見出し画像

六段の調べ 破 初段 六、桜華幻想

前の話へ

初段一話へ

序・初段一話へ


 倒れそうになる山住を、すぐ後ろにいるシャシャテンが慌てて支える。その衣が汚れても構わず、彼女は刺された部分を押さえる山住の手に自らの手を重ねていた。
「これは……あの時と、同じになってしまったのぅ……」
 以前も山住は、シャシャテンを庇って負傷したことがあった。彼がそう話していた時は半信半疑であったが、事実だったのか。前川に見せていた態度とは一変し、シャシャテンは目を涙で光らせている。
「この分なら、すぐ癒えます……。さすがにあのときは、傷が深過ぎましたが」
 山住も不死鳥の血を継いでいるが、深いと治りが遅くなるようだ。今回は心配ないと山住が言う通り、その肩から流れる血の量は減っていき、傷が治っているようだと見て取れる。しかしシャシャテンはそれをすぐ受け入れず、背後から山住をいたわるように両腕を回した。そのまま彼の背に顔をうずめ、周りも気にせず嗚咽を漏らす。
「すまぬ、城秀。また私のせいで……」
 そこから先でシャシャテンが何を言っているかは、清隆に聞き取れなかった。ただ、山住が「己さえ捨てられるほど」シャシャテンを思い、身を挺して救ったことだけが静かな衝撃を与えていた。自分はあそこまでして、人を守れるだろうか。そして山住を強く案じ、涙を流すシャシャテンもまた、彼と同じ思いを抱いているのかもしれない。
「……本当に互いが大事なんだろうな、二人とも。分かるか、前川」
 大切であったはずの人に傷を負わせ、武器も失ってうろたえる前川を、清隆は一瞥する。返り血で塗れた手を見下ろして後ずさる少女へ、音を立てずに歩み寄る。彼女が瑞香へ理想郷を求めていたように、シャシャテンと山住もまた互いに拠り所を求めているのだ。どちらかが傷付いて失われていくことを恐れている。手紙のやり取りをしながら一時的に離れるのは許せるとしても、永久に離れるなど耐えられない。
「ここでお前が介入したら、この二人の幸福を奪うことになる。もちろん前川の気持ちも無下にしたくないが……ここは昔から思い合っている二人、そして俺に瑞香を教えてくれた恩人のためにも、諦めてくれ」
 じっと考え込んでいた前川だが、やがて静かに首を振った。体勢を整えた山住に近寄り、足元の草が赤いのを見下ろす。
「初草よ 春向かう地に 生うれども 掻き垂れる血に 既に朽ちるか……」
 山住が流した血のせいで、せっかく生えてきた草が枯れると皮肉っている。それが自分を受け入れないことへの非難であるかのように。それに山住はしばらく時間を置いてから返した。
「春辺にて 朽ちし千草も 来る年の 芽吹き誘いて 土に還らむ。ここで終わりではありませんよ」
 その真意に気付いたのか、前川は膝から崩れ、袖で目元を押さえた。見かねたシャシャテンが動きかけたが、その物音を聞くや前川は立ち上がり、顔を隠して走り去っていった。誰が呼んでも、彼女は聞こえないかのように遠くへ姿を消してしまった。
 清隆がじっと前方を眺めている間、山住がシャシャテンに前川との経緯を説明していた。事情を知った居候が、やがて大きく息をつく。
「……それにしても城秀、相変わらず鈍いのぅ」
 シャシャテンはかつて襲ってきた盗賊の残党がいると気付かずに部屋を飛び出し、そこで山住がひどく負傷するきっかけを作ってしまった。それを機に彼女は山住に気持ちを伝えたのだが、それまで何度か匂わせてきたにもかかわらず、山住は半年間何も気付かなかったという。
「シャシャテンはいつから、そしてどこが気に入ったんだ、山住さんの」
「さぁ……分からぬのぅ。気付いた時には、と言うべきか」
 シャシャテンの答えに軽い落胆を覚えながら、清隆は空を仰ぐ。思えば前に来た時より静かで、日本にもいるような小さい鳥の姿しか見掛けていない。以前はいたはずの不死鳥の不在を指摘すると、山住が声をいくらか低めて告げた。
「――四辻姫様が即位されたころから、姿をお見掛けしておりません。十三羽、全て」
 たまたま不死鳥がこの場を通り掛かっていないのではなく、本当に瑞香からいなくなったようだ。梧桐宗の流行も合わせて考えたか、シャシャテンがふっと顔を曇らす。
「凶事が続くのぅ……。伯母上の治世が悪いという訳ではあるまいな?」
「治世と不死鳥の失踪なんて、関係ない気もするが」
「いえ、災いは政の悪い時分に起きるともいいます」
 清隆の疑問に、山住がすかさず告げる。そして彼はそのまま、シャシャテンへ向き直った。
「ご覧の通り、今の瑞香に災いが多いのは明らかかと思われます。姫様には今後、なるべくこちらに窺うことは控えていただきく願います」
「何とのぅ、いきなり出入り禁止か? ……しかし心が休まらぬのも確かじゃな。それにそなたの頼みじゃ、受け入れるとするか」
 不死鳥の失踪や梧桐宗の流行は、清隆にとっても気掛かりだった。しかしその懸念だけでなく、山住がシャシャテンを強く案じているともまた感じていた。山住は自分自身よりも、本気で思い人を守ろうとしているのだろう。彼には何があっても敵わないような気がして、清隆はしばらくその顔を見ることが出来なかった。

 
 せめて六段姫だけは、と思って前川は自室の文机に向かう。山住もいたから、失敗したのだ。次は内密に会わなければ。
 硯で墨を擦り、手紙を書く準備を進めるも心が落ち着かない。やがてその予感が的中したかのように、廊下から複数の足音が聞こえてきた。思わず墨を置き、身を固くして障子の開く音を聞く。
「前川みなとおっしゃいましたか。六段姫様の思い人を奪おうとするとは、いかなる心持ちで?」
 一人が口を開いたのを皮切りに、その周囲にいた複数の女官たちが次々に前川を責め立てた。いずれは王配として瑞香を支えるかもしれない者に懸想したことを、容赦なく非難してくる。まさかの事態に耳を塞ごうとした前川の手を、ある女官が力強くはたいた。赤く染まる手の甲を一瞥し、相手は口先だけで謝る。そこに通り掛かった年長の女官が騒ぎを咎め、その日はこれ以上被害を受けずに済んだ。
 だが同僚たちの動きは、一日だけで終わらなかった。毎日のように陰口を言われ、時にはわざと転ばされもした。山住が諸田寺へ行く姿を見送ろうともしたが、門前に並ぶ人々の中に自分をいじめる女官がいたのに気付いて諦めた。
「……もう、あの人のことは忘れます」
 瑞香でようやく桜が咲き始めたころ、前川は思い切って四辻姫にこれまでの顛末を話した。山住からの拒絶、そして女官の仕打ちを語るうちに、涙が止まらなくなった。悔しさと悲しさが入り交じり、胸が激しく締め上げられる。ここが女王の御前であるとも、すっかり忘れていた。
「そうか。……そなたも、辛かったのぅ」
 声の主が四辻姫だと思い出し、前川は慌てて顔を上げ、己を恥じた。女王の前で私情を見せるなど、一女官として許されない。しかし四辻姫は、それを気にせず大らかに励ましてくれた。
「また何かあれば、私に言うてみよ。そして、躊躇わず泣くが良いぞ……」
 主の屈託ない笑みに、前川は深く頷いた。ここまで許してくださる方なら、もう少しそばにいたい。いずれはほとぼりも収まるはずだ。それを待ちながらこの宮で働き続けようと決め、自室に戻る。
 今度は、大事なものを全て託した知人に送る文を書く。ふといじめの件をどうしようかと考え、手が止まる。昔から親しい、家族に近い人だからこそ、心配させたくない。あの人も宮中勤めを勧めた結果、自分が苦しんでいるとは知りたくないだろう。やはり書かないことにして、前川は再び筆を走らせた。

次の話へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?