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六段の調べ 急 三段 四、夢破れて

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「おい、前川――朝重殿! 伯母上の日記とか申したか?」
 清隆の背後から、シャシャテンの声がする。彼女は苦戦して屋根へ這い上がろうとしていたが引っ込み、代わって山住が先に出てきた。そして彼がシャシャテンに手を伸ばし、引き上げる。その様を忌々しい目で見ながら、朝重は答えた。
「四辻姫は毎日、日記を欠かさずつけていますよ。それによると、この妙音院さんを敵視しているみたいです。自分を脅かしかねないとか、上東門家から離れたとしても危険だとか」
「何ゆえ、伯母上の『ぷらいべーと』を覗き見ようとするのじゃ! 信なら憤る所じゃぞ」
 声を張り上げる王女へ、朝重はさらりと答える。
「わたしが四辻姫について調べるよう言われたからです」
「それは、倉橋輪からか」
 即座に思い浮かんだ名を、清隆は口にする。あの人は朝重と昔から交流があり、彼女が瑞香へ移る前に資料のやり取りがあったと話していた。その時に倉橋が申し出をしたと考えるのは容易い。
 朝重が息をつき、清隆に肯定した。彼女は女官になって以降も、倉橋と手紙を交わしていた。四辻姫が行おうとしている「建国回帰」を止めるため、情報を提供していたのだと。「建国回帰」と聞くなり、シャシャテンが顔をしかめた。
「伯母上が大友と同じ所業をするはずがなかろう」
「いや、シャシャテン。四辻姫の『建国回帰』は、大友のとは別物だ。彼が言っていたよりずっと前の時代へ戻すということだ」
 なぜそう答えられるのか問うシャシャテンへ、清隆は黙ったままでいた。敵視している倉橋に聞いたと明かせば、彼女は根本から信じようとしないだろう。
「美央ちゃんのお兄さんが言う通りです。四辻姫は、もともと大友さんの発案だった『建国回帰』をねじ曲げて、自分独自のものにしちゃったんです」
「そなた……勝手を抜かすでないぞ!」
 朝重へ掴み掛かろうとするシャシャテンを、すぐ後ろにいた山住が止める。清隆も同じく言葉で彼女を制し、再び朝重へ視線を転じる。
「四辻姫が『建国回帰』の定義を変えたと言ったか。その根拠はどこにある」
「あの人の日記です」
 清隆の問いに、朝重ははっきり告げる。女王が初めて即位した二十年ほど前から書き続けられており、六段姫――シャシャテンや山住についても記されているそうだ。
「それによると、四辻姫は山住さんを宮中から追いだすつもりだったみたいです」
 朝重のもとへ向かおうとしていたシャシャテンが、目を見開いて動きを止めた。山住も驚いているかと清隆は思ったが、彼自身は冷静に、内裏の事情を知る来客にその事実を聞いていたと語った。山住を通して、六段姫に四辻姫の情報が伝わらないように図られた結果だという。
 自分の境遇は受け入れている様子の山住だったが、妙音院の身にまつわることとなれば厳しい態度を見せた。いまだに片手が妙音院の首に伸びたままの朝重へ、山住は一喝する。
「己のために人を脅すとは勝手な。今すぐ師長様から離れよ!」
「……構いません、山住さん。家の重みに比べれば、わたしの命など――」
 妙音院の途切れ途切れな言葉に、山住が動揺する。妙音院の懸念は、朝重が知りたがっている実家にあった。知られれば世間を揺るがしかねない事情があると告げる彼を、清隆はその少し手前から見下ろす。シャシャテン曰く周りを気にしない、自由で変わり者の妙音院が重く思うほど、その生まれには深い裏があるのか。
 妙音院を救おうとしていた賀茂の腕も掴み、朝重が乾いた声で笑う。それから挑むような目つきで清隆たちを見回した。
「みなさん、この方がどのような生まれだと思いますか? ……わたしも日記で見て知人からちょっと聞いただけで、本当かこれから確かめるところですけど。それも今の様子を見れば、正しいのかもしれませんね」
 朝重と妙音院を交互に見、清隆は考えを巡らせた。妙音院が命を張ってまで隠そうとするのは、それなりの理由があるはずだ。外に漏れてはならない、世が混乱に陥るかもしれない所以があるとすれば――。
「妙音院さんが――その実家が、王族と関わっているのか」
 清隆には、それしか思い当たらなかった。後ろでシャシャテンの笑い声がする。表情は分からないが、自分の発言を軽蔑しているのは伝わってくる。
「清隆、さすがに推し量るにも程が――」
「姫様。この瑞香で昔、王家が二つに分かれたことはお聞きになっていますか?」
 王女を遮る山住の言葉に、清隆は記憶を辿る。倉橋の父・菅宗三が遺した原稿には、シャシャテンの家が分家だと書かれていた。彼女はそれをはなから信じようとせず破り捨てたが、あの記述が真実だとすれば。そこで妙音院の態度と、清隆の憶測が繋がる。
「もしかして、シャシャテンと妙音院さんは――」
「皆様、この話はお控え下さいませ」
 清隆の呟きを、賀茂が遮る。同時に陰陽師は、朝重が一連の会話にじっと聞き入っていたのを見逃さなかった。懐から薄い板で出来た人形を取り出し、その腕部分をさっと撫でる。直接触れられていないにもかかわらず、朝重が小さな悲鳴を上げて掴んでいた二人の腕を離した。その直後、賀茂は妙音院を起こして屋根の頂へ連れて行こうとした。
 朝重が賀茂を鋭く睨み、その袖を引き寄せる。そして彼女は勾配の最も下辺りまで賀茂を押しやると、その脛を強く蹴った。呆気なく落ちていく陰陽師を清隆は救おうと腕を伸ばしたが、朝重の手に阻まれた。
「邪魔をしないでください。どうしてもここで知ることができないなら、今まであんな宮で働いてきた意味がないじゃないですか!」
 気付けば朝重の目から、涙が零れていた。その顔をよく見ると、傷跡や痣が薄くなりながらもまだ残っている。手の甲、まくり上げられた腕にも、同じような痕跡が無数にあった。この一年、朝重は同僚の女官たちにひどい仕打ちを受けたと明かす。
「大切なものも奪われて、本当にさんざんでした。山住さんとの一件があってからですよ。王女の懸想人に手を出そうとするとは何事だって」
 名指しされた本人が、前へ歩み出る。清隆が後ろから見える位置で、山住は頭を下げた。そして謝罪を述べようとする男を、すかさずシャシャテンが止める。
「そなたは悪くないぞ、城秀。朝重殿を手酷く扱う輩が狂っておるのじゃ。……のぅ、朝重殿。そなたはこの瑞香に、良きものを求めておったのじゃろう? それは見つかったか?」
 朝重がわずかに刮目し、すぐ首を振った。
「日本でもいじめられたり、仲間外れにされたりはしました。でも、瑞香ほどじゃありませんでしたよ。一回帰った後も、輪さんから裏切られて――結局どの国にも、わたしの生きたかった世界はなかったんですね」
 倉橋との間に何があったのか。それを問いたくとも、瓦の上に膝を折る朝重へ清隆は何も言えなかった。彼女は自力で頂に上った妙音院の存在も忘れているかのようだった。傷だらけの手で顔を押さえ、雲のない空へ嗚咽を響かせる。そんな彼女に、シャシャテンが歩み寄ると優しく肩に触れた。
「もう私は、そなたと城秀との間にあったことを気にしておらぬ。時が経てば、今そなたにある傷も癒えるじゃろう。瑞香で過ごしたのは、わずか一年程か? それだけで懲りたとは言わせぬぞ。そなたにはこれからがある。何年掛かっても良い、ぜひそなたの安らぎを――」
「わたしはこれから、ずっと今までのつらい思いを抱えて生きなくちゃいけないんですか?」
 朝重がシャシャテンの手を振り切り、ふらついて立ち上がる。そして妙音院のもとへ歩き、どうしても出自を語る気がないのか問うた。由緒正しい家に生まれたのだろう男は、きっぱりと断る。
「そうですか。――じゃあわたしも、ここで終わりにしましょうか」
 その時清隆は、賀茂が地面に落ちたような音がしなかったと今になって気付いた。頂の方で起きている騒ぎも耳に入らず、屋根の端から地上を覗き込む。真下には道、そこに並んで水路が流れているが、どちらにも人影は見当たらない。
「わたしと一緒に、妙音院家――上東門家も終わらせましょう。大したことない家なら、滅んでも構わないってことですよね!?」
 朝重の怒号に、清隆はようやく事態を把握した。朝重がシャシャテンたちから距離を取り、妙音院の襟を掴んで傾斜を下っていく。彼女の一言が、清隆を突き動かした。王家と縁のあるかもしれない家の存亡を、そう簡単に決め付けてなるものか。こちらにも妙音院家や上東門家への興味がある。加えて清隆の脳裏をよぎったのは、大人の多い町中で父を探す幼い子どもの姿だった。
 踏み外せば落下しかねない不安定な足場も顧みず、清隆は駆けだす。妙音院の袂に手を伸ばし、朝重から引き離そうとした。
「美央ちゃんのお兄さんも、妙音院さんの側ですか? ――なら、もろともに失せて!」
 背を強く押され、清隆の足が屋根を離れる。両手に妙音院の袖を握ったまま、土の地面へ落ちていく。屋根の方から誰かの叫びが聞こえたが、状況を確かめる暇もなかった。
 ふと、眼下に鮮やかな広い翼を認めた。迷わずそこへ落下するよう、清隆は念じる。やがて二人の体は、不死鳥の背にぶつかった。
 しかし急な重みを受けた故か、支えている鳥の姿勢が崩れた。あっという間に清隆たちは翼を転がり落ち、今度は澄んだ水面を逆さとなった視界に捉える。まだ着物の感触が手にあることで、清隆は決意する。せめて妙音院だけでも救わねば。自身の頭が下に来るよう男を抱えた直後、清隆の身は冷たい水中へと叩き付けられた。

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