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六段の調べ 破 初段 四、さくらのうた

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序・初段一話へ


「ほれ清隆、城秀からそなたに宛てた文じゃ。よもや私は、さほど思われておらぬのかのぅ……」
 四辻姫から山住に関する疑惑を聞いて数日後、和室に顔を出した清隆はシャシャテンに封を投げてよこされた。襖のそばで落ちたそれを拾うと、丁寧な字で山住と清隆の名がある。自分自身への手紙がないからか、居候は不安と不満の混じったような顔をしている。そんな彼女を遠目に、清隆は封を開けた。先に彼女が読んでいないか気になったが、開ける辺りに付けられた印はずれていなかった。
 手紙にあったのは、三日後――ちょうど清隆が休みである日、シャシャテンには内密で会いに来てほしいとの旨だった。山住も女官との関係が四辻姫に知られたと勘付き、対処を考えたいのだろう。しかし相談相手なら、瑞香にいる身近な者でも良い気がする。わざわざ自分が選ばれたことに疑問を覚えつつ、清隆は文机に伏せているシャシャテンへ尋ねた。
「次の日曜って、確かシャシャテンも瑞香へ行く予定だったよな」
 山住と女官、各々に話を付けるために、シャシャテンは瑞香へ一度戻る許可を四辻姫に頼んでいた。それが認められたのが、清隆も山住に指定された日にちのはずだ。シャシャテンが予定していた時刻より幾分早い。
「嗚呼、そうじゃが。そなたも私を手伝ってくれるのか? それなら心強いぞ」
 シャシャテンから勝手に期待されているようだが、彼女の助けがなければ瑞香の結界を開けてもらえない。山住と話しに行くとは黙り、清隆はシャシャテンが赴く少し前に瑞香へ向かわせてくれないか頼んだ。こちらがすっかり説得に協力するものと思っているらしい居候は、快く受け入れる。緩やかに進んだ話に内心驚きながら、清隆は到着したい場所として山住と待ち合わせている地点を伝えた。
 
 
 週末の午後、清隆が瑞香で下り立ったのは、宮城から離れた崖にある草原だった。人目を憚る必要がないと、シャシャテンが説得の場に選んだ地だ。清隆が去年の夏、初めて瑞香へ行った際に着いた場所でもある。まだ所々に雪が残り、上着がなければ耐えられそうにない冬のような寒さだ。空は晴れているが、降り注ぐ日の光も暖かいとはいえない。
 山住が来るのを待って、清隆は草地に腰を下ろした。若干雪が解けて濡れている葉の上に、丸い雫が点々と付いている。何気なく後ろを見ると、白地に紫がかった花びらを持つ星型の小さな花が群れで咲いていた。確かシャシャテンに和室で瑞香の風景を見せられた時、彼女が摘み取って花入れに差したものだ。清隆は一本の茎を折り取り、寒さに耐えて咲く花をじっと眺める。
「清隆殿、花がお好きでございますか?」
 いつの間にか山住が来ていたと分かり、清隆は慌てて花を投げ捨てる。そしてシャシャテンから護身用に持たされた短刀を後ろに隠して挨拶をした。山住もそれに応じ、足元の花を見下ろす。
「それは雪解百合といって、ちょうど雪解けの時期に咲く花でございます。姫様もお好きだそうで。……ああ、その姫様との一件で、清隆殿に難儀をさせてしまうことになり、初めにお詫び申し上げます」
 山住が頭を下げ、袂から数枚の紙を取り出した。前もって話を聞いたか確認し、山住は例の女官とやり取りがあったことが事実だと明かした。実際に女官より送られた紙を見せ、彼は語る。
「私としては、ただの礼儀というつもりで送りました。文には返しをするのが当然かと考えまして。しかし相手の方――前川みな殿には、別の思いがあったようで」
 前川から来た和歌を、清隆は覗き込む。「九重に いまだ閉じるる 桜花 ただひたすらに 春待つのみぞ」――一見、花開く待ち遠しさが籠もっているだけに読み取れる。そして山住も、そう解釈して返事を送ったのだった。
 その翌日に、またも歌が届いていた。「花宴 飽かず続けよ とこしえに ただ笑むのみを 喜ぶもがな」――花がずっと開いたまま、楽しんでいられたらと。これに対して山住は、桜はすぐ散るが、悲観的にならず次の花を心待ちにしようという趣旨の歌を返した。また前川が何か送ってくるか考えていたら、事情を知ったシャシャテンから文が来て自身の過ちを思い知った。
 清隆は和歌を見比べ、なぜ前川が山住を思っていることに繋がってくるのか首を傾げる。山住もすぐに見抜けなかったその意味をじっくりと考え、そして気付く。
「花になぞらえて、思いを伝えていたのか」
 前川はあまり直接的に伝えたくなかったのだろう。遠回しな態度が、山住を誤解させたままにしてしまった。彼は素直に、歌の真意を考えず受け取ってしまったようだ。
 和歌の書かれた紙をこちらが返した後、山住はわざわざ清隆を呼んだ理由を話した。あくまで宮中で流れている噂に過ぎないが、前川は少し前に日本から来たという。前川みなの名も仮のもので、故郷では別の名を使っていたようだ。
「後ほど会った折に前川殿をご存知だと分かった暁には、あの方を諦めさせる言い聞かせに、手を貸していただけないでしょうか? どうしても姫様が来られる前に済ませなければなりません」
 出身が同じというだけで頼まれても、清隆はすぐ了承できなかった。前川が瑞香で生まれた、清隆と縁のないただの女官であるとも考えられる。今のうちに断ろうかとも浮かんだが、なかなか踏み切れなかった。何よりその女官が何者かが、清隆の心を強く引き付けていた。
 大友から四辻姫へと王位が移行した中で瑞香に移住し、さらに女王のもとで働き始めたのは本当なのか。もしそうなら、彼女は何を思ってそれを決めたのか。いつの間にか清隆には、見知らぬ人物と会うかもしれない恐怖より、女官への好奇心の方が上回っていた。
「分かりました、手伝いましょう。まだシャシャテンが来るまで時間はあると思いますが、それまでに何とか出来るでしょうか」
 清隆が腕時計を見やって尋ねると、山住はじっと前方を直視しながら、相手がいつ来るかにもよると答えた。そして前川を待つ間、山住はどうしても彼女を諦めさせたい心を強く語った。
「私は姫様一筋に生きると決めました。他の者が立ち入るなど許されません。たとえ四辻姫様が無理に裂かんとされても。――私は、武家に後から入った身でございまして」
 彼の両親は早々に離縁し、母に連れられて山住家の子になった当時、既に義父と亡くなった先妻との間に生まれた兄がいた。数年後には義弟が誕生し、やがて彼が当主の座を狙って義兄の屋敷を包囲した。そしてその最中に義兄が病死し、それに続く継承権があるとして義弟から命を狙われていた山住は、四辻姫たちの幽閉されていた薄雪山に辿り着いた。そこに人が住んでいるとは、知らなかったという。
「運良く見つけた屋敷で匿ってくれるよう頼んでいたら、姫様がお出でになられました」
 門番と揉めていたところに現れたシャシャテン――六段姫に、山住は屋敷への入りを許された。四辻姫にも事情を伝えた彼は義弟を呼び、後を継ぐ意思がないと伝えて和解した。
「元より私は、兄弟と違って義父の血を直に継いでいません。当主になるべきではないと、かねがね思っていました」
 山住は四辻姫に護衛として雇われ、それから半年が経ったある日だった。屋敷に盗賊が入り込み、彼は戦闘中に姫を庇って負傷した。三日寝込んで目覚めた後、付ききりで看病していた六段姫に思いを聞かされた。
「本当はこれに関して、何やかやと紆余曲折がありますが……もう前川殿が見えていますね。いずれにせよ、私に二心はありません」
 山住がそう語りを締めようとしていた時、清隆は前から草原を歩いてくる人影にのみ意識を向けていた。髪を後ろで一つにまとめ、赤い袴の裾を引きずっている。歩き慣れていないよう草履でゆっくり向かってくる彼女の顔が、次第にはっきりと見えてきた。
「朝重れいじゃないか」
 近くに来た辺りで名を呼ばれた少女は、清隆に視線をやって足を止めた。数ヵ月前、大友に操られて清隆を殺そうとした女だ。目の前の姿も明らかにそうだと分かり、なぜ彼女がここにいるのか見当も付かず呆然とする。疑問があるのは相手も同じらしく、やがて弱々しい声で問うてきた。
「なんで、山住さんだけじゃなくてあなたもここにいるんですか?」

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