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多様化だからこそ、寂しいこともある。

僕は小さい頃から、お笑いが大好きでした。

まだ5歳の幼稚園生のころ、NHKの『爆笑オンエアバトル』という番組を観てから、どんどんのめり込んでいきました。

小学生時代、毎週お笑い番組を観ていて、それだけじゃ満足できなくなって、TSUTAYAで昔の番組のDVDを借りるようになり、それからお笑い芸人のラジオをたくさん聴くようになり、放送作家になりたいと夢を抱きます。

そんな少年が、現在23歳になったのですが、未だに少年心が抜けられていないです。昔と変わらず、鋭く強いツッコミが好きだったり、やや失礼なことを言うボケが好きだったりします。

当時は、周りの人も、バラエティ番組やドラマを観ている人が多かったです。「笑い」といえば、お笑い芸人が主役でした。

しかし、僕が高校生になった辺りから、YouTubeの急速な発達によって、「笑い」といえばYouTubeだと言う人も増えてきました。

YouTubeは、好きな時間に好きなだけ見ることができる自由さや、動画の幅の広さもあり、どんどん若者の間で浸透していきました。

バラエティー番組とYouTubeチャンネルは、性質が異なると思います。

一番大きな違いは、視聴者が持っていなきゃいけない知識量の差です。

バラエティー番組なら、知識があればあるほど面白かったりします。人と人との関係性や、ボケやツッコミの言葉、奥深い情報など、知識がないと分からないことがたくさんあります。

一方、YouTubeチャンネルは、基本的にわかりにくいことはせずに、小学生でも理解できる動画が多いです。分かりにくい場合は、テロップで丁寧に説明していたり、止めることもできるので、何を言っているのかわからないまま進むことは、あまりありません。

「知識」を入れることが苦ではない人と、「知識」を入れることが苦しい人がいるので、そこで二分化されていきます。

バラエティ番組では強くツッコまれていることも、YouTubeチャンネルではツッコまれていなかったり、バラエティ番組では面白くないボケも、YouTubeチャンネルでは面白いボケだったり、自分が思う「面白さ」が正しいのかどうかも自信がなくなります(笑)。

さらに、僕が小中学生だった時の「面白い」は、誰かと共有することが簡単でしたが、現在は共有が難しくなっています。

小学生の頃だったら、テレビを観て面白いと思ったら、「昨日のあの番組観た?」から始まって、観ていなければ、出演者の名前をバンバン出して説明することができていましたが、現在はそうはいきません。

「最近、テレビによく出てる滝沢カレンっていうモデルがいて、その人が日本人なのに日本語の使い方がおかしいんだよね。例えば、○○のことを○○とか言ったり、○○のことを○○って表現したり。それで昨日出演していた番組ではさぁ・・・」

こんな風に会話をしないといけません(笑)。特に僕は正確に伝えるために、説明してしまいます。

それに、YouTubeチャンネルが好きな人は、知識を入れることが苦しいと思う人が多いので、いくら説明をされたって面白そうとは思いません。

一方、YouTubeチャンネルをオススメされる時は、全然違います。

「最近、ラファエルの動画にハマってるんだよね。ほら、この動画見て」

実物がすぐ出せるので、これだけでオッケーです(笑)。

僕がラファエルという人間を詳しく知っていなくても、トーク重視じゃないので、動画さえあれば言葉は要りません。

その結果、僕らには大きな溝が生まれます。

僕は、バラエティ番組を説明するのは面倒くさいと思いますし、YouTube好きな人は、言葉で説明することを簡単に放棄できます。

楽しいを共有することのコミュニケーションは、次第に減っていきます。

だから、面白いものを観た時こそ、多様化の時代を恨むことが多いです。

これを伝えたくても、テレビってだけで毛嫌いする人もいますし、YouTubeしか受け入れない人もたくさんいます。

僕は、負けじとコミュニケーションをとろうとは思いますが、やっぱりみんなの反応は、寂しいものです。

あぁ、多様化って、寂しいな(笑)。

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