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六段の調べ 急 二段 一、鳳凰が舞う

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序・初段一話へ


 この男が本当に、四辻姫の王位を狙っているのか。畳の敷かれた一室にて、山住は箏を前にしながら、正面で愛用の琵琶「白菊しらぎく」を構える妙音院を見つめた。その笑顔にしろ落ち着いた物腰にしろ、女王が語っていた恐れを抱いているとは伝わってこない。
「本当に山住さんは、箏が達者でございますね。どこで習いましたか?」
「薄雪山の屋敷で、六段姫様から直々に手ほどきをいただきました。何、私の腕など師長様には及びませんよ」
 箏の名手としても知られるこの屋敷の主に遠慮して、山住は頭を下げる。先ほどまで二人で曲を合わせていたのだが、やはり妙音院の腕前は音に聞いていた通りだ。そんな彼に用心しているのが、四辻姫であった。彼女は妙音院に王位奪取の疑いがあり、山住へ屋敷に泊まり込みの見張りを命じてきた。さすがに女王からそう言われたとは伏せて急に押し掛けてしまったが、妙音院は親類のように接してくれている。
 彼に怪しい点があるかと言われれば、山住の見る限りではなかった。いつも箏や琵琶を弾いており、時々手習いとして屋敷に来る者へ教えている。近頃の治世がどうのといった話も出さず、政には興味がなさそうだ。こうして分かったことをまとめて、今日中に四辻姫へ文を送ろうか。
「ところで山住さん、建国祭には行かれますか?」
 妙音院の問いに、山住は考えをいったん止める。女王も民の前へ姿を見せる、毎年恒例の行事だ。だが今年は、妙な外聞が飛び交っていた。女王の御前に鳳凰が下り立ち、政を品定めするのだと。鳳凰といえば、もう千年以上も瑞香はおろか、この世のどこにも姿を見せていないのではないか。そんな瑞鳥が目の前に現れるのであれば面白い。
「はい、私も見に行きたいと思っています」
 いつやるのか忘れてしまったが、妙音院が日取りを教えてくれた。それを聞き、今日はもう一通手紙を書こうと山住は決める。相手はもちろん、日本に住む姫だ。
 それから数日が経ち、四辻姫の返事が来た。妙音院は興味のないふりをしているだけかもしれないと、まだしばらくの滞在を求められる。卯月の終わりに頼みを受けてもう水無月に入ったが、いつまで妙音院邸にいなければならないのか。あまり長く留まっていても、向こうには難儀となる。
 あてがわれた一室の文机に手紙を置いて、山住は夕食のため大広間に向かった。部屋にはいつものように、親子三人が向かい合って佇んでいる。
「師長様は、なぜお里――上東門の家を離れられたのでございますか?」
 食事の間、山住は何気なく尋ねてみた。妙音院は息子を一瞥してから少し小声になる。
「家の者と関わるのが嫌になりましてね。親類に呪いを掛けられたこともありました。そこを賀茂さんに救われまして」
 妙音院は空いている隣へ、寂しそうな目を向けた。彼が頼りにしていた陰陽師・賀茂は、都を追いやられてしまった。以前は彼も交えて、ここで食事をしていたのかもしれない。
 妙音院が生まれた上東門家について、山住は詳しく知らなかった。ただ高名な家と聞いていただけだ。しかし妙音院によると、「欲深く」「人をひどく謗る」者が多いらしい。いつも穏やかに楽器を弾き暮らしている彼から見れば、家人のそんな様は気に入らなかったのだろう。
 上東門家、という語が山住の頭で繰り返される。まだ内裏へ戻るには余裕がありそうだ。これを機にその一族を調べてみるのも良いかもしれない。言いたくもないだろう話をさせてしまった妙音院へ詫びてから、山住は問うた。
「確か以前に書庫があるとお聞きしましたが、また案内していただけませんか? 少し知りたいことがありまして」
 
 
 鍵盤から流れだした曲に、清隆は全く集中することが出来なかった。受験勉強で音楽を聴く暇もないだろうと気遣ってくれた北に申し訳ないとは、分かっている。しかし前からやまない様々な考え事が、脳裏をずっと巡っていた。
 仮引退以来、全く楽器に触れられなくなってしまった。別に寂しいと思っているわけでもないが、吹奏楽部の人々とはクラスメイトを除いて接点が皆無となった。そして同じクラスといえど、八重崎にもあまり声を掛けられずにいる。彼女は時々具合が悪そうにしており、人といる姿もあまり見ない。心配していても、それが余計なお世話にならないかという意識が先立ってしまう。
 ふと隣にいる信をちらりと見、彼が連れて行かれた一件の後は、瑞香の話題も家で出ていないと思い返す。伯母との連絡を向こうから禁じられたシャシャテンは、いくら手紙を送っても返事がないのだという。山住も四辻姫の命で妙音院のもとにいるようで、内裏で何が起きているか聞けないと居候は嘆いていた。これから彼女と瑞香の関わりはどうなってしまうのか。
 そして四辻姫や妙音院の漏らしていた、「公経」なる名も気になった。どちらの話ともすぐに流れてしまい、その人物を知る機会を失ってしまった。後でシャシャテンに聞いたところによると、洞院とういん公経とは結婚して早くに病死した四辻姫の夫らしい。生まれる前に亡くなったため、シャシャテンもその人となりは知らないそうだ。
 信が拍手をし、演奏が終わっていたのだと清隆は気付く。北はピアノから離れ、清隆たちの向かいにあるソファーに座った。
「清隆くんたちって、瑞香でやるお祭りについて聞いてたっけ?」
 北が言っているのは、先日倉橋から来た連絡の件だろうと、清隆はスマートフォンを見直す。来週末に建国祭があるので、訪れてみてはどうか。そう記された文面を眺めながら、清隆は「鳳凰が来る」などという胡散臭い話に首を傾げていた。
「清隆、もしかして知ってたの? なんで教えてくれなかったんだよぉ! 倉橋さんも誘ってくれればいいのに!」
 画面を覗き込んで文句を言う信から、清隆はスマートフォンを引き離す。
「どうも怪しいから、誘うのは保留にしようと思っていただけだ」
「でも鳳凰が来るんでしょ? おもしろそうだよ! ところで鳳凰ってなんだっけ」
 信が自らの端末で鳳凰を検索する。伝説上の生物であるようだが、信は瑞香に不死鳥がいるのだから鳳凰も来るだろうと笑って言う。そんな彼に、北が思い出したように口を開いた。
「生田くんが不死鳥の血を継いでるとか前に聞いたけど、それは本当? 不死鳥なんて見たことがないし……そういえば、瑞香にぼくが行ったこともなかったね」
「あ、それならおれたちと一緒にこのお祭りへ行きましょうよ! ちょうど瑞香でやるんですし」
「待て、まだ俺は行くと決めてない」
 さらりと自分も祭りへ行く一員に加えられていると思えて、清隆は突っ込みを入れる。勉強でうるさく言われているのに、遊びに呆けるなど出来ない。そこに懸念を打ち消すように北が告げる。
「いや、息抜きくらいに遊ぶのがいいこともあるかもしれないね。もしかしたら鳳凰を見られるだろうしね」
「まさか鳳凰が――」
「期待してもいいんじゃない? なんかすごいこと起きそうだしさ」
 二人の強い勧めが、清隆の考えを揺さぶる。果たして鳳凰は瑞香に来るのか、実際に見られたら貴重な機会に違いない。加えて瑞香の祭りがどのようなものかも、清隆の興味を誘った。受験への焦燥は募るが、それに悩むのはもっと後で良いと信に言われてしまった。
「ずっと気を張ってたんじゃ、いざ本番ってなったときに倒れちゃうよ。北さんも言ってるし、どう?」
 押される自分に呆れ、清隆は息をつく。行かなかったために後悔もしたくない。
「……それなら、一日くらい良いか。しかし毎年やる祭りなら、シャシャテンが今まで話題にも出さなかったのはなぜだ」
「一緒に行こうってなって、おれたちがついてきたらさ、向こうのみんながパニックになるからじゃない? お祭りにお姫様が来たって」
 信の言葉が、居候の正体を知った日を思い出させる。彼女は日本で、民のように暮らしたがっていた。王女としての重圧は身近だけでなく、国中の人々からも向けられているのだろう。心を曇らせながら、清隆は鞄から手帳を取り出す。祭りの日に予定がないと確認すると、そこに書き込みを加えた。

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