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消えゆく日本の棚田のけしきたち

先日、四国ツーリズム様にわたしが撮った写真を使っていただいて。涙が出るほど嬉しかったその出来事は、私の写真に対する向き合い方でさえも変えてしまった。


日本には農業という文化があるけれど、欧米化の影響を受けて今では『米』を食べない日本人が増えていることを皆さんは知っているだろうか?


昭和の時代には主食が『パン』という家庭は、あまりなかったと思うが今の時代、パスタやパンなどを好む人が増え、お米を食べない人たちが増えてきている。


それに伴って、農家の人たちは米を作ることをやめる人が増え廃業したり、田んぼを放置してボーボーの雑草畑になってしまっている。


とある棚田を、先日観に行ったのだけど。

石畳の素晴らしい景観だったが少子高齢化社会の煽りを受けて放置されている棚田が多いことにショックを受けた。


カメラマンは有名な棚田に行っては、素敵な一枚が撮れたと意気揚々に満足気に自慢してくるが、


わたしは、この現状に酷く胸が痛んだ。


わたしの地元という事もあってか、余計に感情移入してしまったが、


若者がいなくなって、お年寄りばかりの集落で生活している人たちがいなくなったら、きっとこの棚田は消滅してしまう。


ブランド米をビジネスとして作っている棚田もあるが、それ以外の棚田たちは少なからず消滅の一途を辿ったている。


米の単価は安くて儲けにならない。


米農家をやめる理由として、儲けにならないという現実があるようだ。


わたしも病気になるまでは、あまり米は食べていなかった。


買い食いや外食をしていた事も多くて、実家の父がつくってくれたお米が全く消費されず半年で3キロをやっと食べるくらいだった。


だけどカラダを壊した今、食事のたいせつさを改めて知って。

お米のおいしさを再確認して。

こうやって、ご飯が食べられることに感謝している。


だけど、

もし父が亡くなったら。


我が家は後継者がいなくなって。


米を作ることも、野菜をつくることもやめてしまう。



ちょっと悲しい現実をみて、わたしも歳がいったせいかなんとも複雑な気持ちでいる。


わたしも、農業とは全く違う仕事をしているし。


今のところ農家に転身する予定はないけれど。


当たり前のように食べることができている今、

それは当たり前じゃないんだ。


当たり前のことが当たり前じゃなくなる日が、

いつか来ると思うと虚しく寂しいが、

感謝の気持ちを忘れずに。


たいせつに、お米を食べたいとそう思った。


そして、そんな現実があるということを私が撮った写真と文章で色々な人たちに知ってもらえたら幸いです。


日の目に出ない日本の風景や景色だけでなく、今かかえている現状も伝えられる人になりたい。


この棚田の写真を通して、うまく撮るだけではなくして観てくれている相手にも伝わる写真が撮りたいと改めて、そう思いました。


カメラをはじめて2年目。


今年も色々なことから沢山、吸収して精進いたします。


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突発性難聴の後遺症と向き合いながら社会生活をしています。聴力障害あり。趣味のカメラと、わたしの生きたしるしを残しています♪