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六段の調べ 急 二段 三、時に道は美し

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「なんで生田さんがついてくるんですか?」
「心配だからだよ」
 都の門を遠ざかりながら、美央は信へ怪訝な目をやり続けていた。出来れば一人で行きたかったのに、彼はぴったりと従ってくる。美央としては四辻姫の顔も見たくなかったが、この男を吹っ切るためにも今すぐ御所へ向かおうかと思いかけていた。
「あれから倒れることはなかった?」
 信が言っているのは、彼がさらわれた後に気絶した時のことだろう。特に何もなかったと返す中、なぜあんな事態になったのか美央は首を捻る。シャシャテンはストレスが原因と言っていたが、たった一人がいなくなったというだけで倒れるほどになるのか。
 どこへ行くのか聞かれ、諸田寺だと教える。
「『人でなし』のあなたゆかりの場所ですよ」
「そう呼ばれるのは、ちょっと気に入らないなぁ」
「じゃああなたは、自分をなんだと思っているんですか?」
「普通に人間だよ?」
 その答えに思わず足を止め、軽々しく答えた信を振り返る。彼を睨んでいるうちに、心臓が熱くなってきた。胸だけではない、耳にまで熱は上がり、脳が煮え立つようにも感じる。一瞬だけ視界がぐらついたのを気力で堪え、両拳を握る。深く息を吸い込み、今まで出した覚えのない大声をぶちまけた。
「あなた、傷が早く治るなんて明らかに人ではありえない体質じゃないですか! それなのになんで、そう簡単に自分を人と決め付けられるんですか! それなら『人でなし』のことでぐだぐだ考えているわたしは、何者と思えばいいんですか? 不死鳥の血を継いでいないなら、あなたみたいにさっぱり『人』だって割り切れるはずなのに!」
 自分は、いつまでも自らが「人」であって良いのか悩んでいる。生物としてはれっきとした「人」であろうに、それを自ら受け入れられていない。対して信は、「人でなし」でありながら「人」として自覚し、生きている。どんな考えで、その結論に至ったのか。
 どこからか風が吹き上げ、美央の髪を揺らす。別にひどく乱れても構わない。まっすぐに信を見据える中、ようやく彼がぽつりと話しだした。
「……おれは、昔から自分が『人』だって思ってたよ。『人でなし』なんて、これっぽっちも考えたことなかった」
 傷の治りが早いと思ってはいたが、あまり気にしていなかった。日常生活も、普通の人と変わらない。だからほとんど人と違いないはずだ。
「でさ、それは美央さんも同じだと思うよ。おれは最初から美央さんのこと、『人』だと思ってたんだし。そんな難しいことで悩むのはやめよう、疲れちゃうよ」
 美央は掌を開き、皮膚に食い込んだ爪の痕を見やる。信なら、これくらいの傷もすぐ治るだろうか。自分が気にしているのはそんな生物学的なものではなく、やはり生き方といった哲学的な定義だ。そしてその答えを考え続け、今も結論は出ていない。信の言う通り、長々と悩むのはひとまずやめようと浮かぶも、ここで思考を捨ててはいけない気もする。
 信の言葉には返さず、目指していた場所へ歩く。やがて周囲に縄が張られた行き止まりの遠くに、土砂と瓦礫の高く積もる場所へ辿り着いた。奥にそびえる山には青々とした木がいくらか生い茂っているが、正面に向いている側だけは何もなく、抉れた斜面に土が剥き出しとなっている。空高くには地上を見張るかのように不死鳥らしき大型の鳥がいる。地図と比べ、美央は場所を確信する。ここは、諸田寺の跡地で間違いない。
 伽藍は全て押し潰され、所々見える瓦や壁の破片が当時を偲ばせる。土砂の山から石が転がり落ち、砂がさらさらと流れた。この下に、自分が弟子入りをも覚悟した男がいる。不老不死になったのだから、今も密かに息をしているのだろう。縄より先には立ち入れず、もう彼と会話は交わせない。
「この一年、わたしが不老不死に憧れてきたのはなんだったんでしょうね」
 土砂を眺めて美央は呟く。そこに信の軽い声がする。
「たぶん、美央さんがちゃんと自分を『人』だって認めるための時間だよ。悪いものじゃないと思う」
「悩んでもいないのに、よくそんなふうに言えますね」
「おれだって、人のことなら悩んでるよ」
 予想しなかった返事に、美央は隣に立つ少年を見やった。
「人見知りでさ、人との距離がうまく取れないというか……仲よくなりたいけど、どうすればいいかわかんないんだよね」
 彼はよく人へ積極的に話し掛けていると、かつて兄から聞いた。八重崎を下の名前で呼び捨てにしようとした時もあるとも。あれは、人と親しくなろうとして距離を詰め過ぎていたのではないか。初めは信じ難かったが、次第に彼の言う通りでもあるように思えてきた。
 さらに信は、密かに秘めていた不安を打ち明けた。例えば学校などで、友人など人と一緒にいなければいけない空気を感じることはないか。どうも一人でいると、変な目で見られている感じがする。そんな彼を、美央はすかさず一蹴する。
「特に気にしてません。人に興味はないので」
 そう言いつつ、信について考えてやまないのはなぜか。「人でなし」だからと再三言い聞かせてきたはずなのに、どうも腑に落ちない。彼が自らを「人」と断定したから、揺らいでしまったのか。
 しばらく、沈黙が辺りを支配する。こうして自分の考えを率直に言うと、信が懸念しているように気味悪く思われるのだろうか。
「……そうか、美央さんは周りに流されない人なんだね。いいなぁ、強いなぁ」
 唐突に信から零れたのは、これまでされてこなかった評価だった。なぜか体が動きにくくなる。自分が「人でなし」の一因と思っていたことを、彼は「性格」として見ている。彼は本当に、自分を「人」と認識しているのか。そう考えているうちに、目の前にある土砂の山が気味悪く見えてきた。先ほどまでどうとも思わなかった土の匂いが、急にむせ返るように迫ってくる。大通りに戻ろうかと美央が後ろを向いた時、ちょうどこちらへ歩いてくる人影を目にした。
「お前たち、何でここにいるんだ」
 兄と八重崎が、揃って足を進めている。彼らも、この跡地を見に来たようだ。信が事情を明かすと、兄はわずかにこちらを見てから土砂へ視線を投げた。今や影形もない寺に思うところがあるのか、長い間彼はそのまま目を動かさなかった。

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