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六段の調べ 急 初段 二、屋根の上の琵琶弾き

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序・初段一話へ


 清隆が信に電話を掛けて三時間ほど経ったころだろうか。和室に入ってきたのは、髪を乱して咳き込む妹だけだった。シャシャテンが驚いて彼女に歩み寄り、背をさすりつつ何があったか問う。美央が途切れ途切れに明かしたのは、家の近くで信が瑞香に連れて行かれたということだった。
「誰がやったのか、見た目だけでも分かるか」
 予想していなかった事態への戸惑いを隠し、清隆は美央へ尋ねる。彼女の話を聞きながら、シャシャテンは文机に置いていた手紙を取ってきて広げた。
「信をさらった奴の装いからして、公家には違いなかろう。そしてこの文も合わせると……。なるほど、それなら思い当たる者がおるぞ」
「誰!? そいつは誰なの!?」
「そなた、いつになく気が高ぶっておるな?」
 シャシャテンへ掴み掛からんばかりに感情的な妹は、清隆から見ても奇妙だった。彼女が趣味以外で、これほど何かへ躍起になった事態があっただろうか。
「生田さんは、どこに……」
 シャシャテンの袖を掴んでいた美央の姿勢が、不意に崩れる。そのまま彼女は目を閉じ、畳へと倒れ込んだ。シャシャテンが抱き起こして声を掛けるが、反応はない。
「さては『すとれす』と言う奴で、気絶しおったか。それほどあやつを案じておるのじゃな」
 羽織っていた打掛を美央に掛け、シャシャテンは妙音院からの手紙を懐に入れて文机に向かった。彼女が筆を走らせる間、清隆は横になっている妹を眺める。普段は誰に何が起ころうと意に介さない美央は、信に関してはやたら感情的となっている。諸田寺では賢順に刺された彼を深く心配し、信自身にもそれを指摘されていた。一体何が、彼女をそこまで駆り立てるのか。
 シャシャテンが美央のそばに書き置きを残す。信は必ず取り戻すと、清隆にもはっきり読める字で記されていた。
「行くぞ、まずはあやつの前に現れたじゃろう者を探す」
 シャシャテンに連れられ、清隆は妹を一度振り返って部屋を出た。
 
 
 突如現れた火の輪で、その人は瑞香から来たと分かった。そしていつの間にか、美央を置いて瑞香に着いていた。肝心の自分を連れて行った男の姿は見当たらず、目の前にはどこか寂しい雰囲気を醸し出す屋敷があるだけだ。左右に雪かきで集められたと思われる雪が積もっている扉が、ややあってひとりでに開いた。その先の玄関には、狩衣を着た男が正座している。烏帽子の下にある髪をおかっぱのようにうなじの上で切り揃え、面長で鼻の高いすらりとした顔をしている。
「先程はご迷惑をお掛け致しました。そして、ようこそいらっしゃいました。まずはお上がり下さい」
 見覚えがあると思えば、まさしく自分をここにいざなった男だった。知らない建物に入るのは躊躇われたが、日が暮れかけている寒い中に立ち尽くすわけにもいかない。信は一礼して屋敷に入ると、玄関から程近い部屋に通された。そして陰陽師の賀茂泰親かものやすちかと名乗った男に促され、畳に座る。そこへ盆を持った女が現れ、信と賀茂それぞれのそばに湯飲みを置いて去っていった。
 茶を飲むよう勧めてきた賀茂は、手紙を見たかなることを尋ねてきた。今日の昼に自宅へ出したそうだが、当時はずっと外にいた。それを信が伝えると、陰陽師は何度も頭を下げ、いきなりここへ連れて来た件を改めて詫びた。
「わたくしが貴方様をお連れしたのは、他でもありません。貴方様には暫く、この屋敷に住んで頂きたく思います」
 歯がぶつかりそうになった湯飲みを口から離し、信はいったん畳に置いた。さすがに受験を控えているのだから、いきなりの引っ越しは難しいと伝える。その返答にしばし押し黙っていた賀茂は、せめて四辻姫が落ち着くまでは泊まるよう頼んできた。シャシャテンの伯母である女王と、自分がここに住むべきことに何か繋がりがあるのだろうか。
「そもそも、なんでおれが瑞香に住まなきゃいけないんですか? あ、おれだけじゃなくて家族も? 瑞香のこと、教えてないんですけど……」
「これは四辻姫様のお考えで御座いますが――」
 賀茂が少しばかり声を潜める。四辻姫は、瑞香人の血を引きながら日本に住んでいる者を全て瑞香に住ませようとしている。まだ全体数がどれくらいいるか、はっきりとは分かっていないものの、日本から来た彼女の女官が調べているようだ。
 自分が不死鳥の血を継いでいるかもしれないとは、少し前に清隆たちに聞いた。
「でも本当におれのご先祖さまは、瑞香に住んでいたのかなぁ」
「諸田寺で何かお有りになったのでは?」
 あれは気絶していただけだ。そう答えながら、それでも周りが口を揃えて「死んだ」と言っていた記憶が頭の片隅によぎった。
「傍にいた方がそう仰られていましたら、貴方様は本当に亡くなられていたのかも知れませんね」
 賀茂の言葉に答えず、信はもう傷の見えない胸辺りをさする。やはりほとんどがそう言うのだから、自分は確かに一度死んだのだろう。そして今回のような「復活劇」以外にも、不死鳥の血に思い当たりはある。昔から、傷の治りは早かった。四辻姫の女官に重傷患者のように治療されたこめかみの傷も、諸田寺へ行く前うっかり炬燵にぶつけた膝のあざも、翌日辺りにはほとんど消えかかっていた。これも特殊な遺伝によるものだろう。
「……まぁ、おれははっきりと不死鳥の子孫だってわかるみたいだからいいんですけど。日本に住んでいる瑞香人の子孫――瑞香系っていうんですか? その人たちが全員、不死鳥の血を引いてるわけじゃないですよね?」
 瑞香人の中には、交流が始まってから日本より移り住んできた者もいたはずだ。傷がすぐ治るといった特徴を持っていない彼らを、どのようにして瑞香系と認めさせるのか。
「その折は、家の伝承や伝来品で判断すると仰せられております」
「そういうのがなかったら?」
「昔の出国一覧が残っている筈故――」
 賀茂の表情が険しくなっていく。昔に移住した者に関しては、瑞香と日本の行き来を管轄する際目番きわめばんの残した記録から、国へ戻ってこなかった一族を瑞香系として認めるらしい。一時は移動が緩やかになったために、その辺りの調査が難しい部分もあるかもしれない。しかし歴史上で行われただいたいの移住については把握できるのではと、賀茂は話す。
 空になった湯飲みを見下ろし、信は腕を組んだ。四辻姫は何のために、これほど手間の掛かる政策を行おうとしているのだろう。全員が移住するのはすぐに出来ないのではないか。信が賀茂に疑問を投げ掛けようとした時だった。
 弦楽器だろうか、重みのある低い音色が天井から聞こえてくる。諸田寺の儀礼で使われていた太鼓ほどではないが、それは勢いを持って耳を震わせる。信が驚いて顔を上げると、賀茂が溜息をついて立ち上がった。奏者に注意してくると言って退室した陰陽師は、やがて琵琶を持った男を連れて戻ってきた。
「大変お騒がせ致しました。何しろ、屋根の上で琵琶を奏でるのがお好きな方で……」
 音が上からしていたのは、そうしたことか。不思議な趣味に惹かれながら、信は部屋に入ってきた男をまじまじと見た。三十歳前後か、若い容貌にしては身に着けている着物と羽織りは地味な色合いだ。前髪は左側だけが異様に長く、目を隠している。その代わりといっても良いのか、右の後ろ髪が肩下まで伸びており、奇妙な印象を与えている。賀茂や自分よりも背が高く、そこから見下ろす二重の目に威圧は感じられず、むしろ優しそうな人に思えた。
 微笑んで頭を下げたこの男は、妙音院師長という賀茂を重用する公家だった。瑞香へ来た自分を歓迎する彼に、これまで何度かこの国に来たとは黙って挨拶をした。
「突然のことでご迷惑をお掛けしました。しかしここに住んでいただくのも、あなたの御身を守るためでございまして――」
「え? 四辻姫さんがここに住めって言ってるんじゃないんですか?」
 妙音韻の言葉に、思わず素っ頓狂な声が出る。信が改めて尋ねようとすると、開いていた襖から女中が顔を出した。食事の支度が出来たと告げる彼女に、妙音院が返事をする。そそくさと出て行ってしまった彼を呆れ顔で見やる賀茂が、信へ早口に言う。
「詳しくは後でお伝え致します。まずは大広間へご案内しましょう。師長様のご妻子も控えております」
 そういえば、昼前にコンサートへ向かってから何も食べていなかった。一応親に連絡しようかと思ったが、廊下を進む賀茂に置いて行かれそうになり、信は慌ててその後を追った。

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