井上いぬお

漫画描いて生きてます。

井上いぬお

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最近の記事

みんないつか死ぬ。

みんないつか死ぬ。 同業作家が亡くなっている話を読んでいた。 みんな死ぬ。 人の死、自分の病気、仕事の上手く行かなさ、孤独、お金、いろんなことを考えると。 なんのために今を生きれば良いのか、わからなくなる。

    • 廃業漫画家を見つけると寂しくなる

      エロ漫画家なんてものを初めて、約15年程になった。 売れたという程売れた事もなく、ぼやーっと続いている状態。 最近一段落電子売上が落ち、そろそろ潮時なのだろうかと思う日々。 漫画家は廃業したらどうするんだろう そんな中、漫画家って生き物は廃業したらどうするのだろう?という疑問が沸いて、色々と情報を漁ったりしていた。 売れない漫画家のエッセイ漫画を読んだり、廃業後の漫画家のお遍路旅を読んだり、noteの記事を読んだり。 まぁなんか、みんな色々生き方を考えるんだなぁと

      • S&P500に投資しない理由

        1. 人気が沸きすぎているインフルエンサーの影響や、偉人の言葉を借りた無思考的な投資対象として賛美されすぎている匂いがする。あくまでも偏見ですが。 2. 500は少ないタイトル通り。VTIやACWIなら3000前後。VTなら8000近く分散できる。 3. 1国では多様性が無いアメリカは多様性高い国だとは思うけど、やはり一国の文化的背景、宗教的背景の下では多様性は十分だとは思えないです。 多様性は、生物、文化、などを繋ぐために、最も重要な概念だと考えています。 4

        • 人生に良いも悪いもない

          人生には良いも悪いもない 相対比較の結果にすぎない 年収も、SNSのフォロワーも、長生きさえも、良い悪いの指標とは関係がない 10歳で死のうが99歳で死のうが、同じだ。 人生は個人単位のものであって、人類の中で良いか悪いかというマクロ的な視点でみるものではないと思う。 その人が「その人の一生」というたった一つの単位の中で生きている。 そのたった一つの単位を どう活用するか、そしてその活用の結果どうであったかなんてどうでもいい その人がその一生を生きたという、た

        みんないつか死ぬ。

          感謝を記録するという事

          3GoodThings ってメンタルワークがあって。 日本語では感謝日記とか、ポジティブ日記とかって紹介されてる。 その日(週1~2回程度でOK)あった事で、感謝出来ることとかよかったことを3つ書くってモノ。 ちょっと胡散臭いけど、 初発はポジティブ心理学で科学的な根拠もしっかりしてる。 効用は、 ポジティブ感情の増加、不眠の改善、目標達成率の増加、心のゆとり、カリスマ性、など なんでそんなことにも?ってところに影響が出てるらしい。 目標達成にたういては、やる気より、

          感謝を記録するという事

          学ぶなら「笑い」を。

          政治がどうとか これからの働き方はとか そんなよくわからない物事よりも 笑えるかどうかを磨いてれば どんな時代にも対応できるんじゃなかろうかと 僕は思う。 漫画家として 僕は漫画家を生業としてる。 漫画家ってのは厄介で、情報だろうが、フィクションだろうがノンフィクションだろうが、事件、恐怖、愛、なんでもかんでもアウトプットする事が出来る。 この時、アウトプットするものを自分の怒りや不安、をベースにつくりあげてしまうと そういったものをインプットせざるを得なく

          学ぶなら「笑い」を。

          選択肢が多いと幸福になれるなんてのは幻想だ。

          どんなに欲を叶えても幸福にはなれない 人間の欲には際限がない 欲を抱くから、満たされていない状態を定義する 欲と向き合い、受け流すこと。 これを学ぶことが幸福への最短距離。 欲を受け流して生きるには、現代社会は欲を刺激するものが多すぎる。 出家するわけではないからすべてを捨てる必要もないだろう。 幸福になりたければ、欲を少なくすること。 選択肢が多いと幸福になれるなんてのは幻想だ。

          選択肢が多いと幸福になれるなんてのは幻想だ。

          不要な事だらけの世界で

          情報発信ってのはほんといい加減で世の中はもっと単純で出来ているのに、「不要なこと」をあたかも意味のあることかのように繰り返し手を変え品を変え公開し、カネを稼いでいる輩が多い。 自己啓発、ビジネス、経営、稼ぎ方、投資、恋愛。世の中は常に単純だ。 だが、それを単純に伝えてしまっては、言葉マーケティングの世界は崩壊する。 それ故に、不要な事だらけになる。 宇多田ヒカルはビューティフルワールドの中で「新聞はいらない、肝心な事がのってない」と歌っている。 彼女が何をそう歌った

          不要な事だらけの世界で

          必ず、すべて失う

          何かを手に入れた時は それを必ず失う日が来ることを忘れてはいけない。 たとえ、 モノはもちろん ペットも家族も友人も それが自分の肉体や、思考であったとしても。 必ず失う日が来る。 それがあるから大丈夫だ。なんて思っていてはいけない 得るという事は、失うという事と常にセットであることを、忘れてはいけない。

          必ず、すべて失う

          子供のためにお金を残す…?そんな事以前に、てめぇが健康でいろよ

          先日、拙者の友人らしき生命体がウチやってきまして 投資を教えてくれというのです。 投資つっても拙者、インデックス投資侍故に、投資法については何も教えられる事はないのですが とりあえずインデックス投資とはなんたるかを、平易な言葉で説明したのですが。 友人が帰ったあとに拙者思ったのです。 「お金より、やることあるんじゃねぇの?」と。 子供の金の心配する前に、酒をやめろボケが拙者の親父は酒飲みで、パチンコ狂でございやして。 まぁまだ、その友人の「子供のためにお金残した

          子供のためにお金を残す…?そんな事以前に、てめぇが健康でいろよ

          余裕が無いヤツは何もうまくいかない

          欠乏→焦燥感→さらなる欠乏→焦燥感の連鎖から断ち切るには、僕たちは何をすればいいのか。 余裕がないヤツはうまくいかないトンネリング効果ってのがある。 何かしらの欠乏感があると、視野が狭くなり、焦燥感がでて、精神的、時間的欠乏の連鎖を作っていくというもの。 つまるところ、余裕が無いやつは、物事を学ぶための時間や、気付きを得るのが難しくなる = 「うまくいかない」って事 イケメンなんでもうまくいく理論これをわかりやすく説明していた例として、何年か前に…ってもう5年も10年

          余裕が無いヤツは何もうまくいかない

          他人に認められる事に時間とお金を費やすなんて馬鹿らしい

          僕は自分のために時間を使う自分を認めてもらうために必死になる事は 自分の人生を他人のために使うという事と同義 こんな馬鹿らしい事はない。 僕は、たとえ他人になんと思われようとも 自分が心底平穏で居られる事に時間とお金、労力を費やす。 自分が幸福でないと、他人を幸福にすることも出来ない。承認を得ようと焦燥感に迫られている時 僕たちは視野狭窄を起こす。 本当に他人が求めているものか冷静に判断できずに 世俗的に良いと言われている、供給過多な他者貢献をし、他人に良い事

          他人に認められる事に時間とお金を費やすなんて馬鹿らしい

          死を考えない人達

          僕は死を哲学するのが好きで…というか 人間最後は必ず死ぬわけで どんなに世俗的に言われてる「幸福のための条件」を揃えたところで、それを避ける事はできない 世俗的幸福に満ちた人生であっても、いつか死は必ず訪れ その恐怖との対話をしていなければ 「幸福であったから十分だ」と受け入れる事にはならない。 多くをもてば持つほど、それを手放す喪失感は強まり、むしろ死ぬ事への恐怖は増すだろう。 世俗的な幸福に満ちた人ほど、死を哲学すべきだと思うけど、実情は逆だ。 ぼっち、孤

          死を考えない人達

          人付き合いが幸福には必要だとか言うけどね。

          人間が苦手で、あれこれ移動したりイベントしたり、そういうのが苦手で そういう事してると、居場所の無い感覚に陥るから、本当に嫌で だから家に籠もって漫画描いて生きていくようになった。 そういう「多数派」の幸福論に従って生きられないから、こうやって生きる術を見つけた。 これがなければ20代前半で僕はきっと居なかっただろう。 だから、思うんだよ。 結局最後は人間関係だなんて言うけど それは帰納的分析によって導かれた多数派の答えであって 生きるのヘタ太郎の僕のような人

          人付き合いが幸福には必要だとか言うけどね。

          生きることに飽きたら

          生きることに飽きたら 死ぬまでダラダラ暮せばいい。 急いて終わらせる必要はないし 放っておいてもそのうち終わる。 休む事を責めなくても良い。 休む事も、生きるためには必要。

          生きることに飽きたら

          最後は瞑想するしかない

          エピクテトスの哲学にドンハマりしてる井上です。 物や名声、自分の体でさえも、人間、最後の最後までは持っていけない。歳に抗えないものもある。 結局最後まで付き合うのは「判断する思考力(心)」だけ。 自分がコントロール出来るものか、出来ないものかの見分け。 自分が先入観やら何やらで事実に何かしらの価値を取り付けてないかの判断。 今持っているすべては、突然失う事もある。 しかし、心の自由だけはどんな状況であっても奪えないし奪われない。 それでも自分がその自由を認めなけ

          最後は瞑想するしかない