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心に灯をともす

これまで30年以上にわたり、教育を
生業として、生きてきたのである。

教育の何が好きなのかを考えてみると
「他人の心に灯をともすこと」が、
好きだったわけである。

「心に灯をともっている」とは、
「目標や目的に向かって、困難を恐れることなく、勇んで前進している」という状態のことである。

自らの教育実践を通して、誰かの心に灯をともすことができた時、その瞬間が、至福の喜びだったわけである。

この「誰かの心に灯をともす」ために、一番大事なことは、「自分の心に灯がともっていること」なのである。

それゆえ、自分の心にともしびが
ないならば、誰かの心に灯をつけることなどできないのである。

だから、教育を生業として生きるために、自らの心の灯を絶えず燃やし続ける必要があったのである。

であるのに、自らの心の灯が、
消えかけたのである。

いやほとんど消えたのである。

なぜならば、仕事に対する目的と
目標を実現したからである。

そして、目標と目的が、なくなったからである。

これまでの自分の歩みに疑問が生まれ、過去の自分を全否定したからで
ある。

それゆえ、どこに向かって進めばよいのか。まったく見えなくなったので
ある。

何のために仕事をするのか。
仕事の目的がまったくわからなく
なったのである。

必然的に心の灯が消え、あたかも、
生きる屍となったのである。

だからまず、自らの心に灯を
ともすための時間が必要だった
のである。

心の奥底に潜行し、自分の原点を確認する時間が、必要だったのである。

気づけば、家族と家系の調和とともに、自分の原点を思い出すことができたのである。

複雑にからまっていた糸が、ほどけるように、自分の原点が明らかになってきたのである。

すると、消えかけていた心の灯が、
再び、ともってきたのである。

忘れかけていた志の山が、見えてきたことで、熱い思いが、ふつふつと湧いてきたのである。

あらためて思うに、家族と家系の調和こそ、自らの原点を思い出す道だった
わけである。

なぜならば、自分の原点、自分の志の山とは、自らの命の源を、さかのぼることで見えてくるものだからである。

自分だけでなく、一番近くにいる
家族の心にも志の灯がともってきたことに、その証があると考えるわけである。

また「心に灯をともす」とい仕事を続けられそうである。

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