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文系研究者の「日本脱出」後のメンタルの変化

以前、文系博士課程院生としての心境を記録として書き留めてみたことがある。

それから3年ほど経って、自分を取り巻く環境にもかなり大きな変化があった。博士号を取得したというのはもちろん、ポスドクどころか准教授にまでなってしまった。日本での学振PDを経由せずに海外就職に挑戦したというのがこの3年で最大のターニングポイントで、それ以降はびっくりするほど自分にとって都合良く事態が進んでしまい、今となっては悠々自適に楽しく暮らしている。

博士課程にいたころを振り返って

当時を振り返って真っ先に思ったのは、人間定職の有無だけでだいぶ精神状態が変わるもんだな、ということだ。

当時は仲間内でこそ高く評価してもらっていたものの、受賞歴もなく、国際誌の査読論文もなかった。今は両方ともあるし(後者は査読に時間がかかりすぎたせいで来年の号に持ち越しになってしまったが、既に掲載が決定している)、中国側にも"高度人才"の認定を受けるなどかなり高く評価して貰えている。

あの記事のトップ画が結構象徴的に示しているような気がするのだが、先の見えない状態では黄昏時のような物寂しい精神になり、安定した状態では晴れの日のような穏やかな精神になる。今も全く不安がないというわけではないが、学生時代と比べるとメンタルの状態がはるかに良いことは言うまでもない。

複雑な気分ではあるのだが、日本を出てよかった、最近の日本の情勢もあって今のところは心からそう思えてしまう。収入も学振DC1時代とは比較にならない(それにしても、実家暮らしでもない限り日本でDCの給料だけで生活していくのほぼ無理じゃない?)。

あと中国の職場のいいところは、変な上下関係がないところだ。学部長とか主任とかそういう職位はあるのだが、特に目上の人としての対応をする必要があるわけでもなく、普通だ(ちなみに、中国で上下関係を一番感じるのは親族付き合い)。一応学部に一人ずついる共産党書記がボスといえばボスのような扱いになるのだが、うちのボス(共産党書記という厳しい字面の役職だが、30代のいつもニコニコしている女性だ)は幸いなことに人格者で、めっちゃ優しい。

唯一の悩みは、もうスラヴ比較言語学の関心のあるテーマを博論までに99%やり尽くしてしまったということだ。勿論やる価値のある(とされる)テーマというのはいくらでもあるのだろうが、わたしは興味がない。バルト語にもそんなに心が惹かれない。今は比較言語学の方法論で成果を稼ごうかと思っているが、将来的にはトカラ語・ソグド語・コータン語あたりの「中国の印欧語」に移ろうかと考えている。シナ・チベット語族は少なくとも研究対象にはしない予定だ。

日本の大学院生のメンタルにかかる外圧

とまあこんな感じで、以前よりもだいぶ精神状態は改善している。思うに、日本の大学院生のメンタルに負担をかける外圧は、

① (十分な)収入がないこと
② 将来(の仕事に関する見通し)がないこと
③ 世間の「役に立つ」(=金になる)ことをしろという風潮
④ 20代半ばくらいには「一人前の社会人」になるのが普通だという風潮
⑤ (当局に訴えても基本対応してもらえない)アカハラ・セクハラ
⑥ 周囲の人がみんなめっちゃ優秀に見えて感じる焦燥感

こんな感じだと思う。これに加えて「研究が進まないことによる焦り」というのもあるだろうが、これはふつう個人の問題に入るんじゃないかな。非常勤が忙しいとか、コロナとか戦争で現地調査に行けなくなったとかいう場合は流石に仕方ないが。教員が博論執筆を許さないせいで進まないのは紛れもなくアカハラ。

わたしに降りかかったのは①〜④で、特に②〜④が一番心に来た。「比較言語学は金持ちの道楽」みたいな意識は今も消えていない。⑤は少なくとも指導教員や積極的に教えを仰いだ先生からは受けていない。⑥は学部入学くらいまではあったが、大学院に入る頃にはなくなっていた。

わたしの場合

わたしの場合、就職できたことで、とりあえず上の①、②、④についてはどうにかなった。日本に残って学振PD等をした場合にはおそらく(目先の数年分の)①しか解決しなかっただろうから、これだけでも日本を出る意味はあったと思った。②は間違いなく任期なしの職に就かないと解消できない。④は個人の感覚によるかな。

③については、おそらく現代の世界ではすごく解消が難しい問題だと思う。科研費を取るにしても、アウトリーチ活動をするにしても、「大学の先生」として存在し続ける限り基本的に避けられない問題で、③がどうしても気になる人は学者になるという選択肢を捨てるしかないと思う(③が全然気にならない浮世離れした人もまあ一定数いる)。

わたしの場合、③が解消できたのは今の大学との契約内容によるところが大きい。というのも、今の大学は私立大学なので、志望者を増やすための箔付けとしてわたしに大学の実績としての研究成果や論文数に貢献することを期待している。

つまり、大学が箔となる数字に対して給料を出し、わたしは給料をもらって数字を出すというWIN-WINの関係が成立したのだった。わたしにとって比較言語学はお金を稼ぐ上でこの上なく実用的なものになった。世間の風潮がなんだろうが、そういう条件で働いているので、胸を張って比較言語学者として生きることができるようになった。そもそも日本にいないので、日本国民の税金で云々という話の対象からも外れた。

そう考えると、どうしても日本を出たのは大正解だったという結論になってしまう。考えれば考えるほど日本に残るメリットがなかったという結論がどんどん補強されていく。こっちに来てよかったと思わされるニュースが日々流れてくる。

ただ、やはり日本人として、日本(の研究者)の状況がヤバいというところには何も思うところがないわけじゃない。わたし自身がいかに国外でうまくいっていても、わたしの親族や友人は国内にいる。中国で余裕のある暮らしをしていても尚、日本どうにかなってくれというのが切実な願いであることに変わりはない。

結局のところ、私個人のメンタルは改善したが、それは私が日本のアカデミアを脱出できたからだ。日本限定の変則的Acadexitと言えるかもしれない。アカハラ・セクハラはわたし個人の特質上対象になることはなかったが、知人がやられたという例なら山ほど知っている。だいぶ古いネタだが、日本の研究業界に対して「スクラップ&スクラップ!」という言葉を投げつけるべき時が近づいているのかもしれない。

…真面目な長い文章を書かせると暗い話になりがちなのは、メンタルの状態というよりもわたし個人の性質かもしれない。

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