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六段の調べ 破 初段 五、天国の島

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序・初段一話へ


 清隆と前川みな――朝重れいが本当に顔見知りであったことには、山住も期待半分であったという。それだけに戸惑いの大きい様子を見せる彼に、清隆はここにいる女官が前川みなで合っているか確認する。そこには山住も、そして前川自身も肯定した。
「お久しぶりです、美央ちゃんのお兄さん――前にちょっとだけ会った気がします」
 陰陽師によって操られていた記憶を消されたと聞いていたが、正気に戻っていた間の出来事などは覚えていたらしい。どのように呼べば良いか清隆が迷っていると、少女は「前川」とするよう頼んだ。
「それなら前川、お前はなぜここにいる。山住さんが噂で聞いたそうだが、日本からここに移住してきたのか」
「そうですよ」
 あっさりと前川は返す。彼女の両親は既に亡くなり、高校に進学しても馴染めるか不安があった。昔からいじめを受け、前川は日本での生活に懸念を持っていた。そこで母に聞かされていた瑞香に住めば、日本より苦しむことなく暮らせるのではと考えたようだ。
「では、なぜ陛下のもとに? 然るべき分際でなければ、宮に勤めるなど出来ません。外から来た者なら、より厳しいでしょう」
 山住の疑問に対しても、前川は淡々と答える。
「四辻姫のことを知りたかったんです。あの人もわたしが日本から来たっていうのに興味を持って、女官にさせてくれました。本来の女官に必要な、仮の身分までくれて」
 四辻姫はなぜ、わざわざ偽造までして前川をそばに置いたのか。そこに狙いがあるようで、清隆の心は晴れない。しかしその思いを置き去りにして、会話は進んでいく。
「あなたのことはよく分かりました。その上で申し上げます。私は前川殿に、思いなど微塵もございません。どうかその心をお捨てくださいませ」
「いやです」
 山住の頼みも、女官は冷ややかに瞳を光らせて拒んだ。あれほど自分を受け入れるような返歌をしてくれたのに、今さら断るとは何事かと。山住が詠んだ歌に彼の心が籠もっていると、前川は考えてしまっているのだ。清隆はすぐ、そう気付いた。山住はただ愚直に、歌をそのまま解釈してしまっただけなのに。
「山住さん、あなたは人を理解しようとしないのですか?」
 前川が棘を含んだ声で言い放つ。山住が季節の歌として受け取っていたことも、彼女は耳に入れようとせず、厳しい表情で問い詰める。
「歌というのは、言葉の裏にある心を見るものでしょう。それなのに山住さんは、ただ文字だけを追っていたんですか?」
「それは……」
「前川、和歌の解釈にも色々あるんだろう。そう山住さんを責めるな」
 口ごもる山住に、清隆は助け舟を出す。このままでは、声をさらに尖らせていく前川に山住が押されてしまう。しかし女官の感情は収まらず、より辛辣に追及してくる。そこに後ろで炎の立つ音がし、清隆たちは一斉にそちらを向いた。
「何とのぅ。どこかで見た顔じゃと思ったら、朝重殿か」
 家から直接ここに来たと思われるシャシャテンが、真っ先に前川の存在に着目する。清隆は自分が山住と共に例の女官を諦めさせる説得に来たこと、その女官が朝重れいであり、彼女が瑞香にいる理由も話した。シャシャテンが来るまでに間に合わなかったと悔やみ、清隆は腕時計を見る。約束の時刻より数分前であった。どうやらシャシャテンは、余裕を持った行動を試みていたようだ。
 清隆の説明を全て聞いたシャシャテンが、前川をじっと見据える。
「今は前川殿、で良かったか。早速じゃが、そなたは城秀に惚れておるのか?」
 前川が黙っている間、シャシャテンは無言で圧力を掛けてくる。口元がわずかに上がっているが、その目は笑っていない。それに怖気づいたか、前川はシャシャテンを凝視したまま余計に顔を引きつらせ、話すのを躊躇っていた。
 このままでは前川も本心を言いにくいだろう。清隆はいったんシャシャテンを引き離すことにした。前川には決心がついてから伝えるよう勧め、山住とも距離を取った場所でシャシャテンに向かい合う。
「前川が来る前に聞いた話だが、山住さんはシャシャテンにしか思いがないと言っていた」
 清隆は自分へ山住が明かしたシャシャテンへの心を、そのまま彼女に告げる。シャシャテンは軽く頷き、懸想人へ目をやる。唇をわずかに噛み、まだ自分を思っているか黙って尋ねているようだった。それに山住は何も言わない。
 片手に握ったままであった短刀に妙な感覚を覚えながら、清隆は二人を眺める。思えば彼らが出会った経緯は聞いたが、どのように通じ合ったのかまでは話が進んでいなかった。山住にいかなる心境の変化があって現在に至ったか、全く分からない。彼はただ受動的であっただけで、本当はシャシャテンと深い仲になるなど望んでいなかったのではないか。
 足音が近付き、山住がシャシャテンを正面に間を縮めていった。そして彼が口を開きかけた時、突然その答えは草原に響いた。
「山住さん! 心が決まりました。わたしはやっぱり、あなたが好きです!」
 前川の叫びを聞いた山住が振り返る。清隆は前川に視線を投げ、彼女が決意に満ちた表情でいるのを認めた。山住のことは、何度も宮中で見掛けて気になっていた。シャシャテンの指摘を受け、その感情を確信したと少女はまくし立てる。
 ここで前川が、シャシャテンと山住の関係がどのようなものか今さらのように問う。シャシャテンが正直にそれを明かすと、前川はすかさず彼女を睨んだ。
「やっと瑞香に来ることができて、でも不安でいっぱいだったときに見つけた仕合わせなんです。それをここで奪わないでください!」
 強まる言葉が吐き出されると同時に、風が草地を激しく揺らす。高く唸っていた音がやんでから、シャシャテンは言う。
「なるほどのぅ、確かにそなたは仕合わせであるやもしれぬ。じゃが、あやつからそれを先に得たのは私じゃ。むしろそなたは、私の仕合わせを奪う側ではあるまいか?」
 前川が重い音を立てて、足を一歩踏み出す。その目が得物に向けられていると気付き、清隆は咄嗟に背後へ隠す。シャシャテンとやり取りをしている中に受けていたものは、この視線と同じに違いない。
「六段姫さまはしばらく山住さんと会っていなかったんでしょう? その間に日本で会った人に興味を持ちそうな気もしますけど。美央ちゃんのお兄さんとか」
「戯け、清隆は弟の如き者じゃ。城秀と違う形で、縁は深いがのぅ。それに」
 シャシャテンも負けじと、前川との距離を詰める。
「たかが一年離れておるだけで、私もあやつも互いを忘れると思うか? かほどに私たちの思いが、弱きものと見くびっておるのか?」
 高らかに述べるシャシャテンの姿には、相当の自信が見えた。前川が歯ぎしりをしてから俯く。気持ちを自覚して早々に、手ごわい敵が現れたのだ。じっと鋭い目つきでシャシャテンを見たかと思えば、前川は声を荒げた。
「時間とか根拠のない自信とか……そんなので相手に愛されてるかなんて決めないで!」
 走る音が迫っていると自覚した瞬間、清隆は草の上に倒れていた。不意に突き飛ばされ、武器は自分の手にない。代わりに前川が鍔の紙縒りを引きちぎり、鞘を捨てて抜き身の刃をシャシャテンに向けた。そして彼女が刀身を振り上げようとしたさなか、シャシャテンの前に割って入る者の姿を清隆は見逃さなかった。
 起き上がった清隆の足元に短刀が投げられ、その下にあった葉が赤く塗れる。清隆は素早く鞘を拾って収め、再び奪われないようなるべく遠くへ放った。
 その間も清隆は、山住から目を離せなかった。刃を突き刺された彼の肩から飛び散った血が、やがて袖へと静かに伝い始めていた。

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