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六段の調べ 急 二段 四、そして不死鳥は告げた

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序・初段一話へ


 山住が呼び寄せていた姫は、昼近くになってこの屋敷に現れた。玄関で六段姫を認め、山住は早速家主のもとへ連れて行く。既に姫とは一度会っていたようだが、思わぬ再会に妙音院は驚いていた。
「でもそういえば、山住さんに六段姫さまが箏を教えられていましたか。今も親しくされていますか?」
 女中の手も借りず自ら茶を淹れる妙音院の向かいで、六段姫はうやむやに認める。まだ添うと決まったことは、民の間にも伏せられている。深い仲であることを誤魔化しながら、六段姫は湯飲みを受け取った。
 それからしばらく経ったころだろうか。部屋に入ってきた女中が来客を伝えた。今日は六段姫以外呼んでいないはずだと、山住は覚えている。彼女が瑞香に連れて来た清隆たちも、それぞれ祭りを楽しんでいるという。
 妙音院が客を入れるよう促す。女中に案内されて姿を見せたのは、長い前髪で顔がいくらか隠れている男だった。背は高く、日本で広まっている洋装に包まれた手足はすらりとしている。彼が前髪を掻き上げると、ようやく目元が露わになった。それは星も見えない闇に似て黒く、どこか恐ろしい。
「おお、北殿ではないか! 何ゆえここに?」
 湯飲みを空にしていた六段姫が身を乗り出す。北と呼ばれた男は、道に迷ったが何とか着いたと笑う。彼は最初から、この屋敷に行きたかったそうだ。
 北道雄の名は、山住も聞いていた。何度か姫の文で子細を知らされたが、自ら川に飛び込んだだの腕を折っただの、落ち着かない話ばかりが心に留まっている。姫の隣に座る彼を改めて見ると、確かに無果報を引き寄せそうな人のように思えてきた。
「倉橋さんから話を聞いていてね。妙音院さんというのは、けっこう変わりものみたいだから気になっていてね」
 六段姫から簡単に北について教えられた妙音院は、日本にも自分の風聞が広まっているのかと苦笑する。一方で姫は、「倉橋」の語が出てきたためか顔を曇らせた。彼女が倉橋なる者を快く思っていないとは、山住も知っている。
「妙音院殿、今しがた北殿が申した『倉橋』なる者には気を付けてくだされ。私が世話になっておる日本に、瑞香のあることないことを広めようとしております。そうじゃな、例えば――我が王家が分家だとか何とか」
 シャシャテンが忠告として放った言葉に、妙音院の顔色が変わっていったように山住は見えた。そして驚くことに、北が唇を結んで苦い面持ちをしている。彼らはどこに引っ掛かって、このような物腰でいるのか。山住がいつまでも解せぬまま、六段姫は話し続ける。
「故に、もし倉橋と会うようなことがあれば、ぜひ気を緩めないでいただきたい。それと、男か女か聞くのはご法度じゃぞ。――さて、勝手を言うようで悪いが、妙音院殿には頼みがありましてな。あなた様の箏を一度聴いてみとう思うておりまして」
 王女の急な頼みも、妙音院はすぐに引き受けた。愛箏「小師子こじし」を手早く用意し、楽譜も見ずに一曲を奏でる。六段姫は終わりまでじっと耳を傾け、一音たりとも聞き逃さぬようにしていた。そして調べが終わると、両手を調子よく叩きながら「あんこーる!」と唱えた。目が点になっている妙音院に気付き、姫は慌てて詳らかに話す。西欧語を由来とした、もう一曲求める時に使う言葉だという。
 その「あんこーる」が行われた後、廊下で二人の足音が近付くのを耳にした。襖が開かれ、朝から祭りに行っていた蝉麻呂と、彼の面倒を見ていた女中が顔を出す。屋台で買ってもらった風車を手にしていた幼子は、見知らぬ来客を認めるなり襖の陰に隠れた。女中と同じく息子に付き添っていたはずの若御前はどうしているのか、妙音院が尋ねる。
「御前様なら、御所のお庭におられます。なんでも急に現れた客人が、女王陛下と諍いをしておりまして、それを面白いかのようにご覧になっていました。わたしたちは途中で抜けてきましたが、あれはどうなったのでしょう……」
 心掛かりを呟き、女中が蝉麻呂を連れて去っていく。途端に六段姫が立ち上がり、妙音院に頭を下げた。
「そなたの素晴らしき調べには礼を申したい。名残惜しいが、私は伯母上のもとに窺わねばならぬので、これで」
「ああ、ぼくもお目見えに行きたいので失礼します」
 北も妙音院へ礼を言い、六段姫の後を追って部屋を出て行った。妙音院の疑いについて調べ終わるまで宮城に戻るなと、四辻姫からは言われている。その下知をもどかしく思いながら、山住はふと呟いた。
「姫様は御宮の庭へお入りになれるのでしょうか……?」
 
 
 かつて諸田寺であった土砂の山から、清隆は目を離せずにいた。ここに生きている自分がいると分かれば、賢順はどう思うだろうか。相変わらず恨み続けるに違いない。人の不老不死を望んでいた彼が唯一その死を願った存在が、己なのだから。
 隣にいる八重崎を見やる。土砂に流される前、自分が彼女に聞こうとしていた問いは、今も呑み込んだままだ。その暗い表情の理由を知りたくても、彼女をより傷付ける不安が邪魔をする。
「もうすぐ四辻姫さまが出てくる時間だけどさ、どうする?」
 信の声で、清隆は顔を上げた。腕時計を確認すると、そろそろ御所に行かなければ間に合わない。八重崎がまた人混みで体調を崩さないか案じたが、彼女はお目見えに行くと答えた。
「おれはまだ屋台も見れてないから、後から行くよ。美央さんは?」
「……わたしも、お店は気になります。というより、お目見えに興味がありません」
「ちょっとくらい四辻姫さまのお顔を拝見したら? あ、美央さんはもう何回か見てるか」
 美央が頷き、わずかに顔をしかめる。それに気付かない様子で、信が同行して良いか彼女に尋ねる。妹はややあってから、ぎこちない声で了承した。
 都に入るまでは四人で歩き、美央が菓子の売ってある屋台に目を留めたところで彼女と信とは別れた。いくらか少なくなっている通りの人々は、もう参賀の開催場所に集っているのだろうか。
 木造の豪勢な門が見えてきた辺りで、幅が広い列の最後尾に行き合った。左右から何人かが列を誘導している。これに続けば庭に入れると思い、清隆は八重崎と並び始めた。
 ゆっくりと、人々は砂の一面に敷かれた庭へ入っていく。騒がしい列の奥には、二階建ての建物――「参賀さんが」があった。清隆たちのいる後方からも様子が見られる二階の縁側には、女王である四辻姫ともう一人、着物を着た人物が互いに向かい合っている。彼女たちが何をしているのか見たいが、大勢の列に割り込んで良いのだろうか。清隆が悩んでいると、聞き馴染みのある声が耳に飛び込んできた。
「清隆、八重崎殿! ちょうど良かった、伯母上を止めに行かぬか?」
 振り返ると、後ろからシャシャテンと北が人の群れを掻きながらこちらに向かっていた。妙音院のもとにいた二人は、お目見えの場で四辻姫と何者かが言い争いをしていると聞いて駆け付けたという。その詳細を探るべく、シャシャテンたちと前へ向かおうとした清隆は八重崎に声を掛けた。
「俺は四辻姫の様子を見に行くが、先輩はどうする」
「わたしも行くよ。最前列って空いてそうだし」
 八重崎には足元に気を付けるよう言い、そっと彼女の袖を掴んでシャシャテンと北に続く。やがて縁側にいたもう一人の人物が、はっきりと見えてきた。長めの髪は下ろしたまま、帯は胸下とも腰ともつかない中途半端な位置で結んでいる。顔や体型の骨格は、どうも男女の区別が難しい。
「あれは、倉橋輪か」
 清隆が声を上げると、シャシャテンが周囲も気にせず前へ走りだそうとした。それを北が止め、縁側を指差す。
「怒らないで、まずはあの人の話を聞こうか」
 北の言う通り、倉橋は群衆の方へ向きを転じ、こちらへ何かを訴えようとしていた。腹の中ほど辺りまである柵から顔を出し、持参したのかマイクを口元に近付けている。チェックの意味合いで倉橋が意味のない言葉を発すると、突如大きくなった声に瑞香の人々は戸惑いを見せた。
「お集まりの皆さん、どうか落ち着いてください。私は、貴方がたを救いに来たのです」
「おい、この者を引きずり出せ!」
 マイクが四辻姫の声をも拾い、彼女の周りに控えていた女官たちへの命令が庭に響く。背後から女官に邪魔されながら、倉橋は話を続けようとする。
「皆様、この自分本位な女王には抗わなければなりません。この方は、『建国回帰』を為そうとしているのですから」
 それを聞いて清隆が真っ先に浮かんだのは、大友の企みだった。瑞香を初代王が治めていた時代に戻す。つまり不死鳥の血がまだ濃かったころのように人が不老不死を得ており、また日本との交流が盛んだった時と同じように国の在り方を変えるというものだった。しかし話が進むにつれ、清隆はその内容に首を傾げた。
「四辻姫は、現在日本に住んでいる瑞香人の子孫を呼び戻しています。その上でいずれは、日本と瑞香の関わりを絶やそうとしているのです!」
「……なんか、みんなが教えてくれたのと違う気がするけど」
 違和感を持ったのは、八重崎も同じらしい。彼女は縁側を見上げ、疑問を零した。
「『建国回帰』の『建国』ってのは、いつの時代なんだっけ?」
 清隆は瑞香の歴史を思い返そうとする。始まりは確か、不死鳥が島を作ったということだったか――。
 そこに上空から笛のような音がして、群衆が一斉にそちらへ目をやった。まだ白く輝いている日を受けて、不死鳥が絢爛な翼を広げている。国で最も尊い存在が現れたことに、人々が色めき立った。鳳凰が来る知らせだ、何らかの吉兆だと言い立てている。そしてその期待は、民だけが持っているわけではなかった。
「不死鳥よ、良き折に参った! そなたの思うままにするが良い!」
 マイクの存在も忘れているかのように叫ぶ四辻姫は、「参賀の間」へ飛んでくる不死鳥へ瞳を輝かせている。その姿は、何も知らない子どもにも似ていた。
 不死鳥が首を縦に振り、四辻姫へまっすぐ向かっていく。人々から歓声が湧く中、鳥は速度を上げた。そのまま四辻姫の左脇へ突っ込んだかと思えば、壁沿いに空へ飛んでいく。一見して美しさを留めている不死鳥の嘴に何かが咥えられているのを、清隆は即座に認めた。それと同時に、女王から天を裂かんばかりの叫喚が上がった。
 多量の流血が止まらない左の肩口を、四辻姫は右手で押さえている。それでも指の隙間から血は溢れ、女官たちが周囲を駆け回りながら手当てをしていた。事態を理解した人々が叫び、庭は騒然とした空気に包まれる。不死鳥は屋根の上に止まり、血の付いた袖の破れ目からその中身を食いちぎっていた。これまでの彼らから考えられなかった行動に、清隆は立ち尽くす。隣ではシャシャテンが姿勢を崩し、北と八重崎がそれを支えていた。
 不死鳥が縁側の柵に下り、甲高い鳴き声を発する。ようやく落ち着きを取り戻した群衆へ、鳥は高らかに宣言した。
「皆様、よく御聞き下さい。四辻姫に治世は任せられません! ここは我々不死鳥が古の時と同じく、この瑞香を治めようではありませんか!」
 縁側に注目していた人々は、きょとんとしている。それを見かねた不死鳥は続けた。
「こちらの倉橋様の仰った通り。四辻姫をこのままにしてはおけません!」
 しばらく沈黙を辺りが支配していたが、やがてざわつきが広がりだした。やっと一人で立てるようになっていたシャシャテンが、またも倒れかける。
「嘘じゃろう……。伯母上が、不死鳥に忌まれるなど……」
「四辻姫だけではありません! 女王たる者は、皆勝手をしてきました。貴方もそれは御存知で御座いますか?」
 不死鳥がそばにいた倉橋を見下ろす。倉橋はシャシャテンの方へ目を向けて口元を吊り上げる。
「はい、本当に女王たちの振る舞いは許せないことです」
 駆けだしたシャシャテンを、清隆たちは止められなかった。あっという間に建物の中へ消えたと思えば、彼女の姿は既に四辻姫のそばにあった。伯母が振り切ろうとするのも聞かず、シャシャテンはその傷を確かめる。なぜすぐに治らないのか彼女が問うと、不死鳥は平然とした声で答えた。人を遥かに超える不死鳥は、その血を継いだ者でも治癒を無効に出来るのだと。
「伯母上が……四辻姫様が何をした!」
 四辻姫の左肩に手を置き、シャシャテンは不死鳥を睨んでいる。怒りがありながらも悲痛に満ちたその顔を、清隆は長く見ていられなかった。代わりに不死鳥の嘆きへ耳を澄ます。
「姫様が何も御聞きになっていないとは。四辻姫は先の年、諸田寺を訪れた人を処刑致しました。今年からは罪人への責め苦も行っております」
「嘘じゃ、嘘に決まっておろう!」
 シャシャテンの言葉は、涙声に近かった。周りにいた一部の人々が、四辻姫の所業は本当だと訴える中、清隆は黙ったままでいる。シャシャテンが最も信頼している人の現実を、とうとう彼女も知ってしまった。王女は庭を見やって顔を青白くさせ、ついには縁側の手すりに腕を突いて泣き崩れた。民を前に恥も忘れたかのように、彼女は言葉にならない声を出す。ここまで彼女が傷付くのなら、ずっと秘されていた方が良かったのかもしれない。
 王女の嗚咽は、しばらく続いていた。どれほど経ったか分からないころになって、ようやく彼女はゆっくりと頭を持ち上げた。乱れた髪を掻き分け、清隆にも表情が分かる。若干腫れながら強気な目で、姫はじっと伯母を見据えていた。

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