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六段の調べ 序 三段 四、心尽くし

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序・初段一話へ


 夕方が迫り、寒さは昼間よりずっと強まっていた。不死鳥の背に顔を押し付け、清隆は四辻姫とのやり取りを回顧する。事情を聞いた彼女は驚いていたが、早急にシャシャテンを救うための計画を立てた。その途中で王女を探っていた不死鳥が現れ、彼女が母を殺した拷問吏・伊勢千鶴子に責め苦を受けられていると告げた。そこで改めて四辻姫が作戦を練り、それを実行すべく清隆と信は急いでいた。
 辿り着いたのは御所だった。崖から遠目で見ただけだったそこは、近くでは気高さをより強く訴えていた。不死鳥に伴われ、清隆たちは北にある朔平門前に下り立つ。地味な色合いだったが、厳かさが際立っている。柱も壁も綺麗に塗られ、古びた所は一切ない。主の権力と威厳を象徴するそれを見ながら、清隆は不死鳥の背で見た海岸部と四辻姫の屋敷を浮かべて軽く俯いた。
 見張りには客人と伝えられ、不死鳥を置いて庭の方へ進む。懐に入れた短刀――四辻姫曰く『雪解百合ゆきげゆり』と名付けられたものへ着物越しに触れ、清隆は周りを注視して歩きだす。王の住む屋敷から距離を置いた庭の外れに、不死鳥が教えた場所・「花籠はなかご」はある。内裏では異様に目立つ粗末な平屋建ては、瑞香で初めて女王となった一生姫いっしょうひめが作らせたらしい。特別な罪人が捕らえられるというそこへ、宮中の外で動いている伊勢の部下を偽り、彼女への言伝を口実に入り込む。それにしても一女官が別の場所で人を率いているとはどういうことか、四辻姫に聞く時間を取れずにここまで来てしまった。
 入り口からの廊下は、前と左右に伸びている。どちらへ進もうか清隆が悩んだ時、奥で六段姫を呼ぶ怒号に近い叫びが聞こえた。前の方から飛んでくるのではなく、遠い響きを持っている。清隆は即座に右へ駆けだし、窓が小さく薄暗い中を抜けていった。奥の壁に突き当たったところで、声をはっきりと近くで捉える。
 ようやく追い付いて息を切らす信を静かにさせ、清隆は忍び足で進む。扉のない一室から、女が一方的に話し掛けているのを耳にする。清隆が壁に背を付けて足を速めると、部屋が近くなるにつれて血の臭いが迫ってきた。焼け焦げたような異臭もする。清隆はそっと中を覗き込み、すぐ顔を背けて信に様子を伝える。
「伊勢らしき女が、吊り下げたシャシャテンを短刀で刺している。シャシャテンも傷だらけで、四辻姫の言った通りになるかもしれない。すぐ助けに行くぞ」
 不死鳥の血を引いているとはいえ、断続的な負傷で出血が多くなれば普通の人間と変わらず死ぬ。早く救わなければ、シャシャテンの命が危ない。彼女を居候させる際に決めたことを、ここで無駄にしたくない。
「御意のままに。その伊勢って人の部下を真似ればいいんだね? なんて言うんだっけ」
 清隆が耳打ちすると、信は頷いてから戸を挟んで清隆の反対側にある壁へ寄り掛かって叫んだ。
「千鶴子さま!」
 慌ただしい足音が聞こえたと同時に、信が清隆をそのままに走り、再び伊勢を呼ぶ。女は部屋を飛び出してまっすぐに信の背を追い、彼を部下と誤認したまま角を曲がるその姿へ向かっていった。こちらに気付かれなかったことに安堵しつつ、清隆は部屋に躍り込む。
 床から立ち上る不快な臭いを堪え、流れる血を踏みながらシャシャテンへ駆け寄る。彼女の目は見えているのか、ただ虚ろにこちらへ向けられている。衣は襦袢のみとなり、白かったそれは汚れ、破れ目から無数の傷痕が見える。シャシャテンに託された短刀の鞘を捨て、飛び上がって縄を切ろうとするが難しい。縄に向けてそれを投げると、食い込んだ刃が音を立て、吊るされた彼女を解放した。落ちるシャシャテンを受け止め、拾った短刀で彼女を縛る縄を切ってから床に寝かせた。白い肌には何重にも巻かれた縄の痕が、赤黒く残っている。
 刃を鞘に仕舞って懐に入れ、不死鳥が迎えに来るのを待つ。しかし向かいの窓には、いまだ空しか見えない。
「何が起きた?」
 突然の声に伊勢が戻ってきたのかと思い、清隆は身構えた。惨状の跡が残る部屋にも顔色を変えず、一人の男が入ってくる。暗い色合いの直衣に身を包み、肩より伸びた髪の上に黒い冠を被っている。彼はシャシャテンを一目見ただけで、すぐこちらへ視線を向けた。
「……やはり戻っていたか、六段よ。そして見慣れぬ者、そなたはどこから来た?」
「日本からだ」
 そう言って名乗ると、男の目は興味深そうに見開かれる。入口から離れていない辺りで立ち止まった彼は、清隆に頭を下げると自らを大友正衡と称した。
「日本では、祖が世話になった」
 王が目の前におり、しかも自分に向けて腰の低い態度を取っている。思いがけない現実に、清隆は何も言えないまま相手を睨んだ。彼にどのような意図があるのか、全く読めない。礼儀良く振る舞いながら、隙を突いてこちらへ襲ってくることも警戒しなければならない。
 大友は机に置かれていた拷問器具を一瞥すると息をつき、伊勢を咎めるような言葉を漏らした。彼が王になって真っ先に行った政策の一つが、拷問の廃止や刑罰の緩和だという。
「確かに沙汰を出したとはいえ、これ以上に良き術もあったであろうに……。私が重きを置いていた者だったが、罰しなければならない」
 それほど伊勢への怒りが籠もっていないように聞こえる声に疑念を持ち、清隆は本当か尋ねたが返事はなかった。それが嘘を言われるより腹立たしく思え、清隆は声を尖らせたまま問う。
「瑞香の王が、なぜこの部屋に来た」
「六段が死すと聞いた故に」
 清隆は、まだ傷の残るシャシャテンの顔を見下ろす。姫の負傷に感情を持っていると思えない王が、裏で糸を引いていたのではないか。宮部や伊勢の行動から、清隆は考える。かつて王に重用されていた楽師・宮部はシャシャテンをおびき寄せてここに送り、宮廷女官である伊勢が彼女を殺害しようとした。大友は自身に繋がりのある二人を使って、シャシャテンを殺すつもりだったのだろうか。
 王はじっと、傷の治りつつあるシャシャテンを眺めている。その顔からは悲しみも哀れみも読み取れない。
「化け物との境が不定なら、いっそ化け物になれ。この国に住まう者は、皆全て。そして新たに人と関わるべきなのだ。国が在りし日の姿に戻ることこそ、救い」
 そう言って大友は、鋭い光を湛えた目で清隆を見た。彼が言わんとしていることが分からず、今度は清隆が何も返せなかった。大友が歩み寄ってくると、清隆は血の床に靴を濡らして後ずさる。万が一のため、懐に手を入れて仕舞っていた得物の柄を探る。そこに突如、大友の背後に影が迫った。
 戸から見える廊下の窓へ、不死鳥が向かってくる。巨大な鳥は勢いのまま窓に飛び込み、廊下の壁を破壊する。そして部屋の戸までも無視して大友を突き飛ばし、清隆の前で下り立った。咳き込みながら起き上がろうとする大友には目もくれず、不死鳥は清隆とシャシャテンを見下ろす。シャシャテンを鳥の背に乗せ、大友がこちらへ手を伸ばすより前に清隆は飛び乗った。
 不死鳥が宙に移って間もなく、後ろで清隆を呼ぶ声がした。信が別の不死鳥に乗り、少しずつ上昇してくる。無事に伊勢を攪乱し、壁の崩壊にも巻き込まれず済んだ。そんな事情を伝えて笑う信の左こめかみに、木片のようなものが掠った。軽く切れた部分に手をやり、信は建物を見て呆れる。
「あの千鶴子さまって人、なんか投げてきたよ」
 清隆が探すと、崩れかけている壁のそばに伊勢がいた。彼女は壁を手で剥ぎ、こちらへ勢いよく投げ付けている。
「まぁ、これくらいならすぐ治るって。ところで、シャシャテンは大丈夫そう?」
 信の声にはっとして、清隆はシャシャテンの手首を取った。ゆっくりとしているが脈はある。呼吸の音がわずかに聞こえ、傷も徐々に塞がっていく。信にそれを伝えると、彼は我がことのように両手を挙げて喜び、姿勢を崩しそうになってすぐ不死鳥の背に掴まった。シャシャテンが落ちないように支え、清隆は向かう先にある薄雪の積もる山を見つめた。
 
 
 夜が近付く中、友の屋敷から帰った時、宮部は家の前で待っていた文使いの娘に手紙を差し出された。紙を広げてその中身に驚き、ここまで追い込まれたかと下唇を噛む。文使いには留まるよう言い付け、いったん家へ入る。そして奥の部屋に置いていた巻物を取り、命の通りにするにはどうすれば良いか悩んだ。やがて術が浮かぶと共に心を決め、急いで筆を執る。素早く封をした後、巻物と自分の使っている箏爪を袂に入れて宮部は家を出た。
 返事を渡した文使いが、短く切り揃えられた髪を揺らして去っていく。それを見届け、宮部は再び友のもとへ急ぐ。出迎えた彼は目を丸くしつつ、話を最後まで聞いてくれた。
「あなたは、不老不死の教えに従っていましたよね?」
 覚悟を伝えた後、思い通りの問いが来た。確かに自分は、筑紫箏を手ほどきした僧侶が興した集いに加わった。しかし実を言うと、師の言葉には同じることが出来なかったのだ。僧侶は死をひどく恐れていたが、宮部はそうでもなかった。むしろ身を以て変化に気付く老いを疎んでならなかった。年を取らずにいられるなら、どんな術を使っても構わない。それだけの心構えは出来ている。
 王が果たそうとしていた計らいも、危うく思えていた。彼にまつわる気掛かりな話もよく聞いている。多くの阻みがあった今日の様子から鑑みても、これから数年であの試みが為されるのは難しいだろう。
「あの方が、それで喜ばれるのであれば」
 宮部は答えながら、星の出始めた空を眺めた。出会ったころや何気ない思い出などがふとよぎり、少し胸が痛む。
 宮部は袂から巻物と二つの箏爪を取り出した。巻物は後ろから適当な二ヵ所で破り、その一片と箏爪一つを目の前にいる友へ渡す。残りの紙片と箏爪は、今ここにいないもう一人へ渡してほしいと伝える。
「せめて、その人へ会いに行かれませんか?」
 宮部は迷わず首を横に振る。彼の話す者は、必ず自分を止めるだろう。ここで気持ちを揺るがされてはならない。友に背を向けて去ろうとすると、今年の春に箏と琵琶で合わせた地歌の詞が聞こえてきた。罪を擦り付けられてばかりの主を案じていた折、友が思いの強さを揶揄するがごとく勧めてきた曲だ。夫である主を慕うあまり、その首を抱いて女が炎に消えるという詞が、いかにも自分らしいと。
 長く聞いてもいられず、宮部は走りだした。馴染みの歌声が遠くなっていく。込み上げるものを堪え、振り返らず道を急いだ。

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