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リウマチ薬(リウマトレックス)をのむことにした

このままはイヤだ!

何とか薬を飲まずにやれないかと、ここまで半年以上、痛みをやり過ごしながらいろいろ試してきた。けれど最近は、ジリジリ進む症状と、このところ徐々にあがってきていた血液検査の数値に不安を感じてもいた。それまで通っていた病院では、たった3分ほどの診療のあいだに「薬、飲むでしょう(飲むのが当然)?」というお医者さんと、「まだ様子を見たいんですが。」という私との問答が繰り返されるばかりで、自分の中に「これが延々続くのじゃないか?」というモヤついた思いもあった。

このままでいいのかな。

私は「(血液検査の)数値は結構変動するもの、一喜一憂しないほうがいい」と考えていたし、実際、検査のたびに上下していた間は気持ち的にも余裕があったから、これまで粘ってこれたんだけど。この3か月は右肩上がり、痛みの範囲拡大に比例するみたいにMMP3(※関節内の炎症を示す値)の値が急に上昇したことが気になった。3月にはいって規定値上限の倍を超えたときには、「このままでいいのかな・・・」落ち込んだし、これまでにないくらい不安に。色々なお医者さんの書いている記事を読んでみて、この数値が特にキモなのでは?と思っていたから。

それらの記事によれば、「リウマチ因子やCRPの値が高くても症状の出ていないケースがわりとある」らしく、「リウマチ因子やCRPの数値だけに判断を頼らないほうがよい=MMP3の値や症状を見て総合的に判断するのがよい」というお医者さんが結構いるんだな、というのが私の印象。それをふまえたうえで、「リウマチ因子やCRPの値は参考値と捉えつつ」「進行度合いの確認のためMMP3の値はとくに注視する」というのが私の判断基準になっていた。

MMP3はおおきく既定値を超えた、「それじゃあ症状は?」というと。鎖骨の腫れがひかないのと、手首など大きめの関節が固定されてきてしまっている(手の甲も痛い)、肩から首の動きが悪い、炎症の影響なのか関節でない部分(筋肉?)につねられるみたいな痛みが出てきていた。この時点で「このままズルズル同じ病院に通い続けるのは良くない気がする・・・」と思うようになったのがきっかけで、「なおる可能性について言及している」という条件を付けて色々な病院を探すことに。そして思い切って病院を変更した、というのが前回書いたところまでの話。

リウマチ薬、飲むの?飲まないの?

変更した病院はリウマチ専門のクリニックで、過去の血液検査データを見てすぐに投薬を始めた方がいい段階という判断だった。「まあ、お医者さんはそう言うだろう・・・」ということは想定済みだったので、「絶対ではないけれど、(副作用や身体への負担を考えると)できれば飲みたくない」旨をうだうだと伝えたら、結構な勢いで注意される。活動期に入っている現段階の症状をまずいったん止める(抑える)ことの重要性など説明付きで、あきれている様子。とはいえ、私はやはり治りたい!「不安だから・・・」と、勢いに押されて、なし崩し的に薬を飲んでもきっと効果は期待できないだろう、と思って踏ん張った。いったん日をおいて、再度受診することに。

帰り道、思い切ってほかの患者さんに話しかけてみた。その方は、地元の整形外科でリウマチという診断を受け、リウマトレックス4㎎からはじめて、痛みが引いては出てきて薬を増やして・・・を繰り返したとのこと。最終的に12㎎まで増えたときに、「このままだと先が見えないし、自分でもっと探す必要があるな。」と思ってこのクリニックに変更したのだそう。現在は通院6か月目で、生物学製剤を服薬しつつ、リウマトレックスは6㎎まで減らせている、痛みは一切なく変形の兆しのあった足の小指も元に戻った、と話してくれた。

「(いま痛みや腫れがまったくないのは)生物学製剤のおかげかもしれないし、これを服薬するのをやめたらどうなるかわからないけど。」「副作用は怖かったけど、今のうちに動けないでいることの方が嫌だと思って・・・普通に生きててがんとかで死ぬ人もいるし。」と話すのをきいて、そのくらいスッパリ腹を決められていてすごいな・・・と感心する(その決断に至るまでには、迷ったり悩んだりしたのかもしれないけれど)。「今のうちに動けないでいることの方が嫌だ!」というのがその方の判断基準なんだな、と思って、それはそうだ、と納得した。

その次の通院日は採血して終わり。情けない気もするけど、判断先延ばしにホッとする。この話には粘り腰の私は、さらに次の通院日(血液検査の結果の出る日)までモヤモヤと考え続けた。なんなら病院に向かう電車の中でもずっと考えていた。「せっかくここまで粘ったんだから、飲まずにどうにかならないもんか?」というのが本当の思いなんだよなあ・・・こだわるべきか、こだわらざるべきか?うーん。うーん。うーん・・・

どちらにしてもこの日、お医者さんでは薬飲む・飲まないを問われることになる。このままモヤモヤしていても判断がブレそうなので、リウマチ診断をうけたあとに自分で決めた「治療を受けるにあたっての判断基準」を思い出して確認した。

・よいと思ったらとにかく試す
・違うと思ったら深追いしない
・ひとつの治療法や考えに固執しない
・安心する方を選ぶ

リウマチ薬をのむことに決めた。

いまの状態って、「薬を飲まない」ほうに固執しているってことなのかな?こだわりと固執の境目ってどこなんだろう?悩むな・・・

医療にも、東洋医学、西洋医学、自然療法、いろいろな方法がある。(私が勝手に)東西全部盛り?と思っていた「統合医療※」と名前のついたものは、多くの場合、東洋医学と自然療法、エネルギー系(スピリチュアル系含む)、セラピー系、などを組み合わせたものが主で、西洋医学は含まれていないことが多い印象があった(そうでないものもあります)。あくまで私の見た限り、なんとなく私の感じた限り、だけど。西洋医学って何だろう、薬って何だろう?医療って?治療って?治癒?治る?治す?

そんな思いが頭の中をぐるぐるしながら、診察室へ。そして、面と向かってどうしても確認したかったこと、「寛解およびドラッグフリーについての見解」「薬を飲まないリスク、飲むリスクについてどう考えているか」「飲んだ薬をやめるタイミング」「いったん飲んだ薬をやめて万が一再発した場合などその薬の効果がなくなるということがあるのか」について訊ねる。これがうやむやなまま、納得しないままでは先に進めない。

不安と興奮ですべてを理解できたわけではなかったけれど、「寛解を目指せる病気であること、その先にドラッグフリーもありうること」という言葉は、はっきり聞き取れた。「副作用はどんな薬にもあり、リウマトレックスはその可能性が少ないとされている薬だからアンカードラッグになっている」という説明と、「あなた(私)の年齢くらいだったら副作用の可能性は少ないでしょう」という見解は、もはや「私が信じたいかどうか」にかかっている。だって、疑えばなんだって疑える。最悪、騙されてもいいか?という話だよな・・・「どうする?私。」事実かどうかは関係ない。なんだって、「私が」信じることも疑うこともできる。

前の病院ではここで詰まっていたのだけど、かけてみることにした。「寛解(すべてではないけれど、その先にドラッグフリーも)の可能性」をかなりはっきり信じている先生だと感じたことと、熱量を感じたこと、質問しても良いのだと思えたこと、が今回の判断の決め手になった。なにより、私自身が「モヤモヤし続けているということは、今のままでいることに対して不安を感じているということ」だと思ったし、だったら、「実験だと思おう」「嫌だと思ったらいつだってやめて(私が決めて)いいんだ」と判断したから。よくやったよ!とほめてやりたい。本気で「リウマチ薬を飲みたくないー!」と思っていた私にとって、苦しい、悩める期間を経ての決断だったもんな。

決めてしまったら少しスッキリした。ここからこれまでと違うフェーズに入る。

4月2日(日)、はじめて服薬する

薬は3錠(6mg)からはじめることになった。1週間様子をみて問題がなければ4錠(8mg)に増やして服薬することになるらしい。リウマトレックスは強い薬なので、飲み方が決まっていて(何パターンかある)、私は週1回、土曜日のあさに飲むことになった。その際の注意事項は以下の通り。

・朝に飲み忘れたら思い出した時点で飲む、夜間は飲まないように
・丸一日飲み忘れたら、翌日(私の場合は日曜日)あさに飲む
・日曜も忘れた場合は月曜のあさに飲む
・それ以上忘れたらその週はスキップする

ほんとうは4月1日(土)が服薬初日だったのだけど。その日、すごく久々に会う友人と食事をすることになっていて、1杯くらいはお酒を飲みたいなと思っていたから、飲み忘れた体で翌日から服薬を開始することにした。それに、翌日の4月2日は私の大好きな忌野清志郎さんの誕生日。思い切って飲むきっかけにちょうどいいや!とスッキリ決める。

で、2日のあさ服薬。良くも悪くも今のところ変化なし。

リウマトレックス(メトトレキサート)について

この薬は葉酸の活性化を阻害していて、それが免疫細胞の増殖を抑制する=リウマチ症状の進行を抑制する、という考えのもの。その(葉酸阻害)ために起こる可能性のあるいろいろな副作用を軽減させる目的で、こんどは1日あけてフォリアミンという葉酸製剤を飲む。ひとつの薬で阻害しておいたものを別の薬で補充するってなんか変!という話、正直、ずっと引っかかっていた。(というかいまもこの部分には引っかかっている。)

そもそも薬を服薬すると、その分解吸収のため消化機能に負担をかけることになるらしい。ということは、「ひとつの薬がターゲットの症状に対して効果をもたらしつつも他に副作用・不具合(とまでいかなくても不自然、というかバランスを欠く)を生じさせるから、それにはまた別の薬を・・・」とやっていたら、消化器官は超重労働を余儀なくされることが想像できる。薬漬けってこういうのからなるんじゃないの?たいして詳しくもない私の中でさえ、うすらぼんやり感じていた西洋医学に対する違和感って、こういうとこなんだよなー。

でも今回は、それもさんざん考えたうえでの決断だから。「薬を飲む」ということを、前向きに捉えたらどういうことになるんだろう?と考えた。このあたり、本当は今後のイメージとあわせて書きたいと思っていたけれど、長くなったのでまた次にします。そのとき、上記で「(今回、薬を飲むことを)実験だと思おう」と思ったことについても書いてみたい。


※統合医療についていくつか引用します。詳細は各ページを確認してください。

統合医療(とうごういりょう、英語:integrative medicine; integrated medicine; integrative health)とは、西洋医学による医療と代替医療を合わせて患者を治療することである。

米国ではアリゾナ大学の医学教授アンドルー・ワイルにより研修教育がおこなわれている。

wikipediaより引用

いわゆる「統合医療」は、近代西洋医学と相補(補完)・代替療法や伝統医学等とを組み合わせて行う療法であり、多種多様なものが存在します。

社団法人日本統合医療学会によると、「統合医療とは、さまざまな医療を融合し患者中心の医療を行うものです。科学的な近代西洋医学のみならず、伝統医学と相補(補完)・代替医療、更に経験的な伝統・民族医学や民間療法なども広く検討しています。」とされています。

厚生労働省eJIMサイトより引用

統合医療は医療の受け手である「人」を中心とした医療システムである。近代西洋医学に基づいた従来の医療の枠を超えて、「人」の生老病死に関わり、種々の相補(補完)・代替医療を加味し、生きていくために不可欠な「衣・食・住」を基盤として、さらには自然環境や経済社会をも包含する医療システムである。

日本統合医療学会サイトより引用


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