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六段の調べ 破 六段 三、我忘るまじ

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序・初段一話へ


 横になっている信の顔は、血色が悪くなっている。それなのに賢順は、自ら傷付けた者に楽観的なことをのたまっていた。
「あの生田氏は、もともと瑞香に住んでいた家の者でしょう。そして不死鳥の血も受け継いでいて、中には死後に蘇ったこともあると」
 清隆は再び、信の脈を確かめる。やはり止まったまま、戻る気配はない。彼が本当に不死鳥の子孫であるなど、あり得るのか。
「しかし不死鳥の代から時が流れていますから、果たして此度はどうなるか。――思えば、わたしも兄も不死鳥の末。そして」
 握っていた刃から手を離し、賢順は素早く太刀を振るう。話に聞き入っていた山住は抗う暇もなく、右肩を斬り付けられていた。そのまま賢順に無理やり片肌を脱がされ、傷が露わになる。
「……なるほど、これは。確かに血は続いていましたか」
 賢順が微笑む中、山住の流血は少しずつ収まっていく。やがて斬られた痕は、全く肌に見えなくなった。山住自身も不死鳥の血を引いているとは、清隆も聞いていた。それを賢順が気にする理由があるのか。
「……そういえば、前に城秀が言っていたな。そなた、昔は妻子がおったと」
 シャシャテンが話しながら、それが正しいか確かめるように山住を見る。厳しい顔で言い返そうとした山住も、すぐ思い直したか息を呑んだ。彼が物心付いた時、目の前にいた父という存在は既に、血の繋がっていない者だった。
「己には縁のない話だと思っていましたか?」
 賢順が梧桐宗を興そうと動き始めたころ、彼の妻はそれに嫌悪を抱いて家を出た。その際、生まれて一年ほどしか経っていなかった幼子とも別れ、以来連絡を取りさえしなかった。
「その子どもが、山住さんだというのか」
 清隆の言葉に答えず、賢順は着崩れを直す山住を見つめていた。どこか懐かしいように、視線を向けている。新たに分かったシャシャテンと山住の関係を、清隆が思っていた時だった。
 賢順の周りで武器を下ろしていた、四辻姫の臣下たちがざわつく。やがて清隆も、地面が低い唸りを上げながら揺れているのを感じた。境内にいたのだろう小鳥たちが一斉に飛び立つ音がする。体ではっきりと分かるほど強かった横揺れは次第に小さくなり、一分も経たずして止まった。
 それから間もなく、岩が無数に転がる音が山から聞こえてきた。遠くで地面の抉れるような音もする。
「まずい、山が崩れるやもしれぬぞ!」
 シャシャテンが警告するなり、四辻姫が部下たちへ境内を出るよう促した。先ほどの地震で土砂崩れでも起きれば、ひとたまりもない。昨夜に雨が降ったなら、地盤は緩んでいるだろう。清隆も懸念を覚え、四辻姫の部下たちに続こうとする。しかしふと目の合った賢順に呼び止められた。自分が平井清隆か確認され、肯定する。途端に、賢順の口元が吊り上がった。
「あなただけは、ここに残ってください。わたしから話があります」
 駕籠に乗って進む四辻姫とその部下を見送っていた山住が振り返る。
「お二方とも、ここから離れることを先にするべきかと。まずは――」
「いや、この場でなければなりません」
 賢順は引きそうにない。ここで言い合いが起きれば、山住が逃げ遅れてしまう。
「山住さん、俺は後で追い付きます。先に逃げていてください」
 清隆はそう勧め、シャシャテンたちにも同じように伝えようとして、建物のそばに目を見張る。先ほどまで信が横たわっていた所に、その姿はない。
 あれから信のそばをすぐに離れていたという美央も、彼がいつ消えたのか心当たりがないと首を振る。誰かが遺体を持ち去ったのか。
「あの小僧は私たちが探す。清隆は賢順と話を付けておれ。早くせぬと山に埋もれるぞ」
 シャシャテンの提案に任せ、彼女たちが山門へ向かっていくのを送る。伽藍のそばには、清隆と賢順がいるだけだった。まだ残っていた梧桐宗信者や四辻姫の部下など、大勢いた人々の姿は既に数えるほどしかいない。いよいよ最後の一人――白頭巾をしていた僧侶が清隆の視界から消えようとした時、賢順が速足でそれを追い、何も持たずに戻ってきた。無銘「栄光」を、あの僧侶に渡したようだ。
 遠くで砂が流れ、岩が斜面を転がっていく。その音だけが、二人の向かい合う空間を満たしていた。やがて賢順が、ゆっくりと清隆へ足を進めた。
「これは前から問い詰めたかったことだが。平井清隆」
 賢順の声は、低く震えている。その手が襟に伸びてきたと気付くなり、清隆は彼の方へ身を引き寄せられていた。息の掛かりそうなほど近い賢順の顔に表情はない。ただ、襟元を掴まれる力が強くなる。やがて賢順が息を吸う音が、はっきりと聞こえた。
「なぜ、わたしの兄を殺した!」
 清隆の耳に、僧侶の怒号が響く。身に覚えのないことに声も出ず、言葉の意味を呑み込めない。
「我が兄、筑紫――いえ、大友正衡――あの者が死した一因は、あなたにあります!」
 賢順は初め、大友が病で身罷ったとの話を信じていた。葬儀からしばらくして、たまたま内裏にいた弟子から真相を聞いたという。継いでいた不死鳥の血が弱くなり、傷も治らず王は呆気なく息絶えた。
「あなたの一言で、四辻姫が兄の胸を刺したと……。あの方は同志だと思っていましたが、裏切られました」
「大友が四辻姫と組んでいたのは、本当か」
 前に大友と交わした対話を思い出して清隆が尋ねると、賢順は頷いた。その上で、死の間際であった大友に何を言ったのか問われる。あれは確か、病床の男を見て思わず零れた言葉だった。
「『苦しそうだ』と……同情して言っただけだ。四辻姫があんなことをするなんて考えてもいなかった」
「あなたは兄の敵だと聞いていました。敵が情を向けるはずがないでしょう。……あなたは、己が人を殺したとも思っていないと? そうでないのなら、兄はなぜ願いを叶えられなかった?」
 声から伝わる冷ややかな怒りに、清隆の心臓は跳ねる。大友は四辻姫に殺害された。その原因は、病に倒れた王を四辻姫が見舞いに行ったことだった。さらに彼の病を招いたのはストレスだったはずだ。四辻姫に負担を受けていたと、昔大友から聞いた。それを口に出そうとして、シャシャテンの姿が浮かぶ。彼女は伯母が悪者とされればひどく憤るだろう。清隆は自然と、首を横に振っていた。
「大友が死んだのは、病気のせいだ」
 賢順が眉をひそめる。違う言葉を言えば良かったか、清隆が悔やんでも遅かった。
「あなたに罪はないとでも? 己の発する言葉に責を持ちなさい。あなたが良かれと言ったことが、人を殺めもする……」
 かつて北を褒めるため口にした発言も、彼には嘘と受け止められ、自殺未遂を引き起こした。昨日日本に残るよう伝えた八重崎も、もしかしたら瑞香に行けなかったために消沈しているかもしれない。賢順の言葉は正しいのだろう。自分が良いと思っていても、人にとっては悪く思われかねない。
「そろそろ山が崩れるでしょう。あなたはここに埋もれ死んで、せめてもの罪を償いなさい。私はこの身故、生き残ります」
 山から地響きがする。本当ならこの時点で逃げるべきだろう。しかし賢順に襟を掴まれているのも相まって、清隆は動けない。何より、これからどう生きれば良いのか分からない。自分の行動が全て悪になり得るのなら、どれほど生きたところで自分は罪を犯し続ける存在になるのだろう。そしてそれは、自分だけではないはずだ。
「死ねないお前は、俺と同じように意図せず誰かを苦しめることがずっと続くんだろう。それで本当に良いのか」
 その弟子たちが言っていたように、賢順は自分を恨んでいた。生き永らえながら人を恨み続けることも、つらいのではないか。だがその懸念も、賢順は気にしていないようだった。
「あなたがここで死ねば、私の持つ全ての遺恨も――煩悩も晴れますよ」
 それは清隆自身にとっても利点かもしれない。ここで生きるのをやめてしまえば、もう自分は考えなしの発言で人を傷付けはしなくなる。人との関わりに苦しむ必要もないのだ。このまま賢順に首を絞められても良い。
 清隆が小さく息をついた時、短刀を持っていない手がズボンのポケットに触れた。そこにスマートフォンが入っている硬い感覚を認める。そういえば、昨日八重崎と通話をしてから疑問を持っていた。様子のおかしかった彼女は、一体どうしたのか。
 同時に、これから知りたいことが次々と湧き上がってきた。不死鳥の血を継いでいるとされる信とその家系、賢順の子と言われた山住についても、もっと詳しく聞きたい。四辻姫が零していた「公経」の件も引っ掛かる。しかし死んでしまえば、それを探りも出来ないではないか。
「……なら、生き残ってやる」
 賢順に聞こえたかも分からない、うわ言のように清隆は呟いた。次の瞬間、前方から賢順もろとも強い力に押し流され、思わず姿勢が崩れた。土砂に巻き込まれた拍子で、賢順の手が清隆から離れる。回廊に背が付いて清隆が気を取り直すと、賢順はすぐそばにいなかった。伽藍の瓦礫と、根本から倒れた木の覆い被さる土砂に、埋もれているのか。
 服の汚れを払い、清隆は立ち上がる。また山が崩れる可能性を思うと、早くシャシャテンたちのもとに行かなければならない。賢順の容態も気になったが、わざわざ土砂を調べる時間はなかった。
 山門へ進み、それを抜けてから足を速める。後ろを向くと、再び崩れた山肌が今度は回廊をも破壊していた。その勢いはすぐやみそうにない。間もなく清隆に追い付こうとしてくる。
 あの土砂の中で、賢順は何を思うだろうか。ふとしたきっかけで清隆が死んだと耳にして、ほくそ笑む姿が浮かぶ。頭では早く逃げるべきだと分かっているのに、足は自然と遅くなっている。心のどこかで、土砂に呑み込まれることを許容しているような――。
「何してるんだよ、清隆!」
 少し高めな男の声に、清隆は顔を上げる。こちらへまっすぐ手を伸ばして、そう遠くない所に信が立っていた。傷付いた部分を隠すように、コートのボタンはきっちりと留められている。あの手を掴めば、自分は彼と共に向かうのか。それは死の世界だろうか。
 清隆はすがるように、信の手を取った。すかさず体が前へ引っ張られる。その直後、轟音を上げながら背を押してくるものを感じ、清隆は強く目を閉じた。

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