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六段の調べ 破 初段 二、この頃都に流行るもの

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序・初段一話へ


 山住から連絡が届いた翌日の昼、シャシャテンは彼を迎えに行くと言って平井家をいったん出た。やがてインターホンが鳴って清隆は居間のモニターを覗き込んだが、そこに映っていたのは別の男だった。
『シャシャテンの彼氏さん来た?』
 まだだと伝え、清隆は信を中に入れる。妹も含めた三人で、長らく話でしか聞いてこなかった者の到着を待つ。特に信は山住なる男がどんな人か気になっているようで、胡坐を掻いた膝を小刻みに揺らしていた。
「ねぇ、その山住さんだっけ? シャシャテンからなんか聞いてる?」
 信に聞かれ、清隆は数少ない山住に関する証言を並べ立てる。シャシャテンよりは年上で、人に指示するよりは従って働く方が向いている。彼女と同じく楽器を嗜む。今のところ、この程度しか浮かばない。改めて情報の少なさを痛感していた時、インターホンが響いた。清隆が応対するより先に、信が真っ先に玄関へ走る。同時にそちらから扉の開く音がした。画面で確認するまでもないと考え、清隆は信の後に続く。
 シャシャテンの少し後ろに立つ男は、彼女より幾分背が高かった。肩に掛かるほどの黒髪は結っておらず、所々が軽く跳ねている。鈍い青の小袖はきっちりと着こなし、帯には灰色の巾着が下げられている。土産を隠しているつもりなのか、緑の紙にくるまれた箱が背後からわずかに見えた。シャシャテンに掴まれそうになった手を振り払い、彼は名乗りを告げた。
「姫様から話は聞いております。かねがねお会いしたいと――」
「堅苦しいことは言わず、早う上がるが良い! それに、いい加減『姫様』と呼ぶのはやめぬか!」
 シャシャテンに突っ込まれ、山住は一礼して玄関を上がる。居間で清隆たちが自己紹介を済ますと、客人はまず信に興味を持ったようだった。
「生田様とおっしゃられましたか? ああ、さてはあの生田家でございますね?」
「はい? なんの生田家ですか?」
 顔を覗き込んでくる山住に、信は困惑を隠さない。それを察したのか、客人は誤魔化すように咳をした。
「どうか無礼をお許しください。それでは初めに、こちらを」
 山住が懐から紙を取り出す。梧桐宗が信者を勧誘するために制作した広告だというそれは、いかにも手が込んでいた。色刷りで描かれた仏と不死鳥が目を引き、その周囲に大きめの字で文章が並んでいる。清隆たちにとって見慣れない文字もあったが、主に平仮名で書かれていた。
「これとは似て非なるものといいますか――昨秋、日本において空よりもたらされた紙片を、お持ちではありませんか?」
 怪雨で降ってきた「越界衆」の文だと、清隆は見当が付く。まだ持っていると告げたシャシャテンが、和室へ取りに行った。白黒で文しか載っていない「越界衆」の紙と、山住の持ってきた広告は、書かれている内容としてはほとんど同じらしい。不老不死を尊び、自身もそうなることを目指すよう勧めている。
「この『越界衆』を率いていた伊勢千鶴子も、元は梧桐宗の者と聞いています。『越界衆』は梧桐宗と由縁を持ち、日本でも道心者どうしんじゃ――教えを信ずる者を増やそうとしていました。日本との関わりを強めながら不老不死も得んとする、まさに『建国回帰』のためでしょう」
 山住が話し終わる間際、何やら美央が呟いたのを清隆は聞き付ける。わずかに妹を一瞥するが、彼女はこれまでもずっと黙っていたかのように固く口を閉ざしていた。
 大友が「建国回帰」を目指して動いていたことは、清隆の記憶にも新しかった。王の死で潰えたように見えた目標だが、不老不死を望む梧桐宗の動きが盛んになれば再び起こりかねない。四辻姫はそれを危惧し、山住に調査を頼んでいたそうだ。
「そしてこれが、梧桐宗を興した僧侶の肖像でございます」
 山住は再び、懐より出した紙が折り畳まれていたものを広げ、まだ片付けられていない炬燵に置いた。描かれている人物は、黒い法衣と袈裟に身を包み、剃り上げた頭に水冠を被っている。一重の垂れ目に、どこか疲れているような表情は、大友と似たものを思わせる。絵の下に書かれていた横書きの文字を、信が声に出して読み上げる。
「さいじゅんけん……」
筑紫賢順斎つくしけんじゅんさいじゃ」
 シャシャテンに言われ、瑞香の横書きは右から読んでいくべきだと清隆も理解する。賢順なる男は幼少期に出家したが、次第に不老不死への心を強めて還俗し、「筑紫賢順斎」を名乗りだした。そうして一度は仏道から離れたかと思えば、都の南西にある医王山いおうさんの麓・諸田寺しょでんじを拠点とし、そこの住職も務めている。昔は妻子もいたが、現在彼らとの縁はすっかりないようだ。賢順は「建国回帰」に加担しているとの見方もされており、実際大友が亡くなって以降はその思いを継ぐかのように信者――不老不死に共感する者を増やそうと躍起になっている。
「おい、美央。さては興味があるのか?」
 シャシャテンの指摘で、清隆は妹がわずかに前傾して話に聞き入っていたと気付いた。その彼女はすぐさま、背をまっすぐにする。熱心だったことを悟られたくないのかもしれない。
 妹への追及は置いておき、清隆は僧侶の肖像を見下ろした。瑞香の現状が本当に山住の言った通りか、話だけではすぐ受け入れられない。しかし今まで国に留まっていた彼が、わざわざ日本へ顔を出すくらいだ。直々に伝えた方が良いと判断するほど、事態は重いのかもしれない。
 ここで山住が姿勢を正した後、シャシャテンに向き直って真顔で話しだした。
「姫様。私は陛下――四辻姫様の命を受け、次の月より梧桐宗を探りに諸田寺へ向かうこととなりました」
「――そなた、梧桐宗に取り込まれんとするつもりではなかろうな!?」
 シャシャテンの顔がさっと青ざめる。彼が梧桐宗の教えを受けて感化されるのを恐れてか、大声を上げて止めようとしている。そんな彼女へ毅然とした態度を取り、山住は告げる。
「お心遣い、感謝いたします。しかし、これは陛下から直に頼みを受けた故、どうかお許しを」
「伯母上がか……。それなら、仕方あるまい」
 親代わりの伯母が下した命となれば、なかなか逆らえないのだろう。肩を落としたシャシャテンだったが、すぐ気を取り直して清隆たちを見返った。
「そうじゃ、私がここで如何に暮らしておるか教えてやろう。特に清隆と美央は弟や妹のようでな――」
「暮らして……? 姫様、ここでお住まいに?」
 山住の問いに、シャシャテンもしばらくぽかんとした顔をする。
「いえ、清隆殿たちが『世話になった』とは聞いていましたが……」
「嗚呼、昔だけではなく、今も助けてもらっておるのじゃよ」
 シャシャテンから事情を知った彼は、横に置いてあった土産を今思い出したように清隆へ差し出した。都で評判の菓子だというが、それよりも彼が土産の存在自体を忘れていたのではと、シャシャテンが白い目で見る。
 こちらも茶を出していなかったことに気付き、清隆は台所で湯を湧かす。そこでシャシャテンが立ち上がり、菓子の入っている戸棚の引き出しを開けた。そこからいくつかマドレーヌを出し、日本で食べられている甘味だと紹介する。清隆が人数分の茶を淹れている間も、シャシャテンは嬉々として洋菓子について語っていた。
「……ほれほれ、変わった形じゃろう? 昔は貝を型に使っておったそうな。確か西にある国で、名前はえっと――」
 いつの間に知識を蓄えていたのか怪訝に思いながら、清隆は山住に土産を開けて良いか尋ねる。快く許されて緑色の紙包みを広げると、竹で出来た箱の蓋越しにほんのりと甘い匂いが立ち上ってきた。練り切りだろうか、鶴や鶏、鳩といった鳥の姿が菓子で表されている。大きさこそ掌に載りそうだが、はさみで入れたらしい切れ目で羽が細かく再現されている。真上から見るとちょうど鳥の目がこちらと合い、信が写真を撮りつつ食べるのを惜しんでいた。
 まず懐かしい瑞香の菓子に手を伸ばしてから、シャシャテンはマドレーヌの袋を引っ張って開封しようとした。しかし固いのかなかなか開かない様を見て山住が代わる。シャシャテンのやり方を真似して袋を前後に強く引っ張っていたが、開いた瞬間に中身が高く宙へ飛んでいき、床へと落ちた。シャシャテンが膝立ちで菓子を見やり、咄嗟に山住の襟を掴む。
「こやつ、何をしてくれる! 相変わらずじゃなぁ!」
 体を前後に揺すって責めるシャシャテンへ、山住はしどろもどろに謝る。未開封の菓子を渡した清隆は、彼らが瑞香でどのように過ごしていたのか想像も出来ずにいた。

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