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”自己尊重の欠落”という不治の病が治った話

周りに気を遣いすぎて、誰かを優先してばかりで、つい自分のことを後回しにしてしまう方も、そうでない方も。

私はかつて無意識・無自覚に、いわゆる自己犠牲や他人軸と呼ばれる人間関係の処世術を、良かれと思って繰り返しては、生きづらさに苦しんできました。

他人軸や自己犠牲は治せます。
治ったからこそ、これを書いています。
1つの事例として、自分語りな長文になりますがご容赦ください。


内なる幸福を探求する講座「ClassEuphoria」。
先日2024年4月27日の、第ゼロ回講座のライブ配信。
私も、このライブ配信に途中から出演させていただきました。

アーカイブは、こちらからご覧になれます👆
(当日の通信状況が不安定だったため、音声に乱れがあり聞き取りづらいところがあることをご了承ください)

そこでお話した私の身に起きたことを、改めてこちらのnoteで補足を加えて書き残しておきます。

なぜ「私なんかいないほうがいい」と思うのか

先日、このようなnoteを書かせていただきました。
私の中で未だくすぶっていた、自己犠牲や他人軸と向き合う真っ只中で書き留めたものです。

こちら、多くの方に共感していただき、SNSを介してシェアしていただいて、気がつけば当アカウント開設後の1年間(2023年5月〜2024年4月)で、もっともビュー数が多い記事になっていました。ありがとうございます。

今回のnoteは、「私は場違いな人間だ」という信じ込みについて書いた、先日のnoteの続きでもあります。

不治の病の正体は「自己尊重の欠損」

私は昔から「私は場違いな人間だ」という感覚がデフォルトでした。
そのため、

  • 常に自分に自信がない(弱気)

  • 対人関係全般に自信が持てない(対人恐怖)

  • 人の思いや思惑、支配欲、称賛への恐れ

  • 軽く扱われる/軽んじられる

  • 自分の未来を描くことができない

  • 自分のために生きる感覚がわからない

  • 根源的な生命エネルギーが感じられない

  • 自分に誇りを持つことができない

  • 大切な人たちの前で、個性を発揮することができない

という状態に、常にあったんですね。

子どもの頃、親は私の気弱さを案じて空手を習わせましたが、それでも私の気質は改善されませんでした。

それもこれも、私が自分を優先する・大切にする感覚がわからなかったから。
私の中にいつの間にかあった「自己を尊重することの欠落・欠損」ゆえにです。

自己尊重の欠損は、以下の長所や評価の裏返しでもありました。

  • 謙虚さ

  • 真面目さ

  • 他人を支配しようとしない

  • 悪さができない

  • 悪事に手を染められない

  • 「やさしい」と評価される

おそらく、このように周りが言うようになった頃には、すでに私の中で自己尊重が欠けていたのでしょう。

下手に長所として評価されることと、それを良しとして私が受け止めてしまったこと。それが余計にこじらせてしまう要因だったと思います。

「未来を思い描くこと」の欠落

自らを尊重できず、周りからも軽く扱われ、それでも嫌われる勇気が持てなかった当時。

ただただ周りを優先して、気を遣って、空気を読んで、自分を後回しにすることが、私の人間関係の処世術でした。

いわゆる、自己犠牲や他人軸というやつです。

あるとき、自分が何をしたいか、何をこれからやりたいかを問われて、自分の中から願望や意志が見つからないことに気がつきました。

他人のことばかり気が向いていて、未来を思い描くことさえ、私の人生の選択肢から、脳の思考回路から抜け落ちていたのです。

実際、20代前半のころ、適応障害で1年間ひきこもり生活を送っていたときには、半ばヤケクソになって「なにがしたいかわからない」と、Google検索に打ち込んだことがあります。

(当時、このGoogle検索がキッカケで、生きづらさを解くキッカケをくれた心理セラピストの杉田隆史さんに出会うことができました。それはまた別の話)

自らを後回しにしてきた呪いは、「未来を思い描くことができない」「目標を立てることができない」となって、人生に支障をきたしていました。

「欲することが苦痛」だった

私は昔から、なにかを欲しがることに苦痛を感じていたのですが、これも自己尊重の欠損と、未来を思い描くことの欠落が根底にあったと踏まえると、合点がいきます。

自己を尊重できない

未来を思い描くことができない

何を欲せばいいのか分からない

欲しても意味がない、叶わないと諦めてしまう

叶わない願望を求め続けるのは、地獄です。

反面、自分の願望がわからないからか、他者の願望や未来がまぶしく映りました。

自己尊重の欠損は、自分ではなく他者を、人を尊重する道のりへと向かわせます。

子ども時代から親の相談相手になっていたことも、両親の離婚も、自身の離婚も、過去の教育関係や農業の仕事も、現在の相談業の道も。

どうすれば自己犠牲にならずに、人を大切にすることができるのか。
私の人生の学びとして、用意された歩みだったように思えてなりません。

他者を優先するか、信じる自らの道を選ぶか

とはいえ、私がこれまでの人生で、全く何も願望が叶わなかったのか?
全くやりたいことをやれなかったのか?
望まなかったのか?
望みが見つからなかったのか?

と問われれば、もちろん、そんなことはありません。

自己尊重が欠落した私でも「これだけはどうしても譲ることができない」という何かに出会い、人生の決断を迫られることがありました。

その度に私は、

  • 【自分を優先する】
    他者を尊重すること(大切なその人との関係性)を諦めてでも、信じる自らの道を選ぶ

  • 【他者を優先する】
    その人との関係、他者を尊重することを優先して、自分を押し殺し、自分の違和感を抑え込む

の二択を迫られます。

特に、自分を後回しにして人間関係を築いたときほど、この二者択一になっていました。

成人する以前の、特に適応障害になる前の私は、後者しか選択肢がなく、常に自分を押し殺して他者を優先する道を選んでいたように思います。

適応障害から社会復帰を目指す頃から、少しずつ、この選択の答えが変わっていきました。

「これだけはどうしても譲ることができない」に突き当たるたび、私は前者を、自ら信じる道を、怖がりながらも選ぶようになります。

そのたびに、周囲との縁が切れることを覚悟し、大切だと感じる人たちとの関係を諦めてきました。(実際「そんなヤツだとは思わなかった」と幻滅され、縁が切れてしまったことも度々ありました)

自分を尊重するためには、他者を後回しにして、時に嫌われなければならない。
この痛みを伴う選択は、私にとって未来を思い描くことを余計に苦痛にさせました。

他者を尊重する道のりと、自分を尊重する道が繋がった

気がつけば、積極的に1人になることを選んでいたように思います。
(コロナ禍では特に)

尊重できないならば、せめて他者を傷つけないように。
私が私を尊重するために。

だから、やはり私は場違いな人間なのだと、最近まで感じていました。

しかし、この前提が、世界観が大きくひっくり返る出来事が起きます。

2024年3月の末、パートナーが腹を割って話してくれたんですね。

「わたしばかりが物事を決めなきゃいけないのは負担だ」
「欲とか、ちゃんと持っててくれてるKentoさんのほうがいい」
「大切な人の未来や願望や目標を応援できないことは寂しい」
と。

これは衝撃的な事件でした。

私のこれまでの人生観では、
「自分を尊重するか、他者を尊重するかは二者択一」だったからです。

相手が私にとって大切な人であればあるほど、まるで天秤の重りの釣り合いを取るように、バランスをとるかのように、私は自分を優先・尊重する割合を低くし、相手を尊重する割合を高くしていました。

しかも、無意識・無自覚に。
(今回も、私はパートナーを優先するあまり、細かなことまで決めることを相手に譲っていた。「なんでもいいよ」と言ったり「どれにする?」と聞いたりして。このことをパートナーは知らず、むしろ驚いていた)

これまでは、自らを尊重するためには、大切に思う相手とは(公私問わず)別離を覚悟しなければならなかったからです。

その天秤が、使い物にならない。
目の前のパートナーを大切にしたければ、自分を尊重しなければならないなんて!

私にとって、人生の辞書になかった事実でした。

そのようなパートナーに出会えていること。
パートナーだけでなく、理解ある仲間にも出会えていることに、私は全く気づけていなかった。

私が自分を尊重することも、相手を尊重することも、どっちも選ぶからこそ、成り立つ関係がある。

人を大切にしたければ、自らのことも大切にせよと。

未来を思い描くことが上手くできなくても

私にとって、自己尊重の欠落と向き合わせてくる最大の強敵とは、最も別れることが怖い相手。
つまり愛する人。パートナーだったのです。

この話し合いがキッカケで、翌日からパートナーに「どうしたの?」と驚かれるほど、私は活力を取り戻します。

これまでは、目が覚めたらすでに疲労困憊が当たり前。
慢性疲労症候群を疑うほどだったのに。

持病で群発頭痛もあったので、発作が続けば、ベッドから起き上がることさえできないのも当たり前。
まるで年老いたおじいちゃんのようでした。

私も、今までにない身体の感覚に驚いています。
自己尊重の欠損と、未来を思い描く欠落の呪縛から解き放たれて、こうも変わるとは。

未来を思い描くことは、根源的な生命エネルギー。
生きるチカラそのもの。

それをいつの間にか、どこかに置き忘れていました。

呪縛が解けたのは、周りの大切な人たちが、私が私を尊重することを、私以上に望んでくれたから。

おかげで、私は自分を尊重することも、未来を思い描くことも取り戻すことができました。
まあ、取り戻したといっても、すぐ上手くできるわけではありませんが。

”自己尊重の欠落”という不治の病の正体に気づけたヒント

年老いたおじいちゃんだったような私が元気になり、物心つく頃からずっとあった自己犠牲の呪縛が解けたこの出来事を、パートナーと私は「不治の病が治ったね(笑)」と、ちょくちょく話のネタにしています。

とはいえ、自己尊重の欠損、未来を思い描くことの欠落は、自分がずっと抱えていた性質の1つですから、今後も付き合っていくことになるのでしょう。

それでも「未来を思い描く」「自分を軽んじない」「自分に誇りを持つ」「自分を尊重する」という選択肢があるとわかっただけで、違う未来を歩めているように思えます。それだけで、心にお守りを持たせてもらえたようです。

ここまで長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。

最後にご紹介を。
この自己尊重の欠損、未来を思い描くことの欠落、呪縛を解くことができた直接のキッカケは、理解あるパートナーの存在でした。

そして、これに気づくことができたヒントの1つは、マドモアゼル・愛さんの「月の欠損」理論。
私は、月星座が獅子座でした。

もう1つは、私に占星術の智慧を日ごろ伝えてくださる、熊木智子さんです。
彼女のおかげで、占星術という視点で自分を見つめる選択肢ができたと言っても、過言ではありません。

その熊木智子さんが講師となって、パートナーが主催するClassEuphoriaにて、5月からチベット密教×占星術の智慧を分かち合ってくださいます。(概要とお申し込みはコチラ

講座にご興味があっても、そうでなくても、熊木智子さんとはぜひ繋がっていただきたい。パートナーが主催するClassEuphoriaも、チェックしていただきたいです。

そして、不治の病が治る方がお一人でも続きますように。

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