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六段の調べ 序 三段 五、秋空に

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 こめかみにわずかな傷を負っただけだというのに、信は頭の周りを包帯で何重にも巻かれていた。シャシャテンを救い出して薄雪山の屋敷に戻った後、四辻姫が信を心配して女官に手当てをさせたのだ。
「でも、やりすぎじゃないですかねぇ。なんか重傷患者みたい」
 きつく巻かれて頭が痛いと零し、信は傷のあった部分を撫でる。シャシャテンを別室で寝かせた四辻姫は、夜になっても清隆たちを自身の部屋に留めていた。もう遅いからこの屋敷に泊まるよう勧められ、清隆はすぐに返事が出来なかった。一日で帰れると思っていたので、家族には何も伝えていない。
「何、どうせむつは明日まで動けぬであろうよ。あのままで清隆殿のもとには帰せぬじゃろう?」
 四辻姫の言葉には、頷かざるを得なかった。シャシャテンの傷はだいぶ治ってきたが、まだ安静が必要だ。彼女のためにも、清隆は四辻姫の誘いを受け入れた。信も同調し、頭の包帯を家族に何か聞かれても答えづらいと笑う。
「生田殿のことは置いておくとして……他に大事はなかったか?」
「……大友に、会いました」
 元女王に問われ、すぐに思い出したことを清隆は伝える。それに信だけでなく、四辻姫も驚きを示した。特に四辻姫は顔を引きつらせ、神妙な様子で話を促してくる。敵ともいえる人物に自分が見つかったことを、不安に思っているのだろうか。
「奴から直に手出しはされなかったか?」
「いえ、大友とは話しただけです。ただ、その内容がよく分からなくて――」
 不死鳥が来る前に大友の語っていた話をすると、四辻姫は小花の飾りが全面に散りばめられた赤い脇息に左肘を突き、少し考えてから尋ねてきた。
「そなた達、むつから『建国回帰けんこくかいき』は聞いておるか?」
 今まで耳に覚えのない単語に、清隆も信も首を傾げる。四辻姫が説明するに、「建国回帰」とは文字通り国が生まれた時代――人々が不老不死であったころ、日本と瑞香が関わっていたころの姿に戻そうとする考えだという。当時の人々の中には、受け継いだ不死鳥の血が濃かったが故に不老不死の者もいた。また今のような日本と瑞香の国交断絶もなかった。そのころを大友は「建国」と称し、昔と似た状態に瑞香を戻そうとしている。
 国が在りし日の姿に戻ることこそ救いだと、大友は言っていた。そこに何を求めているのか、清隆の考えは及ばない。
 部屋に女官が入り、夕食が出来たと告げる。膳が運ばれるのを待ちながら、清隆は真意の読めない大友について考え続けていた。
 
 
 翌朝になると、シャシャテンの傷はどこも消えて、見た目は問題がなさそうだった。しかし万が一を考え、清隆は起き上がろうとする彼女を止める。
「寝ている場合ではないわ! 『芽生書』、あれはどうした!」
「すまない、町で拾い損ねた。まだ宮部が持っているだろう」
「はぁ!? 何をしておるのじゃ、清隆! これは今行くしかなかろう!」
「シャシャテン、落ち着いて!」
 初めは布団のそばで見ているだけだった信も加わって、シャシャテンを冷静にさせようとする。そんな中、女官が青簾を上げて清隆たちを呼んだ。すぐに四辻姫のもとへ来てほしいとの頼みに、シャシャテンが布団から飛び出す。着替えもせず廊下を走る彼女を追い掛けて清隆たちが四辻姫の部屋に入ると、早速一枚の手紙を見せられた。相変わらず崩し字のそれは読めなかったが、元女王に説明を受けて清隆は顔を強張らせる。
 手紙の差出人は宮部であり、都の南にある青柳湖あおやぎこで待っているからすぐに来てほしいとのことだった。そして今日中に来なければ、彼の持っている『芽生書』を燃やすと。シャシャテンがすかさず身を乗り出し、伯母に迫る。
「『芽生書』が焼け失せれば、伯母上が困りかねぬ! 私にも行かせてくだされ!」
「シャシャテン、お前はまだ寝ていろ」
 傷が体内に影響を与えているかもしれない。清隆は制したが、それを四辻姫が遮った。
「私にも策がある。むつの思いもある故、行かせてやれ。わざわざ日本を訪ねてまで、私の役に立とうとしてくれたのじゃ」
 笑みを浮かべる四辻姫に、清隆は口を噤む。引き留めようとすればシャシャテンだけでなく、彼女も不満になる気がした。本当に姪を大事に思っているのであれば、四辻姫は止めるべきなのかもしれないが。
 清隆と信も行くか聞かれ、共にシャシャテンを心配してすぐさま肯定する。それに喜んだ四辻姫が、清隆たちを呼び寄せて小声で策を伝えた。昨日は途中まで上手くいったが、今日はどうなるか、一抹の不安が生じる。ふと清隆は、信の包帯に目が付いた。傷はどうか聞くと、信が包帯を外して左こめかみを見せた。ずっと薄くなっている切り傷に安堵する一方、そこまで早く治るのか疑問がよぎる。口に出そうか迷ったが、朝食の刻を伝える女官の声に阻まれ、呑み込むしかなかった。
 
 
 不死鳥の背に乗り、清隆たちは宮部の待つ青柳湖へ急いだ。眼下に広がる御所の敷地内で、一部の損傷が激しい建物が目を引く。昨日不死鳥が突っ込んだ「花籠」だ。その上を過ぎ、碁盤の目をした都からも離れて家々の少ない地に移る。草原の広がり始めた辺りに、青緑色の透き通った美しい湖が見える。それを囲むように柳の木が生え、風に葉が揺れている。そして畔の一点に、こちらを見上げる人影があった。
 不死鳥が湖の上を滑るように飛ぶ。水面に出来た白い波が、音を立てて騒ぐ。冷たい風を受けながら、清隆は近付く男の顔を見据えた。まず信の乗っている不死鳥が、狙う者のずっと後ろで着地する。清隆たちは、男のすぐそばで下り立った。二人をそれぞれ乗せていた鳥は、脅しを掛けた相手を取り囲む。『芽生書』はどこにあるのか、燃やしたら容赦はしないと威圧気味に迫る彼らに、屋敷へ向かうようシャシャテンは言う。
「ここは私たちが片付ける。戻る時は呼び出す故、その者から離れよ」
 シャシャテンの命に従って不死鳥が飛び去り、それまで巨体に隠れていた男の姿が現れた。
「湖への身投げでも考えたか? 宮部玄よ」
 シャシャテンが笑う中、男は答えず軽く俯く。手には何も持っておらず、髪から裾に至るまで水を被ったのか重く濡れ、雫を滴らせていた。シャシャテンが『芽生書』の行方を問うと、彼は黙って懐から巻物を取り出した。
「しかと持ってきておるようじゃな。それを渡せ」
「出来ません。これは陛下に献上いたします。わたしはあの方に、途方もない恩義があるので」
 大友は歴代の女王が重視してこなかった卑賤の者たちに目を向け、実際に宮部の友である拷問吏の伊勢を女官へ押し上げた。友を救ってくれただけでなく、宮部自身も楽師の道を勧められ、大友が即位してからはお抱えとして活躍できた。内裏を離れる際、大友は箏の流派拡大を許してくれた。奏楽の面で多大な影響を与えてくれた師匠の教えを伝えられることは、彼にとって大きな喜びだった。
「その恩義とやらのために、奴へ神器を渡して正しき王と認めさせようとするのじゃな? それはさせぬ」
 シャシャテンがきっぱり言った後に合図をし、宮部が振り返っても気付けなさそうなほど後方にいた信がゆっくりとこちらへ歩きだした。四辻姫の策通りになるよう祈りながら、彼が宮部の後ろに追い付くまでの時間稼ぎに清隆は尋ねる。
「昨日俺たちが箏を習いに行った時、分かりやすい場所に巻物を置いたのはシャシャテン――六段姫を捕らえるための罠か」
 わざとらしい位置が、どうしても清隆には引っ掛かっていた。宮部が察しの良さを褒め、箏も上手かったと持ち上げてくる。
「六段姫様が生きていれば、あの方を脅かしかねません。どうやら姫様は、ずっと時を窺っておられたと聞いています」
「……やはりあの男は、ろくでもない奴じゃ」
 目を見開く宮部に、シャシャテンは憤りを込めて大友への罵倒を吐き捨てる。彼は信頼できる部下に話し合わせた上で政治を行っているが、呼んでいるのは限られた親しい公家だけだ。それでは友人の寄せ集めだと、シャシャテンは非難する。おまけに王は慎重に過ぎ、あらゆる決定が遅くなっている。二年前の地震と津波も、世間では彼の治世が悪いからだと言われている。それでも大友は、海辺より都の復興を優先したではないかとも。
「どこまでも己と身内を思う男よ。そんな奴に恩義があるなど、そなたの目は曇っておらぬか?」
「シャシャテン、それは――」
 さすがにあんまりな言い方ではないか。清隆は疑問を抑えられない。大友を敵視しているシャシャテンとは違い、宮部は彼に仕えた上に慕ってきた人間だ。大友への見方が違っているのも無理はない。それをシャシャテンにさりげなく伝えるが、即座に突き返された。
「あやつは妄信が過ぎるのじゃ。箏の腕は確かに素晴らしかったが、どうも心は私と合わぬようじゃな。惜しいのぅ……」
 シャシャテンは感情的になっている。大友が本当はどんな人物なのか冷静に考えていきたいと思いながら、清隆は遠くの信に目をやる。だいぶ顔が見えるようになってきた彼は、宮部の真後ろに辿り着いた時の動きを練習するかのように腕を動かしている。いくらか間抜けにも見えるそれに頼りなさを覚えつつ、清隆は再び質問をする。
「『芽生書』を燃やすと文に書いたようだが、なぜそうした」
「あなたがたを呼び寄せるため、そして――六段姫様を思い沈めんとするためでございます」
 シャシャテンが怪訝な顔で宮部を睨んだ。彼の向こうで、信が再び走っている。宮部のいる所まで、残りはそう遠くもない。
「これも命を受けてのことなれど、詳しくは言えません。それより、昨日の手習いにも訪ねてこられた連れの方はいかがしました? 置いていったわけではありますまい」
 宮部の背後に向かう信は、次第に距離を詰めていく。このまま順調にいけば、隙を突いて『芽生書』を取り返せる。
「わたしはもう心を決めてあります。ここまでと悟ったら――」
 信の腕が伸ばせば届きそうなころになって、宮部が振り返った。呆然と足を止める信へ、彼がゆっくりと歩いていく。まだ機会があるかもしれないとシャシャテンに囁かれ、二人で宮部の後ろを囲むように間合いを詰める。信のすぐそばで宮部が立ち止まる。巻物を持つ男を信と挟むようにしてシャシャテンの横に並ぶ中、清隆は鼻を刺す油らしき臭いが漂っていると気が付いた。清隆たちを見返った宮部が、息をついて懐から黒い石を出す。
「命が長ければ、恥は多い――不老であれば別なれど。せめて散るなら、あの麗しき鳥を見習いましょう」
 宮部は巻物を広げて題箋の方を地面へ垂らし、それをわずかにちぎってから石をぶつけ合わせた。甲高い音と同時に火花が散って紙片に移り、巻物へ手を伸ばそうとした清隆を阻む。
「その巻物を差し出して、大友を正統な王にするんじゃなかったのか」
 宮部の懐から小さな木片が取り出され、種火となって燃え始めた紙片に当てられる。
「いえ、これをお渡しする必要はありません。――あの方は既に、この国の由緒正しき王でございます」
 火の付いた木片に息が吹き掛けられ、あっという間に炎として燃え上がる。シャシャテンが信へ、こちらへ来るよう叫んだ。宮部の脇を回り込んで彼が向かってくる間に、木片は地に着いた巻物の端に落ちる。炎は止めようもなく、紙を伝って宮部の手元へ這い上がる。自らが燃えることを恐れる様子もなく、宮部は低い声で歌を詠んでいた。
「鳥部野の ごとくふすぼる 火を見れば 秋空に燃ゆる 我と知りなむ」
 裾が炎に触れ、一気に宮部の着物全体へと広がっていく。清隆に見えたのはそこまでだった。
 シャシャテンに無理やり後ろを向かされ、背を強く押され草地に倒れる。真下には青い草の匂い、上からは焦げる煙の臭いがする。それらに気分は強く冒され、咳き込みたくなるのを堪える。飛んでくる灰、迫る煙に目と喉が痛くなる。同じく倒れていた信が起き上がろうとするのを、シャシャテンが留めて指笛を鳴らす。不死鳥を呼んでいると分かり、煙の激しくなる中で清隆はこれからどうするのか問う。
「伯母上のもとへ戻る。『芽生書』は……仕方あるまい」
 抑揚のないシャシャテンの声が、彼女の無念を訴える。その姿を三つの影が立て続けに覆い、清隆たちより少し離れて下り立つ。燃えるものの正体に絶句する不死鳥を、袖で口元を押さえるシャシャテンが急かす。
「早く私たちを屋敷へ連れて行け。この二人に、宮部の見苦しき様を見せるわけにはいかぬ。此度の責は私が負う。早う!」
 首にすべすべと固い手触りがあり、不死鳥の嘴に襟を引っ張られていると清隆は理解する。不死鳥に引きずられ、ゆっくりと起きて足を動かす。湖から遠ざかるうちに、黒い煙の上がる様子が見えてくる。辛うじて立っている人影が、全身を炎で包まれているような――。
「平井様、これより先を見てはなりません!」
 不死鳥が襟元から嘴を離し、清隆の前に飛び移る。
「貴方様は、『芽生書』の事を何も気にされずとも構いません。今は早く御乗り下さい!」
 鬼気迫る催促に、頷くしかなくなる。黙ってその背に乗り、先へ行っていたシャシャテンと信の後を追う。地面から遠ざかった後も、下で何が起きているのか清隆は見ようとしなかった。

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