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みんなで、新しい時代へ。フリーランス教師 木野 雄介さん 前編

縄文時代から、弥生時代へ。奈良時代から、平安時代へ。
新しい時代へ、世の中が変わる時には、ドラマがある。
歴史は繰り返す。だから、歴史から学びなさい。

聞いたことがある言葉だと、思います。
私は、学生時代、歴史の勉強が好きではありませんでした。

今回のインタビューをきっかけに、改めて日本史を勉強すると、人間ドラマの宝庫でした。楽しめたのはきっと、「暗記しよう」と思わなかったからかもしれません。

学校教育において「自分の頭で考えて、世界を創造できる人間を育てたい」というビジョンを持った一人の教師に、お話をお聞きしました。

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今回、お話をお聞きした木野雄介さん。

大学卒業後、スキーのインストラクターとして就職。その後、海外に学習塾を展開している日本法人に転職。シンガポール、マレーシアで塾講師として勤務。帰国後、私立の中高一貫校の教員を10年務める。昨年3月に退職。現在は、非常勤講師として教鞭をとりながら、民間会社の教育関係事業に携わるフリーランスの複業教師。

毎回、次の仕事が決まっていない。

──木野さんは、大学卒業後、スキーのインストラクターになったとのこと。異色の経歴ですよね。

 そうかもしれないですね。中学、高校とスキー部でした。好きなスキーで食べていけるなんて、最高じゃないかと思いました。ですが、特別な実績がない僕が、続けていくのは難しい職業だと思いました。周りの友人が結婚したり、マンション買ったりしている25,6歳の時、「このままじゃ、いかん」と思って、スキーを辞めました。そして、横浜の実家に帰って、安定した職業に就職しようと決めました。

 僕は退職してからじゃないと、次の仕事が探せないという習性があって…。在職中に職探しをしても、どこか本気になれないんですよね。これは僕の良いところでもあり、悪いところでもありますね。笑。スキーを辞めた後、海外に学習塾を展開している日本法人を見つけ、シンガポールとマレーシアで塾の講師として働きました。ですが、リーマンショックで経営が厳しくなり、途中から給与が未払いになったのです。最終的には辞めた後、全部もらったのですが…。このまま続けていくのは難しいなと感じました。日本で学校の先生になりたいという想いもあり、退職し、2009年の3月頃帰国しました。

──また、次の仕事、決まってないですね。

 そうなんです。笑。親には、「1年後に仕事がなければ、とりあえずお金になる仕事をして、家に必ず5万円入れます。なので、この1年だけ住まわせてください」と頼み込みました。そして、勉強をして学校の教員採用試験を中心に受験し始めた。まず、公立の学校の受験に挑みました。関東だけではなく、遠方のエリアの受験もしました。それが不合格だと分かったのが、10月下旬くらいでした。一次試験は通ったけど、二次試験がダメだったのです。

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日本史できる先生、緊急募集。

 公立がだめだったんで、私立の募集を探しました。そこで「日本史できる先生、緊急募集」と赤字で書かれた求人を、たまたま見つけたのです。僕の専攻は日本史だから、こりゃあいいやと履歴書を送ったら、「明後日、面接に来てください。模擬授業もできますか?」と連絡があって。面接に行ったら、その次の日に「じゃあ来週の月曜日から来てください」とトントン拍子に決まりました。裏事情は当時、知らなかったのですが…。後に聞いたら2学期の途中に日本史の先生が突然、学校のやり方に納得いかなくて辞めちゃったと。そこから10年、その学校で教師として働きました。

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私立の学校は、受験者数でしか利益をあげられない。

──なぜ、昨年、10年勤めた学校を辞めたのですか?

 その学校は、体験型学習という取り組みを通して、自発的に生徒に学んでもらうという理念がありました。大学受験命ではなかったのです。僕もその理念に賛同していた。だけど急に、東大合格者をもっと出そうと言い出した。2、30年前ならわかるのですが…。え?なぜ今の時代に?と正直思った。笑。でも、この方針にも一理あるのです。中学受験を子供にさせる保護者たちは、難関大学の学歴があれば将来苦労しないと思ってる人が多い。自分がそうだったり、自分の周りにそういう人が多かったりするからです。そのため、難関大学の合格者が多い学校は良い学校と判断し、子供を入学させたいと思うんです。その象徴が東大合格者数です。いくら子供が楽しめる体験型プログラムをやっていても、大学合格実績が悪い学校には受験生が集まらないんです。

──なるほど。それに加え、少子化で子供の数が減っていることもあるのでしょうか。

 それもあると思います。だけど、私立の中高一貫校は中学受験業界で、打ち勝たないと学校の経営が成り立たない。学校は、敷地面積や施設の大きさなどで収容定員が決まっています。例えば、僕がいた学校は1500人。学費は月6万程度。一般企業のように、何かを頑張れば売上、利益が上がるということがない。そこで、私立の学校は何で頑張るかというと、受験者数を増やす。入学する人数は200人くらいなんだけど、1000人、3000人と受験させる。受験料は、1人2万円〜2万5千円位。つまり受験者数で、その1年の財政がほぼ決まるのです。

それぞれ一人一人がイキイキと、社会を生きていくために。

 僕、学校の偉い人に言ったんです。東大合格者を増やす方針は、止めたほうがいいですよと。東大以外にも、生徒に合った大学はあるのに、なんで東大を目指すことを方針にしちゃうんですか、って。
 それよりも、一人一人がイキイキと社会を生きていくために、うちの学校には体験的なことが、まだまだ足りないと。社会と交わる、異年齢と交わる、地域と交わる。そこで、「社会課題への関心」や「学問への好奇心」を感じる。そして、「じゃあ、大学に入ってこんな研究がしてみたい」「こんな学びを極めてみたい」と気づいていく。「自己実現への想い」を生徒に認知させる機会をつくる学校にした方が、学校にとっても良いですよ、と。

 ですが、学校の偉い人からは「この方針を変えるつもりはありません」という回答をもらいました。そこで「残りの人生を、この学校に費やすことはできないです」とお伝えし、学校を辞めることにしました。

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後編は、東大近辺をお散歩しながらのインタビューとなりました。

後編へ続く。


取材・文 :大島 有貴
写真:唐 瑞鸿 (MSPG Studio)

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