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六段の調べ 急 三段 三、妙音院を探して

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 清隆がシャシャテンに連れられて下りたのは、都の大通りだった。二ヵ月ほど前は屋台で賑わっていたこの辺りも、今は落ち着きに満ちている。宮城へ入れないシャシャテンに代わり、清隆が直に出向いて朝重が勤めているか尋ねることにする。そしてシャシャテンは妙音院邸に向かっていった。
 彼女を見送ってから、清隆は通りをまっすぐ行った先の宮城へ突き進む。門の前にいた衛士に、清隆は何気ない態度を装って声を掛けた。
「前川みなへ言伝があるのですが」
 しかし衛士は、前川なら先日女官をやめたと話した。どこに行ったかは不明だという。礼を述べてから、清隆は大通りへ引き返した。衛士でも知っているほどなのだから、前川――朝重れいは本当に退職したのだろう。
 シャシャテンと待ち合わせている妙音院邸へ足を進める。まずここから東西に延びる道の入り口に立つ碑を頼りに、妙音通りを探す。しかしなかなか辿り着けない。このまままっすぐ行って良いのか、どこかで道しるべを見逃していなかったか不安が募る。妙音院邸を訪れたのは随分前で、道順を覚えていなかった。
 祭りの時に貰った地図を持ってくれば良かったと悔やみ、清隆は道行く人を見回した。と、大人たちに混じって一人で歩いている子どもに目を留める。町人の子にしては着物も髪も整っており、汚れなく綺麗だ。やがて、妙音院の息子である蝉麻呂かと思い当たる。彼は不安を浮かべた表情で、周囲に忙しなく首を巡らせていた。
「こんな所で、どうした」
 清隆が歩み寄ると、蝉麻呂は驚きの声を上げて尻餅を突いてしまった。それを起こしてやり、改めて幼子に問う。蝉麻呂はこちらをまじまじと見つめた後、以前家に来た者か問うた。一回会っただけの自分を、うっすらと覚えていたらしい。
「父上がご不在で、探してました。賀茂さんに物忌みを頼まれていたのに」
 満七歳とは思えぬしっかりとした口ぶりで、幼子は答えた。父を心配しているようだが、さすがに一人で遠くに行ってしまっては危ない。清隆は妙音院邸へ案内してもらいつつ、蝉麻呂を屋敷に帰すことにした。歩いている間、幼子はやたらと清隆の着ている洋服を気にしていた。シャツの裾を興味深げに引っ張られているのを、清隆はむやみに止めも出来ずされるがままとなっていた。
 蝉麻呂に導かれて着いた妙音院邸は、門の向こうから騒がしさが伝わってきた。屋敷に入ると、ちょうど廊下を走っていた女中が幼子を認め、慌てて彼に駆け寄った。勝手に外へ出た彼を叱り、清隆が連れ帰ってくれたのかと頭を下げてくる。妙音院は昼前に忽然といなくなり、屋敷総出で彼を探している最中だという。そこに、女中の後ろからシャシャテンが顔を出してきた。
「で、私もここを訪ねるなり探すのに駆り出されておるのじゃ。いや、手伝いたいと言ったのは私じゃな。今から賀茂殿のもとへ城秀と行くつもりでのぅ」
 蝉麻呂を抱えた女中と入れ替わるように、シャシャテンが玄関へ出る。そこに封を手にした山住も姿を現した。妙音院がいなくなったのはいつもの「まいぺーす」ではと考えるシャシャテンに、山住は封を開けつつ首を振る。
「師長様は、ここ八日間も賀茂様の言い付けを守っていました。そもそも物忌みを命じられたのは、これが所以で――」
 山住の広げた手紙を、シャシャテンが読み上げる。そこには妙音院師長の詳しい出自を知りたいと記されていた。差し障りのない文に清隆は思えたが、実際に妙音院はこの文を受けて外出を禁じられている。恐らく出自を外に明かされないようにするためだろう。それほど知られてはいけない事情があるのか。
 手紙は、差出人らしき女が直々に屋敷へ届けに来たという。およそ元服が近いように見えて、髪はばらばらに切られている。顔や手には傷が多く、痛々しいのだと。自身も会っていないと言いながらも説明した山住を受け、清隆はまず元服の年がいくつか尋ねた。だいたい数えで十二から十六、遅くても二十と聞いて、自分の年齢とも近いように感じる。そこで清隆は、不意に朝重ではと思い立った。妙音院を調べているという一歳下の彼女が、疑問を直接聞こうとしたのではないか。
 妙音院の場所を探りに賀茂の屋敷へ赴くシャシャテンたちに、清隆もついて行こうと決める。そして朝重が内裏にいなかったと伝えた上で、彼女がどこにいるかも調べてもらうことを提案した。
「しかし朝重殿と繋がりがあるかのぅ……。まぁ、そなたが気になっておることじゃ。聞いておくか」
 シャシャテンが小首を傾げるも受け入れ、山住もまた了承した。三人で屋敷を出、碁盤状の町から西へ向かう。建物が並んでいるのは都と変わらないが、人通りは数えるほどしかない。東京より強くない日差しが降り注ぎ、蝉や小鳥の鳴き声が響く道は、穏やかでありつつ物寂しかった。
 信のために御所へ出向いた時を、清隆は思い返す。あの場で賀茂は都を追放され、こうした辺鄙な場所へ移らざるを得なくなってしまった。彼を巻き込んでしまった罪悪感が、清隆の胸に滲み出る。
「賀茂には、申し訳ないことをしたな」
「清隆殿が気に病む必要はありませんよ」
 隣にいた山住が、こちらを見ずに励ましてくる。あの時でなくても、賀茂はいずれ自ら御所へ訴え出ただろう。女王の考える移住政策は、達成されてはならないものなのだからと。
 倉橋から明かされた四辻姫の思惑へ、清隆は考えを移す。その心は本当なのか、それならなぜそう思うまでに至ったのか。今は瑞香と縁の薄くなった人をも巻き込んで、四辻姫は恐ろしいことを為すつもりなのか。
「賀茂殿が案じておることなど、杞憂に過ぎなかろう」
 呆れを含んだ声で、シャシャテンが言い切る。彼女は祭りの場で、倉橋の話を近くで聞いていなかった。四辻姫が心の奥に持つ思いも、まだ知らないだろう。伯母が瑞香に人を集める理由は、良いものと考えているに違いない。
 対して山住は、シャシャテンの言葉を聞くなり険しい顔をした。彼も四辻姫の思惑を、もしかしたら深い部分まで知っているのかもしれない。
 賀茂の屋敷は、左右の棟とほとんど変わりない小さなものだ。山住に教えられなければ、清隆もシャシャテンも通り過ぎてしまうところだった。こぎれいな木造平屋建ての引き戸を山住が開け、中に呼び掛ける。奥から出てきた賀茂の顔は、いくらかやつれているようだった。妙音院が失踪したと聞くなり、陰陽師は慌てた様子を見せるも即座に占いを用いて居場所を告げる。
「……わたくしでも些か信じ難い事なので御座いますが。師長様は女人と共に、この近くの屋根におられます。その方こそ、清隆様の仰る朝重様ではないかと」
 結界を操る技術を応用して、朝重は妙音院を屋根まで連れ出したのではと、賀茂は考察する。北が電車から突き落とされた際と同じだと気付きながら、清隆はシャシャテンたちと並んで賀茂の案内に続いた。
 妙音院のいる場所として陰陽師が指したのは、扉や壁に傷が目立つ狭い屋敷だった。その奥からは水の流れる音が、そして灰色の瓦が敷かれた切妻屋根からは何やら声が聞こえてきた。誰かがこの上にいるのは確実だろう。だが賀茂はすぐに屋根へ上ろうとはせず、じっと目の前にあった扉を見つめた。やがてそれを開け、断りなく中へ入り込む。
「もうここには、誰も住んでおりません。屋根へ行くにも道が有りまして――」
 賀茂の言う通り、屋敷内には人の気配さえなかった。踏む度に音の出る階段を進み、二階の屋根裏に出る。賀茂が天井の一部を押し上げると、薄暗い部屋に外の光が差し込んできた。
 先に屋根へ上がった陰陽師が、妙音院へ叫ぶ声がした。清隆も外に出、賀茂が走っていく方を見て絶句する。妙音院が頭を下にして屋根の勾配に寝かせられ、その首は両手で絞められていた。所々に傷が目立つ細腕の主は、毛先の整っていない髪を背に流して妙音院へ馬乗りになっている。
「やめろ、朝重!」
 屋根に立ち上がった清隆へ、朝重が振り返った。その隙に賀茂が妙音院の首から手を引き離そうとするが、朝重は抗ってより腕に力を込めた。妙音院の顔がわずかに歪む。
「なぜ妙音院さんに、そこまでするんだ」
「この人について知りたいからですよ。四辻姫の日記で名前を見たので」
 あっけらかんとした態度で、朝重は返す。慣れない足場に何とか体勢を保ちながら、清隆はまっすぐに彼女を見据えた。

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