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蒐集家、久遠に出会う 第二章 七、居候新たに

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 昼を回ったころ、椛は重くなった買い物袋を抱えて家路を進んでいた。やはり刑部姫が急にいなくなったのは寂しい。少し前なら、こんな荷物運びなど任せておけたのに。また誰かが家の手伝いをしてくれないか思って息をつき、通りすがりの公園にあった時計が目に入る。
 今ごろは昨夜の約束通り、姫路と彦根が会ってちゃんと仲直りを果たしているだろうか。そういえば久遠の二条を渡すなど言っていた気もする。結局何も良い案を出せなかった無念が顔を覗かせて打ち払い、椛は小走りする。しかし自分が和解させたいと言ったのだから、今二人のいる場に立ち会えば良かったかもしれない。「七分咲き」では何も求められなかったが。
 ようやく自宅の一階にある雑貨屋が見えてきた時、椛は店前に人が立っていることに気付いた。客かと思って急ぎ、荷物を置いて鍵を開けようとしたところで聞き取りにくい声がした。
「刑部姫が来たのは、ここですか……?」
 鍵を穴に差し込んだまま首を巡らせ、隣にいる姿に見覚えを感じる。身長は自分と同じほどで、少しよれたシャツとズボンを着用している。ぼんやりとした表情をじっと眺め、ようやく姫路のもとで蒐集しようとして失敗した久遠だと思い出した。さらにしばらくして、彦根のもとにいるべき存在ではと気付く。
「どうしたの? 道迷った? あたしも彦根さんがどこにいるかわかんないんだけど」
 椛が視線を合わせて聞いてみても、二条は顔を背けて何も言わない。しばらくその心が分からず、ついには深く考えることを諦めた。きっと二条には、その気になれない理由があるのだ。彦根には後で連絡して引き取りに来てもらおう。そう決めると、椛は店の鍵を回して中へ入った。本当は今日店を開く気などなかったのだが、特別だ。
 椛が奥のレジへ移った後、二条も恐る恐る店内を見て回った。一点一点、棚に並ぶ商品をじっくり眺めている。たまにはそれを手に取り、仕入れ先や使い方などを椛へ尋ねてきた。覚えている範囲でたどたどしく答えると、二条はまた黙って品を棚へ戻す。どうやら雑貨に興味があるらしい。これほど長い間客が店にいることもなかったと振り返り、椛は用意していた椅子に深く腰掛けると姿勢をだらりと崩した。
 やがてすりガラスの扉に、人の影が映る。背を伸ばした椛はやって来た客へ挨拶をすると、自由に店を見るよう勧めた。客は軽く店内を一周し、やがて雑貨の一つを手に取って、先ほどから同じ場所にいる二条へ話し掛けてきた。
「すみません、こちらはどのように使うのですか?」
 二条が店員と誤解されている。椛はレジを出て間に入ろうとしたが、心配はいらなかった。二条は先ほど椛がした説明を、すらすらと客にしている。見ている中で気付いたことがあったのか、椛の知らない知識まで話していた。客は何度か頷き、まっすぐレジへ向かう。購入したいという品を持ってきた客に、椛は慌てて対応する。
「あの店員さん、なかなかかっこいいですね」
 客が小声で言ったことへ、曖昧に肯定する。先ほど知り合ったばかりの二条が店員扱いされていることを奇妙に思いつつ、椛は会計を済ませる。久しぶりに商品が売れたのに、なかなか嬉しいという気持ちにはなれなかった。いまだに二条が店員とされた理由も、よく分からない。
「二条くん、雑貨好きなの?」
 再び店を回りだした二条へ、椛は問い掛ける。久遠は頷くと、抑揚に乏しい声を出す。
「生前の二条は、雑貨が好きだった」
 その後もこの店には珍しく、客がちょくちょく訪れた。今年で最も一日の来客者数が多かったのではと椛は考える。そしてどういうわけか、客の皆が必ず二条へ話し掛けていた。
 夕方に店を閉め、椛は横に突っ立っている二条を見返る。これからどうするか聞くと、相手はしばし黙ってから告げた。
「……今のわたしは、完全な二条元家ではない。彦根くんの所へ行ったら、彼を失望させてしまう」
 そして勝手に出て行った以上、姫路のもとにも行きたくないのだという。このまま路頭に迷わせるくらいなら。椛の心は決まっていた。
「じゃあ、あたしのところに泊まってよ!」
 二条の腕を引っ張り、椛は雑貨屋の隣にある自宅の扉を開ける。二階の居間へ上がって久遠を食卓へ着かせると、いつも通りの簡素な食事作りに取り掛かった。二条は何もいらないと聞いて、仕方なく自分の分だけ調理する。
「それが、きみの食事内容……?」
 卓に並んだ献立に、食べないはずの久遠は色々と指摘する。白米に豆腐の味噌汁、ささみともやしの炒め物といったメニューは自信作だ。だが野菜が足りていないのではないか、カロリーの取らなさ過ぎも良くないと二条は突っ込む。塩分は多くないかとも言われ、椛は箸を持つ手に力を込めた。
「なんでも安く済めばいいの! うちは貧乏なんだから!」
 突っぱねて飯を掻き込み、椛は普段より早く食事を終える。茶碗を置くと、向かいに眉根を下げた二条が見えた。
「……わたしは、二条元家らしくないことをしたな」
 刑部姫と違って何もしない久遠をそのままに食器洗いを終え、風呂場へ向かおうとして椛は足を止める。刑部姫は入浴をしていなかったが、二条はどうだろうか。
「二条元家は、健康のために湯船に浸かっていた。だからわたしも入る」
 そう言ってくれたのは良いものの、シャワーだけよりは費用が掛からないか椛は気になる。光熱費と水道代はどうしても節約したい。そこで案を思い付いて二条へ告げた。
「よし、二条くん! 一緒にシャワー浴びよう!」
 二条はわずかに口を開けて固まり、しばらくして首を振った。今は性別のない久遠とはいえ、元は男だった二条元家だ。なら異性との入浴は慎むのが、生前の二条の名誉を守ることにもなると。良いと思った案は断られ、どうすべきか椛は悩む。話し合いの末、今日は二条だけが湯船に浸かることになった。機械の体で水に触れても問題ないらしい。一日くらいならシャワーを浴びなくても平気だと、椛も最終的には折れた。
 風呂に入っている二条をこれからどうするか、居間に留まっていた椛は食卓に肘を突いて考える。彦根に連絡して連れて来いと言われても、二条が気乗りしなさそうだ。あの久遠は完全な二条がどうのと言って行きたがらなかったが、どういう意味だろう。そうこうするうちに後ろで扉が開き、髪を拭く二条が入ってくる。椛は立ち上がると、自然に言葉を口に出していた。
「二条くん、うちで働かない? 気晴らしになりそうだしさ」
 店員のように振る舞っていた二条が、頭から離れなかった。椅子に掛けていた店員用のエプロンを広げ、戸惑う久遠へ着せる。サイズも丁度良く、店で働く姿が似合いそうだった。微笑みながら、椛は自室に予備のエプロンがなかったか記憶を探っていた。

 数日過ごす中で、椛は二条が日課としている習慣が気掛かりとなっていた。毎朝家の周辺をウォーキングしており、体重と血圧の測定を欠かさない。血圧の方はいつもエラーが出て、きちんと測れていないようだ。自宅にたまたま手放さず残っていた器具が、古いからというのもあるだろうか。
「二条元家は、いつもこうして過ごしていた。わたしも二条元家であるからには、そうしなければならない」
 レジの前で椛の横に立ち、新しい居候は自らへ言い聞かせるように呟く。少しでも生前の二条へ近付くべく、久遠は生活を再現していたのだ。それがどこか無理をしているように、椛には見えてならない。自分でやりたいことをやっていないかに見えて、胸が痛むのだ。
 大晦日の今日も雑貨屋を開いたが、客の来ないまま一日が終わろうとしていた。このところは二条が気になって店へ入る人が多かったが、今年最後の日となれば事情も変わるのだろう。
 年明けの開店はいつにしようと椛が考えていた時、マスクをしっかりと付けた客が現れた。店内を一通り見、入り口近くにあった髪飾りを手に取る。果たして購入してくれるか、わくわくして椛は待つ。そして客は、商品を二条へ渡してきた。久遠は覚えた通りに手際の良い会計を進める。無事に支払いを終えた客は、マスク越しでもはっきり分かるような笑みを二条に向けて帰っていった。
「……今ので、合っていた?」
「完ぺきだったよ!」
 椛は親指を立て、自分よりスムーズだったと褒める。一方心の奥では、今の客が自分を認識していたかという疑いが晴れなかった。明らかに二条だけを見ていたように思える。
「二条らしくないことをしたな。生前の二条は、接客なんてやりたがらなかっただろうに」
 日が暮れて椛が店を閉めている間、二条が俯いて呟いた。自分はあくまで、生きていた二条元家の代わりを求められているだけだ。ここ最近よく聞く文句に、椛は先ほどの出来事を思い出して伝えた。
「あのお客さん、二条くんの接客に喜んでくれていたよ。きっと昔の二条さんがどんな人だったか知らないよ。あたしだってそうだし」
 揃って家へ入り、階段を上りながら椛は続ける。
「見た目は似てるかもしれないけどさ、その二条さんって人にこだわらなくていいんだよ」
 別に生きていた人を模した久遠だろうが、好きに生きて良い。かつての二条元家とは違うのだから。そう話していると、自分の生きる道を見出してくれた「天使」が急に瞼の裏に浮かんだ。顔も覚えていないが、その活躍はしっかりと脳に焼き付けられている。
 年越しそばを茹でようとして急に思い出し、椛は居間の戸棚に入れていた菓子を取り出す。いつ買ったか思い出せないが、安売りしていた瓦煎餅だ。袋に二枚入っていたうちの一枚を二条に渡す。
「これ、仲よしの印。たぶん」
 呆然とする二条へぱっと浮かんだ語を告げて、椛はもう一枚を齧る。歯にふにゃりとした感覚が当たり、これが随分と湿気ていたことに気付いて苦笑を堪え切れなかった。

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