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六段の調べ 序 四段 七、真実を追えば

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四段一話へ

序・初段一話へ


 帰宅後、自室に入ろうとした清隆は扉の前で足を止めた。伊勢を捕らえて殺害した者が、王に仕える者と称していたことが腑に落ちない。信頼できる部下と共に政治を進めていたという大友は、その部下に不手際があるとすぐ処分しようとする人間なのか。そもそも彼が言ったとされる日本への懸念には、望みである「建国回帰」との矛盾がどうしても抜けない。
 清隆は階段を下り、閉じた襖の奥へ呼び掛ける。シャシャテンは直接母の仇を討てなかったことに、気落ちしてないだろうか。
「嗚呼、清隆か。ちょうど伊勢について伯母上から文が来ておった所じゃ。見るか?」
 声はいつも通りのはっきりとしたものであった。清隆は和室に足を踏み入れ、シャシャテンの受け取った手紙を読み聞かせられる。四辻姫からは、箏教室の跡で聞いた通り、大友に命じられた部下が伊勢を殺害したと伝えられた。シャシャテンは満足げな表情で、この説明に合点がいっているようだ。清隆が問いを投げ掛けても、まともな返事は来ないだろう。これまでの経験で、それは何となく察せられた。
 早々に部屋を出て自室に戻り、真実を知るにはどうすれば良いか清隆は考える。そして、一番手っ取り早い方法が浮かぶ――大友に直接聞いた方が早いのではないか。しかし一国の王である彼に、そんな荒業が出来るのか。そもそも警備の厳しい御所に入ること自体難しいだろう。手紙を書いたとしても返事は来るか、そもそも向こうへ送れるのか。
 その時は諦めて終わったが、数日経っても悩みは消えなかった。口には出さず黙って考えていただけだが、ある日部活中の八重崎に「顔が怖い」と指摘されてしまった。よほど思い詰めているように見えたのか、妙に心配される。
 初めは何もないように振る舞っていた清隆も折れ、部活の帰り際に八重崎へ尋ねた。
「知りたいことがあったら、何があっても動いた方が良いと思うか」
「そりゃあ、そうだよ。もやもやのまま終わるって嫌だもんね」
 すぐ返ってきた答えが八重崎の本心か、清隆は考えかけてやめる。八重崎自身を気にしている場合ではない。彼女の言葉こそ重要だ。
 瑞香を知ろうとシャシャテンの居候を許した時と同じく、やはり自分の思いを果たすには止まっていてもいけない。それに八重崎が心配してくるほどのことだ。うやむやのまま悩み続けていれば、また彼女に何か言われかねない。
 そして覚悟を決め、清隆はその日の夜、自室から瑞香へ行こうと試みた。シャシャテンがやっていたのと全く同じ動きをするが、空間が変わる様子はない。何度試しても瑞香への道は開かず、疲れた腕を下ろして清隆は途方に暮れた。
 本当は黙っておきたかったが、そもそも行けないのなら意味がない。清隆は和室に赴き、シャシャテンに瑞香への行き方を確認した。清隆が言った通りで合っていると聞きながら、静かに冷たい目を向けられる。
「瑞香を訪ねて何をするつもりじゃ。まさか伯母上からの文を疑っておるのか?」
 清隆が黙り込むと、シャシャテンがこちらの腕を強く掴んできた。思惑を勘付いたのだろう。彼女の語気は、いつもより荒かった。
「そなた、気でも触れたか!? わざわざ真実を知るために、奴のもとへ行くと言うのか!?」
「四辻姫の説明だけじゃ、納得できない」
 顔をしかめるシャシャテンに、清隆は負けじと思いを伝える。
「あの手紙が本当であれ嘘であれ、実際はどうなっているのか知りたい。瑞香に行って、大友に会って、ちゃんとしたことを確かめたい」
 それでも物言いたげであったシャシャテンが、やがて息をついた。王の私室がどこにあるのかさっと伝え、彼女は箪笥に向かう。そして一番下の引き出しに手を入れて銀色の袋を取り、清隆の前に置く。袋から出した小柄な白鞘の目釘を外し、現れた短刀を同じ袋に入れていた流水紋の描かれている黒い鞘へ移す。そして文机の上にあった一枚の和紙をちぎって細長い紙縒りにすると、短刀の鍔辺りに通して輪を結んだ。
「『山下水やましたみず』と呼ばれておる名物じゃ。守り刀に持っていけ。じゃが、自ら抜くでないぞ。抜けば紙縒りが切れて、私にも分かるからな」
 短刀を清隆に渡し、シャシャテンは瑞香への入り口を開いた。大友によって日本から御所の室内への入りを制限されたと言い、再び刀のことを口にする。
「良いか、くれぐれもそれを抜くな。……そなたは、私とは違う道に生きるべき者なのじゃから」
 その意味を問うより前に背を押され、清隆が石灯籠の立つ地面に足を下ろしてすぐ、帰り道を閉ざされた。細かい砂利を踏みながら忍び入るのに相応しい所を探し、地面から一段高くなっている縁側へと上がる。靴を床下に隠し、正面の短い階段で廊下へ移る。床から高く伸びた灯台や天井に吊るされた灯籠の等間隔で並ぶ中を、音を立てないよう進む。
 瑞香で一般的な着物ではないのだから、ここで働く者に見つかれば不審者として問い詰められるに違いない。しかし幸いにして誰にも会わず、シャシャテンに教えられた場所に着いた。廊下と部屋を仕切る青簾を抜け、空き室の小部屋に入る。調度の見当たらない室内の奥に鳥居障子があり、清隆はその前へ移った。
 心を落ち着かせるのに時間が掛かる。何度か深呼吸をしてから、得物を持つ手を握り締める。覚悟を決めて清隆が声を掛けようとした時、音を立てて障子が開いた。夏にも会った瑞香の王が、白襦袢姿で立っている。
「この夜更けに何をしに来た?」
 低く問う男に、長く持っていた疑問を告げる。大友は部屋――常御所つねごしょへ入るよう勧めると、静かに障子を閉めた。向かって右の壁に沿って、文机や葛籠が置かれている。そして奥には、太刀の置かれた刀掛けと箏があった。大友が嵌めていたと思しき箏爪が床に転がっている。王は正面に座し、静かにこちらを見ていた。
「あれを命じたのは私ではない。四辻が勝手に動き、殺害したのもあの方の臣下だ」
 はっきりと言い切った大友は、四辻姫とは共に目的を果たそうとした間ながら、これまで何度も彼女の所業を自分のものとして押し付けられたと語る。懐から先ほど受け取ったという手紙を取り出し、証拠として見せられるが、清隆には崩し字で読めない。今年の春には自分の部下による仕業だとして、シャシャテンが日本で襲われた原因を大友のせいにされたそうだ。それがシャシャテンと出会った時のことか考えながら、清隆は話を聞く。
 四辻姫は都から離れた土地で幽閉されているにもかかわらず、色々と言い付けてくるらしい。時には政治に口出しをし、数年前は復興の目途を立てるべく津波で被災した場所を慰問しようとしたが、四辻姫の部下に阻まれた。
「六段が日本に赴いてからは、より騒がしくなった。故に……」
 話の途中で、大友が急に咳き込んだ。なかなかやまないそれに、体調を崩しているのか心配になる。
 咳の音を聞く間、清隆は考える。四辻姫が直接言い出せるほど、二人の関わりは深いのではと。しかし王権のことで敵対し合っているはずの彼らが、なぜそのようになっているのか。そもそも、本当に敵同士なのか。
「四辻姫はなぜ、そこまでお前に言ってくるんだ。何か深い動機があるのか」
 ようやく咳が落ち着いた大友に清隆は尋ねたが、答えはなかった。何かを隠しているのではないか、一気に不審が募る。
「そなたは六段を救った――なら、あの方の側にいたのだろう。異国の者でありながら、そなたはあの方の頼りとなっているようだ。左様なら、私とはこれからも敵であり続けろ。一度抱かれた心頼みを、自ら捨てるな」
 確かに清隆は四辻姫に協力した。彼女に信頼されているのだとしたら、その心を裏切ると思うと引け目が生まれる。ここでふと、清隆はある事実に気が付いた。
「……お前が四辻姫と協力関係にあるなら、二人とも同じ立場じゃないのか。大友も、俺たちの敵とはいえないんじゃないか
 そう話すなり、王は奥の刀掛けにあった太刀を手に取った。ゆっくり鞘から抜いたかと思うと、すかさず刃を清隆の頸部へ向ける。今にも首を刎ねんとしかねない気迫に、清隆は息を呑む。
 世の中、特に民草の間では大友と四辻姫が対立していると見られている。その構造が崩れて和解などあれば、それぞれに期待していた人々が反抗し、各地で暴れだすだろう。瑞香に関わった以上、清隆もどちらかに付かなければならないと大友は告げる。
「そなた、後ろ手に隠しているものがあるだろう。私を敵と見るなら、それを抜いて向けてこい」
 背後に置いていた短刀に指先が触れる。従った方が良いか悩んでいる間に大友が再び咳き込み、太刀から手を離した。慌てて清隆は彼と距離を取り、鈍い音を立てて武器が落ちるのを見る。四辻姫からの負担は重い、場合によっては協力関係を解いて彼女やシャシャテンを切り捨てるかもしれないと、相手は途切れ途切れに言う。
 シャシャテンは大友の王位を挫くために日本へ来た。彼が王であり続ければ、いつか「建国回帰」は達成されるだろう。そしたら、シャシャテンがこれまでやってきた行動は無駄になってしまうのか。母を殺され、親しんだ場所を追われて幽閉生活を送りながら思ってきたことは、全て壊されてしまうのか。
 清隆は懐刀を取り、強く柄を握る。しかし手に細い紙の感触を認めると、焦りに似て高ぶっていた感情が一気に冷めていった。
「……これは抜けない。シャシャテン――六段姫の頼みだ」
 紙縒りが付いたままの得物を自分の前に置き、清隆はここに来る前シャシャテンが語った話をした。畳に転がっていた太刀を大友が拾い、紙縒りに目を向ける。
「覚束ない仕打ちをするな」
 大友の刃が、鍔を結ぶ紙を斬り捨てる。呆気なく落ちる紙縒りにそれ以上目を向けず、男はじっと清隆を見据える。静かな圧力に屈せず、清隆は呟く。
「娘の思いを切り捨てているようだな」
 王は黙って、再び太刀を清隆の首に突き付けてくる。そして、今度こそ四辻姫と大友とどちらの味方なのかはっきりするよう迫った。刃の冷たさを寸前で感じつつ、清隆は口を開く。
「俺は真実を知りたいだけだ。それに敵も味方も関係ない。出来ることなら立場問わず、疑問があれば誰であろうと、答えられる者に尋ねていきたい」
「……そのためだけに、わざわざここへ来たのか」
 溜息交じりの声に、清隆は肯定する。瑞香に深く関わるようになった理由も、そもそもの実在やどのような場所であるかを知りたかったからだ。
「もうこの国が存するとは分かっただろう。何ゆえ、ここで起きた騒ぎに関わる? そなたは元よりこの国とは縁もない、一介の日本に住む民だろう」
 四辻姫が夏に似たような言葉を言っていたと思い出す。それを踏まえて、清隆は答えた。
「ただ事件がどうなっているか、裏で何があるのか知りたいだけだ」
「伊勢千鶴子が殺められたことの真実は分かったか?」
 太刀を収めた大友の問いに、清隆は口を噤む。手紙を見せられたとはいえ、それが本当に四辻姫からのものかも分からなかった。大友の話も初めて聞くことばかりで、すぐに呑み込めない。
「……残念だが、一度聞いただけでは分からなかった」
「それでは何も得られぬのと同じ。私はそなたを間者と見ることも出来る。命が惜しければ、疾く立ち去れ」
 清隆は頭を下げてから、短刀と切られた紙縒りを持って退室した。廊下を歩く中、大友から話は聞けたものの何も分かっていないと気付く。証言こそ増えたが、それが正しいかさえ判断できない。むしろ謎が深まったような気がして、清隆の歩みは遅くなった。思い切って御所にまで入ったのに、これでは意味がないのではないか。
 階段を下りると、ぽっかりと宙に浮かんだ火の輪から、シャシャテンが顔を覗かせていた。大友を激しく敵視する彼女へ何を言おうか迷いながら、清隆は庭へ出て輪をそっとくぐった。

 
 ただ真実を知るためだけに、異国から恐れを知らず自分のもとに来るとは。若人の去った後、大友は太刀を目に入れて考えを巡らせていた。あの男は瑞香の件なら、長く自分たちが秘してきたことまで知ろうとするだろう。それが民草に知られれば、この国は終わる。締め付けられる胸を押さえ、大友は決断した。あの男についてだけでなく、四辻姫や六段姫への策も。
 隣室へ移るべく、大友は立ち上がる。冬の近付きを教える寒風が隙間から入り込み、冷え気味になってきた体がより凍えそうになる。十数歩歩いただけで息切れがし、ふと目眩がして妻戸に寄り掛かる。指先に何も感じられないほど身の内から冷え、動悸も速くなっている。
 やはり、あの者に受けた重荷のせいだ。それが体を蝕み、寿命を縮めようとしている。「建国回帰」は生きているうちに成し遂げたい。心で願い、一息ついてから王は部屋の境を越えた。

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