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蒐集家、久遠に出会う 第二章 八、二条元家は人を避け

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 結局日記から探った二条にゆかりの地を探っても、肝心の久遠は見つからなかった。彦根にも協力してもらったが、相変わらずだという。
『ここまで手間を掛けさせてくれるなんて、どう責任を取るんだ? 姫路』
 彦根に電話で責められても、姫路はそれへ対応する気になれなかった。自宅の奥にある窓から暗くなっていく空を眺め、ただ日記の記述に思考を巡らせる。あれに書かれていたのは事実なのか、いまだに信じられない。これまで知らなかった、思いも寄らなかった二条の姿が、脳裏に刻まれて離れない。
『姫路、聞いているのか!? どこを探してもいないってことは、あの久遠はおれたちの見当もつかないところにいるのか、それともすれ違ったのか!?』
 鼓膜の破れんばかりの大声に、姫路は我に返る。彦根の言う通りなら、二条はどこへ行ったのだろう。もし世界の境界を越えて例えば能鉾にでもいられたら、こちらが探すにも手間が掛かる。加えて能鉾は物騒な状況になっていると彦根は明かした。何でも、久遠を過度に尊重する者が、人間を排斥しようとしているらしい。久遠である二条が首謀者に利用される危機が浮かび、姫路の心臓が脈打った。
「……ぼくが移動管理局いどうかんりきょくを調べてみる。同時にゆかりの場所探しも続けよう。日を改めて前いなかった場所にいるかもしれないから」
 この世界と能鉾の存在する地とを分ける機関は今日も機能していたか、姫路は確かめようとして彦根の言葉に耳を引き付けられた。
『なぁ、久遠の捜索について期限を決めないか? 仕事始めになったら、探している暇もない』
 彦根の案は厳しいものだった。年が明けた一月三日が終われば、二条の捜索を打ち切る。それ以降は何が起ころうと、久遠のことは無視する。どこか歯痒いものを覚えて、姫路は消えそうな声で尋ねた。
「生前と同じ顔で同じ名前を持つ久遠がさまよっているのを、あなたは放っておくつもり?」
『……本当はそんなこと、したくねぇよ! それなのに、誰のせいでこうなった!』
 通話相手は今まで以上の声量で怒鳴る。全て自分が悪いのだと、彼は言い切った。久遠を作ったことから逃がしたことまで、責任はこちらにあると訴える。散々罵られた後に電話は切られた。スマートフォンを近くの机に置き、姫路は生活する部屋を出て隣室へ移った。暗かった部屋の電気を付け、奥に積まれた段ボール箱から文庫本程度の大きさをした書物を取り出して開く。
 日記は毎日書かれているとはいえず、出来事とそれによって受けた感情が淡々と記されていた。それを読み返す中で、改めて記述者の「本心」を知る。久遠研究所の設立にも貢献した二条元家という男は、その実久遠の普及に極めて慎重であった。若い折に初めて久遠を完成させた際、人々がどのような反応をするのか懸念を抱いた。大学院時代に異世界の久遠を元に表現をぼかして論文を書いたが、それを周りから馬鹿にされたことも二条を躊躇わせていた。
 次第に二条は、久遠を嘲りかねない人間を恐れるようになった。人へ会う気にも話す気にもなれず、外へ出られない日々もあったという。そんな彼は、一度目のがんを患ったことで少し考えを変えていった。教わった久遠の技術や知識を、後継へ伝えていきたい。そして集まったのが、自分や彦根といった弟子たちだった。だが周りに人が増えると、二条の心は再び揺らぎだした。人間への恐れは変わっていなかったが、それを見せるわけにはいかない。そして彼は、さらに自らを追い詰めていったのだ。
「……情けない」
 思わず出てきた言葉は掠れ、手元の本には涙が落ちた。二条が強いように振る舞っていたのもあるだろうが、彼の弱さを見抜けなかったことが姫路にはどうしても悔やまれた。勝手にあの人を素晴らしい存在として捉え、尊敬していた。せめて師匠を楽にすることが出来たら、昨年末に発覚した二度目のがんも防げただろうか。
「二条元家について、何か分かったことはありますか?」
「……あの人は、ぼくたちに隠していた『本来の性格』を見せていたって言うの? 刑部はそれを知っていて――」
 答えている間に違和感を覚え、顔を上げた姫路は眼前に自分の作った久遠がいるのに気付いて日記を落としかけた。眉を寄せる刑部姫は、久遠の二条がまだ見つからないのか気にして尋ねたという。姫路は現在の状況と、彦根に提案された捜索打ち切りを伝えて日記を箱へ片付ける。
「まぁ、あの子が路頭に迷ったところで、何とかなるでしょう。機械なのでそもそも飢え死にの心配がありませんし。問題はコミュニケーション能力でしょうか」
 少し「自分に対しての自分」が二条には反映され過ぎたか、刑部姫は呟いて口元を緩める。
「弱みがあるのって、あなたの望む『人間らしさ』があって良いじゃないですか。わたしにとっては不服ですけど。あなたは久遠に、人間のようにさせたいって思っているんでしょう?」
 こちらに顔を近付ける久遠へ、姫路はすぐ答えられない。先日、彦根と久しぶりに顔を合わせた店でリモートでの参加者が告げた言葉がよぎる。あの男は、人間と久遠の二条はそれぞれ別物だと言い切った。二条の久遠は、やはり生前と違う点がどうしても出てきてしまうのか。たとえあの久遠が、自分の思い描いていたような「二条」として振る舞ったところで。
「今さら気付いても遅いですよ。それだから彦根さんに怒られるんです」
 溜息をつく刑部姫が、もし今の二条が壊れたらどうするか問うてくる。
「前は人間の二条さんが一人であるように、久遠も一体しか作らないと言っていたじゃないですか。それならたった一人の人間だった二条元家を尊重して、久遠なんて作らなければ良かったのでは?」
 まぁどうせ何を言ったところで聞かなかっただろうと、最後に刑部姫は吐き捨てる。思えばこの久遠は、製造された当初は割と従順なはずだった。それがいつの間にか、自分の心を持ったように動いて話している。脳部分に内蔵されている人工知能で学んだうちに、色々と身に付けていったのか。二条に名前を付けられた時を覚えているか姫路は問い、すぐ頷かれる。
「会ったのはその一回だけ。それも間違いないね?」
 念のために行った確認は、少しの沈黙があった後に肯定された。それなら二条が臆病な人物だといつ知ったのか、そもそも知っていたのか聞こうとして、刑部姫は背を向けてしまった。扉に手を掛けた久遠は、思い出したように振り返る。
「二条元家の作り直しをどうするか、ちゃんと考えておいてくださいね。お・と・う・さ・ま」
 一つ一つ丁寧に区切られた語は、一人残された姫路へ意味深長に響いた。

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