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六段の調べ 急 二段 五、瑞香よ泣かないで

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「伯母上、如何されました……。不死鳥から裁きを下されるなど、酷い勝手をなされたのか?」
 王女の声は、震えている。それへさも当然のように女王は言う。
「我ら王家は、不死鳥に認められた者。……なら、私の好きにしても良かろう」
 肩口にやった手を離さないまま、四辻姫は笑う。ぽかんとしていたシャシャテンが、やがてよろめきながら立ち上がる。彼女の口から、聞き取りにくい言葉が漏れた。
「何とのぅ……。伯母上は本当に、乱心してしまわれたか」
 赤くなった目元をこすり、シャシャテンは伯母と不死鳥を交互に見る。やがて彼女は、偉大な鳥へ向かい合った。
「確かに我らは、不死鳥から政を許されたと聞いておる。しかしその術は、そなたたちに認められるようでなければならぬな。人がむやみに傷付いて死んでいく様を見るのは、嫌じゃろう?」
 不死鳥は答えない。王女を吟味するように凝視している。沈黙の中、四辻姫の冷たい言葉が庭を打った。
「……そなたは、そもそもこの宮への入りを禁じてはなかったか? 斯様な者が迷い事を言うでない」
 すかさず女官たちがシャシャテンと倉橋を両側から囲み、縁側の二人を追いやった。既に満足した顔で受け入れている倉橋に対し、シャシャテンは何度も四辻姫のもとへ向かおうとして引き留められている。そして屋根の上では、不死鳥が民へ冷ややかに告げた。
「生憎、鳳凰は祭りに現れませんよ。一体誰があんな風聞を流したのやら」
 昔に姿を消してから、鳳凰はいまだ行方知れずだという。戻ってくるには、太平の世にならなければならない。そんな不死鳥の話を、人々がじっと聞いていた。彼らは巨大な瑞鳥を恐れつつも尊敬しているのだろう。
 やがて多くの民が、建物の前を離れるようになった。鳳凰は現れず、負傷した女王はもう参賀どころではない。清隆たちも庭を出ようとした時、倉橋が髪と着崩れを整えてこちらにやって来た。さすがに今回の行動は無茶だったと呆れる北を、倉橋は軽くねめつける。
「どうしても人々には危機感を持ってほしかったんです。だって四辻姫は瑞香を――」
 その言葉が終わるなり、清隆は「参賀の間」へ咄嗟に目をやった。四辻姫はこちらに背を向け、部屋へ入っていく。
「四辻姫のやろうとしていることは、『建国回帰』と関係があるんですか」
 倉橋の言う思惑をにわかに信じられず、清隆は問う。
「あの女王が企てているものこそ、『建国回帰』ですよ」
 どうも倉橋と話が食い違っている。そこに八重崎が、先ほども呟いた疑問を尋ねた。
「倉橋さんが言っている『建国』は、いつの時代――どれくらい前ですか? たぶん、わたしたちが聞いているものと違うと思います」
 倉橋は目を丸くしてから手を打った。大友も「建国回帰」を為そうとしていたが、女王の目的とは意味が違う。四辻姫の指す「建国」とは、後に瑞香と名付けられる島へ人が流れ着く前の時代だと。そこに戻そうということは――。考えが結び付くと同時に、清隆の身はおのずと震えた。
 今すぐ四辻姫へ、そうしようとする理由を問いたかった。しかし彼女の姿はとっくにない。それを惜しんでいると、清隆はシャシャテンが屋敷からとぼとぼと歩いてくるのを見つけた。彼女の周りに、まだ庭に残っていた人が集まってくる。民は王女へ、助けを求めていた。不死鳥から裁きを受けた女王が治める国の今後が、不安で堪らない。四辻姫に代わって、何とかしてほしいと。それを聞き付けた倉橋が、人々へ振り返った。
「この王女に何を期待するのです! 四辻姫と同じ血を持つ者が、伯母と同じ所業をするかもしれないでしょう!」
 それでも群衆は、すぐに聞き入れない。一人の町人が群れを抜け出し、シャシャテンへすがらんばかりに手を伸ばす。それが打掛の裾を掴んだかと思えば、王女は前に転んでしまった。町人がすぐに手を引っ込めるが、周りの者が責め立てる。しかし砂に手を突く王女から聞こえたのは、笑い声だった。着物の汚れを払い、彼女は笑顔で立ち上がる。
「今は厳しいやもしれぬが、いずれは平らかな世になるよう、私は努めよう。伯母上の乱心は、必ず止めてみせる。私も伯母上も、互いのことは信じておるからな。そしてそなたたちも、ここで折れるでないぞ」
 決意を新たにする姫の姿が、そこにはあった。日本で何も学べず幽閉されたままの生活では、彼女をここまで押し上げられただろうか。清隆は物言いたげな倉橋に歩み寄って伝えた。
「シャシャテンは日本に来て、『立派な女王』になろうと学んでいます。四辻姫とはまた違うやり方で、瑞香を治めるはずです」
 倉橋の返事はなかった。清隆からも顔を背け、その表情は読み取り難い。一方でシャシャテンは、「参賀の間」にいる不死鳥に向けて力強く指笛を吹いた。目の前に下り立った鳥へ、シャシャテンは正座して深く頭を下げた。不死鳥が憤るほど、今の王家が良く治められていないことを、伯母に代わって謝る。この件は、王家の一員たる自分にも責任があると。
「まだ王位に就いていないシャシャ――六段姫さまが、謝る必要もないと思うけどね」
 北の呟きが耳に入ったか、シャシャテンは首を振る。いずれ女王になる者として、不死鳥への敬意は持ち続けなければならない。そう語る王女に、不死鳥が告げた。
薄雪系はくせつけいなど如何な物かとは思いますが……仕方ありません。暫くは様子見を続けましょう」
 不死鳥が飛び去る中、薄雪系という語が清隆の中で疑問となっていた。思わず倉橋へ視線が動く。その父である菅は、シャシャテンの家が分家だと記していた。「薄雪系」は、この記述と何か関係あるかもしれない。そう思って清隆が詳しく尋ねようとした時、高い男の声が自分を呼ぶのが聞こえた。すっかり人のまばらになった後方を抜け、信と美央が駆け寄ってくる。
 不死鳥がやって来た辺りから様子を見ていたものの、何が起きたかはよく分からなかった彼らに、清隆は事情を説明する。倉橋に聞いた、これまでとは違う「建国回帰」についても教えた。
 そこに、シャシャテンのいた辺りから騒ぎが耳へ入った。よく見れば、複数の女官が王女を無理やり庭の外へ追い出そうとしている。まだ民が名残惜しそうにする中、姫は半ば引きずられながら御所を後にする。こちらもそろそろ出るべきかもしれない。誰もいない「参賀の間」から目を離し、清隆たちも庭を去った。

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