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六段の調べ 破 初段 三、思い川

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初段一話へ

序・初段一話へ


「瑞香も大変みたいだねぇ」
 山住が訪れた翌日、清隆と信は学校一階のカフェテリアで昼食を取りながら、梧桐宗について話していた。この春から奇しくも同級生になったが、去年以来の習慣を変えられないままになっている。
「あっちで怪しい宗教団体がはやってるなんてびっくりだよ。しかも不老不死なんて、胡散臭いなぁ」
 瑞香を知らない人々に聞かれてはならないと、なるべく小声で会話しつつ信が白飯を頬張る。そこで彼が手を振ったのを見て、清隆は後ろに顔を向ける。弁当を包む風呂敷を持った八重崎がすぐ近くにおり、加わっても良いか尋ねてくる。今年度から同じクラスに属する彼女も、やはりカフェテリアで食事をするようだ。信がそばのテーブルにあった椅子を一個引き寄せ、八重崎へ親しく話し掛けてきた。
「いつもの友だちはどうしたの? こま――」
 迂闊にも女子生徒へ呼び捨てをしそうになった信に、張り手の制裁が与えられた。騒がしかった室内が、甲高い打撃音に一瞬だけ静まる。力押しなら学年の女子で一番だろう八重崎は、頬をさする信を軽く見やってから椅子に腰掛け、風呂敷を広げた。
「今日はみんな、部活の用事とかで出払ってるんだよ。これから新入生も入ってくるしね。ところで宗教がどうだって聞いた気がするけど、なんか話してた?」
 信と顔を見合わせ、もう瑞香について明かしてしまおうか清隆は考える。ちょうど大友の件から、話した方が良いと思っていたところだ。少し周りを窺い、清隆は口を開いた。
「先輩、まずこのことは誰にも知られないでほしい。これから話すのは、日本には『ない』ことになっている国――瑞香についてだ」
 八重崎が真剣な表情になって頷く。それを認め、清隆はひとまず居候の詳細を伏せ、自分が瑞香と関わってきたことを明かした。北道雄が芽生書の盗難で自らを追い詰めた末に自殺未遂をしたとも、自分が大友に命を狙われていたとも伝える。弁当を食べながら、信も時々補足する。清隆の裏に様々な形で瑞香が関わっていたと知った八重崎は、どの話も真剣に聞き入っていた。
「――だから先輩には、色々と迷惑を掛けた。瑞香なんて教えたら、先輩もそこの事件に巻き込まれる気がして黙っていたが……それが逆に悪かったな」
「そんなことないよ! むしろ気を遣わせてごめん!」
 清隆の言葉に、八重崎が箸を止めて詰め寄る。悪いのは自分であるのに謝ってくる彼女に、清隆は息をつく。隠す必要がなくなって気は楽になったが、これから八重崎に何か起きないか不安が募る。まだ残っている弁当を見下ろすも、あまり食べ進める気にはなれなかった。
 
 
「……先輩に、危ないことが起きないと良いんだが」
 帰宅してから、居間の炬燵に入っているシャシャテンへ、八重崎との間にあったことを清隆は話す。初めは真面目に聞いていた居候だったが、清隆が八重崎の周囲に関する不安を漏らすと途端に笑いだした。何がおかしいのか分からず、彼女を軽く睨む。
「いや、そなたがかほどにまで八重崎殿を思っておるとはのぅ。さては、惚れておるのか?」
 即座に否定し、清隆は居間の窓に目を転じる。部活も早めに終わって帰ったからか、外はまだうっすらと明るい。
「思う者の身は、誰でも気に掛けるからのぅ。私も、城秀が危うくてたまらぬ」
 昨日のやり取りで、どちらかといえば山住がシャシャテンに振り回されていた様が浮かぶ。どうやら何でもそつなくこなせる器用人ではなさそうだ。シャシャテンはどうしても、山住が諸田寺へ行くことが心許ないと呟く。
「何とか止められぬかのぅ……。策は浮かばぬか、清隆? 私は如何にすれば良いのじゃ? のぅ、清隆よぉ!」
 シャシャテンの語気が強まったかと思えば、急に清隆の襟を掴んで前後に揺すってきた。気分の悪くなっていく感覚に、昨日の山住を思う。
「俺に、八つ当たりするな。四辻姫の、命令って聞いたら、いつも素直に、従っていただろう、お前」
 舌を噛みそうになりながら清隆が言い返すと、シャシャテンはふと手を止めて真顔になる。
「そうか、伯母上か! ここは一つ、あやつを止めてもらうよう文で直々に頼むぞ!」
 炬燵を這い出たシャシャテンは、意気込んで襖の方へ向かった。しばらく和室に籠もるかと思ったが、彼女はすぐ封を持って戻ってきた。既に四辻姫の文が来ていたようだ。
 封に入っていたのは、折り畳まれていた手紙だけではなかった。固い紙で出来た短冊が二つあり、シャシャテンはそれを差し置いて先に本文を読む。清隆が短冊を覗き込むと、前に見た山住の手紙と似た字で短い文が書かれていた。それをもっとよく見ようとして、清隆は隣でシャシャテンが叫ぶ声を聞いた。
「何じゃとぉ!? あやつが……嘘じゃろう?」
 紙を握り締め、シャシャテンは涙目で肩を震わせている。そして短冊に目を落とすと、それをすかさず手に取った。
「一体何があった」
「城秀がな、前川まえかわなる女官と仲を深めておったそうな! 歌を交わし合ってのぅ! ……いや、にわかには信じられぬ。あやつが、私を裏切るなどあり得ぬ!」
 日本へ行く前にも、徒事はしないと誓い合った。そう言い切り、シャシャテンは炬燵に置いた短冊を呆然と見下ろす。
「その短冊、本当に山住が書いたのか」
「なら、比べてみるか?」
 清隆の疑問に応じ、シャシャテンは自室から紙束を持ってくる。山住の文だというそれを、歌の書かれた短冊と並べる。確かに止めや跳ねのはっきりとした字は、両方とも同じ者が書いたように見えた。
「伯母上が証まで送ってくださったのじゃから、確かなのか? しかしあやつが私以外を思うなど……」
 どうやら居候は、伯母と恋人のどちらを信じれば良いか分からなくなっているようだ。ついには頭を抱えて座り込む彼女に、清隆は提案する。
「山住からは、何も言われていないんだろう。話を聞いてみたら良いんじゃないか」
 そして念のため、歌を送った女官とやらにも事情を尋ねるべきかもしれない。本当に彼女が山住を思っているなら、諦めるよう説得するのだ。それに両手を叩き、すかさずシャシャテンは和室に戻る。清隆が部屋を見ると、彼女は文机で墨を擦り始めていた。
「もし私たちの仲が裂かれようものなら、心中も決めておるぞ。嗚呼、まだ私が慕っておっただけのころは、伝わらぬ思いに耐えかねて自害も考えておった!」
「その考え方、危なくないか」
「何を言う! 人に惚れるとはな、己さえ捨てられるほど相手に入れ込むものなのじゃよ!」
 堂々と言われても、清隆にはぴんと来ない。そこまでの人に、まだ会っていないからか。そんな清隆の表情を見たシャシャテンが嘆息し、ある人の一挙一動が気になりはしなかったか尋ねてきた。
 例えば瑞香の事件で悩む自分は、八重崎からの心配を恐れてもいた。しかしそれは、八重崎自体が何をしているかを気にするという点とは違う気がする。二年生になって同じ授業を受けているが、席の遠い彼女をいつも見ている暇もない。シャシャテンにそれを伝えると、大きな溜息が返ってきた。
「つまらぬのぅ。……ところで、なぜ八重崎殿を例に挙げたのじゃ? 他の者では浮かばなかったのか?」
 言われてみて、自分でもおかしなことをしたと清隆は気付く。理由もなく、真っ先に八重崎のことを考えていた。先ほどまで彼女の話をしていたからだろうか。
「そなたは良いのぅ、楽しそうでな。私はもう、城秀のことで手一杯になりそうじゃ」
 筆を進める間、居候は今後の計画を伝える。恐らく伯母は女王の務めが忙しく、事情を聞くどころではない。当事者である二人と話すため、近いうちに瑞香へ行く。言い終えたシャシャテンが、急に涙を含んだような声で零すのを清隆は聞いた。
「私はのぅ、あやつに脇心があるなど思えぬ……思いとうないのじゃよ……」

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