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人は鏡である

内観の目的は、どんな逆境にあっても、感謝報恩の気持ちで、日暮しできる。そういう心に大転換することです。いかなる境遇にさいなまれても、「ありがたいなあ」「幸せやなあ」と受け取れる心境になる方法が内観です。他の人から見て、「あの人は、かわいそうやなあ。気の毒な境遇の人やなあ」という立場であっても、喜んで暮らせる、そういう精神状態に転換すること。どんな地位、境遇、立場、状況にあろうとも、「ありがたいなあ、わしみたいな悪い奴が、今日も元気で達者に、こうして暮らさせてもろうて、幸せやな」と感謝の気持ちで暮らせる。そういう心のすみかに大転換すること、それが内観の目標であります。
大きなビルディングを建てる前に、地下に深く基礎工事をするように、内観は、人生の地下工事です。
何の目的で生まれてきましたか?
その目的に向かって生きておられますか?
今晩死ぬかもしれません。
今死んだらどこに行きますか。

内観は、死を見つめるものです。
今日は、人ごと、明日は我が身。
生命のある内に内観して、
感謝の心境で死んでゆけるように。
明日ありと思う心にだまされて、
今日もむなしく過ごす我かな。

内観は、人間に生まれてきたことの最大最終の目的です。

内観は、魂の大手術です。

集中内観は、入門式で、卒業式ではない。自分に聴く耳をつけて頂き、自分を観る眼をつけて頂いただけ。

集中内観は、基礎訓練。
日常内観こそが本番。

集中内観を電柱にたとえれば、
日常内観は、電線のようなもの。
信あるかないか。
その日その日の日暮しに問え。

一秒一分を惜しんで内観しましょう。

~内観創始者吉本伊信の言葉~

15年間の教師生活において、実感したことは、「生徒ひとりひとりのスタートラインが違う」という現実であった。

複雑で、厳しい家庭環境にある多くの子に関わってきたのである。

両親に感謝しずらい環境で育つ
子をたくさん見てきたのである。

それゆえ、校則を守ることよりも、
学力を鍛えることよりも、
まず「両親への感謝の念」を育む
ことが大事と考えてきたのである。

そして、20年前に内観を知ったの
である。

その時、内観は、教育現場の問題を
根底から解決する力があると思ったのである。

しかし、教え子の誰にも内観を
勧めることはできなかったので
ある。

なぜならば、一番内観が必要だったのは、自分自身だったからである。

複雑で厳しい家庭とは、
実のところは、自分の抱える
問題だったからである。

生徒の場合は、家族問題が、顕在化して見えていたのである。
自分の場合は、内在化して見えなかった。その違いがあっただけなのである。

つまり、厳しい家庭環境で懸命に生きる生徒たちは、自分自身の鏡であったわけで、自らを内観に導いてくれた尊き存在だったのである。

「人は鏡」

これ、まさしく真理である。

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