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六段の調べ 破 六段 四、主人は冷たい土の中に

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 自分を心配し、起きるよう促す声が聞こえる。清隆がそっと目を開けると、こちらを覗き込む信の顔がそこにあった。
「よかった、生きてた!」
 喜びの言葉と同時に、信に抱き付かれる。上手く頭が働かず、清隆は周りを見る。どうやら今いるのは、周りを鳥居障子で囲まれた室内のようだった。これといった調度はない。そして自分は新しい着物で、布団に寝かされていた。
「生きておるのか聞きたいのはそなたの方じゃ、小僧!」
 信が布団から離れたことで、そばにシャシャテンがいたと気付く。その隣に美央と山住が並んでいる。ここは御所の一室で、四辻姫は別の部屋にいるようだ。土砂に押されて気絶していた清隆を運び、信はシャシャテンたちに追い付いたらしい。
 ゆっくりと起き上がり、ここにあるのが現実か考えを巡らせる。先に諸田寺から離れていたシャシャテンたちが、土砂崩れに巻き込まれたとは思えない。彼女たちが生きているのが確かなら、あの時死んだはずの信はなぜここにいるのか。
「気づいたらみんな地震で騒いでいて、こっち見てなかったから……」
 うろたえながら話しだす信へ、シャシャテンが向きを転じる。彼女が有無を言わさず、信の着ていた白い着物の胸をはだけた。甲高い悲鳴を上げる少年を黙らせ、シャシャテンはじっと斬られた部分を凝視する。清隆からも見えたそこに、太刀の痕はなかった。
「とりあえず着替えたけど、あの服も洗濯が大変そうだなぁ。……あの、みなさんそんなに見ないでくれない? 恥ずかしいし寒い!」
 信が襟元を直している間、清隆は彼が不死鳥の血を継ぐ家系と賢順が言っていたことを思い返した。昔は瑞香に住んでいたのだとも。普通の人間が処置もなく蘇るなどあり得ない。彼もシャシャテンや山住と同じく、傷の治りやすい体質なのか。
「不死鳥の血を継いでおると言っても、人によって違ってのぅ。小僧は命に関わる傷がすぐ癒えると見た」
 シャシャテンが諸田寺の出来事や賢順の話を伝えるのを、信は度々頷きつつ聞いていた。やがて話が終わると、彼はそっと刺された部分に手をやった。
「……前から傷の治りは早いと思っていたけどさ。そうか、不死鳥の血を引いてるんなら……にしてもあれ、気絶じゃなかったの?」
「あなたこそ、本当の『人でなし』だったんですね。それなのにわたしを止めようなんて」
 抑揚に乏しく、しかし怒りも籠もっているような声の主を信が振り向く。美央は軽く俯いていて、あまり表情が分からない。信が言葉にもならない何かを口にしていたが、それがまとまるより前に妹は言い放った。
「でも、もういいです。不老不死には懲りました。お寺に行くこともないでしょう」
「そっか。……よかった」
 あれから、妹の心で変化があったのだろう。信がそれに安堵の息をついて、美央へ手を伸ばしてきた。それをシャシャテンがすかさず押さえ込む。
「小僧、そなたが息絶えてすぐに美央が何を言ったか知っておるか?」
「え? そんなの知るわけないじゃん! 死ん……気絶してたんだから!」
 それを聞いて答えようとしたシャシャテンの袖を、美央が掴む。彼女はどうしても、人に知られたくないようだ。自分が話した言葉など忘れてほしいと頼む。若干不満そうな顔をしながら、シャシャテンは受け入れて立ち上がった。清隆の調子が戻ったら日本に帰って良いか、四辻姫に尋ねるそうだ。
 シャシャテンの去り際、賢順がどうなったか聞こうとして清隆は思い留まった。彼と二人きりになってから言われた言葉が再生される。確かに自分の発した一言に四辻姫が同意して、大友を刺した。彼女の動く所以を作ったといえば、自分が大友を殺したことに変わりはないのだろうか。自分が直接手に掛けていないとしても。
 シャシャテンが戻り、諸田寺があれからどうなったかを伝えてきた。医王山は大きく姿を変え、麓にあった伽藍は全て土砂に埋もれた。そして賢順はその下敷きになっており、自力での脱出も、人による捜索も難しいだろうとも。
 
 
 瓦礫の隙間から雪が入り込み、地面に落ちるなり消えていく。思えば雪の多い季節に、なぜ雨が降ったのか奇妙だった。腕を前へ伸ばしたかったが、重い土砂や瓦礫に体を押されている今は少しも動けそうにない。辛うじて頭がわずかに上下左右へ振れるだけだ。
 冷たい泥へ、賢順は頬を付けた。これから日が暮れれば、寒さは厳しくなる。手足の霜腫れを案じるが、すぐにそれは払拭される。もう自分は、何らかの負傷から死に繋がりはしなくなるのだ。あれほど恐れていたものに怯える必要はない。
 しかし光がやっと分かるだけの暗がりで、この先を過ごすのは心が折れる。這い出そうともがいても、上からの重みが動きを阻んだ。
「……まぁ、全部終わっているではないですか」
 諦めて顔を地面に伏せた時、聞き慣れない声がした。男とも女ともはっきりしないそれは、ぶつぶつと独り言を言っている。
「これであの人を邪魔するものがいなくなったとすれば……今度こそ瑞香が終わってしまいます。れいさんと北さんと――嗚呼、清隆さんたちにも教えないと」
 清隆とは、兄を殺したあの男か。外へ声を掛けたかったが、その前に足音が遠ざかっていった。平井清隆はまだ生きているのか。もしそうなら、死ぬことのない自分はずっと彼を恨むだろう。それが急に心苦しくなった。限りあるものならば、人を憎み続けることにも終わりが来るだろうに。
 手足の指先が痛い。法衣だけでは寒さをしのげない。雪はうっすらと周りに、身の上に積もっていく。自分はいつまでここにいなければならないのか。いつまで、彼を根に持たなければならないのか。この苦しみから逃れる術を、賢順は浮かぶ限り考え始めた。
 
 
「清隆さんから、話は聞きましたか?」
 相変わらず予告なく家を訪ねてきた倉橋に、北は頷いて応接室へ案内した。少し前の週末に聞いたのは、瑞香であった出来事だ。賢順が不死鳥の血を飲んで不老不死になったが、地震の後に起きた土砂崩れで生き埋めになった。倉橋は少しだけ諸田寺を見に行ったが、あれから寺の周辺は立ち入り禁止が決まったらしい。
「れいさんから知らせを受けて、仕事が終わってすぐ向かったんですけどね。肝心のことは皆終わってました。私が分かったのは、本当にしょうもない後日談で」
 ソファーに座る倉橋は、テーブルに置かれた紅茶の湯気を疲れた顔で眺める。教祖に起きた思いがけない事態に、その弟子も梧桐宗信者も困惑しているようだ。そして賢順から弟子に渡された無銘「栄光」も、四辻姫の部下が強奪して内裏に渡った。これでは外部の者が不死鳥を斬るなど出来ない。
「あの調子じゃ、梧桐宗はそう栄えませんよ。仮に再結成しても、影響力は賢順ほどではないでしょう」
「もう不老不死になりそうな人は、いなくなるんだろうね?」
 首を縦に振った倉橋に、北は胸を撫で下ろしてピアノの蓋を開けた。次の演奏会で弾く予定である曲の冒頭を奏でる。それを上手いと言われ、即座に手を止めた。
「骨折からそれほど弾けるようになったのに、まだ何かにつけて死にたいと思うことがあるんですか?」
「死なないと、つらいことにずっと苦しまなきゃいけないからね」
 自分がいつまでもピアニストとしてやっていける保証もない。倉橋に言われて試しに一曲通して弾いてみたが、やはり負傷した箇所に微妙な違和感を覚える。調子が戻っていると言われても信じられない。
「さて、貴方の心配していた不老不死の脅威はなくなるでしょうが……これで余計に、あの人が動きやすくなってしまいました」
 カップを握りながら、倉橋が顔をしかめている。この人の懸念、そしてそれにこだわる理由も、北はずっと前に聞いていた。もし倉橋の不安が現実になれば、瑞香の今後が非常に危ぶまれる。それを思うと、北の胸は痛んだ。
「また清隆さんに何かあったら、教えてください」
 そう言い残して、倉橋は帰った。あの人には言っていなかったが、北はもう一つ別に清隆から話を聞いていた。不死鳥の収まっていた檻を開けたのは、「人でなし」になろうとした美央だと。彼女は本気で不老不死を望んでいたようだったが、色々とあった末に思い改めた。それは喜ばしかったが、北にはまた疑問が生まれた。
 結局、美央がしきりに言っていた「人でなし」とは何なのだろう。不老不死を諦めた彼女は、また別の方法で「人でなし」になろうとするのだろうか。そもそも、人というものは何がそうだと決定づけるのか。
 考え事に頭が痛くなった。ピアノの椅子に腰を下ろし、北は鍵盤に指を置く。ふと思い立って、いつか美央が好きだと言っていた曲を弾くことにする。彼女がオルゴールでよく聴くほど好きなそれは、菅宗三が作った音楽劇の一曲だったか。後で調べようと決め、北は指を動かした。

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