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六段の調べ 急 初段 三、古の時から

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序・初段一話へ


 日の傾きかける中、清隆がシャシャテンに連れられて下り立ったのは、人気がない通りにひっそりと建つ屋敷の前だった。呼び掛けに応じて引き戸を開けた狩衣姿の男に、シャシャテンは賀茂泰親なる者がいないか尋ねる。
「師匠ならお出掛けになりましたが……」
「そうか、相分かった。清隆、次へ行くぞ」
 雪かきはされながらもまだ滑りやすい道を速足で行くシャシャテンを、清隆は追う。これから向かう場所は少し遠いと切り出し、シャシャテンは手紙を出してきた妙音院師長について語りだした。元々彼は、瑞香でも家柄が高く、由緒正しい上東門じょうとうもん家の長男だった。しかし十八歳になって彼はなぜか実家を飛び出し、都でもあまり賑わっていない静かな地で暮らし始めた。
「その邸宅があるのが妙音通りという小道でな、そこから『妙音院殿』と呼ばれておったのを姓として名乗ったようじゃ」
 ほとんど人とすれ違わないうちに、シャシャテンの言っていた「妙音通みょうおんどおり」と彫られた石碑を見つける。そこをまっすぐ行くと、周りの家数件を合わせたほどの広さを持つ屋敷が清隆の目に入った。明らかに隣近所とは違う高貴さと物々しさがある。屋根の黒い瓦は敷き詰められており、白い壁も所々汚れがあるだけだ。しかし、なぜだか哀愁が清隆に芽生える。広い割に住んでいる人が少ないのか、建物が放つ独特の雰囲気があるのか。
「ここの主――妙音院師長はな、妻もろとも変わり者らしいぞ。私も詳しくは知らぬが」
 夫は屋根で琵琶を弾くのが趣味な割に、空などを見上げるのが苦手だ。公家にもかかわらず町人と言い張って烏帽子を被らず、逆にそれを妻が使用している。一般的な女が好むものに興味がない妻の方は、男装姿が名高いらしい。
 長く幽閉されていた上、ここ数年は瑞香からも離れていたシャシャテンでも、これほど知っているとは。清隆は訝しさを思いながら、彼女が戸を叩くのを見守った。
 ここに住み込む女中らしき者が顔を出した。シャシャテンが信を連れ戻しに来たと言うと、彼女は驚いた様子を見せ、しばらく待つよう頼んでから玄関奥に引き返す。やがて女が、賀茂と呼ばれた男と共に戻ってきた。男は妹が話していた、信を攫った者の見た目に近かった。
「賀茂泰親じゃな? そなたの懇意にしておる者から来た文と、生田信のことで話がある」
 シャシャテンが厳しい声で告げると賀茂は了承し、まず屋敷に入るよう勧めた。清隆たちは玄関に上がり、賀茂を先頭に廊下を進んでいく。御所のそれよりは少し狭く、明かりは部屋から襖越しに漏れ出る光、そして賀茂の持つ手燭が頼りだった。
「皆様がお探しの方々は、丁度夕餉の時で御座いまして……」
 賀茂が両隣の部屋より幅が広い襖を開ける。大広間と紹介された室内を覗き込んで、清隆は唖然とした。シャシャテンの私室の四倍はありそうな空間に畳が敷き詰められ、そこに四人の人物が向かい合っている。彼らの前にはそれぞれ膳が置かれ、食事をしているようだ。夫婦と子どもらしき三人の横顔は誰だか分からなかったが、上座で呑気に飯を口に運んでいる男については、もう見当が付いた。
「信、ここで何をしている」
 口元に米粒を付けた信がこちらを見た。慌てて持っていた器を置き、清隆たちに手を振ってくる。
「よかった! 迎えにきてくれたんだね!」
「小僧! 何じゃ、まるでこの家の一員みたいにしおって!」
 部屋に踏み込んでいくシャシャテンを、信の隣にいた男と、その向かいにいる子どもが不思議そうに見ている。対して子どもの横にいる女は、周りの様子も気にせず食事を続けていた。信に詰め寄って文句を言うシャシャテンを引き留めた賀茂が、さらに上座へ腰を下ろすよう勧めた。同じく清隆も、部屋への入りを促される。
 一番襖に近い方で座る賀茂が、まず左前髪の長い男を紹介する。彼こそが、シャシャテンに手紙を送った妙音院本人であった。特徴的な髪形が目を引くが、表情や振る舞いは穏やかだ。そして薄紫の着物を簡素に着こなし、帯を腰辺りに巻いているのが妻の若御前わかごぜん、肩で切り揃えたおかっぱで、少しはにかんでいる子どもが数え八歳になる妙音院の息子・蝉麻呂せみまろだった。蝉と名付けるのが奇妙だが、母親が虫を好んでいるためその幼名にしたらしい。
 清隆も簡単に名乗ってから、シャシャテンに引き継ぐ。ここでも正体を明かしたくないのか、彼女は偽名を使おうとする。しかしそれを言い切るより先に、賀茂が口を開いた。
「貴方様の事は存じ上げております、六段姫様」
 蝉麻呂だけは目を丸くしていたが、妙音院とその妻は先ほどと変わらぬ態度で箸を進めている。王女が来ても、彼らは何とも思っていないのだろうか。二人の様子を見かねて、賀茂が咄嗟に頭を下げる。
「申し訳御座いません、姫様。お二方とも礼儀を知らない訳ではなく……」
「いや、むしろ心地良いぞ」
 シャシャテンは夫婦に笑みを向け、女中が持ってきた茶を口にした。そこに妙音院が手を止め、王女へ頭を下げる。
「そういえば六段姫様には、公経さまがお世話になりました――いえ、えっと……」
「師長様、そのお話は!」
 賀茂の突っ込みで、妙音院は押し黙る。公経といえば、確か諸田寺で四辻姫が零していた名だ。しかしあれから話題に出ることはなく、ほとんど忘れていた。シャシャテンもきょとんとしていたが、やがて切り替えるように咳払いをすると、懐から妙音院の手紙を取り出した。これはどういうつもりなのか、賀茂が信を連れ去った件と関係があるのか尋ねる。
 率直に事情を明かしたのは賀茂だった。四辻姫は瑞香系の人々をこの国に住ませようとしているのだと。そこで先祖が瑞香人らしい信も、しばらくこの屋敷で預かろうとした。
「何、伯母上が斯様なことを決めておったのか? 一筆送っていただければ手伝えたものを。まぁ、後で伝えるつもりだったのじゃな」
 前向きなシャシャテンに対し、清隆は疑念が抜けなかった。四辻姫はなぜ、急に移住政策など始めようとしているのか。いつも手紙を送っている姪にもわざわざ伝えなかったとは、何か伏せておきたい理由があるのか。
「ところで六段姫様、こちらの信様を含む生田家の事は勿論ご存知で御座いますね?」
 賀茂が信を手で示し、シャシャテンに問い掛ける。迷いなく肯定する彼女を見て、清隆はもう二年前になる出会いの日を思い出した。あの時、シャシャテンは昔に知り合っていた自分とその家族だけでなく、信の名も知っていた。
「伯母上から聞いておったのじゃ。生田――もとい、八橋やつはしの家についてはのぅ」
「何? おれにも関係あるの?」
 信が身を乗り出す。シャシャテンが語るには、生田家の祖は後に瑞香となる島へ漂流した遣唐使で、初代王の時代には初めて瑞香から日本に向かった者の一人でもあった。日本と瑞香の間を船で行き来するのが困難だと悩んだ先祖は、不死鳥の提案で特殊な結界を張った。周囲の空間が歪んだ見えない壁を利用し、人々は容易く日本へ行けるようになった。
「じゃが、誰が日本へ向かったのか、あるいは此方へ帰ったのか分からぬのは困りものよ。そこで」
 シャシャテンがまっすぐに信を指差す。彼の祖――八橋家が代々、結界と行き来する人々を管理する「際目番」になった。人々の見送りと出迎えを必ず任され、王家からの信頼も厚かったそうだ。
 その仕組みが変わったのが、今から百年ほど前だった。八橋家が商人の密航を許し、国交がほぼ途絶えている中で利益独占に貢献したとして非難された。後に経営の傾いた友人を救うためだったと明かされたが、「仕事の手を抜いている」「私情にうつつを抜かしている」など、人々からの評価は散々なものとなった。
「これを嘆いておったのが、私の高祖母でもある一生姫でな。初めは八橋家を庇おうとしたが、民に押されて泣く泣く日本への追放を決めたのじゃ。そこで結界を手繰る術を教わる代わりに、彼の家を瑞香で見守りながら何かあれば助けると決めた。加えて――」
 シャシャテンが畳の上に、指で文字を書く。書き順を追うと、それは「生」の字であるようだった。生田、そして一生姫に共通する字だ。女王は八橋家が日本で暮らすための苗字として、自分の名を一字与えたのだった。
「……いやいや! なんか恐れ多いなぁ! 初代の女王さまに? 名前もらったって?」
「お前には直接関係ない、昔の話だろう」
 騒ぐ信に声を掛けつつ、清隆は彼が自分には出来ない瑞香との行き来をすんなりやってのけていたと気付く。あれは八橋家の血脈によるものか。そしてシャシャテンの語りが正しければ、彼女が信の名を知っていた理由も推察できる。
「一生姫の約束通り、シャシャテンは王家として信の家を『見守って』いたのか」
 肯定したシャシャテンが微笑む。幽閉中も四辻姫は王家の決まりとして、数ヵ月おきに結界をわずかに開いていた。そしてシャシャテンもそれを覗き込み、生田家について教えられていた。現在も、女王はたまに瑞香から様子を見ている。その話を耳にしてすぐ、信の顔が曇る。
「……なんかそれ、プライバシー侵害じゃない? 今からでも止めてもらえないかな?」
「おい、それは決まりじゃから――」
 シャシャテンは強気に反論しようとしたが、すぐに口を閉ざした。何か思い詰めるように俯いた後、信へ深く頭を下げる。
「いや、そなたたちの方ではもう、私たちのことなど気に掛けてもおらなかったのじゃな。それなら煩わしかったであろう。……すまぬ、伯母上にも言っておく。何なら、今すぐでも頼み込むか?」
「それなら、わたくしめと師長様からも陛下にはお話が御座います」
 賀茂がおずおずと手を挙げる。彼と目配せをした妙音院が、食事を終えていた妻子に退室を求めた。のけ者じみた扱いに憤慨する若御前を、夫は「知らない方が無難」だと立ち去らせる。そして彼は、先日賀茂のもとへ訪ねてきた宮中女官に聞いた話を語りだした。その声は、家族がいた時より低くなっている。
「にわかには信じがたいかもしれませんが……四辻姫さまは、日本に残る瑞香の血を絶やそうとしていると聞きました」
 清隆だけでなく、信やシャシャテンも眉をひそめた。四辻姫は瑞香人の子孫を集めた上で、彼らを何らかの形で消す予定だ。今回賀茂が信を瑞香に連れて来たのは、女王を欺きつつ彼を匿うためである。妙音院が心配して、賀茂を派遣したのだと。
 そんな話を聞いていたシャシャテンは、やがて一蹴するかのように鼻を鳴らした。
「伯母上はこの国の女王ぞ。斯様なことをなさるはずがない。民が失せれば、国が終わってしまうではないか」
 相変わらずの態度に、清隆は溜息を堪える。四辻姫が本当に根絶やしを考えているかは分からないが、陰陽師の賀茂を動かすほど妙音院が本気で懸念しているとは伝わってくる。しかしなぜ信を救おうとしたのか、それを尋ねようとして彼自身に阻まれた。
「あの、お気遣いはありがたいんですけど、おれにも学校とかありましてね……」
 受験がある、将来的にはどこかで働くと信が必死に伝えても、妙音院はなかなか聞こうとしなかった。日本で見つかってからでは遅いなどと、彼は引き留めようとする。
「四辻姫さまは、これからいかに動くか分かりません。より表立って事が進まぬうちに――」
「師長様。かといってこの国で好きに動かれてしまいましても、陛下が捕らえるのではありませんか? ここに閉ざしたままでもお心苦しいかと」
 心配する妙音院を叱責したのは、賀茂だった。陰陽師は彼の案が現実的でないと、厳しめの声で告げてくる。指示に従って信をここへ連れて来はしたものの、肝心の客が困っている様を見て考えを改めたそうだ。
「やはり無理があるかと思われます。元はあの女官様から聞いた話を伝えたわたくしが悪いので御座いますが……」
 唸る賀茂に続いて、妙音院も眉を引き下げて黙ってしまった。賀茂の心変わりを聞き、思いが揺らぎだしたのだろう。悩む彼を見ているうちに、清隆も心配を覚えた。面識もなかった異国の人間を匿うなど、妙音院自身にも大変なのではないか。発覚すれば彼が苦労を被りかねない。疑問を零した清隆に、屋敷の主はさらりと答えた。
「その折は、それなりの術を取るつもりでございます」
「ご家族も大丈夫そうですか」
 ふと先ほど見た団欒の姿が浮かび、清隆は尋ねる。途端に一家の長は口ごもり、陰陽師へ視線を移した。賀茂は静かに、妙音院へ問い掛ける。
「もし生田様だけでなく、御前様や若君様に何かありましたら、如何されますか? 平井様も、それを案じておられるのでしょう」
「……外の方に気を使われてしまうとは、お恥ずかしい」
 妙音院は赤面を誤魔化すように顔を袖で隠し、勝手な事情に振り回された客に向き直った。
「生田さま、此度はわたしの勝手に振り回させてしまい、申し訳ありません。お望み通り、ひとまず日本へ戻っていただきましょう。しかしその前に、気掛かりを解いておいた方がよいかと」
 元より妙音院と賀茂は、四辻姫の移住政策に懸念を持っていた。それを今回、女王へ直々に止めを申し出る。そして信も、自らのプライバシーを守りたいと声を上げた。
「このまま帰っても、ちょっと怖いからね! 清隆も手伝ってくれる?」
 いきなり御所を訪ねても良いのか不安が走りつつ、清隆は同意する。もしかしたら、女王が裏で抱えているものを知ることが出来るかもしれない。彼女が本当に瑞香系を絶やそうとしているのか、その真意を探りたい。
 そしてシャシャテンもまた乗り気だった。信のためになろうと躍起になっている。しかし妙音院が引き留めようとした。
「姫さまは危ないのではありませんか? せめてここに――」
「何、伯母上なので障りはありませぬ」
 シャシャテンが襟を正して立ち上がり、案内する賀茂の後について部屋を出た。清隆もそれに続く中、妙音院がシャシャテンへ視線を留めて気にしている様子なのが引っ掛かった。

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