小田島裕一「オダジ」

札幌にて15年間中学校教師として勤務。2006年から2年間ウガンダ共和国にて、青少年に…

小田島裕一「オダジ」

札幌にて15年間中学校教師として勤務。2006年から2年間ウガンダ共和国にて、青少年に野球指導を行う。著書に「日本人という生き方」が ある。㈱インディヴィジュアル 代表取締役 https://www.individual.co.jp/

最近の記事

感情の源

この感情は、いったいどこから 湧いてくるのか。 このようなことを考えたくなる 何とも言えない、気持ちの悪い 感情が湧いてくることがある。 自分の中に、このような憎悪に 満ちた、狂気をはらんだ感情がある ことに驚くわけである。 このような感情が湧いてきたときには、心の穏やかさは、 一瞬でなくなるのである。 恐怖の念が、心を支配するのである。 だから、このような気持ちになった時は、感情の源を探るのである。 すると、感情の源は、両親や兄弟姉妹との魂のルーツにあることがわ

    • 少年に与ふ

      みんな集ってほん気できけよ まづ第一に毎朝起きたら あの高い天を見たまへ お天気なら太陽 雨なら雲のゐる処だ あそこがみんなの命のもとだ いつでもみんなを見てゐてくれる お先祖さまだ・・・・・・ えらい人や名高い人にならうとは決してするな 持って生まれたものを深くさぐつて強く引き出す人になるんだ 天からうけたものを天にむくいる人になるんだ それが自然と此の世の役に立つ ~高村光太郎「少年に与ふ」より~ 大事なことは、「もって生まれたものを探ること」であり、「天から受けたも

      • 人生を貫くキーワード

        誰しも、人生を貫くキーワードが ある。 「世界を舞台とする」 「誰もやらないことをやる」 「人の心に灯をともす」 自らの人生を貫くキーワードをたどると、この三つの言葉に至るのである。 こういった仕事、事業、活動を やりたかったのである。 それゆえ、このようなことに挑んで いる人に興味が湧いたのである。 このようなことを成し遂げた人を みると、心熱くなったのである。 そして、仕事や事業、活動の目的は、「世界平和の礎」となることでならねばならなく、かつ「日本人の目覚め

        • 心に灯をともす

          これまで30年以上にわたり、教育を 生業として、生きてきたのである。 教育の何が好きなのかを考えてみると 「他人の心に灯をともすこと」が、 好きだったわけである。 「心に灯をともっている」とは、 「目標や目的に向かって、困難を恐れることなく、勇んで前進している」という状態のことである。 自らの教育実践を通して、誰かの心に灯をともすことができた時、その瞬間が、至福の喜びだったわけである。 この「誰かの心に灯をともす」ために、一番大事なことは、「自分の心に灯がともっている

          人は鏡である

          内観の目的は、どんな逆境にあっても、感謝報恩の気持ちで、日暮しできる。そういう心に大転換することです。いかなる境遇にさいなまれても、「ありがたいなあ」「幸せやなあ」と受け取れる心境になる方法が内観です。他の人から見て、「あの人は、かわいそうやなあ。気の毒な境遇の人やなあ」という立場であっても、喜んで暮らせる、そういう精神状態に転換すること。どんな地位、境遇、立場、状況にあろうとも、「ありがたいなあ、わしみたいな悪い奴が、今日も元気で達者に、こうして暮らさせてもろうて、幸せやな

          人生は原点を思い出す旅である

          人生は、何かと問われたら、 「本当の自分を思い出すための旅」と答えるわけである。 では、「本当の自分とは何か?」と問われたら、「自分の原点」と答えるのである。 「自分の原点は、どうやって発見できるのか?」と問われたら、 「自分の原点は思い出されるもの」と答えるのである。 では、「自分の原点をどうやって思い出すのか?」と問われたら、 「自分から離れること」と答えるのである。 「自分から離れることとはどういうことなのか」と問われたら、 「利他に生きることであり、誰かの

          人生は原点を思い出す旅である

          命を懸けるということ

          命を懸けるとは、物事に全生命を 打ち込む。 命がけで物事をする。 また、命をあずけてたよる。 生死を任せることをいう。 「志を得ざれば二度とこの地を踏まず」 野口英世の生家の柱に彫られた言葉である。 ウガンダに赴任する18年前、ここを 訪れ、この言葉が胸に刻まれたので ある。 自分も同じ心境だったからである。 日本に家族を残し、職を辞して赴任するウガンダでの国際ボランティア活動に、どれほどの意味と価値があるのか。 あの時は、まったく説明が、つかなかったのである。

          命を懸けるということ

          「人生二度なし」という真理

          「人生二度なし。これ人生における 最大最深の真理なり」 「人生というものは、限りあるものであり、しかもそれは、二度と繰り返すことのできないものです。してみると、そこに許された人生の真の生き方というものは、この限られた年限を、いかに深く生きるかということの外ないわけです」 「人生を生きることの深さは、実は 人生を知ることの深さであり、人生を内面的に洞察することの深さと申してもよいでしょう。」 「求道とは、この二度とない人生を いかに生きるかという根本問題と取り組んで、つね

          「人生二度なし」という真理

          死後にも生きる

          そもそもこの世の中のことというものは、大抵のことは多少の例外があるものですが、この「人生二度なし」と言う真理のみは、古来只(ただ)一つの例外すらないのです。 しかしながら、この明白な事実に 対して、諸君たちは、果たしてどの程度に感じているでしょうか。 すなわち自分のこの命が、今後五十年くらいたてば、永久に消え去って、再び取り返し得ないという事実に対して、諸君たちは、果たしてどれほどの認識と覚悟とを持っていると言えますか。 諸君たちが、この「人生二度なし」という言葉

          生と命の違い

          生というのは、本来は、天地の 大徳、無限の生成力をいう。 「生生不息」とも言うように、流転しながらも、絶えず新しい生として更改し、発展してゆくということでありますから、ここでは、絶対の死というものは考えられない。 種子によって連続する草木の生の ごときものであります。ところが、 命の場合はそうではない。命を持つ者は限られている。 生ある者すべて命を持つとは言えないのであります。少なくとも、文字の上から申しますと、草木には生がある。しかし、草木に命があるとは言えないのです。 命

          真理をつかみたいなら

          「満身創痍に、縦横無尽に受けた人生の切り傷を通じて、つかまれた真理でなければ、真の力とはなりがたい」 森信三 真理をつかみたかったのである。 本当のことを知りたかったのである。 人生についての原理原則、根本原理を知りたかったのである。 であるのに、傷つくのを恐れていたのである。 できれば難なく、できるだけ無傷で、真理を獲得したいと考えていたので ある。 あら

          真理をつかみたいなら

          真理とは神理である

          「日本の学問というのは、感動が 土台なんだよ。真理は感動によってのみ授受される」森信三 真理、すなわち本当のこととは、 感動することによってのみ、 初めて伝わるのである。 頭でわかるのではなく、腹落ち するのである。 では、「感動とはどうやって味わう ことができるのか。」を 考えるわけである。 それは、「何かに無我夢中、 一心不乱にのめり込むこと」と 考えるのである。 そして、「絶体絶命、茫然自失の 状況になること」 これが、絶対必要条件と考える のである。 そし

          真理とは神理である

          伝道者の道

          「広大な海を見渡すことを考えてみてください。腕を伸ばして、海の水を手ですくい取ってみてください。手を挙げる瞬間、指から水があふれ落ちるでしょう。その水は、人間の一生です、生まれてから死ぬまで~それはまるで手と指の間からこぼれ落ちてすべてを失う。この世では尊いものだとしても、すべて同じ運命です。しかし、 私が命をかけて、神の国を語る理由は、神の国は、海全体のことを指しています。人々は、ただ、その流れる水、1コップ少量を得るために生きて いる。 イエスキリストに聞き従う者は、 少

          過去の自分をみる

          映画「クロスロード」は、理想でも、きれいごとでもない。リアルな青年海外協力隊を描いた作品である。 カメラマンの助手になったものの、 目標の見えない日々を過ごしていた 沢田は、自分を変えようと青年海外協力隊に参加したのである。 ある日、現地に住む少年ノエルと 出会い、沢田は、彼に写真のとりかたを教える。 その熱心な姿をみて、ノエルの 姉アンジェラは、「なぜ弟に写真を 教えてくれるの」と、尋ねるので ある。 「それは、俺に似ているから。俺も父親が死んで、貧乏だった。でも、

          本当の自信とは何か

          自信とは、自分の価値・能力を信ずること。自己を信頼する心のことを いう。 それゆえ、自信がつくのは、他に 秀でた成果を出したり、価値ある 目標を実現したり、そのような 経験が必要と考えていたわけである。 しかし、今あらためて思うに、奈落の底に落ち、そこから這い上がる。 そのプロセスにこそ、本当の自信が 芽生えるのだと考えるわけである。 なぜならば、どん底に落ちることで、これまで見えていなかったことが見えてくるからである。 七転八倒の苦しみの中で、これまで 当たり前と考

          本当の自信とは何か

          心燃やした夢は終わらない

          「心を燃やした夢はいつまでも 終わらない 」 ハウンドドッグ ~ 「アンビシャス」より ロサンゼルス-ドジャースの大谷翔平選手がフォローしていると話題となっているウガンダのカスンバ選手。孤児である彼に野球を指導してきたのが、 センパ-ジョン-ボスココーチ。 私の教え子でありました。 「心を燃やした夢は、いつまでも終わ らない 」 このことを実感しており ます。

          心燃やした夢は終わらない