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六段の調べ 急 初段 四、女王の宣告

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序・初段一話へ


 日が暮れ落ちた空の下、清隆たちは雪の残る道を歩く。提灯を持つ賀茂に連れられ、まず宮城への入りを許される。そして役所であるという複数の建物が並ぶ脇を抜け、御所の門に辿り着いた。陰陽師が呼び出すと、左右に衛士が控える間から女官が出迎える。シャシャテンが四辻姫との面会を頼むのを受け、彼女はいったん引き返したが、しばらくすると駆け足で戻ってきた。
「大変申し訳ありませんが……陛下は、皆様の話をお聞きになる心はないとおっしゃられています。六段姫様がお相手であっても」
 賀茂が振り返り、別の日に訪ねてみるか提案する。しかしシャシャテンが前に進み出、女官へもう一度取り次ぐよう求めた。今すぐに出来ないなら、改めて文を送るとも付け加える。
 再び内裏に入った女官が引き返し、首を振った。四辻姫は、六段姫の提案を今後受けはしない、手紙であっても駄目だと。
 シャシャテンが声を失う隣で、清隆は女王が何を思っているのか考えた。彼女はシャシャテンと連絡を取らないつもりなのか。思い返せば諸田寺でも、四辻姫はシャシャテンに王位を譲る気がないような発言をしていた。シャシャテンと瑞香の間にある繋がりを断ち切ろうとしているのか。
 突然、地面を荒く蹴る音が聞こえた。シャシャテンが拳を握り、前を睨んで訴える。
「……何かの間違いではないか!? 私は何としても、伯母上へ会ってやるぞ!」
「よし! おれも直談判してやる!」
 シャシャテンが周りの制止も聞かず門へ入り込み、信も彼女について行った。その場に残された清隆は、後を追うべきか迷って賀茂を一瞥する。
「あのお二人に何かあってはいけません。わたくし達も向かいましょう」
 衛士や女官に頭を下げ、二人を必ず連れ戻すと伝えた賀茂に続いて、清隆も御所に入り込む。すれ違う人々が不審な目を向ける中、四辻姫が控えている部屋へ足を進める。
 やがて部屋の入口に垂れ下がる青簾の向こうから、大声で懇願するシャシャテンとそれを宥める信の声が聞こえた。賀茂がすかさず青簾を上げて中へ入る。続いた清隆は、ここがかつて大友のもとへ上がった時にも通った空き室だと分かった。奥の鳥居障子へ、シャシャテンが声を張り上げている。いくら彼女が面会を求めても、正面の一室――常御所から反応はない。先に話をしたい賀茂に譲ってようやく彼女は落ち着き始めたが、それでも顔には不満が現れたままだった。
 賀茂が障子に向かって座し、用件があると伝える。まず信が「見守り」に関する意見を伝えることになった。八橋家については聞いたと前置きして、信は姿勢を正す。
「四辻姫さまはもちろん、王家の皆さんが気遣ってくださったのはありがたく思っています。でも日本に移ってから数十年、数世代くらい経っているんです。今さら心配して見張らなくてもいいんじゃないでしょうか?」
「……我が王家との仲を捨てる気か?」
 部屋から返ってきたのは、怒りを含んでいるような唸り声だった。その気迫に押されたか、信はぴくりとも動かなくなる。このままでは対話が続かないだろう。
「信、これまで王家に見守られていたといっても、彼らとの繋がりを直接感じたことはあったか」
「……ない」
 清隆の問いに、信は逡巡して返す。王家が彼の家を見張っていたのは、あくまで一方的なものだ。生田家の方からしてみれば、何の利益にもなっていないどころか迷惑となっている。それを主張すれば良いのではないか。清隆がそう持ち掛けると、信は手を打って再び鳥居障子に向かい合う。
「王家さんとの関わりなんて、さっきまで全然知りませんでした!」
 家族も王家はおろか、瑞香についても聞いてないだろう。いきなり知らない国から監視されていたと知ったら、怖がるに違いない。時々考えながら訴える信だったが、四辻姫の言葉にまたも黙り込んだ。
「八橋を継ぐ者が我らの恩義も忘れておったとは、不敬者め!」
 信が正座をしたまま固まり、声は出さずに口を動かす。そこにシャシャテンが、信のそばに移って叫んだ。
「伯母上! 私たちは生田の家をただ見ておるだけで、こちらから助けに動いたことなどなかったではありませんか!」
 生田家の誰かが困った顔をしていても、見て見ぬふりをしていた。信は平井家と同じくシャシャテン自身を救った恩人の一人であり、これ以上苦しめたくない。信頼している伯母にも盾突くシャシャテンの姿を、清隆は意外な思いで見つめていた。いつも「小僧」と馬鹿にしているような態度を取りながら、シャシャテンは信も大事に思っていたのか。
 障子が音を立てて開けられる。そして清隆が気付いた時には、シャシャテンのいた場所に四辻姫が前のめりに倒れていた。それもよく見ると、女王がただ倒れているのではないと分かる。彼女は、右手に短刀を握っていた。それを覆い被さっているシャシャテンの喉元に光らせ、顔を近付けている。シャシャテンは四辻姫を凝視してから、その目を左右に泳がせていた。
「六段よ、どこまで私を追い詰めれば気が済むのじゃ?」
 四辻姫が、これほどにも姪を脅したことがあるか。出会ったころと大きく変わったその態度に、清隆は声を失う。あのシャシャテンをかわいがっていた彼女は、どこへ行ったのか。
 風を切るような音がして、四辻姫の手から得物が抜け落ちた。床に飛んでいった短刀のそばには、何やら文字の書かれた札がある。それが宙を舞ったかと思えば、賀茂の手に収まった。
「陛下、わたくしめからもお願い申し上げたく」
 札を懐に仕舞い、賀茂が起き上がる四辻姫へ歩み寄る。彼が提言したのは、移住政策の中止だった。四辻姫が裏で考えているだろう思惑には触れていない。四辻姫がさっとシャシャテンを見てから賀茂を睨む。その政策はどこで聞いたのか、姪に話したのか尋ねる女王に、賀茂は顔色を変えず答える。
「陛下がお考えになっている事のうち、一つは姫様にもお伝え致しました」
 四辻姫の顔が、わなわなと震え始めた。途端に彼女は賀茂の袖を掴み、強く引き寄せて耳元へ怒鳴った。
「賀茂泰親、そなたは明日を以て都を追放する! そして私が許すまで、一切出入りも禁止じゃ!」
 それから賀茂を突き放し、起き上がったばかりのシャシャテンにも四辻姫は言い付けた。今後は自分との連絡も、宮城に入ることも禁ずると。瑞香との接点が薄くなっている王女にしては致命的であるにもかかわらず、いつの間にか周りで隠れ見ていた女官たちは誰も止めない。皆が怯えた表情を覗かせるだけだ。清隆は代わりに抗議しようしたが、先に四辻姫が問う。
「御二方。そなた達も、我が心を聞いたか?」
 四辻姫の目は、こちらを射抜かんばかりに鋭い。清隆は思わず口を開いた。
「瑞香に住ませる云々は、今初めて聞きました。賀茂さんには、ここまで案内してもらっただけです。そうだな、信」
「え? はい、そうです!」
 信が裏返り気味の声で同意する。強張っていた四辻姫の顔が緩み、以前まであった穏やかさの名残が垣間見えた。清隆と信に関しては、許可があれば宮城に入っても良いと決まり、賀茂やシャシャテンより重い処罰は免れた。
 賀茂が急に押し掛けてきたことを謝り、都追放を受け入れる旨を述べてから清隆たちにも御所を出るよう勧めた。ここに来る前こそ意気込んでいた信も、四辻姫の厳しい様子に押されてか受け入れる。ただシャシャテンだけがどこか惜しむように、部屋へ入っていく伯母を見つめていた。
 
 
 四辻姫は確かに、シャシャテンを殺そうとしていた。二年前の夏に溺愛した様子を見せていたのは、上辺だけのものだったのか。妙音院邸へ引き返す間、清隆は瑞香女王について考えを巡らせていた。初めは自分たちをもてなし、励ましてくれた四辻姫だったが、会う度に不穏な面が見えてくる。彼女は心の奥で何か企んでいるのだろうか。
「やっぱり、プライバシーが心配だなぁ」
 うっすらと白い息をつきながら、信が不安を吐露する。結局、あの場で四辻姫の監視は止められなかった。それを見かねたシャシャテンが言う。
「すまぬのぅ。此度のことは何としても伯母上に止めさせてみせる。それでも駄目なら、私がいずれ女王になった折に必ず見張りをやめると誓おう」
「ありがとう。シャシャテンなら大丈夫だよね」
 妙音院の屋敷に着いたところで、賀茂が清隆たちに迷惑を掛けたと謝った。清隆にしては御所へ連れて行ってもらっただけでも十分だったが、成果を得るばかりか王女が罰を受ける羽目になったことを賀茂は悔やんでいるようだ。
「いや、私はしばし日本におる故、気に病む程ではない。賀茂殿こそ、都を離れれば務めにも障るのではないか?」
「それなら、お気遣いの必要は御座いません」
 自身を差し置いて心配する王女へ、陰陽師は首を振る。賀茂は今後も変わりなく仕事をし、何らかの形で妙音院とも交流を続ける予定だという。都追放は、甘んじて受けるそうだ。不遇な目に遭ってしまった賀茂へ、シャシャテンは伯母の仕打ちを詫びてから付け加えた。
「いずれそなたが都へ戻れるよう、手を貸そう」
「陛下と関わりになられるのは禁じられたのでは……?」
「あれは一時の乱心に違いなかろう。日が改まれば、文を送った後に返り事も来るやもしれぬ」
 果たしてシャシャテンの言う通りになるのだろうか。四辻姫の怒りがすぐに収まれば良いが、そう上手くいくように思えない。しかしそれを明かせばシャシャテンが不機嫌になりそうで、清隆は何も言わなかった。
 脅威はあるものの、妙音院に信を連れ帰る許可は得ている。ひとまずそれにシャシャテンは満足し、八橋家から王家へ伝わったであろう術を利用して日本への結界を開いた。

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