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君は一人じゃないよ/上北中・浪岡中いじめ自殺をうけて

2016年8月、私は都内のとある弱小広告代理店で働いていた。職場では、メンツやプライドに縛られた管理職たちが、中年の危機特有の声量任せの怒号を飛ばし、どこソースかも分からない人心掌握術の真似事で薄給隷属たちに服従を強いていた。転職サイトに出した求人広告には『キャリアを問わず社員一人ひとりの意見を尊重する、面倒見のいい先輩に恵まれた風通しの良い社風』と書いている。私が書いた。上司のチェックは一発OKだった。そんなことで憂さ晴らししても心は晴れない。私は、日々の閉塞感に蝕まれて、少しずつ自我が削られていくのを感じていた。

時期を同じくして、私の出身地・青森県で、あまりにも痛ましく、悲しく、絶対に許されるべきでない事件が立て続けに起きた。なぜ、まだ中学生の尊い命が奪われなければならなかったのか。やりたいことがたくさんたくさん、あったはずなのに。またその権利を奪った人間どもが今もまだ『普通に』『生活をしている』という事実がどうしても解せない。今回のエントリーを書き残すことに至った経緯だが、彼らとは出身地が同じということもあるが、それより二人にはどこか親近感が湧いてしまうからだ。

上北町は私の地元の隣町だ。今は東北町と合併したが、地名として馴染みがあるのはやはり上北町だ。幼少期は親の運転する車に乗せられて何度も通った。どこまでも森林を切り裂いた車道があり、目に入ってくるのは田んぼ、畑、トラクター、そびえ立つ小屋。いかにも農村地帯という東北の田舎の風景が広がっている。その公立の小中学校の雰囲気というのも、なんとなくどこも一緒なのだと察しがつく。子供は、ちょっともの珍しい行動をするとすぐ目をつけられる。積極的に英語の勉強をして授業で手を挙げるとか、学外の手踊りチームに参加して活動したりなど、ただ好きだからやったことでだ。『個性の尊重』はなく、『排除』しようとするのだ。加えて、今はLINEを筆頭にクローズドの状態で特定の一人を集中攻撃するのだから、被害者の子供たちの精神的ストレスは計り知れない。非常に残念だが、こういった田舎の加害者たち(教育者も含めて)の価値観のアップデートがされることはおそらく一生ないのだと思う。

青森県のいじめ自殺事件を調べれば調べるほど嫌になる。この土地の教育の体制もそれを取り囲む地域社会も狂ってて、腐ってる。飲まれたら負け、飲まれる方が悪い、そんな理不尽なハードルを10代になって間もない中学生に強いるな。

意識が高い()教育者からしてみれば『いじめの事実を認定すること』は、教員人生において避けたい事象の最高形なんだと思う。なぜならば、それが教員として最大の汚点であり、まかり間違って真面目に取り組んでしまったら自分の首が一番危ないから。次の赴任先でも『あの教員の生徒が自○したらしいよ』と評判がつきまとう。商売上がったりだよ()、熱心な()教育者さんたちからしてみれば。だから平気で『あったけど無かったこと』にする。環境的にも好条件()が揃っていて、『面倒を避けたい同じ気持ちの大人たちも理解を示している』『確認のしようがないからいくらでもでっち上げることができる』ので、こういうクソどもが輪になって結託してもみ消そうとして、上北の男の子と浪岡の女の子が犠牲になった。田舎特有の事なかれ主義の害悪さたるや、人間の所業とは思えない。ましてやそれが教育者だというのだから目も当てられない。

いじめ加害者についても、田舎特有のクソさを事件のあらましから想像するに容易い。往々にしていじめ加害者の親というのは饒舌多弁で言い逃れに長けていて、もっともらしいことを言うのが得意である。立ち位置の部分でも、PTA役員をしていたり学校教員の誰かと深い繋がりも持っていたりする。そんな親の元に育った子供なのだから、安心して調子に乗れる環境が用意されていて存分にやりたい放題できる。悪知恵も働き口も回るので我無敵也を自負している。ましてや田舎である、誰かを墜として周囲にエンタメを提供することで英雄になれるのである。ターゲットにされるのは、上北の男の子や、浪岡の女の子のような、優しくて素直な子がほとんどだ。一人だけ勉強を始めたら珍しいのだから、一人だけ踊りをやり始めたら珍しいのだから。書いてて虚しくなるぐらい田舎はクソ。

んで『なんでそういう奴らは普通に生きてるの?』ってこと。ちゃんと線香あげてんだろうな。お墓参りしてるんだろうな。被害者には勿論、ご遺族のところに行って謝ってるんだろうな。1回とか2回で終わる話じゃねぇぞ、毎分毎秒でも足りないぐらいだ。お前らがジジババになっても死ぬまで一生だぞ、結婚しても子供が産まれても孫が産まれてもやるんだよ。はぁ、ふざけるなよ。その前になんで結婚とか子供産むとか、普通の暮らしを奪った人間が普通の暮らしをするんだよ。なに堂々とやっちゃってんの。加害者たちとそこにいた教育者たち全員が漏れなく責任の取り方を間違っている

私は前回、『陽キャぼっちの生態』というエントリーを書いた。同じ青森県で生まれ育った私の半生をまとめたものである。それで役に立てるという自信がある訳ではないが、彼らに、あなたの住んでいるすぐ近くにこういう人間もいるよということを伝えたかったのだ。時間が戻せるのであれば、ブラック企業の奴隷をさっさと辞めて、彼らと仲良くなって、その加害者たちにぐうの音も言わせないほどクールな方法で黙らせてやりたかった。方法は意見を出し合って一緒に考えようと思う。

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前回のエントリーでは『田舎のぼっちは非常にイジられやすい』と書いたが、『イジり』と『いじめ』は違い、本人が『いじめられている』と認識すればいじめだし、周囲が『イジりかいじめか』を決めるものではない。ただ『イジり』はもはや『いじめ』と同意義ととってもいいぐらい都合よく使われすぎてる言葉だ。学校に行きたくないと発信しているのならすでに異常サインだし、教育者側の初動の遅さ・鈍さは目に余る。私は、底意地が悪くて卑屈だったので道化で自分を守る道を選んだが、優しくて素直な子ほど真正面から攻撃を受けて、負けてしまう。親御さんは学校での様子が分からないから担任や学校関係者に様子を聞く、つまり間に入った者の主観でしか情報が伝達されない。ましてや、親御さんからしてみれば、先生なのだから子供のことを考えてもらえているとも思ってしまう。全く役に立たない無能な教員どもには、教員免許を返上してもらいたい。

自治体のいじめ防止条例もクソの役にも立たない。交通事故が起きてから信号機を設置するのとは違うんだよ。教育機関は目先の『やったフリ』をしているだけで再発防止にはならない。青森県以外でもたくさんのいじめ起因の自殺が起きていて、どのケースも例外なく、教育機関の対応もクソだった。

また、周りの人間も、全く違和感を感じてないはずがないのに、なぜ何もしなかったのかということ。同じクラスの、傍観している生徒及びその保護者らのことを指す。『他の子まで気が回らない』という言い訳がたつのは分かるが、言い換えると『自分の子供を取り巻く環境までには興味持てない』と言っているようなもんだ。『自分の子供がいるクラスから自殺者が出た』なんて、こんなに親として不名誉なことはないはずなのに。

東北町の役場HPを見ると、教育相談員なるものを募集している。実態が分からないのできちんとワークしているのか不明だが、信号機じゃないんだよ。小さな子供の命だよ、そんな実験的なスタイルでいいのか。頼むからもっと根本的なところから取り組もうとしてくれ。

私が考えるいじめ根絶対策について。

学校側については、教職員の採用枠をもっと限定するべき。試験を厳しくするだけではなく(狡猾な試験対策野郎と金儲け主義便乗会社が出るだけなので)、試験の項目にいじめを自身はどのように起こさせない対応をするかの論文提出を追加、評価者の人選は尾木ママと尾木ママの認めた教育従事者など、多角的な見方ができて現場でいじめが起きない環境づくりをしてきた人で構成。地方あるあるのズブズブコネ人事の廃止。特に田舎は『先生』というだけで無能なくせに周囲から崇められていい気になってるクソが多いから。いじめ及びいじめ自殺が起きた当事者の教員は全員免許剥奪。シンプルに、せめて最低限クビにしてくれということと、『いじめって、本来起き得ないし無くていいものでしょ』って話。定期的な第三者訪問の義務化。『学校内で対処できますから』という学校ほど問題が表沙汰にならないのだから、いじめ対策に取り組んでいるNPO法人の定期訪問を各校の義務とする。実態調査と保護者への共有。教員側へ先に共有するとそちらが主導になってしまうので、あくまで保護者側へ共有するもの。子供におけるいじめは、大人でいうところの『パワハラ』とそっくりそのままだと思う。パワハラ対策が各企業に講じられているのなら、学校にいじめ根絶機関を設けたって何もおかしくない。

法的な観点で、いじめ刑罰の明文化。これだけ自殺者を出しているのだから、いじめ防止対策推進法だけでは取りこぼしをもう防げてない、というか機能してない。悪意を持って被害者を追い込んで人を殺したのだから、いじめ加害者は犯罪者でありそれが処罰されないのはもうおかしい。単体の傷害罪や暴行罪だけで取り締まるのはもう厳しい。

保護者側については、もっと我が子を取り巻く環境へ関心を持て、事実から目を逸らすなといえど家庭により差が生まれるので、こちらも第三者機関による定期ヒアリングを設置。戸別訪問でもいいし、どこかの会議室を借りてなど、保護者全員と専門機関が接点を持つ場を設ける。学校を通してでしか我が子の置かれた環境を知ることができない保護者が、他者の勝手な解釈が入らない実態を知る機会になればいいと思う。ただ、そうやってもいじめ加害者側の保護者の対応は自分にとって都合のいい解釈をするだろうから、せめていじめ被害者側の保護者に正しい情報が行き渡るようになってもらいたいと思う。クソ教員の給料が減って、子供を安全に学校に通わせることにコストが割かれるのなら、こちらも地方税の払い甲斐がある。前述のことを全てやってくれたら文科省さんを見直すかもしれないが、私がこの先80歳まで生きるとしてあと44年、多分起きない。

私は、現在子供はいないが、近い将来、自分の子を授かりたいと思っている。我が子がもし自分の与り知らないところで尋常でない強度のストレスを感じているとしたら、ぞっとする。被害者の親御さんの無念を思うと、胸が締め付けられる。そんな環境ではないのなら喜んで自分の子供も日本の公立校に通わせたいと思うが、今のところその気はない。田舎の人間の価値観のアップデートなど期待できないのだから、日本で子育て中の親御さん、今すぐお子様を連れて日本を脱出すべきです。ヒッキーも『東京は子育てしにくそう』と言ってる。東京だけじゃないよ、これまで散々述べた通り、地方だってクソだよ。

結論、日本全部クソ。『そんなの、自分次第じゃないか』って思う人は、You are so so so happy, kiss my ass って感じ。

※TOP画像…東北町に隣接する小川原湖(写真は三沢市側から撮影)

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