樋渡学

昭和初期創業の写真館で務める無名作家。 ・撮影に関する日々の記録。 ・定期的にまとめ…

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昭和初期創業の写真館で務める無名作家。 ・撮影に関する日々の記録。 ・定期的にまとめた写真作品 ・日々感じた学び ※不定期投稿

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小説『セイキスイッチ』

『セイキスイッチ』                                    樋渡 学 「沙知。ご飯出来たぞ」  キッチンから隆文が呼びかけてくる。私はここ数日の排尿停止について心底不安に駆られていた。最初は病気かと心配したが、病院での検査はさほど問題無く、精神的なものから来ているかもしれないと言う事で数種類の精神安定剤を処方され

    • 【1分読書】『母の顔。落ちて』

      『母の顔。落ちて』  犬が足元で鳴く。僕はそれどころではなかった。犬はどこから来たのかも分からないが大きな声で永遠と喚き散らしている。顔がかゆい。先程まで何もなかったのに気付けば耐え難いほどにかゆみを感じている。 「うるさい、うるさい」  僕も犬と一緒になって喚き散らす。そうするしか無いのだ。そうでもしていないとおかしくなってしまいそうだ。思い切り顔をかきむしる。とってもとっても取り切れない違和感を必死で引き剥がそうとする。 「かゆい、かゆい、かゆい」  何かが破れる音がした

      • 【1分読書】『阿保』

        『阿呆』  笑いがこみ上げる。 「おじいさん、テレビ、笑えるな」  こうしてぼけたフリでもしてないと落語も涙に変わってしまう。おじいさんが好きなテレビを見る。こうして元気なふりをしていると、本当に笑う恋人が隣りにいてくれるようだ。私は阿呆のふりをする。おじいさんはおじいさんになるほんの少し前に旅たった。 「まだ早いよ」  二十年程前に言った私の言葉は永遠に消えることが無い。今でも強く悲しむ。おじいさん、早すぎるわ。 「おじいさん。これどうやるの」  私はいない人にテレビのチャ

        • 【1分読書】『うさぎが跳ぶ』

          『うさぎが跳ぶ』  猟銃構えた先には一匹のうさぎが居る。こちらに気付くこと無くぴょんぴょんと飛び跳ね、あるかも分からない目的地を目指している。生い茂る草に足を取られないように、出来るだけ慎重に近づく。近づくたびに衣擦れの音や、踏みしめる草の音がうさぎに届かないか、緊張しながらゆっくりと歩を進める。  うさぎが動きをおとなしくした。段々と跳ぶのをやめるうさぎ。銃を構え直す。打つ。大きな音がたち、木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。うさぎを仕留めた喜び抑えきれず、今度はド

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        小説『セイキスイッチ』

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          【1分読書】『うつろい』

          『うつろい』  風呂に入る。猫が風呂場を覗きに来た。 「今日も怒られたわ」  おじいさんがいなくなってから、私は何のために日々生きているかわからなくなっていた。それでも、おじいさんがこの世に残してくれた思い出を頼りに生きている。これから前に進まなくては、と何度立ち止まったことだろうか。 「黒」  黒はすっと身を引き風呂場を去ってゆく。  明日は墓参りだ。布団に入り、常夜灯だけ付けておくと、隣におじいさんの気配を感じた。横を見る。誰もいない。廊下の方で黒が餌をかじる音がする。そ

          【1分読書】『うつろい』

          【1分読書】『晩御飯は空を歩く』

          『晩御飯は空を歩く』  鳶は赤茶色をして空を歩く。愚痴などを言いながらのろのろと歩き、その鈍い動きが猟師にとって都合がいい。猟師は空を歩く鳶の胸の辺りに照準を合わせると静かに引き金を引いた。 「おおい、鳶や。これは大層痛くなるぞ」  弾は命中した。鳶は空を歩く。しかし歩けない様になる。なぜかと言うと、鳶は命を落としたのだ。すぐに死んだわけではなく、徐々に死んでゆく。 「お前の肉は美味いんだ」  猟師は他の鳶の味を言う。この、今撃ち落とした鳶を食べたことがあるわけもないのに。鳶

          【1分読書】『晩御飯は空を歩く』

          【1分読書】『小人』

          『小人』  あそこに小人が居るなどと、かつての島住民が言った。私はそれを聞き流し、自分の見てくれを思い悩むことは無かった。私は身が小さい分、太陽の声を聞けたり、海の表情を読み取ったり出来るのだ。それは何にも代えがたいこと。 「聞かぬか」  役人が島にきて私に言った。私はその時、役人に背を向けて、田を耕していった。私はとうに人の話を聞くのを止めている。役人の声はないも同然だった。 「聞かぬなら」  そう言って、腰に携えた刀を抜こうと手をかけると、太陽が陽を強くした。役

          【1分読書】『小人』

          【1分読書】『イタチの胸』

          『イタチの胸』  下り坂を行くと、その先に一匹のイタチがいた。そのイタチは私がイメージするものより一回り大き黒々とし、こちらをじっとりと凝視している。坂道に足を進められ、徐々にスピードがついてくる。段々と自分の力ではどうしようもならなくなり、気付けば駆けていた。  そのまま真っすぐおいで。  イタチの口がそう動いた。錯覚では無く、たしかにそういった口の動きをしたのだ。もう、足の自由が効かなくなり、転んでしまいそうなくらいに早く走っている。  こっちにおいで。  次は音としてこ

          【1分読書】『イタチの胸』

          【1分読書】『話の忘れ物』

          『話の忘れ物』  貴方。私はこの髪が乾くまでに貴方と分かり合わなければならない。髪は少し水気を無くし、表面が少し明るくなっている。 「もういいだろう」  彼が言う。私は悲しかった。そんなことしか言えない彼がとんでもなく惨めに思えた。 「なんか言えよ」  彼は、私が怒っているか何かと勘違いしているのだろう。そうして行き違いがどんどん増えてしまう。しかし私は何も言えない。そう、彼と出会って私は言葉というものを失ったのだ。私は話したい。本当は貴方と言葉で向き合いたい。  髪がどんど

          【1分読書】『話の忘れ物』

          【1分読書】『言葉の引力』

          『言葉の引力』  私が世界の言葉たちを知ったときにはもう遅かった。有難う、どこかへ、などと口にする人々は皆表情なくして突っ立っているだけだったのだ。 「有難う」  口に出していってみる。その言葉がどこへ羽ばたこうが私は徹底して無責任であり続ける。その言葉の意味を熟知しているかどうかが問題なのだ。私は空に向かって言う。 「かわいい」  空は何も言わない。表情なくして風を吹かせる。  後ろで声がする。 「あの女の子、寂しいね」

          【1分読書】『言葉の引力』

          【1分読書】『ハルのアイス』

          『ハルのアイス』  今日もまた、数多くの生徒たちがこの学校を旅立とうとしている。私が教師をやめて三ヶ月。最後まで面倒を見てやれなかった罪悪感より、私は聞き慣れた校歌に耳を済ませながら満ち足りた気持ちになる。口に運ぶアイスクリームは段々と柔らかくなり口溶けが良い。 「答辞。わたしたちは」  この日を迎えるためにこの子達は頑張ってきたのだ。では私は。腰を浮かす。座っている石段がある教師用の駐車場では、まだ桜の蕾が少々硬く、それを見ていると周りの期待に答えようとしていた過去の自分の

          【1分読書】『ハルのアイス』

          小説『素麺とコーヒーと私達の産地』

          『素麺とコーヒーと私達の産地』   樋渡 学 「さら」  あの時の私を呼ぶ優の声が今となってはもう頭の奥の奥、隅っこに縮こまる深いモヤの様な物になっていた。 私達はまだ学生だった。これから先、大人になって沢山世界が広がってゆく、そうしてみんな各々の道へと別れてゆく、そんな年頃だった。私達はどこにでもある様な理由であっけなく別れてしま

          小説『素麺とコーヒーと私達の産地』

          【1分読書】『万年後』

          『万年後』  若木はもうすっかり大人になって、周りの木と遜色ない程綺麗に桜の花を咲かす。途端に咲くようになったわけではなく、チラホラと若い花を咲かしていた。今年、気づけばもうすっかり大人の桜だ。 「もう一年だね」  春の桜の季節、僕らは結婚した。  若木だった木はそれを祝うように満開の花を見せる。  ソメイヨシノの寿命は七十年。桜や僕らはそれより未来を知ることは出来ない。妻と手を取り合う。万年後を想像するように。

          【1分読書】『万年後』

          【1分読書】『OLの女。公園の風景』

          『OLの女。公園の風景』 雨上がり、午前中の公園。湿気を含んだ風が通る。その風は冷たかったが妙に温かさを感じた。温度的にではなく生気を感じる温かさだった。風が生きている。 「おかあさん」 「さや、色水出来たの」 「できたよ」   先程横目に見ていた親子の会話。その時、私は二本目の缶ビールを開けた頃だった。五本目を開ける。空がだんだんぼやけてきて手先の間隔が鈍くなってきた。 色水。そういえば昔作ったっけ。少女が遊んでいた水場には透明なビニールに入った色水があった。花を水に入れて

          【1分読書】『OLの女。公園の風景』

          【1分読書】『犬は何も知らず』

          『犬は何も知らず』  サムは僕達の名ばかりの友人だ。犬と呼ばれる少年である。それは僕達が気まぐれで付けた名前で先生の前では呼ばない呼び名。サムは犬だ。僕達の犬。  授業が終わり、いつものようにサムを遊びに誘う。サムと遊ぶ、ではなくサムで遊ぶ。何も疑問を持たずにいたが、最近少しその行為に対してモヤモヤとした気持ちがある。 「犬。横たえろ」  クラスメイトが言う。サムは何も言わず微笑を携えそれに従う。 僕は言う。クラスメイトに合わせて、慎重に冷徹を装った言葉を選ぶ。 「もういいよ

          【1分読書】『犬は何も知らず』