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エッセイは、嘘もつけないし、本音も言えないけど・・・。

僕は、これまでnoteを1000記事以上書いていますが、そのほとんどがエッセイです。

エッセイは、自分のエピソードをもとに考え方を発信できるので、たくさん話したいことがある僕にとって、とても相性がいいなと感じるのですが、エッセイだからこその苦しみもあります。

第一に、エッセイは、噓をつけません。

現実で起きた話をして、自分の考え方を述べるから、説得力を持たせることができるし、より伝わりやすい文章になります。

嘘の話をしてしまうと、考え方も嘘になってしまい、現実的ではないことを書くことになります。

そんな文章を書いていると、自分でも気持ちが悪くなってくるし、辻褄合わせのために、しっかりと文章をチェックしないといけないので、とても負担が大きくなります。

自分が分からない話はできないし、背伸びして難しいテーマを選ぶと、必ず行き詰ってしまいます。

とはいっても、エッセイは、本音をすべて書いて良いというわけでもありません。

友達や会社の人にも文章を読まれることがある僕が、すべての本音をさらけだしてしまうと、誰かを傷つけたり、怒らせたりする可能性があります。

それに、ただ愚痴を言うだけの文章や、誰かを批判するだけの文章は、読む人も嫌な気分になります。

だからこそ、いつ誰に読まれてもいいように、一番伝えたい部分を選んで、文章を推敲しなくちゃいけません。

エッセイは、自由に書いていいようで、実は一番狭いのです。

書き手は、本音の余計な部分を削ぎ落し、最も伝えたいことを文章にしているのです。

こんなに不自由なのに、なぜ僕は「エッセイ」という方法を選んできたのだろうか。

それは、「人間の面白さ」を伝えるには、「エッセイ」が一番効果的だからです。

僕は、この世界で、「人間」ほど魅力的な存在はいないと思っています。

いろんな感情を経験して、あらゆることを考え、それを言葉にする人間が、とても好きです。

どんな人であっても、その人独自の経験談だと、とても興味深く聞いてしまうし、その話をみんなに伝えたくなります。

僕自身も、自分の経験したことが面白いと思ったら、それを伝えたくなります。

どんなに辛いことがあっても、「どこかに面白い人間がいる」と考えたら、生きるのも楽しくなるし、「自分も面白い人に出会えるかもしれない」「自分も面白い生き方ができるかもしれない」と希望を持てるようになります。

結局、人間が生きていられるのは、人間がいるからなんです。

だからこそ、現実に起きた話を書きたいし、おまけに自分の考えも添えたい。

人の感情、人の考え、人の言葉は、永遠に生産されていきます。

これからも僕は、そんな人間の魅力を書いていきたいです。

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