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資格が取れない理由

 2023年1月9日(月)。16時08分。成人の日。

 高校サッカー選手権大会決勝を観てました。岡山学芸館高校(岡山県)が東山高校(京都府)相手に3-1で勝利しました。岡山県勢初優勝ということで、岡山学芸館高校に関わる全てのみなさま、おめでとうございます。

 はい。こんにちは。井上和音です。

 はい。勉強をちょこちょことしていて、ガッツリと高校サッカー選手権大会決勝を見ていました。自分の部屋にテレビがあるので、本を見ながら、テレビも見ながら。

 勉強ですね。少し身についた例としては、bon appetit! が「召し上がれ!」という意味らしいです。街角で bon appetit! の看板を見たらそういう意味なのか、となりました。脳内アップデート。ちなみに bon appetit! はボナペティと発音します。レストランとかでボナペティって名前のレストランはたくさんあるらしいです。

 私の勉強ってこの程度です。正直に言って、統合失調症になってから勉強したら実はあまりいけないのではないかと勝手に思っています。

 新しい単語を吸収したら、新しく暗号に見える領域が増えてしまうことを危惧しています。暗号神授説というか。この世の全てが暗号に見えてしまう恐怖というか。多分、この世の全てが暗号に見えるとか、統合失調症患者の中でも意味が分からない話だと思われますが、自分の場合の統合失調症はそうなので、どうしようもないですね。

 所得の定義もようやく理解しました。やっぱりツイッターからの知識だけでは誤解を生みますね。ツイッターでは「収入から控除された残りが所得となります」とか書いてあって、「自分の所得はマイナスなので、課税が掛からない」とかわけの分かんないことをつぶやいていました。

 正確には「収入-経費=所得」です。その計算の次に「所得-所得控除=課税所得金額」です。課税所得金額がマイナスになるというのはあり得ます。その場合の所得税は課税する金額が無いので0円となります。

 こんな初歩的なことすら知りませんでした。私なんてこの程度で、高校時代までに習った普通科の授業と、大学での文学部哲学科で習った、常識を疑う姿勢というか、見方というか、それくらいしか自分にはありません。

 税金とか法律とか、高校までで習わなかったので──高校での選択は世界史と日本史しか取っていなかったので──現代社会とか政治経済の知識とかがまるで抜けています。高校の頃は公務員になりたいなどと思っておらず。将来のことなどまるで考えていなかったので、正直、現社会で使える知識みたいなものはまるで持っていません。

 資格も何も持っていません。資格の本を買うだけ買って「知識だけあれば良くない?」みたいな気持ちがあるので、資格試験を受けることなどをしたこともありませんし。なんだかんだ、本棚に資格の本はあるけれども、本気で勉強をしたこともありません。以前、どこかで書いていたと思いますが、ITパスポートですら受からなかったし、何度も同じ問題が出される、あの怪異現象を目の当たりにしたら、「自分は資格を取ってはいけないんだ」という気持ちにさせられます。言い訳ですが。

 それに、ここは京都市と違って、実家ですし。めちゃくちゃ田舎ですし。そしてなんだかんだ言って統合失調症ですし。今だって書いている中で「書かないほうがいい」とか普通に幻聴が聞こえてきますし。残念ながら統合失調症で間違いないのです。

 統合失調症になったらどう生きればいいんだ。とは思いますが。簡単な道ではありません。まず統合失調症そのものが厄介です。その上発達障害が疲れやすさや不眠症で厄介です。そして、一緒に何かを目指す友達なども特にはいません。昼にLINEをしましたが、いまだに返事もありません。統合失調症になってパートタイマーで働いているとなると、大半の友人は離れて行きます。過去の自分が友人に対してしてしまったように。いとも簡単に友人との絆は切れてしまいました。

 唯一。と言っていいのか分かりませんが。大学時代に本気で小説家を目指していて、まともなキーボードがあれば、そこそこ早く文章を入力できる。──日本語だけだけれど──それくらいしか特技と言えるものもありません。障害者になってしまうと学歴などほぼ就職時には関係ありません。新卒カードも使えなくなりました。結局一回もまともに働いたこともない状態のまま、パートタイマーを続けていけるのか。もはや今はそのレベルでの戦いになっています。

 エスカレーター方式で人生が進んでいくことはありませんでした。

 精神障害者保健福祉手帳が2級と障害基礎年金2級くらいが、唯一の自分の武器でしょうか。生きていくうえでこれくらいしか自分が誇れるものってありません。

 あと、同志社大学に入学して、統合失調症になるまではそこそこ単位を取得することを頑張ってはいた、というのは救いだったのかもしれません。同志社大学に入学したけれど、楽しくなかったから一年で退学。みたいなことはしませんでした。3年次修了までに88単位を取得しました。就活をしながら、1年次にサボっていた一般教養と、苦手だったフランス語の講読の授業と、フランス語の単位残り1単位と、あと卒業論文さえ提出すれば、卒業だったはずでした。

 「わざわざなんで書くの?」「やべえ」とか幻聴が、「言うなよ」とか幻聴がわんさか聞こえてきていますが、まあ、無視して書いています。

 不安障害だろうと、パニック障害だろうと、発達障害だろうと、統合失調症になる前に次々と精神的な病は降りかかってきていたことを昨日思い出しました。エヴァンゲリオンを読んでいて、碇シンジくんが過呼吸になるところで、渚カヲルくんが、「紙袋でも持ってくるか」みたいな感じで言っていたのを読んで、「ああ、そういえば私も紙袋を常に用意していたな」とか思い出しました。

 意外と紙袋って売っていなくて。100円ショップで紙の封筒なんかを買いましたが、紙袋とは大きく性能が異なります。過呼吸になったときには、なぜか分からないですけれども、ビニール袋でもダメで。紙の封筒でもダメで。くしゃくしゃの紙袋でないと過呼吸って止まらないのですね。誰も友達がいなかったので自分で用意するしかありませんでした。

 そうやって。まあ。不安障害だろうと、パニック障害だろうと、発達障害だろうと、薬を飲んでみたら、「自分で生きれるだろう。頑張ろう」くらいには思えたのです。発達障害の人には申し訳ない気持ちはありますが、統合失調症だけは別格だったのです。意味の分からないことが次々と起こります。『【☆】【ノンフィクション小説】神さまはいる、と言ったら。』(https://kakuyomu.jp/works/16816452221466841294/episodes/16816927861284082835)で書いている通り、意味が分かりませんでした。世界中から《《何かに選ばれたかのような感覚に襲われました。》》ずっとその感情は続いていて、生きている限り延々と否定をし続けなければいけません。

 閉鎖病棟に3ヶ月いたら。心は折れました。退院した後も変わらない《《選ばれたような感覚。》》意味不明なことが次々と起こる。お金もない。友達もいない。留年確定。新卒カードもない。学歴だって、就職にはなんの得にもならない哲学科。

 頑張っても無駄じゃないか。とうとうそういう気持ちになってしまい。退学しました。

 今となっては、パートタイマーと実家暮らしでお金はまあまあ貯まりましたが、それでもなお資格の取得などに行動を移す気はさらさらありません。親が「取れ」とも言いませんし、統合失調症の私には資格の取得は酷だと思っているのか。

 いえ。そうではないですね。「お前の場合は資格を取っても無駄だ。実習の経験を積んでいけ」と言われています。勉強をし過ぎると統合失調症が悪化してしまうのではないかと親も危惧しています。「また東大に行きたいとか言い出すと思うと、腹が立つ」とか言われています。親がいなかったら資格試験とか、もしかしたら大学入試とか、同志社大学に戻るとか、楽な道を選ぶのかもしれませんが。楽ではないですね。ただ、今は駄文をつづるだけの何もない日々を過ごしています。

 明日からパートタイマーが復活します。パートタイマーだけでも充分きついですが、それでも、少しでもお金が入ってくるし、生活リズムも整うし、出費も少なくなっていいし。そんな気持ちでパートタイマーに行っています。来年もパートタイマーで生活がしたいです。もしくは。期待はしないようにしましょう。

 お金が大事なんですよ。結局は。少しでも出費を減らして細々と生きていきたいです。

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