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六段の調べ 序 二段 三、鳥たちの神話

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「ところで、この巻物に何が書いてあるか見てもいいかな? 今まで開けちゃいけない気がしていて、ずっとしまいこんでいたんだよね」
 シャシャテンが膝に置いていた『芽生書』を、北が指差す。シャシャテンはすかさず了承すると、テーブルの上に巻物を広げようとした。既に全員が空にしていたカップを、北が慌てて回収する。紫色の表紙には透かしで花の文様が並び、紙の束から出ている軸にも金で細かく唐草が描かれている。薄茶色の紐が引っ張られると、濃い墨で書かれた文が現れた。読みにくい崩し字のそれを、シャシャテンは解説していく。
「『芽生書』は瑞香の正史を記した絵巻でな、古に王が作らせたそうな。まだ文ばかりじゃが随所に絵があって……そうそう、これじゃ」
 長い文のまとまりが続いた後、横長の六角形が崩れたような形の島と、それをすっぽり隠しかねない大きさをした鳥の絵が出てきた。色鮮やかな複数の色で塗られている鳥は大きな冠羽を持ち、特にその背丈ほどありそうな長い尾羽が目を引いた。
「これは瑞香を作ったとされておる、あらゆる鳥の王・鳳凰じゃ。と言っても鳳凰を見た者はおらぬと聞いておるから、この絵も人が勝手に思い描いたのであろう……」
 鳳凰の名は清隆にも聞き覚えがあったが、あくまで架空の存在としてだった。それが一つの島を作り上げたなど、にわかに信じ難い。どこにもある建国神話というものだろう。
 続いての絵は、鳳凰よりは小柄な十三羽の鳥が飛ぶ様だった。シャシャテンや一部の瑞香人が先祖に持つ不死鳥だ。彼らはいずれの性別も持ち、あらゆる存在に化けられるらしい。この世に戦乱が起こったことを嘆いた鳳凰は姿を消し、平和な時代が戻ってくるまでは不死鳥が島を託された。
 長く不死鳥や動物たちのみが住んでいた島に人が流れ着いた経緯は、以前にシャシャテンが話した通りだ。漂流した遣唐使の子孫がやがて栄え、不死鳥に島の統治を認められた初代王が日本との交流を始めた。日本には多くの瑞香人が訪れたが、その光景を描いている絵はどこか不穏だ。港に泊められた船に人々が乗っているが、陸地にいる人間から石を投げ付けられて流血している者がいる。
「嗚呼、これは傷の治りが早い様を気味悪がられておるのじゃな。人によっては瑞香の者を、化け物とも見たそうじゃ」
 確かに普通の人間がシャシャテンのような体質を知れば、不気味に思いもするかもしれない。清隆は下唇を噛みながら、瑞香の歴史に聞き入った。
 初代王の時代から千年近く経ち、今から百年ほど前に王家は後継者不在に陥った。国王の子が全て死去し、中でも最後に亡くなった王女は海に身を入れての自殺であった。『芽生書』は、彼女がまさに海へ進んで水に足を沈めている場面で終わっている。
「この後で王家は何とか難を免れたのじゃが……締まりの悪い終わり方じゃのぅ」
 シャシャテンの言葉に、清隆も頷く。具体的に王家がどのように存続していったのか、全く分からない。もどかしさを覚えつつ、シャシャテンが巻き戻していく紙面を眺める。そして今さらながら、清隆は色の鮮やかさに驚いていた。
「これはいつごろに作られたんだ」
「古いものでは数百年前かららしいのぅ。そこから大事がある度に、紙を継ぎ足していったそうじゃ」
 長きにわたって書き継がれた歴史に思いを馳せ、清隆はじっと紙に目を落とす。時代ごとに様々な人が巻物作りに携わっていたのだろうと考え、ふと清隆はシャシャテンに紙を巻くのを止めさせた。
「何人もの人が関わってきたにしては、絵の描き方が同じに見える気がするが」
 シャシャテンに再び書を開かせ、一つ一つ場面を確認してみる。信や美央には分からないと言われてしまったが、輪郭や色の塗り方がどうも似ているように清隆は思える。
「それは後に描いた者が、昔に似せるようにしたのじゃろう。気にし過ぎじゃ」
 シャシャテンが呆れるのも聞かず、清隆は場面の変わり目にも注目した。特に時代が大きく飛んだ部分では紙を継いだ跡があっても良さそうだが、それが見当たらない。一枚の紙で出来ているかのように、表面はほとんど綺麗なままだ。信が気になって顔を近付け、納得したように頷く。
「言われてみれば確かにね! 全然気づかなかったよ」
 信の言葉に促されてか、美央も巻物を注視する。彼女は黙って首を傾げるだけだった。勝手に信がスマートフォンを取り出し、場面ごとに写真を撮っていった。その間、シャシャテンが清隆を睨み付ける。
「そなた、この書を何と言いたい」
 彼女から厳しく言われるだろうと覚悟し、清隆は答えた。
「この巻物、シャシャテンが言っていた通りのものとは違う偽物なんじゃないか」
「戯けたことを言うな!」
 撮影を続けていた信がわずかに顔を上げ、再びシャッターを切り始めた。一方でシャシャテンは紙を撫でつつ、大声で息巻く。
「王の証である神器が贋物であるなど、あってはならぬわ! それに何ゆえ、斯様なものを作らねばならぬ?」
 その問いには答えられなかった。清隆は思い直そうとしたが、すぐに俯く。そこに一場面ごとをじっと見ていた北が口を挟んだ。
「正しい歴史が書かれたものがあったとして、それが後世に知られたらよくないと思ったのかな。大友さんを正統な王じゃないから、歴史から消そうとしているみたいにね」
 この巻物で中心に書かれた王家の歴史に、何か不都合があったのかもしれない。家の名誉が傷付くことを恐れ、誰かが事実を隠そうとしたのだろう。そう説明した北に、シャシャテンは容赦なく噛み付いた。
「しかし北殿、私は間違いなくこの書を頼りに瑞香の正史を学んだのじゃ。伯母――四辻姫様のもとへ移る前も後もな。特に四辻姫様からは、強く言い聞かされたものじゃ。あの方が間違ったことを教えるはずがありません!」
「その四辻姫さんも、間違った歴史を正しいと学んできていたら?」
「いや、あの方が騙されるなどなかろう! そして私が聞いた話も、思い違いでなければ正しいに決まっております!」
 写真を撮り終えた信が、ぽかんとして二人のやり取りを見ている。さすがに今のままでは収拾がつかなくなりそうだと、清隆はシャシャテンにこの話題をやめるよう勧めた。意固地な態度を鎮めるには、随分と時間が掛かった。どこまでの思いがシャシャテンにあそこまで信じさせるのか、清隆には分からない。
 ようやくシャシャテンが落ち着いて巻物を片付けたころ、北がソファーに沈み込んで溜息を漏らした。
「今は偽物かどうか保留にするとして……もし本当に偽物だったら、ぼくがシャシャテンさんたちのためにやってきたことは、なんになるんだろうね」
 自分の邪推が北を追い詰めてしまったのではないか。ふと、清隆の心にそう浮かぶ。あくまで意見だとしながらも言い方が悪かったと謝る。
「俺が考え過ぎていました。北さんも、そんなに気にしないでください。後で本物と分かるかもしれません」
「ありがとう。……本当に心配してくれているのなら、うれしいね」
 北の笑みに心から喜んでいないように感じ、清隆は肝が冷えるのを覚える。褒め言葉を素直に受け取れないという北は、どんな慰めも疑うのかもしれない。そしてその姿には、清隆も見覚えがあった。
 
 
 北のもとを訪ねて数日が経っても、清隆の頭にはうやむやになった『芽生書』の件が残っていた。シャシャテンは既にそれを四辻姫へ送ってしまい、もう清隆が見ることは出来ない。何度も記憶を辿る度、推測は正しかったのか怪しむ。信は自分の指摘に共感してくれたが、仮に継ぎ目がなかったのが見間違いであったら。部活中に部員全員で基礎合奏をしていても、パートごとでコンクール曲の練習をしていても、『芽生書』と瑞香が頭に浮かぶ。
「もうすぐオーディションだけど、平井くんは自信ある?」
 その日の部活が終わるころ、八重崎に言われて初めて、清隆はコンクール参加者を決めるオーディションが来週であったと気付いた。十年ほど前から都大会のみに出場している桜台高校吹奏楽部は、上で決められている制限もあって限られた人数――三十五人までしかコンクールの舞台に立てない。五十人ほどの部員がいる中、八重崎のような一人だけの楽器は必ず参加できるが、人の多いパートは上手い人を優先していた。テナーサックスも清隆以外に上級生が二人おり、数を絞らなければならなかった。多くの吹奏楽部員にとって重要な行事であるにもかかわらず、清隆はその練習にほとんど身を入れていなかったと振り返る。瑞香を意識するあまり、部活まで頭が回らずにいた。
 あれほど印象深かったコンクール曲にも、そもそも楽しさを再認識したかもしれない音楽にも集中できていない。清隆は心の中で愕然として口にした。
「俺は入部して良かったのか」
 楽器庫へ行くべく先を歩いていた八重崎が、こちらを一瞥する。理由を聞かれ、瑞香を伏せて今の思いを答えると、彼女は手にしていた楽器ケースを置いた。
「いつも音楽に情熱を持ってる人なんて、まれだよ。それこそプロでないとさ」
 プロと聞いて、思わず北を想像する。彼の音楽には情熱というより虚しさが籠もっている気がする。そう考えながら、清隆は続きを待つ。
「だから平井くんは、気を張ってないでいいんだよ。わたしはきみが入ってくれて嬉しいし」
 窓の外で、風に木の葉がざわつく音がやけに大きく聞こえる。今からでも頑張ればオーディションには間に合うと言って、彼女は再びケースを手に歩きだした。
 その言葉が事実になるか分からなかったが、翌日から清隆は以前より練習へ意識を向けた。『芽生書』が瑞香に送られて以降、向こうの返事はまだない。自分が考えることでもないのだと、清隆はしばらく瑞香を振り切るよう努めた。

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