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陽キャぼっちの生態(5715字)

どうも豚女です。

巷では『陰』キャぼっちが俄に脚光を浴びているのかどうか分からないが、1984年生まれの36歳の独身デブス女が、胸を張って言えることの一つが『私は陽キャぼっちである』ということ。『だから何?』と思った方、ともすればライフハックにさえなり得るのがこの『陽キャぼっち』なのである多くても3000文字ぐらいにまとめようとしたが無理ゲーだったので、便所で踏ん張るときのお供に読んでいただけたら幸いである。

早速だが、『陽キャぼっち/陰キャぼっち』についてはオフィシャルな定義が無いので、それぞれの特徴をざっくりとだが下記の画像に、私なりにまとめる。

note_記事用内画像_陰陽ぼっち

ここで勘違いしてほしくないのだが、どちらが優れているとかの問題ではなくて、どっちも良くて、どっちもクソ(状態として)であること。個人的にはどこにでもある『カテゴライズ』というムーブ自体がそもそも不毛だと思うし本来的にはどうでもいいのだが(血液型トークも勘弁)、今回この記事を書いた最大の理由は『陰キャぼっちより陽キャぼっちマジリコメンド』だから。そんな私のぼっちヒストリーを下記に綴る。

▼ぼっちヒストリー(小学生時代)

入学してすぐに担任に目をつけられ授業や給食など全ての時間で担任主導で全員からハブられる(理由は未だに分からない)/体育の授業で2人1組の相手がいない/給食時間に机をくっつけて食べる人がいない(教師も見て見ぬフリ)。たまに、ぼっちだとまずいのかなと思い声をかけるが拒否される(既にぼっちキャラが定着しているので当然かなと思う)/小2の頃、昼休みに強制で体育館で遊ばされ嫌々ながら体育館へ行くが遊ぶ相手がいないので入り口脇の壁にもたれて座っていたら頭の直上にあった消化器にバレーボールがヒットし私の頭にドンと落ちる。まさに脳天直撃。頭頂部が流血&半月型の跡がつく。後で分かったことだが誰かが故意に狙ったようだ。田舎のぼっちは非常にイジられやすい。痛かったのもあるが、この時は孤独で惨めでアホらしくて泣いた。まだこの時は『友達ほしい』と思っていたが担任に言わせると『消化器の下にいた私が悪い』ということだった/放課後遊ぶ友達がおらず1年上の生徒たちとつるむようになる。それはその様子を見かねた母親が『●●(私)と遊んであげてもらえないかな』と校庭でその生徒たちにお願いしたからである。その1年上の生徒たちもいつしか『お前同級生と遊ばないで変な奴』と言うようになり確かにそうだと思えて遊ぶのをやめる/小6の頃、学級新聞の係で同級生の女の子と2人でやることになるが、2ヶ月目にその子から『辞めたいから先生に言う。一人でやって』と言われる/部活の練習中に『すごいよ!マサルさん』のダバダバをやってみるとみんなとても笑ってくれるということを知りたまにやるようになる。それでも変わらず特定の誰かと連れ立つことはない/小学校卒業前後ぐらいから友達及びそれに纏わる行事がどうでもよくなっていった。

▼ぼっちヒストリー(中学生時代)

体育の授業でry/給食時間にry/高校は地元の進学校に入りたいという思いもあり、中学に入ると友達ほしい概念が完全に消え去る。陸上部だが走りたくないので砲丸投げをやる。学校で一人だけの女子砲丸投げという時点で色んな人から好奇の目で見られていると分かる/土日の部活ではリアル便所飯で(設立2年目の新しい校舎で幸い座れるほど綺麗な床)同じ部活の1年下の女子たちに(まだいる?ヒソヒソ)と気持ち悪がられる。多目的室やロビーなどはすぐ取られて一緒にいる相手もいないのでそれしか選択肢がない/イジってくる2年上の生徒の一人が喫煙しているところを目撃し学校集会で何か言いたいことがある人コーナーで全校生徒の前でドヤ顔で名指しでチクったらめちゃめちゃシーンとなってリベンジのつもりが返討にあうような感じでそこからぼっち加速/別の2年上の先輩のイジり『あー明日全校集会で中体連の挨拶しなきゃなんねえけど●●(私)もやるんだからな(笑)』が冗談だったのにアホな私は真に受けて誰もが予期してない登壇をし原稿も用意してないので意味不明なことを言い全校生徒と教員全員を唖然とさせトップスピードでぼっち加速/社会の教員に強引に生徒会に入ってほしいと言われるが全力で断るも『強情やな(青森なのになぜか関西弁を使おうとする変な教員)』と捨て台詞を吐かれムカついて無理矢理やらされた給食時間の選挙放送で『私は断ったのに無理矢理やらされていますだから絶対に私には投票しないでください』と発言し校舎を最高潮に震え上がらせトップ・オブ・ザ・ぼっちに格上げ&カンスト/いつもカラ回っててとにかく誰とも関わらない方が身のためだと悟り、中学校時代は早く終わりたかった。

▼ぼっちヒストリー(高校生時代)

紆余曲折あったが無事に地元の進学校に合格。しかし周りを見渡すとおしゃれで頭が良いというミラクルイケてる同級生&校風で登校初日にしてスクールカースト最下位を確信/高校は実家から片道2時間ほど、親は共働きのため私は下宿暮らしだったのだが、15年間コンビニも本屋もスーパーも無いクソど田舎の村で過ごしていたため『地方の都会』に毎日心がときめいて、放課後は漫画の立ち読み、中古CDをディグり、当時出来たばかりのヴィレッジヴァンガードに常駐、食べたかったものをたらふく食べて一人で楽しく過ごして下宿の門限までに帰って寝る。親からもらった参考書代はそれらの遊び代に消えていく。一人で楽しく過ごすことにどんどん洗練さを増していきプロフェッショナルを自覚するようになる/日韓W杯や韓流ブームも始まる前から学研の中学コース(今は廃刊)の韓流アイドル特集を見てすっかり夢中になっていた私は、修学旅行先の京都で一人タワレコに行き当時(2001~2002年頃)SMエンタテイメントで大人気だった『H.O.T』のCDを1万円弱ぐらい買う。京都のどこかの土産屋に貼ってあった、売り物じゃないBeastie boysのポスターも買い取る。こうして土産代は私のほしい物に全部消える。韓国アイドルや洋HIPHOPのCDを貸す程度に話すクラスメイトはいたが返却時の感想は『あまりハマらなかった』/体育祭でどうせやることないだろうと思って休むと担任に言ったらキレられ、そんなこと宣言するもんじゃない(ほんまそれ)絶対に来い来なかったら家まで行くと言われ渋々行く。今思うと担任も『それ事前に言っちゃだめでしょ立場的に引き止めるしかないし』という心境だったんだと思う。私はぼっちかつアホである/ぼっちというだけでなく全く勉強せず成績不振により3年の4月に下宿追放(なぜか下宿先のババアに成績が筒抜け)/もちろん卒業アルバムの寄せ書きはまっしろ

▼ぼっちヒストリー(大学生時代)

大都会TOKYOの4年制某私立大学(MARCHのどれか)に入学が決まる(先述の高校2・3年の時の担任の母校でもありそれだけは頑張った)。初めて住むTOKYOはまさに『痛快ウキウキ通り』で『夜のしっちーじ』で、『プレイボーイ・プレイガール』たちと『ノンストップ・トゥ・トーキョー』する日々を想像していた。眼前に広がるリアル渋谷はあまりにもキラキラしていて、完膚なきまでに圧倒され毎日心が踊っている。そんな中サークルに入ろうと思い(何サーかは忘れた)オリエンで隣だった人と見学に行くも、その人はサークル部員とよく喋っているのに自分だけ全く話しかけられずあえて無視されているのに気付く。おそらく私が田舎者でそれもかなりやべぇ方の、ということが瞬時に分かったのだろう(デブ・身につけているものが全てダサい・化粧してない・訛ってる等々)もうオーバーキルです明らかに地雷です/サークルショックもあったが、遊びたくて(主に本、CD、竹下ファッションを買うために)バイトに明け暮れて1年はほとんど学校に行かずに終わる。1年は単位を落としまくっても進級できるが2年は一定の単位に満たなければ留年になるので2年で必死に勉強する。クラスにまめまめしく出るようになり同じクラスを取っている人と話すようになるが連絡先は交換せずいつのまにか会わなくなる/3年になりやたらアグレッシブな同級生とつるむようになり彼女の実家(東雲の豪邸)に遊びに行くようにもなるが、卒業後、Facebookでその子の結婚式の招待をスルーし続けていたら連絡が来なくなった。大学時代の同窓生で今も連絡取る人(ドラムロール)なし。

▼ぼっちヒストリーからの考察

ここまで私のぼっちヒストリーをざっくり記述してきたが、なぜ私は『陽キャの』ぼっちであり、それを勧めるのかという本題に触れる。私の小~大学時代全てにおいて共通しているのは、『話しかけられれば億劫がらず話すし(コミュ障ではなくむしろ喋りたがり)、なんなら話を広げて相手を笑わせようと目論む。しかし特定の誰かとつるむ気があまり無い』ということ。その理由は『最大限、話しかけてくれた人に感謝の気持ちを込めて、話しかけてよかったと思ってもらいたいし、もし笑ってもらえたら自分も嬉しいから』である。薄々気付いている方もいらっしゃると思うが、道化である。同時に心の底では『私と話したってこの人にメリット無いだろう』とも思っている。孤独が生んだ卑屈だともいえるが、本当に何でも語り合えるような人を探すことに時間と労力を割くぐらいなら、好きな本を読んだり好きな音楽を聴く方がよほど自分の人生が豊かにさせてくれると思う。だから『可哀相』『惨め』とは違うのである、全国のリア充の皆様よ。

通信簿にも元気で明るいという文言が書かれていてそれしか取り柄無いのかよとも思ったほどである。ただ個人行動が多いということも書かれていた記憶である。社会との関わりを6歳ぐらいで『お前はこう。』と突きつけられ面倒くさくなったというのもあるが、だからと言ってそこで心が暗くなることはなかった。『諦めてる』ともいえる。こうつらつら書いていくとキモいなと思う。そう、陽キャぼっちは(私は)キモいのである。ただ、田舎においては間違った方向に拍車がかかって所謂『イジり』が発生することが多いが、それはなんとか根性で乗り切ったと今では思える36歳。陰キャぼっちでも『話しかけられれば話す』という人は多いと思うが、それは彼らにとって多くは予期せぬ面倒事と認識されがちで、道化に徹しようとまではしていないと思う。もし笑わせてやろうと思うなら、それはもう『陽キャぼっち』だ、陰キャぼっちではない。

また下記については、陰キャぼっち=かまちょではないかという私のごく個人的な考察を述べる。全ての陰キャぼっちがそうだとは思わないので誤解なきよう。

私はこれまでの職業柄、色々な立場の人と話してきた方だと思う。その中のひとりで、陰キャぼっちを自負している人間がいた。私自身は、友達はできるに越したことはないけど誰でも彼でも作ろうとはしないのに対して、その人は『友達がいない』ことが『キャラ』でそこに執着し根に持っていて、『それが僕だから分かってくれ』と云わんばかりにダマで相手に想像力と寛容さを強要し、『本当はめちゃめちゃ友達ほしいんです』と示唆しているように感じた。そして彼は、いざご飯や飲みに誘われると『コミュ障だから』『何を喋っていいか分からない』等の言い訳をして断る。チャンスが来ても棒に振り、また相手のアクションを待っている。何がしたいのかな、からかっているのかなとさえ思える。そんな、相手へのリスペクトが見えないようでは友達はできない。別に友達ほしくないなら、相手にも失礼だから欲しそうな行動は慎むべき。こういった一連のムーブを見て、陰キャぼっちはただのかまちょだなと思う。

陰キャぼっちの全員がそうではないことは百も承知だが、少なからず、私が社会人経験をした中での『自称:陰キャぼっち』は大体こんな感じだった。『どうしたら●●(私)さんのような生き方ができるんですか、どういった半生だったんですか』『友達がたくさん(?)いて羨ましい』と、嬉々として私の小話を望む者もいた。こちらは相手が満たされるまで説明するが、そういう人間は聞くだけ聞いて何もしない。人それぞれなのだから、私の生き様を羨んでも仕方ないのに。まだ自分模索中?いや、自分がないんだと思う。私がこんな風に真剣にレスをしても彼らには何も響かない。だから私はNetflixで『Queer Eye』見てる方が有意義だなと思ってしまう。

▼今回のサマリー

陽キャぼっちと陰キャぼっちの生態は全くと言っていいほど異なり、言い換えれば前者は『道化』、後者は『コミュ障のかまちょ』だ。またこれらの論拠のケースは私と、私が社会人になって知り合った人間の数種類しかいないので必ずこの通りではないが、『一人が好き(字句通り)』と『一人が好き(本当はかまってほしい)』は全然違うし、忘れてはならないのが、冒頭でも記述したどっちも良くて、どっちもクソということだ。ただ個人的には、どうせぼっちで生きるなら陽キャであれと勧める。社会と自ら完全に切り離す訳ではなく、つかず離れず、自分のやりたいことをやって過ごす。そこで得た経験や知識は無駄にならない。人ともたまには喋る、それも120%の力で。そんな感じである。

『友達100人できるかな』なんて高望みの歌もあるが実際生きていく上ではそんな大人数は必要ない。一人でいる方がゆっくり思考できるので如何に自分が愚か者なのか気付くこともできるし、そこからどうするか次第で自分の成長に繋げられると思う。もっと大人になれば、そんな自分を理解してくれ、またその人も支えたいと思えるような『友達』が数名できるので、子供時代の『ぼっち』は、陽キャでも陰キャでも別に恥ずかしくない。恥ずかしいのは、『ぼっちはダサい』とイジる方だと教えたい。

ね、ライフハックっしょ?

では。駄文にお付き合いいただきありがとうございます。


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