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【毒親連載小説#39】韓国留学編 1〜原点回帰の道〜

そんな私の大きな期待とは裏腹に、
韓国での留学生活はあまりにも
冷たく苦々しいものだった。

今思い出しても
苦しい感覚が甦るようだ。

私は日本で12年間
民族教育を受けていたので、
韓国語自体は喋れた。

しかし、
私が韓国語を話すたびに
彼らは表情を曇らせる。

それを私は見逃してはいなかった。

そして彼らは訝しげな顔をし、
いつも私にこう聞くのだった。

「なんで、ちょっと変な発音なの?」
「韓国人だったらこんな表現はしないよ」

しかし、
同じ民族の人に言われる
こんな厳しい否定の一言は
私自身をナイフでグサリと
刺された気分になった。

もし、これが日本から来た
日本人の留学生であれば、
こんなことは言わなかっただろう。

いやむしろ
「韓国語がすごく上手ですね」
と褒めるかもしれない。

また仮に私自身も
「日本人」として
留学していたとしたら
そこまでショックを
受けなかったかもしれない。

目の前の「韓国人」からの
この冷たい一言や心ない言葉を
言われると

「私という存在は一体
 なんなのだろう?」

そう無意識に自問しながら
自分自身を強く否定したく
なるのだった。

これは、
単一民族ならではの
性質なのだろうか?

たった一つだけの杓子定規の
価値観でしか見てくれず、
その価値観からずれた存在は
「異質なもの」として切り捨てられる…。

また、
私が日本で通っていた朝鮮学校は、
韓国に住んでいる彼らの中では
「北朝鮮の組織」であり、
彼らにとって私は「北朝鮮の人間」。

そんなあまりにも表面的な
色眼鏡で見られているようで、
本来の自分を見てくれないことに
深く傷ついていた。

皮肉なことに
あれだけ憧憬していた「祖国」は、
蓋を開けてみれば日本の環境よりも
さらに厳しい偏見の世界だった。

それはまるで
38度線のように分断された
越えようのない「心の壁」。

こんなに近くにいるのに
つながることができない。
越えたいのに越えられない。

また、それは
両親と私の関係のようでもあった。

そうやって私は
両親に対して抱いていた
潜在的怒りに加え、
「祖国」にも強い怒りと恨みを
持つようになっていった。

一体、どこにぶつけたら
良いか分からない憤り。

長年の間、
ずっと内面に溜め込み続けた
強い怒りが一気に
爆発したかのように、
私は留学たった数ヶ月で
原因不明の腰痛を患った。

私自身もパニックだった。

(私は韓国に来てまで、
 一体、何をしているのだろう?)

誰も助けてくれぬ留学先の
寮のベッドに一人横たわり、
私は天井を仰ぎながら、
静かにただただ絶望の
黒い涙を流していた。

私は言葉では到底、
言い表すことのできない
敗北感のようなものを感じていた。

私はこの祖国の地で
心を完全に固く閉ざし、
誰とも心開くことは
なくなってしまった。

留学わずか数ヶ月。
私は起き上がることも
ままならない日々が続き、
帰国という選択を余儀なくされた。

(つづく)

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