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tel(l) if... vol.18 咲恵構文

登場人物

千葉ちば 咲恵さきえ
 
主人公。進学コースの女子生徒。伊勢のことが好きだったが……

伊勢いせ
 特進コースの社会科教師。咲恵と卓実の勉強を見ている。

麹谷こうじや 卓実たくみ
 
特進コースの男子生徒。


その日、文芸部にはゆるい空気が流れていた。
高文連に作品を提出したあとだったので、みんな燃え尽きていたのだろう。
この日は講評にかける作品もなく、顧問を呼ぶ必要は無かった。お菓子を食べなから、ただ、おしゃべりをしていた。

本屋に寄りたいので、私は先に帰ることにした。
玄関ホールから、ふと下駄箱に視線を向けると、私のセンサーが、久々に反応した。
伊勢先生を遠くから見つけたときの、あのセンサーだ。
卓実がいるのがわかった。

落ち着け。誰かを待っているだけだ。
私は、心に住まわせている伊勢先生を呼び出した。
もちろん、想像だ。
伊勢先生ならこんなとき、どうするだろうか。

私は姿勢を正して、口を優しく結んだ。
下駄箱の前で卓実と目が合うと、軽く会釈した。
「ちょっと待って」
そのまま帰ろうとしたら、引き止められた。
「一緒に帰ろう」
「うん」
本屋はここからそう遠くない場所にある。そこに行く前に別れればいいだけだ。

「メッセージ全無視はさすがに感じ悪いよ」
歩き始めてすぐに、卓実はそう言った。以前の私ならヘラヘラして適当な嘘を言っただろう。
私は、軽く微笑むだけで、何も返さなかった。

「それから、俺抜きで伊勢先生と勉強しているらしいね。そういうのよくないよ。最近は右沢先生とも楽しそうに話しちゃってさ」
彼は何度か立ち止まった。私は歩みを止めなかった。

「卓実も短歌作るの?」
「作らないけど」
「右沢先生は文芸部のためにしてくれてるんだよ。文芸部のみんなも誘ったけど、断られちゃって、それで私一人でも全力で教えてくれてるの。それじゃ、私、ここで」

分岐点になるコンビニ前まで来たので、私は手を振った。
「俺も行くよ」
「ううん。大丈夫、ここで」
「どこでも付き合うから、そんなふうに避けないでよ。咲恵と話せないのは、つらいんだ」

私だってつらかったよ。
でも、今更そんなことを言って何になるだろう。
耐えろ、私は、伊勢先生だ。
そう思うと、気持ちをぶつけるほど熱くはなれなかった。
私の気持ちは自然と固まっていた。考えなくてもそれは直感でわかった。

「どうしたら付き合ってくれる?」

私が行こうとすると、卓実が言った。胸のあたりが痛んだ。これはなんていう名前の神経だろう。筋肉なのか、器官なのか、わからないけれど、立ち止まっているのがつらかった。
すぐにでも走り出したい。

「なんだ、そういうことね。オッケー。でも、今日は本屋に行くから付き合えないの、だから、ここで」
彼は食い気味に大きくため息をつくと、語気を強めて言った。
「もう、頭おかしくなりそうだから、言うわ! 咲恵のことが好きだから、俺の彼女になってほしいってこと」

私は思わず周囲を確認した。ここは学校帰りの生徒がよく利用するコンビニだった。幸い、同じ制服は見当たらなかった。

「誰かに聞かれるよ」
「聞かれてもいいよ。で、返事は?」

私は後退りしたい気持ちを抑えて、なるべく、挙動不審にならないよう、努めて理性的に話した。

「卓実みたいな、素敵な人にそう言ってもらえて嬉しい。ありがたいよ。こんなことは、人生で二度とないと思う。けど、やっぱり、卓実はモテるし、人気者だから、私なんかではレベルが高すぎて。それはそれは、本当にすごいと思うよ、卓実は。卓実には感謝してるんだ。でも、私、誰かと恋人になるの初めてだし、迷惑かけると思うから、だから、うん、……」

なんだか、歯切れが悪くなってしまった。でも、言いたいことは全部伝えられた気がする。

「それは付き合えないってこと?」
私の話が終わったと気づくと彼が言った。
「そうだよ……」
さっきまで伸ばしていた背筋が曲がってしまった。
はっきり断るのにもエネルギーがたくさん必要だ。
卓実は、幾度となくこれを経験してきたのだろうか。
「それで全部?」
「全部って?」
「俺と付き合えない理由はそれで全部?」
「うん……? そうだね」
言えてないこともあるが、要約すると概ねそういうことになるだろう。

急に空気がピリついた。
卓実の雰囲気が一変したのだ。
さっきまで甘えるような、どこか許しを乞うような素振りをしていたのに、この瞬間から冷静になった。余裕さえ感じられた。

「それ聞いて俺が納得できると思う? それと、前から気になってたんだけど、その『褒めているようで褒めていない』独特な構文をやめてほしい」
「こ、構文?」
「俺がモテるから何? 嫌いなら嫌いって言えばいいのに」

とてもわかりやすく、嘘のないように、努めて真摯的に伝えたつもりだった。それなのに、そんな言われ方をして私はイラッとした。
こちらが静かに聞いていると思えば、好き勝手に言ってくれる。

「卓実には私の気持ちなんてわからないよ」
「さっぱりわからない」
「卓実は、クラスにいる私がどんな評価受けてるのか、知らないでしょう」
「なんで、そこでクラスの人達が出てくるの?」
「なんでわからないのかが、わからないよ」

だいたい好きってなんだ?
私が男性なら、私のことは好きにならない。
私のどこに好きになれる要素がある?
この人はただ興味本位で私の領域を触ってみたいだけだ。

「ごめん、今日はもう勘弁してほしい……立っているのが疲れてきた」
私たちはずっとコンビニの駐車場の隅っこで話していたのだ。いっぺんにいろいろと言われて、混乱していたのも理由だった。

「え? そうなの? ごめんね。じゃ、俺の家に行こう。ゆっくり話そう」
卓実はやけに殊勝な態度で私を心配した。

「家なんて落ち着かないし、方向違うから定期も使えないよ」
「じゃ、そこの公園に! ベンチあるから。いま、飲み物買ってくるから、ここで待ってて。それならいける? 大丈夫?」
「うん……わかった。待ってる」


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