドでダウンチューニングなギターサウンドにラップぽいボーカル」のスタイルが持て囃されていた時期なのだ、そりゃこんなアレンジにもなるさ。特に素晴らしいのは1:20あたりで “Jump! Jump! Jump!” と煽りが入るとこ。「“You shouldn’t have to jump for joy” ってそういう意味の歌詞じゃねえだろ!!」とツッコミ込みで抱腹絶倒してしまう。さらに文脈無視で入る『Ice Ice Baby』ネタ。バカにしとるのか天然なのか。たぶんその両方だと思うが。
 結果として、あまりにも原曲からかけ離れたこのカバーは『Shout 2000』と改題されて発表された。西暦2000年。この年が何の「前年」であるかについて、今さら詳述の要はないだろう。

Ⅱ 2001-2006年:マイ・ケミカル・ロマンス


 そして21世紀初年。9月11日の同時多発テロ事件を直接の動機としてマイ・ケミカル・ロマンスが結成される。エモと呼称される音楽ジャンルで最も大きな成功を収めることになるこのバンドは、アクレームのみならず膨大なクレームをも被ることになった。

 2006年10月23日にリリースされた3rdアルバム『The Black Parade』は、US・UKビルボードで2位、ニュージーランドで1位、日本で10位を記録し、バンドにとって桁違いの成功をもたらしたが、同時に拒絶反応をも引き起こした。しかもクリティックのみならず、自らのファンダムからも。2ndまではパンクロックからの影響が明確なサウンドだったのに『The Black Parade』で急にクイーンを意識したコンセプチュアルな作風*5 に転換したのが多くのサムズダウンを招いたようである。私事に事寄せて恐縮だが、筆者がティーンエイジャーの頃に仲良くしていたヘヴィメタル少年(クリスチャンで、カーカスの大ファンだったが、マイケミのファンでもあり、初めて完コピしたギターソロは『Thank You for the Venom』だと言っていた)も「なんであんなアルバム出したのかねえ」と憎々しげに言っていた。

『The Black Parade』の成功(に見合わないほどのへイターの増加・プレスからのバッシング・による精神的負担の増加という、実に21世紀前半的=SNS的な現象。2006年がTwitterのサービス開始の年でもあることも忘れてはならない)によって契機を迎えたマイ・ケミカル・ロマンスは、当時の「音楽ファン(便宜的にこう書いたが、ほんっとに厭な言葉。なんだよ「音楽ファン」て)」たちにとって共通の標的となった。言わば「あれをバカにしておけばわかってるふうができる」的な、「マイケミ(笑)」的な扱いが定着したのだ。他ならぬ筆者も、『The Black Parade』を傑作と思いながらも「まあ、確かに青臭い音楽だし、しょうがないのかなあ」くらいに考えていた。筆者ですらそう思わざるを得ないほどに、エモは00年代の音楽シーンにおいて白眼視されていたのだ。

 ……いや、読者がエモについての知識を備えている前提で話を進めてしまったようだ。おさらいしておこう。
 エモという語の発祥はどこか・誰が名付けたかなどの実証的な記述は省略する。なぜなら、エモ自体が00年当時から既に侮蔑の対象とされ、「自称として使うのも他称として使うのもどちらもディスリスペクトを伴う」といった、非常にミレニアルな特徴を持ち始めたからだ。よって正確なエモの定義などと言ってもどうしようもなく、00年代に共有された得体の知れないユースカルチャー=エモが如何なるものだったかを見極めることにしか意味はない(最も成功したエモバンドとされるマイ・ケミカル・ロマンスのフロントマンですら「エモなんかゴミだ、そびえ立つクソだ」と抗弁しているのだから)。そしてそれは、2010年代も終盤に差し掛かっている今だからこそ冷静に成されうることだと思われる。

 まずエモの音楽的特徴を列挙しよう。

基本パンク
ギターによるオクターヴ奏法の多用(というよりは、パワーコードの5度を省略したフォームと言ったほうが的確か。実質1音しか演奏されていないわけなので、指板上で構築される面的なハーモニーよりも線的なメロディが前面に出やすくなる)
ギターソロの減少、あるいは絶無
楽曲・アルバムのタイトルがやたら長い

については、そもそも源流とされるバンドがフガジやマイナー・スレット等なので特に不思議はない。よってメンバー数も4~5人。しかし00年代中盤からは(商業的に成功したバンドは)編曲にも凝るようになり、キーボードや管弦楽が入ったりする。ベイビーフェイスと共作したフォール・アウト・ボーイはその典型。
は従来のパンクからの洗練だろうか。パワーコードしか弾かないパンクバンドの場合、ダイアトニックで完全5度がないコード(長調ならVIIm7(♭5)、短調ならIIm7(♭5))をどう処理するかがささやかな問題となる。たいていのバンドはそこも完全5度で押し切るが、まじめなバンドは#5か♭5で押さえたりもする。オクターブ奏法はその問題を手軽に解消する手段でもあったのだろう。
はフォール・アウト・ボーイが『I Don’t Care』のビデオ冒頭で「はあ? ロックンロールに何が起こっちゃったのよ? アイライン引いてエナジードリンク飲んでギターソロ弾かねえだあ?」と自虐的なセリフを入れたために周知されたのかもしれないが、実はけっこう弾いている。マイケミの曲にもカッチリ構築されたギターソロが入っているので(じゃなきゃクイーンオマージュの音楽なんてやれるわけがない)、当たり前だが「あくまでギタリスト次第」ということだろう。
タイトルはとにかく長い。『You Know What They Do to Guys Like Us in Prison』、『I'm Like A Lawyer With The Way I'm Always Trying To Get You Off (Me + You)』、『The Only Difference Between Martyrdom and Suicide Is Press Coverage』など。

 大体こんなとこだろう。次は「エモ(Emo kid)」と呼ばれるファンダムの特徴を書いておく。むしろ音楽性よりこっちのほうがよく知られているかもしれない。ファンダムの特徴が音楽的な興味深さを突破してしまっているのがエモのパブリックイメージ、と言うこともできるからだ。

離婚家庭、学校でのいじめなど、「壊れた環境」に暮らしていることへの自意識の比重
タトゥー、マニキュア、リストカットなど、「自分の身体に書き込む行為」全般への嗜好
衣服、髪型、ネイルなど、ファッション全般に見られる黒色への偏向。黒のアシンメトリーで毛先を伸ばすヘアスタイルが主流。だいたい片目が隠れる
フォトジェニックであることへの自覚。00年代にはエモが互いに抱き合ってキスしたりタトゥーを見せびらかしたりする画像がネット上で大いにシェアされた(Twitter・Facebookの蔓延前夜であるため、主なプラットフォームはmyspace)

はレノン=マッカートニーを端緒としてカート・コバーンを経てエミネムに至るまでの、20世紀の「ミュージシャンと壊れた家庭環境」トレンドの軟化版といったところか。ミュージシャンにとって「壊れた環境」に生まれ育ったことは良くも悪くも燃料となりうる。のちにダニエル・ギルデンロウが “There's nothing like a broken childhood / There's nothing like a broken home” と揶揄したように、そのせいで自滅する例のほうが多いが。
は劈頭で述べた「軽症化」と明確な関連がある。加えて、「アメリカでのタトゥーはもはやギークがするもの」という高橋ヨシキ氏の指摘も援用しておこう。
を踏まえると「じゃあ、エモはゲイ/レズカルチャーと相性がいいってことなの?」と思われるかもしれないが、そうではない。むしろエモキッシング(今名付けたが)は親や教師たちの顔をしかめさせるためのもので、当人たちが明確に非ヘテロセクシャリティを自覚している可能性は高くないだろう。この「あくまでフリ」「他のカルチャーと接触・交流するのではなく、周縁にとどまる」などの要素はエモの最大の特徴でもあり、弱みでもあるのかもしれない。
そもそも読者はmyspaceを記憶しているだろうか? アカウントの種類に「ユーザ」と「アーティスト」の2種類があったり、バンドに応援のメッセージを出したら割と返事がもらえたりしたあのSNSのことだ。まずはGoogleで “emo myspace” と入れて画像検索してみるといい。「ああ、うわあ、こういう……」とただちに諒解されるだろうから。
(だからといって決してエモのことを笑い者にはできない。きっと10年後には、現在TwitterやFacebookやInstagramに淫している人間たちの生態が「ああ、うわあ、こういう……」と笑い者にされているだろうから。)

 と、ここまで書いて「あれ? エモとゴスって似てるんじゃ?」と思った読者も多かろう。そう、筆者も以前書いた通り*6 に、ゴスとエモは 
とかく黒い服を着たがる
ダークな音楽と結びついたファッションであり、スポーティーな要素は皆無
 などの共通項がある。しかし、ゴスが英国発祥(1982-83年。奇しくもティアーズ・フォー・フィアーズのデビュー時期と一致)のファッションであるのに対し、エモは米国パンクロックシーンから発展したファッションであることが重要だ。仮にエモを「英国ゴスファッションの特徴を、無理も承知でアメリカ郊外の若者のスタイルに取り入れたもの」と捉えると、ティム・バートン、その監督作品『ビートルジュース』が連想される。そもそも『ビートルジュース』でウィノナ・ライダーが演じていたリディアが80年代におけるゴスの先鋭だった以上、そこにたどり着くのは仕方ないだろう。先祖が同じわけだから。

 よって、高村是州氏が「現在ほど音楽とモードの関係が見失われた時代もありません。ヒップホップ・ファッションを最後に、90年代以降、現在に至るまで、コンセプトからスタイルが生まれるということがありません」と前置きし、エモの影響力を勘案しながらも「非常に小さなフィールドの変革」と留保を置いていた*7 ことも腑に落ちる。エモは英国からの影響をアメリカ郊外の若者のファッションに転化しようとした試みであり、もともとティム・バートン的な「不自然さ」「ムリめ」「浮いてる感じ」はエモと不可分だったのである。マイ・ケミカル・ロマンスに代表されるエモのスタイルが外部のみならず内部からもディスリスペクトを受け続けたのは、否みがたく内包されていたこの「ムリ感」に起因するものだったのだろう。

 それでは、ここまで筆を進めた以上、筆者によるエモの定義を書いておかねばなるまい。
 エモとは何か。それは2001年から2006年にかけてのアメリカ合衆国で全盛を迎えたユースカルチャーである。2001年は同時多発テロ事件、真珠湾とベトナムに並ぶ心的外傷をアメリカに与えたあの年であり、2006年はTwitterサービス開始の年にあたる。よって00年ディケイドにおけるこの2点はアメリカの21世紀最初の傷からSNSの蔓延による自意識過剰時代への過渡期と見なすことができ、エモは60年代からの「軽症化」のあおりを受けつつ、さらには英国のゴスの影響も受けつつ、自国内において新たな音楽とファッションを生み出さんとするコンセプトだった。

 以上である。しかし、筆者はエモを笑い者にしようとは思わない。取るに足らない過去の遺物として埋葬しようとも思わない。なぜか。エモはまだ真面目だったと思うからだ。少なくとも彼女ら彼らは、自分の傷を自覚していた(それが「軽症化」の効果でしかない、自意識の糸屑みたいなものだったとしても)。エモの音楽作品の多くが「死」をテーマにしていたことを思い出そう。同時多発テロ事件を直接の動機として結成されたマイ・ケミカル・ロマンスは、少なくとも21世紀に生まれついた自分たちの状況を省みて「大丈夫じゃねえよ(I’m not okay)」とやけっぱちに歌うことができたほどには、自分たちの傷に対して誠実だった。その姿勢が結実したのが「死」のポップミュージック『The Black Parade』である。この作品がいかなる毀誉褒貶に晒されようとも、彼らが「傷」や「死」を前にして目を背けなかったこと、この事実をなかったことにはできない。
 他の無限のユースカルチャーたちと同じように、エモも時代の徒花として記憶されるのだろう。ここで高村是州氏の指摘に立ち返る必要がある。「90年代以降、現在に至るまで、コンセプトからスタイルが生まれるということがありません」。エモは英国のゴスを自国のパンクロックシーンの文脈で引き受ける、場当たり的なコンセプトだったわけだが、それは「非常に小さなフィールドの変革」に留まってしまった。その要因は前述したとおりだ。
 しかし、こう考えることもできるのでは。エモは80年代前半英国のファッションを自国に転化せんとして生まれたスタイルだった。では、80年代前半の英国と00年代中盤の米国が「音楽とモードの関係」で繋がっていた事実がある以上、そのふたつをさらに掛け合わせて新たなスタイルを生み出すことは可能だったはずだ(ゴスの影響によってエモが生まれたように)。ゴスとエモの融合、80年代英国と00年代米国の融合。しかしそれは2010年代に入っても、マイ・ケミカル・ロマンスが解散した後でもなお成されていなかった。ゴス(英国)→エモ(米国)→ からなる次の一手、その可能性は、まるで解離したまま忘却に晒されたようであった。2017年までは。

Ⅲ 2016-2018年:『アイカツスターズ!』


 さあ、ここで時計の針が現在に戻る。
 劈頭の結論部分をリプリーズしよう。『アイカツスターズ!』の楽曲『MUSIC of DREAM!!!』の重要性は、80年代英国シンセポップと00年代米国エモーショナルハードコアとを一直線に結んだことにある。つまりティアーズ・フォー・フィアーズに代表される80年代英国シンセポップと、マイ・ケミカル・ロマンスに代表される00年代米国エモーショナルハードコアとの混血を単体で果たした楽曲が『MUSIC of DREAM!!!』なのである。

 エモの音楽的特徴について、オクターヴ奏法の多用により「板上で構築される面的なハーモニーよりも線的なメロディが前面に出やすくなる」と書いたが、本来これは80年代英国シンセポップの特徴でもあった。シンセポップにおけるキーボードの演奏は、ピアノで一般的とされる「左手でベース・右手で声部」のフォームを採らず、指一本で単音のフレーズを弾く。「世界的に有名な一本指奏者」を自称するフレッチ(デペッシュ・モード)に象徴されるそのスタイル*8 は、鍵盤でハーモニーを支えることを志向せずただ単音のフレーズをループする、一種の倒錯した美学によって成り立っていた。面的なハーモニーではない線的なメロディへの志向。これをエモのオクターヴ奏法の多用に置き換えると、80年代英国と00年代米国・シンセポップのキーボードとエモのギターにおいて同質の音楽的傾向が生まれていたことが理解できるだろう。

 それを踏まえたうえで、改めて『MUSIC of DREAM!!!』のイントロを聴いてみよう。冒頭から鳴るきらびやかなシンセのメロディは非常にシンセポップ的だ。単音でベースを伴わない、右手でメロディのみを弾く発想。しかしこの曲を支える弦と管のハーモニーの豊かさは驚くべく、線的なメロディのみならず面的なハーモニーをも同居させることに成功している。これはシンセポップにつきまとう一種の「スカスカ感」とは別物だ。この編曲の見事さについては以前賛辞を費やしたので省略する。

 次に『MUSIC of DREAM!!!』のバンドサウンドを検討しよう。この編曲をエモと重ねるなら、マイ・ケミカル・ロマンスよりもむしろフォール・アウト・ボーイの名を出すべきだろう。『Thnks fr th Mmrs』のイントロで入る管弦、およびCメロで入るアコースティックギターの音に注意して聴いていただきたい。このイン/アウトの切り替えの鮮やかさが『MUSIC of DREAM!!!』の編曲と同質のものであることがわかるはずだ。そもそも『MUSIC of DREAM!!!』はバンド演奏が目的ではなくレコーディング作品としての完成度が志向された楽曲なので、こちらの方向性が採られたのは完全に正しい。
 まとめよう。『MUSIC of DREAM!!!』のサウンドは明確に80年代英国シンセポップと00年代米国エモーショナルハードコアの混血によって成り立っている。そもそもこの2ジャンルの関連は(唯一、ディスターブドの珍カバーを除いては)忘れ去られていたかのようだったのに。『アイカツスターズ!』は『MUSIC of DREAM!!!』において80年代英国→00年代米国の混血を果たすことに成功してしまった。それも音楽的要素のみならず、ファッションの文脈においても

 思い出そう、まだ太陽のドレスに至らなかった頃の虹野、デザイナーとして未熟だった頃の彼女を先導したのは白銀リリィだった。『Gothic Victoria』のミューズである彼女がのちに『MUSIC of DREAM!!!』を歌う虹野の先輩だったことにもすべて筋が通っている。エモの先祖はゴスなのだから、虹野の先輩として「ゴシック」な人が登場するのは当然ではないか。*9

 そして虹野は旧友の七倉と再会し、ついに星を降ろすためのドレスを受胎したのだった。しかしそのドレスは先祖たるゴスのような暗色ではない。虹色だ。これは『アイカツスターズ!』、複数形の作品なのだから「虹色のエモ」が出てきたとして何の不思議があるだろう。『MUSIC of DREAM!!!』、80年代英国と00年代米国の混血的サウンドを持っているこの楽曲を引き受けるには、虹野と七倉、それぞれ別のくらみに向き合って再び手を取り合った2人の共作行為が必要不可欠だったのであり、その結果として前代未聞の「虹色のエモ」が受胎された。黒から虹へ。単体のジャンルとしては「非常に小さなフィールドの変革」にとどまっていた00年代エモの最大の弱点を克服し、今までのジャンルの再編集によって新たな「エモ」を生み出すことに成功したのが『アイカツスターズ!』の2年間だったのだ。

 いや、「エモ」は虹野ゆめだけではない。暗色で挑発的な衣装の桜庭ローラは、むしろ00年代までのエモに忠実である。しかし彼女も、先輩から継承したブランドを再編集することで自らのスタイルを獲得したのだ。『アイカツスターズ!』、この複数形の作品には複数の勝負師たちが存在する。ゴスの文学者もいるし、男装の騎士もいるし、猫と羊の共作チームもいる。どんな「エモ」があってもいいのだ。しかしそれは「みんなちがってみんないい」とかいうヌルい馴れ合いとは遠く隔たった場所での斬り結び、尖鋭筆鋒stilusの鍛錬によって自らのスタイルが優れていることを証明するための闘争の場である。マイルスが「いいプレイをする奴なら、肌の色が緑色の奴でも雇う」と言っていたような、あるいは YOU THE ROCK が「いい奴もいる 悪い奴もいる 黒い奴も白い奴も黄色も赤もいる」と歌っていたような、あるいは『Star Trek』や『Guardian of the Galaxy』のような、宇宙的極彩色の引力圏。そこで衝突し模倣され再編集されたものたちが再び新たな創造のきっかけとなるような、受胎のための闘争の場なのだ。80年代シンセポップと00年代エモの混血によって誕生した『MUSIC of DREAM!!!』が、「エモ」たちのこの上ないマニフェストとして存在している。
 ここで改めて『MUSIC of DREAM!!!』の歌詞を引用しよう。「間違いを知らなければ/本当なんて見えない/弱さを隠す理性は捨ててしまえ/感情に揺らめく/-歌-がはじまる」。ここには本稿で詳述してきた80年代英国シンセポップ(ティアーズ・フォー・フィアーズ)と00年代米国エモーショナルハードコア(マイ・ケミカル・ロマンス)の精髄とも呼ぶべき要素が出揃っている。それぞれ引用しよう、 “In violent times / You shouldn't have to sell your soul / In black and white / They really really ought to know” 。そして “I'm just a man / I'm not a hero / Just a boy who had to sing this song” 。
「こんな手酷い時代に魂を売り渡すべきじゃない。黒か白かで話をつけたがる連中なんかに」・「わたしはただの人間だ、ヒーローなんかじゃない、ただこの歌を唄うしかなかっただけのヤツだ」。そういう歌だ、これは。ここにはもはや「泣くような場面はあまり作らないようにしています。嬉し涙以外はなるべく流さないようにオーダーを出しました」「軽い気持ちで視聴者には観ていただきたい」*10 という謎の検閲に従って作られていた『アイカツ!』のような「笑顔」は引き千切られている。『アイカツスターズ!』を「軽い気持ち」で観ることなどできるわけがない。彼女らは無残に泣き、迷い、死にかけ、しかるのち笑う。その両足で立って破顔して譲らない。ショーが続くことを知っているから、自分の仕事があることを知っているからだ。であるからこそ『アイカツスターズ!』は真の意味で “carrier” の、「保菌者」の、「続ける人」の作品だ。どの時代でもどの土地でも続いてきたことを今まで通りやり続けるだけの、歌うこと叫ぶこと泣くこと笑うことをやめない病者たちの作品である。この「軽症化」の時代にありふれた症状とは「別の症状」に取り憑かれた、反時代的な病者たちの生き様である。

 本稿の目的は果たされたようだ。『アイカツスターズ!』のstilus使いたちの闘争がいかなるものだったか、その結果として如何なる創造性の煌めきが届けられることになったかについては、「神域にあろうと:『アイカツスターズ!』2年目に捧げる11のリスペクト」闘争編で記述される。


MORE EMO?(エモ音源案内)



◎In/Casino/Out - At The Drive-In(8/18/1998)


 今となっては思い出しづらいかもしれないが、ATDIもエモとしてカテゴライズされていたのだ。ワルツのアルペジオが美しい『Napoleon Solo』は交通事故死したバンド仲間のために捧げられた楽曲。のちにセドリックはオマーとともにマーズ・ヴォルタを結成し、英語とスペイン語と医学用語とジョイス的造語が乱舞する錯乱的文体によって『De-Loused In The Comatorium (2003)』を世に問うたが、これもオーバードーズで死亡した親友フリオ・ヴェネガスの鎮魂のために作られたものだった。彼らの創作の動機としてあったのは近しい人の「傷」や「喪失」だったことになる。『De-Loused In The Comatorium』最大の聴きどころである12分の大作の曲名は『Cicatriz ESP』。やはり「傷」なのだ。「不慮の死を迎えた男の地獄巡り」という意味で『The Black Parade』のテーマを先取りしていた点も見逃せない。

◎Three Cheers for Sweet Revenge - My Chemical Romance(6/8/2004)


 オフスプリングもパクった名曲『Helena』、エモマニフェスト『I'm Not Okay (I Promise)』、聴けば聴くほどに良くできているなあと唸らされるハードコアパンク『Thank You For The Venom』収録。確かにこの時期はディストーションギターの不協和音や捨て鉢なボーカルが際立っているので、『The Black Parade』以降を一切評価しないというファンの気持ちもわからないではない。

◎The Black Parade - My Chemical Romance(10/23/2006)


 デヴィッド・ボウイ『Five Years』とピンク・フロイド『In The Flesh?』の両方を臆面もなくパクった1曲目『The End』から驚かされるが、この「コンセプトアルバムやるために昔のやつもちゃんと勉強してきました」感は、やっぱり買いだ。ほんとうに真面目なバンドである。
『Welcome To The Black Parade』に今更の説明は不要だろう。最後サビ全音上転調というベタな仕掛けがどうしてこんなにも良く聴こえるのか? 『House Of Wolves』は個人的に一番好きな曲だ。『Sing Sing Sing』ふうのビートとドラムスのサウンドプロデュースががっちり噛み合っている。これはリズム音痴の子たちには絶対作れないぞ。『Mama』にはライザ・ミネリが参加。フレディ・マーキュリー追悼コンサートで大トリだったもんな。そりゃ呼びたいよなあ。ラストを飾る『Famous Last Words』はギターリフの秀逸さのみならず、ボーカルの重ね方と弦の絡み方が美しすぎる。 “Famous last words” とは「大言壮語」、つまり「強がり」を意味する(ちなみに、ティアーズ・フォー・フィアーズにも全く同じ名前の楽曲が存在する)。よりによって “I am not afraid to keep on living / I am not afraid to walk this world alone” と歌うアルバム最後の曲名が「強がり」って!! もう!! お前!!
 というわけで、どう聴いても傑作である。このアルバムを聴いて「売れ線じゃん」とか「ティーンエイジャー向けのやつでしょ、今更こういうのを聴くのはちょっとね」とか言って切り捨ててしまうような人間は、筆者と一切関わり合いにならないでほしい。不愉快だ。かっこつけやがって。

Video: Welcome To The Black Parade


 初見時にはゴスっぽさのインパクトに押されて気づかなかったが、今になって気づいた。これ、メキシコの『死者の日』が元ネタじゃないか!!


 制服の模様を死者の骸骨になぞらえていたのか! そう考えれば「白塗りの顔に黒い隈取り」というメイクもまんま『死者の日』じゃないか。
 そもそもマイ・ケミカル・ロマンスの出身地であるニュージャージー州は、イタリア系をはじめとする移民人口比率が高い。ボーカリストのジェラルド・ウェイとベーシストのマイキー・ウェイはイタリアとスコットランドの混血、リードギタリストのレイ・トロはプエルトリコとポルトガルの混血、リズムギタリストのフランク・アイイアロはイタリア系である。ラテンの血の濃さ!! そんなメンバーたちによって構成されたバンドだもの、そりゃ『死者の日』モチーフくらい取り入れるさ。『The Black Parade Is Dead!(ツアー最終公演のライブレコーディング)』の地がメキシコだった理由もやっと腑に落ちたよ。

◎A Fever You Can't Sweat Out - Panic At The Disco(9/27/2005)


 懐かしいー。当時のMTVでは『I Write Sins Not Tragedies』のビデオがかかりまくっていたのだよ。しかし一番良いのは『Camisado』だろう。シンプルでかっこいいし『夜間攻撃』という邦題もいいし(“camisado” をGoogle翻訳に入れたら “nightgown” と出てきたが)、 “ICU's hall of fame” というパンチラインもある。しかし本当に病院モチーフが好きだなエモは。
 2nd以降は「僕たち、そもそもギターとかには興味ありませんでしたし」みたいな方向になっていったが、それでよかったのだろう。そういう意味で本当はベン・フォールズ・ファイブとかに近しいバンドだったのかもしれない。

◎Infinity on High - Fall Out Boy(2/6/2007)


 やはりベイビーフェイスのプロデュースによる『Thks fr th Mmrs』がダントツで良い。間違いなく『MUSIC of DREAM!!!』の編曲(管と弦とアコギ)はこの曲を参考にしていると思うのだが。歌詞はスワッピングというか、倦怠期にまつわるもので、恋人から「あいつとやったけどあんたと同じ感じだったわ、あっちのがちょっとは佳かったけどな」とか言われてしまう内容である。しかし「思い出に感謝しよう、たとえスウィートじゃなかったとしても」の一節だけ抜き出すと、かなり桜庭イズムというか……実際、筆者はこの曲を桜庭ローラのテーマソングとして聴いてしまっている節がある。なにしろ『Spice Chord』の継承者なのだから、「スウィートじゃなくてもいい」という歌詞が説得力を増すのだ。

◎The Heroin Diaries Soundtrack - Sixx A.M.(8/21/2007)


「エモじゃないでしょこれは?」と言われるかもしれないが、これはぜひ加えておきたかったのだ。ニッキー・シックスのヘアスタイルはエモの先鞭だったとも言えるし、レヴ(A7Xのドラマー。故人。ジャンルはへヴィメタルだが容姿は明らかにエモだ)や千葉雅也(ニッキーやレヴのコスプレみたいなカッコした頭空っぽの自称哲学者。ピスオフ)などエモ以外のジャンルにも広範な影響を与えている。加えて、モトリーの『Dr. Feelgood (1989)』は明らかにキリング・ジョークの『Love Like Blood (1985)』を元ネタにしており、英国のゴシックパンクと米国のヘヴィメタル/ハードロックとのミッシングリンクの一端を担っているのがニッキー・シックスであることは間違いない。そんな彼がソロプロジェクトで「バンド全盛期に薬物中毒で死にかけた経験、を赤裸々に書いた自伝、のサウンドトラック」を発表した事実は、エモの文脈でも見逃せないのだ。

 コンセプトアルバムとしても手堅くまとまっている。DJアシュバのギターワークもバッキングとストーリーの演出に徹しているのが実に良い。ジェームス・マイケル(スタジオエンジニアでプロデューサーでソングライターでボーカリスト。すんごい変わった経歴。モトリーの再結成アルバムにも全面的に参加してる)のボーカルも元々専任ボーカリストでなかったのが信じられないほど冴えている(しかし裏方の活動が長かったせいなのか、ライブでの振る舞いとか衣装とかが時々イモい。そこがカワイイのだが)。『Life is Beautiful』の「俺を生き返すためには葬式を挙げるしかない」という一節などは、これぞエモ! と言うべきではないか。
 自伝のほうは2008年にシンコーミュージックから邦訳が出版された。現在新品では入手できないようだが、かなり凝った装丁で内容も面白いのでぜひ探して読んでほしい。ニッキーがいかに80年代の空気とは程遠い繊細な人だったかが理解されるはずだ。エモという名前が生み出される以前からエモ的な人物は存在したのであり、エモであることに年齢など関係ない。

◎Elliot Minor(4/14/2008)


「上手いエモ」。略して「上モ」。ちゃんとギターソロが弾けるバンドということだ。『Parallel Worlds』で聴けるギターソロはテクニカルかつ簡潔に起承転結していて、エディ・ヴァンヘイレン的とすら言えるのではないか。
 そしてこのバンド、イングランド出身なのだ。しかもメンバーのひとりが日系。英国出身でエモでしかもギターソロがいけるバンドだというのだから、幾重もの意味でボーダーライナーなバンドである。クラシカルでコーラスが厚いので、ムーン・サファリあたりが好きな非エモ者にもおすすめできると思われる。


 とりあえず筆者に紹介できるぶんだけ書いてみたが、こうして見てみるとエモはヒップホップと同じ混血文化なのだと実感された(というか、アメリカで花開いた音楽ジャンルすべてがそうなのだが)。人種的多様さも音楽的多様さもバンドそれぞれで異なっており、00年代に如何にエモのジャンル区分がいい加減に使われていたかがよくわかる。逆に言えば、それだけ一色に染まりきれないボーダーライナーたちのトライブがエモだったのではないか、と言うこともできる。よって「エモってあれでしょ、顔色が悪くて楽器が下手なWASPがなんか叫んでるだけの音楽でしょ」というパブリックイメージは今すぐ撤回されなければならない。ここにはまだ汲み尽くされていない泉がある。



西暦2022年7月30日に付された後註:
「書いた」のではなく「書かされてしまった」文というものがある。これはもちろん稿料をもらったから思ってもいないことを書かなくてはならなかったなどという意味では一切ない。ふとした火花で着想が連結し、結果として自分の今までの全人生がひとつの原稿に総動員されるようなことが、ものを書いているとあるものだ。本稿はまさにその典型である。執筆当初は「『スターズ!』をきっかけにエモを回顧する」程度の見通しのみで、まさかこのような結論に至るとは思いもしなかったし、『黒から虹へ』というタイトルまで含めすべて偶然が成したことである。

 私から付け加えるべきことは何もない。ここ5年でエモを主要な音楽的影響源とするミュージシャン(ホールジーのような。私は全く好きではないが)も目立つようになってきたし、彼女ら彼らが本稿の結論部を引き継ぐだろう。

 また今月、虹野と桜庭の共演曲というお題目で発表された『Bravely Song(エクスクラメーションマークがいくつあったかは忘れた)』には、明らかに『Welcome to the Black Parade』の要素が含まれた一箇所がある。というか、『Bravely Song(エクスクラメーションマークがいくつあったかは忘れた)』は『Fantasy』(EW&F)と『Welcome to the Black Parade』のマッシュアップとして成り立っている曲であり、本稿で述べられた論旨の裏付けとして聴くことができる。さすが、知恵の鈍っていない音楽家は物事の勘所を直接掴むことができるのだなと感心したが、しかし『オンパレード!』などというクラックで時空がぐちゃぐちゃにされた後で虹野と桜庭の「共演」を押し出すということ自体が意味不明であり、『We are STARS!!!!!』における南田健吾のこの上なく素晴らしい仕事の後でわざわざこんな曲を出すのは完璧な画竜に足を付け加えるのと同断であるので、単体の楽曲としてはともかく、『スターズ!』の楽曲としての評価には一切値しないことは言うまでもない。


*1 佐々木中著『夜戦と永遠』括弧 アンスクリプシオンの不死━━『アンチ・オイディプス』に関する註
 この一文は『アンチ・オイディプス』が深刻な挫折を孕んだ失敗であったことを認めるドゥルーズ自身の発言の追論であることを補足しておく。主体と「書くこと」の関係=「アンスクリプチオン」は消失しない。現に境界例の患者が自傷によって自己創設のエクリチュールを行なっているように……とだけ書くと単に陰惨な現状追認のように誤読されうるので、未読のかたはまず『夜戦と永遠』全文を通読していただきたい。一切の要約を許さないこの驚くべき書物には、「軽症化」に馴致され尽くした「症状」ではない、「反時代的」な享楽による「抵抗運動」がかつて在ったし、これからも在りうることが明晰に論述されている(第1部第4章)。

*2 もちろん軽症化など関係なしに、外部(学校や職場)の暴力によって鬱病等を発症してしまう例が数多く存在するのは筆者も承知している(というか肉親にいる)。しかし外部の暴力による場合、事態を解決するためにまず召喚されるのは司法であり、精神医学・精神分析は被害者の事後的な医し手として呼ばれるにすぎない。事実としてのハラスメント等が存在しないにもかかわらず、まず「家庭」や「幼少期」などを外部として対象化し、そこから精神病や神経症の原因として「家庭の問題」などを取り沙汰す思考は、精神医学・精神分析が本来持っていた政治性を完全に見失ってしまっている(フロイトが一次大戦で・ラカンが二次大戦で直面した思想的契機を参照されたし)。そうではなく、「自分は家庭環境のせいで・幼少期のトラウマで病んでしまって」と自ら積極的に「症状」を引き出す思考、「核家族」が一般化したこの時代で共有されているにすぎない偏向を自明視する思考をまず無効にすべきなのである。
 
*3 筆者は『ディヴァインの芸能史(2015年:原稿焼却済)』において、SONYウォークマンの発売とデペッシュ・モードのバイオグラフィを重ね合わせるかたちでの80年代論考を書いた。本項はその再試行とも言える。

 また、本項でのティアーズ・フォー・フィアーズのバイオグラフィに関する記述は、全て英語版 wikipedia から引いた。「記事のソースにウィキペディアってあんた」と思われるかもしれないが、バンドや楽曲に関する英語版 wikipedia の記述はそこそこ正確なので問題ない。そもそも実証的な記述を必要とするならバイオグラフィ本を取り寄せなければならない。そして本稿は『アイカツスターズ!』論であり、ティアーズ・フォー・フィアーズ論が本筋ではない。

*4 先に引用した木村敏氏の文章で「この(内因性鬱病に関する)学説が発表された当時から、それが積極的に評価されたのは日本とヨーロッパ各国だけだった。いろいろな意味で精神医学大国であるアメリカでは、この学説はほとんどかえりみられなかった」と指摘されているように、アメリカでの精神医学・精神分析はかなり特異と考えたほうがよい。なにしろアメリカに亡命して成功した精神分析医の代表格がアドラーである。アドラー心理学の有害性については前稿で指摘したのでくりかえさない。指摘しておきたいのは、アメリカでは管理経営(マネジメント)的思考が蔓延しきったせいで、精神医学・精神分析の知見を持っていない人間までもが「セラピスト」を名乗っていること。興味があればメタリカのドキュメンタリー映画『Some Kind of Monster(邦題『メタリカ:真実の瞬間』)』を観てほしい。「バンドの音楽活動に平然とセラピストが介入する例」が延々とカメラに収められており、ある意味では音楽ドキュメンタリー史に残る珍作である。

*5 余談だが、00年代にメジャーで成功したバンドは、U2化するかクイーン化*5-1 するかどちらかのルートを辿ることが多い。前者はザ・キラーズ、リンキン・パーク等。後者はグリーン・デイ、マイ・ケミカル・ロマンス等である。筆者の私見でしかないが、前者は音楽的にいまいち飛躍できず、逆に後者は充実した方向転換を遂げることが多いように思われる(U2化とクイーン化の両方をぬけぬけと成し遂げたミューズという例外中の例外も存在する)。

*5-1 クイーン化とは「コーラスやギターのオーバーダブの厚み」のことではなく、むしろ「ドラムサウンドの劇的な向上」を意味する。特にタムの音が重くなる。なぜか指摘されることが少ないが、ロジャー・テイラーのドラムサウンドで最も特徴的なのはタムの重さである(今一度『Killer Queen』や『Somebody to Love』を聴かれたし)。クイーンの身上が「バンドサウンドでのオーケストラ」である以上、ドラムスのタムの音がティンパニを模したものになるのは理の当然である(ポリスの再結成ツアーでスチュワート・コープランドのドラムセットにティンパニが加わっているのも同じ現象。80年代のツアーでは大勢のサポートメンバーが入っていたから通常のドラムセットでもよかったが、3人編成の再結成ツアーでは打楽器を追加して奥行きを出す必要があった)。
 それを踏まえた上でグリーン・デイの『American Idiot』やマイ・ケミカル・ロマンスの『House of Wolves』を聴くと、同年代のバンドより段違いにタムの音が良いことがわかる。彼らがクイーンのサウンドから持ち帰った最大の収穫物が「ドラムサウンドの劇的な向上」だと言ってもいい。うわべだけの派手さではなくリスペクト元のサウンドメイキングをしっかり持っていく彼らのセンスに、筆者は深く共感する。

*6
本稿では(鈍重になるため)ゴスに関する詳述は全て省いている。情報量が足りないように思われたなら、リンク先の高橋ヨシキ氏のメルマガを購入して読んでいただきたい。

*7 菊地成孔・大谷能生共著『M/D』河出文庫刊 下巻 272P
 ここでの「現在」とは2006-2008年のこと。

*8 たとえば『Just Can’t Get Enough』のイントロを聴いてみよう。これはもう「本来ギターで弾くべきフレーズをキーボードで弾いてしまった」シンセポップ的倒錯の典型例である。
「フレーズにギターで弾くべきとかキーボードで弾くべきとかないでしょ? そもそもどうやって判断すんのよ」と思われるかもしれないが、明確な判断基準があるのだ。まず鍵盤をイメージしてくれ。どの鍵でもいいから押してみよう。鍵盤が沈むとともに音が打音される。が、押した鍵盤がもとに戻るまでは、同じ鍵で次の音を打音することはできない(鳴らした音を止めるという「演奏」をすることはできるが)。
 対して、ギターの場合はピックで弦をダウンストロークして打音した後、返す刀のアップピッキングでさらに打音することができる。鍵盤でいう「押した鍵がもとに戻るまでの動作」によって、ギターはさらにもう1音打音することができるわけだ。ピックを使用すればアップとダウンで1音ずつだが、フィンガーピッキングを活用すればさらに複雑な打音が可能となる。
 よって、ギターはアップとダウンの往復でグルーヴを出すためのフレーズ(線的)に適しており、キーボードは左手と右手で和音を構築すること(面的)に適していると、とりあえずは言える。その判断基準で言えば、『Just Can’t Get Enough』のイントロは明らかにギターで弾くべきフレーズだ。これをキーボードで弾いてしまう錯誤、つまり「間違い」にシンセポップの本領がある。この「間違い」は電子機器を使用した音楽制作においてたびたび見られることであり、ごくまれに豊かな創造性をもたらす。ヒップホップで言えば、KRS One が直々に弾いた『The Bridge is Over』のピアノ(ヨッレヨレである)なんかまさに「本来ギターで弾くべきフレーズをキーボードで弾いてしまった」やつだし、Schoolly D がプログラミングしたビートが機材の誤操作によって別の音に(キックがティンバレスに)なってしまった『Saturday Night』などはよく知られている。

*9 これはもちろん、「そもそも勝負が成立しない『アイカツ!』の世界から唯一没落することができた氷上スミレの後裔たちの世界」として『アイカツスターズ!』を取り扱う本書の史観においても重要となる。

*10 アニメージュ2月号増刊 劇場版アイカツ!特別増刊号 69P


『アイカツスターズ!』関連記事一覧:

・『アイカツスターズ!』の学校観 2016/04/18(Mon)

・只野菜摘が怖すぎる (アイカツスターズ!『未来トランジット』 2016/06/25(Sat)

・アイカツスターズ!『Dreaming bird』の変拍子を読む 2016/09/02 (Fri)

・届けられてしまったからには(アイカツスターズ!『Dreaming bird』讃) 2016/11/26 (Sat)

・札切る後裔(『アイカツスターズ!』の1年間に捧げる7つのリスペクト) 2017/03/31(Fri)

・あらゆる天使は恐ろしい(アイカツスターズ!『荒野の奇跡』を読む) 2017/07/08(Sat)

・この幼形成熟の世紀に(フランチャイズ・自己啓発・アイカツ!) 2017/09/04(Mon)

・黒から虹へ(『アイカツスターズ!』が「エモ」を孕むまで) 2018/02/24(Sat)

・幻聴試論(『アイカツスターズ!』1年目再訪) 2018/03/02 (Fri)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?