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六段の調べ 破 六段 一、蘇る火の鳥

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序・初段一話へ


 昨夜八重崎と交わしたやり取りが、清隆の心にしこりのように残っている。約束通り午前中に山住が迎えに来ても、清隆はすぐ居間を動く気になれなかった。護身用にと借りた紙縒り付きの懐刀を握り、その手に力を込める。少し前からこの部屋にいた信が、シャシャテンや美央の後を行こうとして振り返る。
「炬燵から出られないの?」
 信はこちらへ歩み寄ってきたが、炬燵の角に脚を打ってしばらく動けなくなる。思わず案じた清隆に、彼は笑う。
「あざができても、たぶん明日くらいには消えてるよ。それより前に、いろんなこと片づけに行こう!」
 清隆は頷き、炬燵に置いていたスマートフォンをズボンのポケットに入れた。助けようとしながら捕らわれた不死鳥、そして無銘「栄光」に思いを馳せて外に出る。暦の上では一年で最も寒い日が近付いており、今日も吐いた息が白くなるほど気温は低い。信や美央がしているのと同じようにコートの前を締め、清隆は家の角で待っているシャシャテンたちのもとに向かった。
 先頭に立つ山住は、いつもの小袖姿ではなかった。狩衣に近いものを着ているが、下には袴を履いており、動きやすそうに見える。黒い冠を付けている様は、彼が故国で高い地位にあることを思わせる。帯には刀を差し、諸田寺で何かあった時に備えているようだった。いつになく真摯な面持ちの山住が、全員いると確かめてから結界を手繰った。
 炎の向こうにあった地面は、ひどくぬかるんでいた。解けた雪が黒とも茶色ともつかない土に混じり、見苦しくなっている。昨日の夜、この時期の瑞香ではあり得ないほどの大雨が降ったそうだ。その名残であるかのように、空は厚い灰色の雲で覆われている。
 水気が多く靴裏にまとわりつきそうな泥を踏み、清隆は瑞香に下りる。山門横から伽藍の周りを囲まんばかりに、葉の落ちた枝が目立つ木々が生えている。さらに見上げると、同じように裸同然の樹木が斜面に沿って医王山全体を覆っていた。新緑や紅葉の季節なら見応えもあっただろうが、今は黒い骨がいくつも突き刺さっているようにしか見えない。
 山住に案内されて境内に入り、不死鳥のいる場を遠くから発見する。建物の横側、さらに奥の方に檻があり、それを伽藍の外壁と挟むように梧桐宗信者らしき人々が並んでいる。その手前には両腕を後ろにやっている賢順、そしてこちらへより近い方に意外な姿を認める。泥が裾に跳ねるのも気にせず、シャシャテンが真っ先にその姿へ駆け寄った。
「何とのぅ、伯母上もここに来られておったとは!」
 駕籠に乗りながら信者たちを見つめていた四辻姫は、シャシャテンに気付くなり顔をしかめた。
「あの文を読まなかったのか?」
「もちろん読みましたぞ。しかし私は、生まれ故郷の大事を見過ごすなど出来ませぬ」
 シャシャテンは両手を腰にやり、わざとらしく胸を張る。そこから少し離れた所で足を止めた清隆は、そっと女王を窺った。彼女の眉間に寄った皺は深くなり、ついには必死の形相でシャシャテンに声を荒げる。
「そなた、余計なことをしてくれるな!」
 伯母の剣幕に、シャシャテンが目に見えてうろたえる。草履が泥に滑りそうになり、彼女は慌てて体勢を直した。
「私は伯母上と同じく、この国を案じております! 禁忌が犯されんとしておるのに、遠くで黙っている訳にはいきませぬ!」
 いつかはこの国を治めるだろう王女としての覚悟を、シャシャテンは訴えていた。だがそんな姪に、伯母はさっと顔を背ける。
「この国を思うのは私だけで良い。そなたはいずれ――」
 そこから先は、あえて黙っているようだった。四辻姫は、シャシャテンに王位を継がせる意思がないのか。これまで見てきたものとは明らかに異なる姪への態度に、清隆は隣にいた信と見合った。彼も困惑しているようで、清隆にしか聞こえない声で疑問を呟く。
「嗚呼、そうじゃ。昨日私に文をくれた者はおるか? あれはしかと届けさせたぞ」
 四辻姫が、今度はこちらを向く。清隆たちより少し距離を置いていた妹が、女王をしばし睨んでから一歩踏み出した。そこに、これまで様子を見ていただけの賢順が動き、懐に手を入れた。そして取り出した紙を広げ、美央へ突き付ける。
「あなたはいかなるお気持ちで、これをしたためましたか?」
「今しかないと思ったんです」
 美央は賢順と目を合わせず答える。人を「人でなし」にする不死鳥と、唯一それを傷付けられる太刀が揃うことは、この先でも稀だろう。それなら迷いの生じないうちに、ここで人間を捨てたい。そう告げて、美央はまっすぐ賢順に歩み寄ろうとした。だが清隆が口を開くより前に、彼女を止めたものがあった。
「そなた、あれから『人』が何たるか思い知ったことはあるか?」
 美央の袖を後ろから強く掴み、シャシャテンが険しい声で問う。何が人間とそうでないものを区別するのか分かったか。答えない美央に、とうとうシャシャテンの堪忍袋の緒は切れたようだった。
「そなたでも分からぬという『人』としての生を捨てるのか? 先の長い世の旅を、ここで棒に振るのか? 馬鹿なことをするでない!」
 溜息をつく妹は振り返らない。
「あんたを出し抜いてやりたかったの、シャシャテン。あんたの困る顔を、失望しているところを見たかった」
 息を呑むシャシャテンを、妹は無視して続ける。自分はシャシャテンと、人と関わったことで変化してしまった。なら「人でなし」になれば、誰からも気味悪がられて人と接しなくて済む。そうすれば、周りに何も思わなかった昔の自分に戻れる――。
「斯様に『人でなし』を決めておるのは、あくまでそなたのやり方じゃろう。他の者が如何に思っておるか、聞いても良かろう」
「そうでしょう。わたしもお聞きした所以だけで、弟子にしたくはありません」
 シャシャテンの話に割り込んできた男が、それまで背後に隠していた太刀を己の前に持っていき、その柄に右手を伸ばした。清隆も手にしていた短刀を握り直し、思い切って紙縒りを引きちぎろうか迷った。そこに、誰よりも早く得物を抜いた者が賢順へ迫る。
「筑紫賢順斎、どうか不死鳥を檻より放っていただきたい」
 腰に帯びていた刀を抜き、山住が僧侶と向き合う。賢順は太刀を持っていた腕を下ろし、静かに微笑んで檻を見やる。形はどうであれ、不死鳥はこの瑞香に帰還を果たした。それだけでも喜ぶべきではないか。そう話す賢順に山住は首を振る。
「不死鳥は空にいなければなりません。狭き中に囲われているべきではない!」
 山住の刃先が賢順に近付いていく。それを恐れていないかのように、僧侶は顔色を変えない。やがてその皮膚が斬られそうに見えた時、女王の声が場を打った。
「山住殿、そこまで息巻くこともないであろう。ここは賢順斎の言う通りじゃ」
 思わず刀を下ろした山住が、四辻姫を振り返る。清隆もまた、言葉を失って女王に視線を投げた。彼女は賢順に味方をするつもりなのか。わざわざ不老不死をもたらす武器を日本に避難させておきながら、本当は禁忌を破ることを許そうとしているのか。
 頭の中で考えが回りだし、肩を何度か叩かれていると気付かなかった。小さく名前を呼ばれて清隆が振り向くと、信が檻の向こうを指差している。そこでは木の板に紐でぶら下がった鍵を持った僧侶が、ゆっくりと檻の鍵穴があるこちら側へ歩いてきていた。
「どうする? このままだと開けられちゃうよ?」
 信の声を聞き、清隆は賢順の持つ太刀に目を留める。さすがに鉄格子と一緒に不死鳥を斬るのは難しいだろう。扉を開ける必要があるなら、せめてそれを阻むしかない。信に手の動きで合図をしてから、清隆は四辻姫に呼び掛けた。
「四辻姫、あなたは何をするつもりですか」
 信が何気ない様子で、檻の横に固まっている信者たちの後ろへ回り込み、鍵を運ぶ僧侶に向かっていく。そして清隆も、話している間に少しずつ檻に近寄っていった。
「さっき、あなたは賢順に同調しているようだった。彼と手紙のやり取りをしていたという話も聞いています。本当に賢順を止める気があるんですか」
「清隆、無礼が過ぎるぞ!」
 一喝するシャシャテンに対し、四辻姫は乾いた声で笑っていた。口元も隠さず、清隆を試すような目で見てくる。
「私は、亡き大友正衡の『建国回帰』にはなびいておらぬ。不老不死など、あってたまるか。……賢順斎、今何か申したか?」
 確かに話の中で、賢順が何かぼそりと発した気がする。清隆も彼を一瞥したが、相手は唇を引き結んだまま軽く俯いている。
「何、先に裏切られたのは私じゃ。賢順斎も公経きんつねのことは聞いておろう?」
 聞き慣れない名を、清隆は覚えるように心の中で繰り返す。その人は一体何者か、清隆の中で考えの及ばぬまま、賢順が話題を変えた。
「あなたのお気持ちはもっともにございます。しかし今は、それを気に病んでいる時ではないでしょう。そもそも不死鳥が瑞香から消えたのはなぜだと思いますか? わたしたちを懸念してのこともありましょう。ただ、それだけではない気がします。あなたが勝手なものだから――」
 草履が泥にはまる足音が、賢順に近付いていく。顔に鬼気迫るシャシャテンの接近に、鍵を持っていた僧侶が驚いて彼女を止めようと動きだした。その隙に、彼の手からものが消える。僧侶が確認する間もなく、信が奪った鍵を勢いよく投げた。弧を描いて落ちていくそれを、清隆は腕を伸ばして受け取る。これをどこかに捨てなければならない。場所に迷った矢先、清隆は背を押される感覚につんのめった。
 転びそうになった姿勢を起こし、後ろにいた人物を探る。その者が今度は前から清隆を突き飛ばし、尻餅をついた拍子に手から離れた鍵を拾うと、檻へ突進せんばかりに駆け寄った。これまで静観していた不死鳥も、上ずったような声を出す。
「御待ち下さい! 貴方は何故そこまで、『人』である事を拒まれますか!」
「……さっき言った通り」
 肩で息をしながら、美央は扉の鍵を開錠する。それを止めようとしてか、賢順が彼女の後ろに移った。
「賢順も聞いてくれないから、わたしは自分だけで『人でなし』になる」
「美央さん!」
 信が叫ぶ先で、賢順が短く謝罪を呟いてから高く上げた鞘を振り下ろす。後頭部に当たった一撃で、妹は呆気なく気絶して倒れ込んだ。それを蹴りよけ、賢順は扉を開けるなり太刀を抜き放った。不死鳥の胸元から赤が迸り、悲鳴に似た甲高い音が境内に響き渡る。清隆が耳を塞ぎたくなるそれも気にしない様子で、賢順は血の溢れ出ている傷に口を付けた。夢中で血を啜る彼の背後に、走ってきた人影が立つ。
 山住が斬り掛かると、激しく動いていた賢順の喉が止まった。背を袈裟懸けにされた彼は、重い音を立てて前に倒れる。すかさず不死鳥が檻を飛び出し、地上を見下ろしもせず空に消えていった。清隆は信と共に妹を運びに行きながら、ぐったりと動かない賢順から目を離せなかった。

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