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ウズベキスタンの年越し#03

決まったら話は早い。
腹を括った私は彼と一緒にホテルへ戻って荷物をまとめ、タクシーで彼のご実家へ向かいます。

とは言ってもウズベキスタンにはタクシーの概念はありません。いや観光客用にはあるのでしょうか?詳しくは分かりませんが、現地の人たちは皆、道行く車に適当に掌を見せ、止まってくれたドライバーと料金の交渉をするのが一般的です。

しかしこの日は大晦日。
日中はすぐに見つかっていた車も、夕方を過ぎると足早にそれぞれの家へ帰っていきます。辺りがすっかり暗くなる中、私達はようやく交渉に応じてくれた車に乗り込むことができました。


温かい車内で一息つき、ふとスマホを開いてこの日撮影した写真を見返します。普段はあまり使いませんが、この時たまたま開いていたのはGoogle Photos。
これにはとてもお節介な機能があり、数年前の同じ日に撮影した写真を纏めて表示してくれます。そして「1year ago」「3years ago」などのアイコンをタップするだけで、いとも簡単に昔の思い出にふけることができるのです。

過去の写真を見返しながら、これまで過ごしてきた大晦日の思い出を振り返ります。
1年の締めくくりであるこの日を地元以外で過ごすのは今回が3度目。初めての家族以外との年越しは、私がまだ19歳の頃でした。

多くの学生が第二外国語の履修を必修科目の単位取得とともに止める中、せっかく分かるようになってきた中国語をもう少し学びたいと思った私は、2年次も1人で講義を受け続けました。
その時に目標にしていたのが、年末に中国に行くこと。私にとってそこで見た景色や経験は、その全てが刺激的で特別な世界に思えました。

ここには書ききれないほど素敵な思い出ばかりですが、中でも印象深いのは、その時遊びに行った中国きっての名門大学で行われていた「留学生による文化祭」。そこで様々な国の文化に触れ、これまで知らなかった世界の魅力を感じることができました。初めて食べたモンゴル産の臭い羊のチーズも、イランの素敵な民族衣装も、それに触れた時の感動を今でも鮮明に覚えています。

ほんの少しですが海外でのキャンパスライフや寮生活を経験させてもらい、愉快な中国人のみんなと火鍋を囲み、いつか私も世界中の人と自由に話せるようになりたいと強く憧れを抱いたのでした。


2度目の海外での年越しは、私自身の留学を終えた帰りに寄ったカンボジア。特に狙っていた訳ではありませんが、運良くアンコールワットで初日の出を拝めるスケジュールを組むことができました。
その前日、トゥクトゥクの運転手さんと一緒に過ごした大晦日。1日シェムリアップの街を満喫し、すっかり夜もふけた頃、事前に予約しておいたホテルに向かってもらいました。

そのホテルへの到着が目前に迫った時、私は事前に印刷してきた予約確認書に改めて目を通し、その日予約していたホテルがその時向かってもらっていた目的地とは違う場所にあることに気付きます。
慌てて「ごめん住所違った!」と運転手さんの背中に向かって謝り、ひとまずその場にトゥクトゥクを停めてもらいました。

その時です。
1日中運転して疲れていたはずの彼は、私に騙されぼったくられると思ったのか、もしくはそこから走り出し逃げられると思ったのか、いきなり私には到底理解できないクメール語を叫んで鬼の形相で睨みつけてきました。
次の瞬間、辺りから屈強な男性たちが続々と集まり、私の乗っているトゥクトゥクをみるみると囲み始めます。中には太い棒を持った強面の人や、ヘルメットを被った表情を窺いにくい人もいて、全員で私には到底理解できないクメール語を使って語気荒く何かを訴えてくるのです。

なんとか落ち着いて彼らに正しいホテルの位置と予約確認書などを見せ、事情を説明することに成功しました。
彼らをなだめてその場を乗り切ることができたものの、真夜中のその出来事は、恐らく今までの人生においてもトップレベルに身の危険を感じた瞬間であったことは間違いありません。



さて、この日は3度目の海外で過ごす大晦日。
私は前日出会ったばかりの男性の自宅へ、今まさに向かおうとしています。

車内でのルスタンと運転手との会話は、もちろん私には理解できません。彼はいつも現地の方と会話する際には、ウズベク語か、もしくは相手の年齢に合わせてロシア語を話しているようです。(ウズベキスタンは旧ソ連の国なので、年配の方の中はロシア語しか話せない人も多いのだそう)
それがどんな些細な会話であっても、彼は律儀にそして丁寧にその全てを英訳して私に伝えてくれました。

そんな彼のことを私は信頼していましたが、この時ばかりは車内でこっそりとスマホで現在地を追い、自分の居場所と周囲の街を確認しました。
こんな夜更けに異国の地で男性の家へ向かうのです。あの時カンボジアで感じたような恐怖、場合によってはそれ以上に怖い経験をすることは避けなければなりません。
もし自身の身に何かあった時に逃げるならどこがいいか、信用できそうな公共施設や、ひょっとしたら大晦日の夜も営業しているかもしれないお店はどこか、彼にバレないように地図上にマーキングしながら、常に自分の場所を把握します。

もしかしたらもっと堂々とスマホを操作していても良かったのかもしれませんが、感謝でいっぱいのルスタンを疑う気持ちは出来る限り隠したいものです。
あの時地図でこっそりマーキングしながら、同時にルスタンと楽しく会話もしていた私は、今振り返ると今回の旅行で1番頭を回転させ、我ながらなかなか器用だったのかもしれません。

ようやく着いたご自宅は、近くに大統領も住んでいるという閑静な住宅街にありました。
ここからの話はまた次の投稿で。


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