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「(ただの)良い論文」 と 「素晴らしい論文」 の違い

こんにちは!

対人コミュニケーションについて研究・教育をしている大学教員の今井達也です。

簡単に私の経歴を書かせていただきます。青山学院大学で英語の教員免許を取った後、アメリカの大学院で対人コミュニケーション学について学び、博士号を取得。その後、某私立大学で様々なコミュニケーション学(対人、異文化等)の授業を担当しながら、海外のジャーナルを中心に対人コミュニケーション研究についての論文を出版してきました。
(私の業績や教育活動などはこちらをご覧ください。X(旧Twitter)はこちら。)

今回は「良い論文」と「素晴らしい論文」の違いについて書いていこうと思います。その違いを調べるため、トップレベル・ハイレベルなジャーナルで編集委員を務めた、一線で活躍する研究者たちの意見を分析しました。

その結果

「良い論文」とその更に上をいく「素晴らしい論文」には明確な差があることが分かりました。

みなさまの今後の研究・執筆活動の助けになれば幸いです。その前にいくつか前提を伝えさせていただきます:

前提

前提1:まず、最初にお伝えしておきますが、私は「素晴らしい論文」を書けたことがありません。ここでこのページを閉じようと思った、そこのあなた様。一瞬お待ち下さい。私が書けるのはある程度の「悪くない論文(悪くない論文の一覧)」であり、その先の「素晴らしい論文」には遠く及ばないという印象です。だからこそ、調べたのです。一愚研究者(いちぐけんきゅうしゃ と読みます)である私が、少しでも質の高い研究をしたいと願い、調べた結果がここにあります。

前提2:ご安心ください。私の意見は(ほぼ)載せていません。主にハイクオリティな社会科学系のジャーナル(Psychological Science, Communication Monographs,Learning, Media and Technology など)の編集委員の先生方のご意見だけを記載しています。

前提3:想定する読者層としては、ある程度、研究の世界について知識のある方になってしまうかも知れませんが、ご承知下さい(研究の世界に興味のある大学生、大学院生の方も是非)。そして重要な点が、内容が一部の社会科学系の学問に限られるであろう、という点です。私の守備範囲(コミュニケーション学、心理学等)に関わる情報ですので、同じ社会科学と呼ばれる分野でも、当てはまらないことは多々あると思われます。

前提4:当記事の内容は、改善を求めて今後修正される可能性があります。記事公開後に、フィードバックや新たな情報収集の結果、修正・改善を重ねていくつもりです。ご了承下さい。

まず5つの結論から述べます

「とにかく素晴らしい論文の条件だけ知りたい」という方のために、まず結論から述べます。ハイレベルジャーナルの編集委員の先生の意見をまとめた結果は以下のようになります:

A. 素晴らしい論文は:新たな視点や議論のきっかけを提供する革新的な論文である(これまでに分かっていることの繰り返しではない)

B. 素晴らしい論文は:ごく限られた読者にだけでなく、該当分野やアカデミアを「超えた」読者に興味や気づきを与える論文である

C. 素晴らしい論文は:先行研究を踏まえて、該当分野の理論の中に位置づけられており、その理論をより発展する可能性を秘めている論文である

D. 素晴らしい論文は:現在進行系で変化する社会に大きな実践的・理論的貢献をすることが期待される論文である

E. 素晴らしい論文は:あるジャーナルの読者(ターゲット)にとって、「これは絶対に読まないといけない」と思わせるような、ターゲットに新たな価値を与える、「刺さる」論文である

私には無理ッ!

では情報のソースを元に、詳細について以下に述べていきます。

①ハイレベルジャーナルの査読にまわる論文とは?

まずは、自分の論文が査読(審査)にまわらないにことには、始まりません。トップクラスのジャーナルほど、論文が査読にまわらず、エディター・編集委員の先生にリジェクトされることも多いです(デスクリジェクトやエディターズキック などと言います。必殺技の名前ではありません)。

心理学のジャーナルの中でも、ハイレベルとされるPsychological Scienceの編集委員を5年務めたDr. Robert V. Kail記事の中「査読にまわらずにリジェクトされる論文」の特徴を3つの種類(A B C)に分けています。

A. 革新性がない論文
良い論文ではあるが、革新的な発見がない。つまり、新たな知を産み出す、きっかけとなっていない。言い換えれば、すでに分かっていることと、あまり相違がない。

B. 新しいツールを試したかっただけに見える論文
著者が、ただ新たなツール(研究手法など)を試したかった、だけに見えてしまう論文。当該分野をより発展させるような要素が無い。

C. ごく限られた専門家にだけ興味を持たられるであろう論文
これが意外だったのですが、あまりにも想定される読者が限られていると、それは論文のインパクトも限られている、と考えられるそうです。ある程度、アカデミア外の一般の人や社会へのインパクトが期待されるものが、良い論文である、としています。(この要素は、記事の後半にも頻出します)

記事の原文の一部


②「良い論文」と「素晴らしい論文」の違い


さて、上記の3つの条件をクリアしたとします。しかしそれは、査読にまわるための条件です。ではその先の「良い論文」と「素晴らしい論文」の差はどこにあるのでしょうか。


コミュニケーション学のトップジャーナルであるCommunication Monographsの編集委員を務めたDr. Paul Schrodtは、記事の中でその差を以下のように(ABCDE)まとめています:

A. 良い論文は良く考えられた論文である。一方、素晴らしい論文は深い洞察を与え、新たな視点を提供する論文である。
先程の3条件にも出てきましたが、良い論文は良くも悪くも「おとなしい」論文であり、素晴らしい論文はある意味「物議を醸す」「刺激的な」論文であるようです。その論文が提供するアイディアによって、その該当分野、いやその分野を超えて、新たなディスカッションが広がるイメージかも知れません。つまり、 "So what?"クエスチョンに答えている、と言えましょう ←"So what?"クエスチョンについては後ほど解説します。

B. 良い論文は理論を使用している。一方、素晴らしい論文は理論を発展させる論文である。
著者の議論をガイドするために理論を使う論文は多いが、その理論をより発展させるような内容の論文は稀である。新たな発見があったとすれば、その発見が既存理論をどのように発展させるか、を示す論文が素晴らしい論文であるとしています。

C. 良い論文は正しく研究手法を使っている。一方、素晴らしい論文は正しい研究手法をより効果的に利用している。
例えば、ただの「良い論文」は以下のような研究手法のレベルである(量的研究の場合):研究目的に合っていない手近なサンプルを利用している、適切でない尺度の利用、相関データから因果関係を語る、カップルやグループデータが相応しいはずなのに個人データに頼る、結論がデータから間違って導き出されている 等。つまり、いくら論文自体にポテンシャルがあっても、使われた研究手法が未熟であると、素晴らしい論文に進化することは難しい、としています。

D. 良い論文は新たな発見を提供する。一方、素晴らしい論文は話題性のある発見を提供する。
その発見に多大な理論的・実践的な貢献が認められるか?社会的にどのようなインパクトが期待できるか?その発見は、より多くの読者を巻き込めるか?そういった問にYESで答えられる論文が素晴らしい、としています。時としてそのような発見は、予想外のものであったり、既存の理論には反するものであったりすることもあるだろう、ということです。

E. 良い論文は限られた読者の興味しか引かないが、素晴らしい論文はより多くの大衆の興味を引く。
あまりにもニッチな発見は、限られた専門家の中で評価されるかも知れないが、分野横断的な広い読者への影響は限られてしまう。一流ジャーナルは、そのような論文を、より分野が細分化されたジャーナルへの再投稿を勧めてしまうであろう。

はい、ここまで書いて、素晴らしい論文を創出することは私には「無理ゲー」であると確信しました。しかし、多大な可能性を秘めた読者の皆様のために、先に進めます。

さて、ここまでの情報で「良い論文」と「素晴らしい論文」の差が、なんとなく分かってきました(そしてその難しさも)。しかし1つ気になった点があります。

"So what?"クエスチョンに答える論文が素晴らしい論文の条件である

という点です。

私も大学院生の時に、レポートへのフィードバックで"So what?"と書かれ、枕を濡らしたこともありました。"So what?"クエスチョンとは?

③ "So what?"クエスチョンとは?

Learning, Media and Technologyというこれまた優れた教育学系のジャーナルの編集委員を務めたDr. Neil Selwynが、"So what?"クエスチョンについてある記事の中で解説してくれています。

Dr. Neil Selwynはこう説明します:

"So what?"クエスチョンは、遠慮なく言えば"Who cares?"クエスチョンである。

つまり、あなたの論文を読んだ人が「ふーん、だから何?どうでも良くない笑?」というあまりにも劣悪なリアクションをしたとして、あなたはそれに涙目でどう答えるか、という感じでしょうか。

以下のような質問を自問自答すると良いとあります:

その論文が提示するアイディアや研究結果の何が重要なのか?
そしてそれらは、該当分野や社会にどう関わってくるのか?
限られた分野を超えて、より多くの人にとっても、あなたの論文は興味深いのか?

Dr. Neil Selwynは以下のように続けます:

『自分が論文を仕上げる時には「他の人が読みたいと思う、ではなく、読むべきだと思う」内容になっているか、確認するんだ』

続けてDr. Neil Selwynは、"So what?"クエスチョンに答える方法を、4つ(ABCD)に分けて説明してくれています。(注:教育xメディアの分野に偏っています)

A. 現在進行系の現代社会、そしてその社会で働く人々(実践家など)にとって、重要であり興味深い内容であること
「社会的貢献が期待される」といった要素は、これまでと重複する部分がありますが、ここで強調されているのが、その論文の扱うトピックが新たな社会の動きに応じているかどうか、という点ではないでしょうか。特にこのジャーナルではメディアやテクノロジーが射程範囲に入っており、新たなトレンドを追うことが重要な要素になっているのだと考えられます。私のコミュニケーション学の分野では、2,3年前は新型コロナウイルスが私達のコミュニケーションにどのような影響を与えるか、といった内容の論文が多数出版されました。そのような傾向も、社会の流れや要求に応えている論文が出版されていることの表れ、ということになるのでしょう。

B. 政策 や 政策を制定する人や組織にとって重要な示唆を与えること
この場合、教育学に関わる分野なので、この問が投げかけられているのかと思われます。他の分野に応用するのであれば、その論文の影響が、ごく限られた社会的インパクトに収まらず、より大きな社会的インパクトを産むかどうか、と捉えることができるかも知れません。私の分野、対人コミュニケーション研究であれば、例えば研究結果や論文のアイディアが、孤独で心を病んでしまう人たちにとって、新たな人付き合いの手法を提案できるようなものかどうか、そしてそれが公的機関で採用される可能性があるか、などといった「社会的に大きな方向性やムーブメントが起こりうる」可能性をはらんでいること、が鍵になっているのかも知れません。

C. 該当分野を「超えた」貢献が期待できること
まず大切なのが「積極的な先行研究のレビュー(Active Review)」とあります。ただ、過去の関連分野の研究を羅列するだけでなく、これまで検討されてこなかった先行研究間のギャップを示し、分野のさらなる発展に貢献するものであるべき、とのことです。そして、その論文の貢献は、分野を「超えた」ものであることが望ましい。この著者が編集委員を務めていたジャーナル "Learning, Media & Technology"であれば、ただその3要素に関わりがあるだけではなく、より教育の本質的・根源的なトピック(例えば人のアイデンティティや、社会階級の問題 等)に関わるようなものがベターである。その論文が、該当分野や関連理論の中でどう位置づけられ、その範疇を超えて、どう貢献が見込めるか。該当分野を超えた研究者にも興味を持ってもらえるかどうか。

D. その論文が既存の理論的枠組みの中にしっかりと位置づけられていること
該当分野(や、それを超えた分野)のこれまでの理論的な枠組みを理解していることは必須条件である。仮に新たなトレンドを追った研究だったとしても、それがこれまでに既に検討されてきた分野で積み上げられてきた知とどう結びつき、それらをどう発展させうるのかが考慮されていなければ、素晴らしい論文とは言えない。

さて、ここまでの内容で「素晴らしい論文」の全容が見えてきました。以下に最後の要素を述べていきます。少し補足的な内容になるかも知れませんが、私にとって重要でしたので、書いておきます。


④ジャーナルごとに違った読者が想定されており、その特定の読者に新たな価値を与える論文

この最後の要素は、私が個人的にアドバイスをいただいている研究者の先生に教えていただいた内容です。その先生も様々な雑誌で編集委員をしておられます。

ジャーナルにはそれぞれ想定される読者(ターゲットとします)がいます。そのターゲットにとって「新たな価値」を与えてあげられるかどうか、が素晴らしい論文の条件とも言えるようです。

言い方を変えれば、ジャーナル(とそのジャーナルのターゲット)によって「素晴らしい論文」の意味は変わってくると言えるでしょう。例えば、ジャーナルAのターゲットにとって、X(エックス)という研究結果やアイディアは、そこまで新たな価値を与えるものではないかも知れません。しかし、ジャーナルBのターゲットにとってXは、新たな価値や発見を与えるものかも知れません。

④の前まで述べてきた①②③の条件は、ある程度、分野横断的な内容だと思います。しかしそれらの内容を、自分が掲載したい様々な種類のジャーナルの特色を踏まえることなく応用していては、論文の産み出す価値がぼやけてしまう気がします。自分の研究が「そのジャーナルの読者の目線からはどう見えるのか」という視点を持つことが大切だと感じます。

③の要素について解説してくれたDr. Neil Selwyn同じ記事の中で以下のように述べています:

『成功している論文は、主要な読者層に、その論文の価値をうまく伝えている論文である』

編集委員の先生も、その先生の個人的な価値観で提出された論文を評価しているのではなく、編集委員として自分の手掛けるジャーナルの読者層にとって、新たな価値を感じてもらえるものかどうか、を判断基準にしているんですよね。私はその視点がポッカリと抜けていて、反省をしました。

あるジャーナルの読者の「求めていること」を知るためには、どうすれば良いのか。ここからは自分が実践していることですが(ここは私の意見になってしまいますが)
1. 自分が掲載したいジャーナルのホームページに掲載されている、ジャーナルのゴール(Aims and Scopeなど)をしっかりと読み込む
2. 自分が掲載したいジャーナルの最新論文を読み、読者層が求めているものを掴むこと

などが考えられると思います。

まとめ

最後に「素晴らしい論文」の5条件を、再度まとめます:

A. 素晴らしい論文は:新たな視点や議論のきっかけを提供する革新的な論文である(これまでに分かっていることの繰り返しではない)

B. 素晴らしい論文は:ごく限られた読者にだけでなく、該当分野やアカデミアを「超えた」読者に興味や気づきを与える論文である

C. 素晴らしい論文は:先行研究を踏まえて、該当分野の理論の中に位置づけられており、その理論をより発展する可能性を秘めている論文である

D. 素晴らしい論文は:現在進行系で変化する社会に大きな実践的・理論的貢献をすることが期待される論文である

E. 素晴らしい論文は:あるジャーナルの読者(ターゲット)にとって、「これは絶対に読まないといけない」と思わせるような、ターゲットに新たな価値を与える、「刺さる」論文である

先人たちが示してくれた、これらの言葉を胸に、死ぬまでには一度でも「素晴らしい論文」を書いてみたいなあ、と思っています。この記事内容が、少しでも読んでくださった皆様の助けになれば幸いです。
※詳細は、是非オリジナルの記事をご確認ください(各記事のリンクは本文にあります)


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