蒐集家、久遠に出会う 第二章 六、久遠はいずこに
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なかなか寝付けなかった夜も過ぎ、姫路は起きてすぐ隣の研究室へ向かった。素早く鍵を開けて奥に声を掛けるが、返事はない。無口な久遠もついにここまで来たかとわずかに顔をしかめ、靴を脱いで部屋の中を進む。だがどこにも、二条の姿はなかった。
慌てて自分の生活圏にもいなかったか探るべく引き返したが、結果は同じだった。台所で作業をしていた刑部姫に尋ねても、知らないと返される。
「先に彦根さんの所へ向かっているんじゃないですか? ひょっこり戻ってくるかもしれませんし、そう青い顔をしないでください」
くし切りにしたリンゴの皮を器用に向く久遠は、「後輩」の失踪に何の危機感も抱いていないようだった。それが機械で出来ているからかと浮かびかけて、姫路は思考を止める。久遠はいずれ人のように暮らせるはずなのに、ここで違いを思い知らされてはいけない。
刑部姫が勝手に用意した朝食は、全く喉を通らなかった。四方の壁に無数に貼った写真の主が、痛い視線を投げている気がする。久遠を作る際にも参考にした二条の姿へ、心の中で詫びを入れる。自分は本当に、彼を怒らせてしまったのかもしれない。
彦根に会う約束をしているのは、今日の昼近くだ。それまでに二条を見つけ出そうと、姫路は外出の準備を進める。冬でも油断できない紫外線を避けるため、日焼け止めクリームは入念に塗る。以前研究所で会った熊野仁成ほどの白さは難しいだろうが、せめて近付けるようにはなりたい。髪にも紫外線カット効果のあるスプレーを吹き付け、黒い穴開き手袋もしっかりと嵌め、折り畳みの日傘を携えてアパートを飛び出す。
外に出ると、今住んでいる場所が人気の少ない地域だと改めて思い知らされた。都心からは離れており、交通の便も良いとは言い切れないこの辺りは、住宅や店がぽつぽつ立つ中で活気に乏しい。道にも人が見当たらないなら簡単に二条を発見できるだろうに、それが叶わない。目撃者がいるかさえ、昼の迫る今は怪しく思えてきた。
最後の願いを懸けて、姫路は連絡を入れる。先に二条と会ったことを期待していた彦根は、呆気なく絶望を突き付けた。どうやら刑部姫の言った通りにはなっていないようだ。正直に行方不明のことを伝えると、端末から漏れて周囲へ聞こえんばかりの大声がした。
『あんた、昨日帰ってからいったい何をしていたんだ!? その久遠がいたっていう部屋の鍵は閉めたか? 物音とかで逃げたことに気付かなかったのか?』
若干痛くなった耳を端末から離し、姫路はしばらくして冷静を見せた彦根の案を聞く。二条の訪ねそうな思い入れのある場所を問われて、真っ先に久遠研究所が出てきた。
『じゃあ、そこをおれが探す! 年末で閉めているが、所長か林辺りに頼めば鍵をくれるだろう。――ほかに思い当たる所があれば、あんたが調べろ。勝手に二条さんの日記を持っていったんだろう?』
内容が記憶として取り入れられているなら、二条はそれを参考に目的地を決めた可能性もある。すぐに受け入れて、姫路は電話を切った。自宅へ戻る道の中で、心臓が騒いで落ち着かない。二条の日記をしっかりと見るのは初めてだ。別に自分のことが書かれているとも限らないだろうに、なぜか姫路は緊張が収まらなかった。
ここ最近であった「早二野」と彦根や久遠研究所についてまとめた資料を、所沢は改めて読み返した。先日は彼らが研究所へ来たと、深志から連絡があった。久遠に関連して動きを進めていることは間違いない。次の動向を掴めば、先回りして逮捕できるかもしれない。
「……やっぱり、この久遠研究所っていうのも、取り締まった方が良いんじゃないですか?」
一人の部下が呟いた疑問に、所沢は顔を上げた。「早二野」捜査部の部屋で机を囲む残りの刑事たちも、一斉に発言者を見る。確かに異世界の知識へ接触すべきでない原則を犯してはいると、一人が同意した。
「でもそこの人たち、蒐集にあたる行為はしていないんでしょう? ものを盗むとか、それに伴って施設を壊したり人を殺したりとか」
「確かに活動としては、随分と平和的ですね。だけど……」
部下たちの意見もそれぞれのようだ。確かに久遠研究所の人々を、蒐集家と呼ぶことは出来ない。彼らの逮捕は、国際蒐集取締機構として許されないだろう。それを思いながら、所沢は少し前に存在を知った「新世界ワイド」が浮かんだ。蒐集家でない一般人にも、異世界の情報を伝える下地が出来てしまっている。彦根はかなり使いこなしているようであり、この世界の住民が皆そうなるのも遠くはないような気がした。
蒐集家の定義は、物品を強硬的な手段で入手し、かつ異世界を認知している人間だと定められている。世界の安全を脅かしかねない彼らに対抗すべく、国際蒐集取締機構は誕生した。それはあくまで、蒐集家だけが異世界を知っているという前提があってのことだ。なら蒐集家以外の人間が異世界に触れていたら。組織が守ってきた原則はとっくに壊れているのだろうと、所沢は思うより他なかった。
話を続けていた刑事たちに静粛を求め、所沢は考えを切り替えて訴える。
「私たちはあくまで、蒐集家を取り締まる組織の一員です。まずは『早二野』を捕らえて裁きに掛けることへ集中しましょう。久遠研究所のことは、いずれ対処が決められるはずです」
何より先に、今自分たちが与えられた仕事をこなさなければならない。それに向けた会議が進む中で、彦根に連絡を取る案が出てきた。依頼は失敗に終わったものの、まだ「早二野」と関わりを持っているかもしれないと。
いつの間にか昼も近付いていた。休みへ入る前に、所沢は電話を掛ける。相手は何回目かの呼び出しで応じ、こんな時間に何の用だと怒鳴ってきた。
『今はあんたと話しているどころじゃないんだ! 大変な……ことになって……』
息を切らす彦根の声は、周りにいる部下たちにも聞こえているようだった。スピーカーの設定を確認してから、所沢は急いでいる様子の彼がどこへ向かっているのか問う。久遠研究所とだけ告げられて、電話は切られた。
一体彦根は、何に焦っていたのだろう。「早二野」にまつわる事情を聞くためにも、ここは久遠研究所で彼に会った方が良いと所沢は判断した。公式サイトを確認すると、今日の研究所は休みで来客予定も受け入れていなかった。それなのに彦根が急ぐのは、理由があるに違いない。
今度も一人で行こうとしたが、部下たちに止められた。あまり人が多くて目立ってもいけないが、「早二野」逮捕への手がかりになりそうなものを自分だけが詳しく知っていても駄目だろう。数人の刑事たちを連れて、所沢は久遠研究所の最寄り駅を下りた。前回の訪問で何となく覚えていた道順を頼りに、どうにか迷いなく施設には辿り着けた。
建物の周囲をぐるりと回るも、彦根の姿は見当たらない。部下と手分けして近所も探したが、結果は変わらなかった。研究所には鍵が掛かっており、中から人が出てくることも予想されたが一向に現れない。彦根とは入れ違いになってしまったのか、そもそもここへ来ていないのか。
日は傾き、早い夜が迫ろうとしている。深志に連絡しようとしても応じられず、所沢は研究所へ戻る道で肩を落とした。これも「早二野」逮捕へ繋がるかもしれないのに、手詰まりになった感覚が襲う。国蒐構の本部で待っている残りの部下に何を言おうか、成果がないなど伝えれば情けなくてどうにかなりそうだ。
「お困りですか? 人間さん」
突如後ろでした声に振り返り、所沢は自分より背の高い女の姿を認めた。洋風にアレンジされた袴という印象の強い衣服をまとい、頭に付けたカチューシャが目を引く。彼女の名乗った「姫」という語が気になるも、今はそこを追及している場合ではない。
「私たちは大事な捜査の途中です。もし妨害するようなら――」
「ああ、刑事さんでしたか。何ならお手伝いしますよ。人間の役に立つのが、わたしたちの仕事ですから」
国際蒐集取締機構は一種の特殊警察として扱われ、あまり大っぴらに詳細を明かしてはいけない。協力的な様子を見せるこの女にも警戒を崩さず、所沢は手短に説明を終える。盗まれた品を返却するために勝手を厭わない組織・「早二野」を逮捕すべく動いているのだと。
「『早二野』なら知ってます。もしかしてあなた、所沢雲雀さんですか? 富岡さんからちょくちょく話を聞いていまして」
予想外の言葉に、所沢は刑部姫を凝視したまま動けなくなった。まさか富岡椛と縁があるとは思わなかった。そして自分の存在も知られていたことに、戸惑いが収まらない。このまま放っていて、捜査の不利益になるようなことは起こされたくない。むしろ彼女を通じて、今探りたい情報も手に入れられるのではないか。
詳しい話を聞きたいなら今いる部下を集めるよう言われて、所沢はひとまず研究所前に戻った。呼び出された刑事たちが、刑部姫を興味津々で見ている。
「あいにく、彦根直はもうこの周辺にいません。今ごろ久遠の二条元家を探して右往左往していることでしょう。ああ、かく言うわたしも久遠の端くれでして」
刑部姫は「父」に頼まれて「早二野」を調べていたこと、二条元家の件を巡って対立が起きていること、富岡椛がそれを解決しようと動いていたことをざっくりと明かした。そして姫路好古と彦根直が和解する条件であった二条の引き渡しは、現在困難となっている。
「二条元家がいないので、二人とも捜索に追われていますよ。しばらくは彼らから話を聞こうとしても無駄でしょうね」
「……あなたは、その久遠を探さなくても良いのですか?」
ふと所沢は疑問を零す。刑部姫は久遠の二条が完成されてから、ずっと共に住んでいたと言った。だのに特に心配していないと言い切られたのが腑に落ちない。どうやら二条探しは人間に任せ、久遠は独自に動くそうだ。
「情報提供のお役には立ちましたか? 十分でしたら、わたしはこれで」
背を向けて歩き出そうとした刑部姫を、所沢は呼び止めていた。せめて連絡先を聞きたいと、不意な言葉が口を突く。彦根も深志も、そう簡単に連絡を取れそうにない。なら今は、刑部姫こそこの騒ぎに関する唯一の頼りと呼べそうだった。
刑部姫は機械によって作られたとは思えないほど自然な笑顔を浮かべ、懐からスマートフォンを取り出す。
「そうそう、人ももっと久遠を頼れば良いんですよ」
どこか達観した眼差しが、刑事を静かに見下ろしていた。
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