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蒐集家、久遠に出会う 第二章 五、技術の行き先

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『確かに姫路さんの言う通り、職人不足は深刻な問題です。わたしが勤めている博物館でも作品の修復などを行っていますが、これがもう大変で』
 真木は姫路に賛同する根拠を丁寧に述べている。現状を懸念して話す彼女が学芸員であることを治が来客に教え、続きを促す。
『問題は若い職人が集まらないだけではありません。教える側も高齢になっていて、全ての技を伝え切れるか不安を持つ人もいるようです。久遠なら、事前に技術を教えるプログラムを仕込んでおけるのでしょう? そういう存在がいれば、職人も安心して継がせられると思うのですが』
「しかし、久遠にも限界があるでしょう」
 淡々と意見を語る真木に、彦根が疑問を投げる。久遠は求められた作業をするだけだ。人は歴史の中で新たな技を生み出すなどして、伝統を発展させてきた。機械で組み上げられたものには出来そうにないと彼が言ったところで、姫路が割り込む。
「いや、久遠は自分で学ぶことも出来ます。人間のように知識を吸収して、自ら考えていくことも。現にわたしの作った刑部姫は、勝手に動いていますから」
 彦根はしばらくテーブルを眺めていたが、やがてそこに両拳を打ち付けた。言葉としてまとまっていない声を上げたかと思えば、卓上に顔を伏せて怒鳴る。
「この世界は、どうにもならないのか!? 効率化や合理化を優先して、昔にあった大事なものをなくしていくのか?」
 悲しみとも怒りとも受け取れる思いが、彦根の背から滲み出ていた。技を教え教わる中で積み上げてきた絆も、間近で人によるとは思えない手際よい作業を見た時の感慨など、将来には全て消え失せてしまうのか。彦根の恐れと嘆きは、しばらくその口から留まらなかった。
 今まさに困っているような彦根へ、椛はそっと歩み寄る。彼の気にしていることは、少し難しくて分からない。耳に入れるだけで疲れて眠くなりそうだ。だが、うなだれている男を放っておくわけにはいかなかった。
 そっと彦根の肩を叩き、顔を上げた彼へカウンターに置かれていたメニューを何気ないように差し出す。
「何か食べます? お茶だけでもいいから」
 彦根が受け取ったそれを見ている間に、真木が再び意見を伝えてきた。
『……まぁ、人間が何も出来なくなるとは言い切れませんよ。文化を守るために募金をしたり、関係者へ励ましの言葉を送ったり、果ては文化を知ろうとすることやただ興味を持つことだって、立派な保存の一環です。むしろそうした些細なことで、職人さんたちもスムーズに動けるのではないでしょうか?』
 彦根は何も答えず、女将へ烏龍茶を注文した。苫小牧は素早くグラスを用意しながら提案する。
「先ほどは熱くなっていたみたいですけど、そろそろ本題に戻ってはいかがですか? ほら、二条さんの久遠について止まったままでしょう」
 とりあえずはあの久遠をどうするか、本当に久遠研究所で利用することにして良いのか決めるべきだ。苫小牧がそう言うのを聞いて、椛は研究所での彦根を思い出した。久遠の二条を壊すと宣言していた記憶が、体を震わせる。
「彦根さん、前は二条さんを壊すとか言ってたけど、さすがにそれはだめですよ!」
「そうね。白神さんの言っていた通り、その久遠を生前の人とは別として扱うのはどうでしょう?」
 立ち上がりかけた椛を落ち着けるように、苫小牧が片手をこちらに出して制する。そして彼女の出した案は、姫路にすぐ振り払われた。
「申し訳ながら、それは出来ません。わたしはあの久遠を二条元家として製造しました。ならその在り方は守られるべきです」
『でもその久遠は、思った通りの二条として動いていないんだろう?』
 この場にいない白神の声が、姫路の口を閉ざす。意気込んだ計画が失敗になったかもしれない点が気まずいのだろう。姫路に勢いがなくなった隙を突き、白神は椛へ尋ねてくる。
『富岡、今回の問題はどう解決する? きみが言い出したんだから、方法くらい浮かぶよな?』
 一つ頷いて、椛は頭を働かせる。実を言うと、ここまで問題がこじれるとは思わなかった。話し合っていけば、二人は自然と仲直りすると考えていたのだ。なぜだったか思い出そうとし、時間を掛けて発見する。
「姫路さんも彦根さんも、二条さんのことが大事なんですよね?」
 改めて確認し、二人が同時に肯定する。やはりその思いこそ鍵だ。姫路は二条が生きていた時の思いを守りたがっている。対して彦根は、二条元家という人間がこの世に生きていたことを大切にしたいのだ。心こそ同じだが方向性の違う気持ちを擦り合わせ、どう和解へ繋げていこうか。久遠の二条にまつわる問題も、解決しなければならない。そこは「早二野」の仲間に力を借りることにした。真っ先に白神が、二条の問題で騒ぎを起こさなければ良いのだろうと指摘する。
『かつて生きていた人間という点を除けば、そいつはほかの久遠と変わらない。なら二条元家ってやつとは別の久遠に作り替えて――』
『そしたら二条元家を一度壊すことにならない? 富岡さんだけじゃなくて、姫路さんたちも悲しむと思うよ』
 治から冷ややかに告げられ、画面の向こうで白神がしばし唸って案を絞り出す。
『二条を知らない、縁のない人間のもとへ送るっていうのは――』
『久遠を昔の二条さんのように動かしたい姫路さんの思いとも、久遠を簡単に広めたくない彦根さんのとも合わないでしょう』
『じゃあ、どうすればいいんだ!?』
 真木にも突っぱねられて、ついに白神は困惑顔で椛を見てきた。結局、自分が考えなければいけなくなったようだ。脳内に焦りと混乱が巡り、意見など一つも出てこない。椛が何も言えないでいるうちに、姫路が片手を挙げた。
「皆さんがお困りのようでしたので、わたしから妥協案を出したいと思います。久遠の二条元家のことは、いったん彦根さんに委ねようかと」
 素早く姫路へ顔を向けた彦根が、提案をじっと聞く。そもそも彼は、二条元家を模した実際の久遠がどのようなものかを知らない。実際に見て待遇を決めてほしいのだと、姫路は強く求めた。
「全て任せるということは、本当に何をしてもいいってことだな?」
 彦根の念押しに、姫路は頷く。もし壊されても、二条元家の久遠を作り直すことはない。彼の希望を叶えられないのは残念だが。そう呟いて、姫路は翌日に二条を彦根へ渡すことで合意を取り付けた。自分が何もしていないような気持ちに襲われながら、椛は一連の顛末を見届ける。
 夜も深まってきて姫路が店を出た後、彦根も勘定を払って引き戸へ向かおうとした。そのまま帰るかに見えた彼は、わずかに椛を振り返って頭を下げる。
「この場を設けてくれたことに礼を言います。やっと姫路のことをはっきり知れました。もっと早く知っていれば、二条さんのことも止められたでしょうに――」
『別に俺たちが感謝される立場じゃありませんよ。しがない蒐集団体ですから』
 治はそう伝えて、本来は蒐集に関係ないことはしないとも付け加えた。さらに白神も、人助けをしたがるリーダーに仕方なく付き合っているだけだと話す。二人にそれぞれ言いたいことを後に回して、椛は寒い外へ出ていく彦根へ頼む。
「二条さんの久遠、壊さないでくださいね。大事な人だったんでしょう?」
 彦根は短い間椛と目を合わせた後、黙って戸を閉めた。

「――だから急で申し訳ありませんが、もう決まってしまったんです。明日に彦根さんの所へ向かってもらって、しばらくはそこに留まるでしょう。後は彼の動きを信じるしかありません」
 一日中アパートの研究室にいた二条へ、姫路は残念そうに告げてきた。淡々と事実を受け入れ、二条は了解を示す。その後も謝っていた姫路に、何も言う必要はないと伝えた。今はただ、一人で懐かしい部下の思い出に浸りたかった。
 姫路が去った後に部屋の電気を消すと、光は外からも入ってこなくなった。壁に背をもたせ掛け、日記から読み取った記録を探る。彦根直とは、よく久遠の存在にまつわる談義をした。自分の行いが正しいのか悩む彼を、何度も説き伏せたものだった――それが社会にとっての正解かは、現在でも不明瞭だが。もっとあの男と話したかったと浮かびかけて、二条は首を振る。
 今辿っているのは、自分が得た記憶ではない。あくまで生きていた人間の持っているものを再生しているだけだ。だがそれでも良いではないかと、ふと思う。自分は「二条元家」の役を任されている。同じ存在である人間の思い出に酔っても、文句は言われまい。
「彦根さんの所、行くんですって? あそこでも二条元家のふりをするんですか?」
 鍵の掛かっていた扉が開いたと気付けば、いきなり電気を付けられた。刑部姫が壁際の自分を追い詰めんばかりに迫ってくる。掠れたような声が、真っ先に喉から絞り出された。
「だって、わたしは二条元家だから――」
 言い終える前に、右頬へ衝撃が走る。頭が揺さぶられるような感覚は覚えるも、痛みと呼ばれるものは感じない。久遠はそのように出来ているのだ。二条なら急に殴ってきた相手へどう対応するだろうか。わずかに上がりかけた手が、刑部姫に動きを阻まれた。
 今の自分は、姫路に入れられた二条の記憶と、勝手に考えている「二条元家らしさ」の推測でしか動けていない。そう厳しく言って、刑部姫は息をつく。
「久遠が人間に引っ張られる必要はありませんよ。どうせ別物なんですから」
 はっきりとした言葉が、二条の記憶保存部に刻まれる。自分は何をしても、姫路の求める人間の二条元家になれないのか。そうなろうとしてここ数日は、二条の性格を再現してきたのに。
「明日、彦根さんのもとではなくて別の場所へ行きませんか? いわゆる自分探しというやつをしてみましょうよ」
 刑部姫は口元を吊り上げ、懐に手を入れる。本当は自分も気になっているのだろうと、地図の描かれた名刺を渡してきた。文面はどれも手書きで、「雑貨屋『このはな』」という文字が一回り大きい。ここへ向かえば、彦根に悪いのではないか。二条に浮かんだ思考を、刑部姫は蹴り捨てようとしてくる。
「その罪悪感を打ち破ってください。あなたは二条元家ではないんですから」

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