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六段の調べ 急 四段 四、新しき人へ

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四段一話へ

序・初段一話へ


 清隆の脳裏にまず、シャシャテンと出会った日が蘇った。すぐに傷の治る彼女に驚き、初めて聞いた瑞香なる国を怪しんだ。あの時は、単純に瑞香の実在を知りたかったのだった。
 やがて存在を確信してからも、清隆は度々その国にまつわる事件に関わってきた。そもそも事件自体が本当に起きているのか、真相がどうなっているか探りたかった。そこまで考えて、清隆は隠れていた本心を見出す。
「俺は、『瑞香を知りたい』思いに動かされていた。人から聞いただけでは、簡単に納得できなかった」
 おかげで手痛い目に遭ったことも、収穫を実感できなかったこともあった。今から振り返ると、浅はかだっただろう。しかし当時の自分は、知識や真実への欲求が止められなかった。
「あなたが瑞香を知っても、周りには教えられないんだから自己満足じゃないですか?」
 朝重の言葉に頷きかけて、清隆は思い留まった。倉橋は瑞香を公表しようと、本の出版を検討している。そして北は、シャシャテンの結婚式に参加する人々を不安視していた。もう瑞香は、日本に秘されるべきものではなくなっているのではないか。
「……瑞香はいずれ、人々に明かされなければいけない。倉橋も瑞香を知らしめようとしているのを、お前も聞いたんだろう」
「それがよくないって、あの人にも言ったんです! でも輪さん、こっちを子どもみたいに言い聞かせてばかりで。瑞香の存在が広まったら、世間が混乱します!」
 顔を引きつらせて叫ぶ彼女の訴えは、北や自分も懸念している。きっといきなり現れた「新しい」国家に、ある者は興味を持ち、ある者は警戒するだろう。瑞香を誤解する者も出るはずだ。彼らには正しく瑞香を教える必要があると、清隆は思い至る。そしてその際にこそ、自分が今まで得てきた知識が役に立つのではないか。
 急に熱を持ったように感じた胸をそのままに、清隆は前を見据えた。訝しげな表情の朝重へ、宣言がごとく言い放つ。
「決めた。瑞香を知らない人へ、俺があの国を伝えていく」
 今までシャシャテンたちが教えてくれたものを、自分だけで終わらせない。大勢より少し先に瑞香を知ったからこそ、出来ることもあるに違いない。
「また昔みたいに、日本と瑞香の交流を始めるつもりですか?」
 大友の「建国回帰」が頭に浮かぶが、清隆は首を振る。それほど大それたものでなくて良い。互いを分かってもらうだけで十分だ。二つの国が争いなく、平穏な距離感を保てるように。
「……四辻姫の治世中に交流なんてしたら、あの人が騒ぎますよ。怒ると怖い人なんです」
 朝重はまだ、顔をしかめていた。四辻姫は本当に、倉橋が言っていた独自の「建国回帰」を目指しているのか。清隆が問うと、冷たく突き返された。
「そんなの、四辻姫の日記を見てくださいよ。まぁその前に、あなたは死にますけど」
 清隆の背が総毛立った。そもそも四辻姫が自分を殺そうとしており、命じられた賀茂に代わってその役目を引き受けたのだと少女は言う。
「あなたが大友さんを怖がらせたので、四辻姫も警戒しているんです」
「なぜ大友が出てくる」
「あの人、四辻姫と手を組んでいましたから」
 それはかつて、大友本人からも聞いた話だった。当時は真実だとすぐ受け入れられずにいたが、やはり本当だったのか。もう少し詳しく尋ねようと口を開けた瞬間、清隆は思わず咳き込んだ。いつの間にか色の濃くなった靄が、体にまとわりついてくる。手で払おうとしても、この場へ向かっていた際の感触が嘘であるかのようにそれは重い。体の力が抜けていき、後ろへ否応なく引きずられそうになる。
「話は全部聞き終わりました。用済みになったので、陰陽師さんとの約束通り殺しますね」
 もう朝重の姿も見えなかった。靄は清隆の首をも締め、呼吸を阻んでくる。視界が暗くなり、清隆は目を閉じた。このまま決意を果たせずに、死へと落ちてしまうのか。
 刹那、朝重の悲鳴が耳を打った。同時に息苦しさが消え、清隆は瞼を開けた。先ほどまで自らを包んでいた靄が、朝重の周りにある。顎を上げて刮目する彼女の姿は、下の方から薄くなっていき、足は完全に見えない。
『申し訳ながら朝重様、貴方様を調伏致します。何やかやと恨みを聞かせて頂きました故』
 上方で陰陽師の声がする。朝重は仰ぐ姿勢のまま、言葉にもなっていないものを叫んだ。既に彼女の下半身は消え、上半身も靄で隠れつつあった。呆然としていた清隆も、急速に後ろへ引き寄せられていく。あっという間に朝重の姿は遠くになり、尻餅の衝撃で気を取り直す。布団の並ぶ部屋へ戻ってきており、襖はどれも閉ざされていた。
 そばにいた賀茂が清隆を覗き込み、朝重がこれ以上呪いを継続することはないと告げた。賀茂はあらかじめ朝重に生前の恨みつらみを聞いており、それが怨念で成り立っている亡霊の力を弱めた。おかげで成仏は容易く出来たという。
「しかし、清隆様には悪い事を致しました。朝重様が貴方を殺めるのを許す所で御座いました。この責はわたくしに――」
 首に手刀をやろうとした賀茂を、清隆は止めた。
「朝重の所へ向かった時と同じです。誰も死なせる気はありません」
 怯えているようだった賀茂の目が、少しずつ落ち着きを取り戻してきた。手を下ろした彼が、眠っている人の様子を見に行く。そこに、清隆の後ろで小さな唸り声がした。
「やっと起きたか、小僧。清隆に手間を掛けさせおって」
 あの空間を離脱してから、信はずっと眠っていたらしい。背伸びする彼を呆れて眺めながら、シャシャテンが文句を言った。すぐに信が頬を膨らませたが、清隆を認めるなりあの後どうなったのかしきりに尋ねてきた。順を追って清隆が説明している間に、次々と人が起きだす。賀茂に事情を聞かされた後、妙音院一家と山住は邸宅へ戻り、日本の者は結界を手繰ったシャシャテンのもとへ集められた。信も急かされて、炎の輪へ入っていく。輪の中に倉橋を見掛け、清隆は朝重のことを言いかけてやめた。ただでさえ賀茂の話で衝撃を受けているだろうに、追い打ちを与えたくない。
 これで全員が起きたかと清隆は周囲を確認して、まだ眠っている人物を一人見つけた。賀茂が声を掛けているが、反応はない。その布団に歩み寄り、清隆は息を呑む。まとめていない髪を背に流している八重崎が、固く目を閉じている。シャシャテンが慌てて彼女へ駆け寄りつつ、帰ろうとする人々へ告げた。
「私と清隆は後で戻る故、皆は先に行かれよ。小僧、そなたが結界を閉じてくれぬか?」
「御意のままに! 八重崎が起きるといいね」
 信が手を振ってから、集団は炎へ消えた。静かになった部屋で、賀茂が八重崎の耳に顔を近付け、ぶつぶつと呪文を唱えている。それを見守る間、清隆は眠っている少女へ意識を向けていた。まだ朝重の呪いによる影響を受けているのか。賀茂はもう大丈夫だと言っていたが、それは嘘だったのか。
 清隆が歯ぎしりした時、陰陽師がシャシャテンを呼んだ。賀茂の隣に移り、彼女は真剣な顔で耳打ちを聞く。その中で幾度か驚いた様子を見せ、「何とのぅ」と呟いた。普段なら一回で終わるその口癖も、さらに五回ほど断続的に聞こえてくる。清隆はすぐ詳細を知りたかったが、真顔になったシャシャテンが許さなかった。
「……それは清隆に言っても良いのか?」
「八重崎様のお心に沿うのであれば言うべきではありませんが――これは呪いの元となった清隆様が解かなければならない事で御座います」
 また自分が呪いの一因になっているようだ。心臓の騒ぎだした清隆の前に、シャシャテンが神妙な面持ちで座った。彼女は一つ息を吸い、硬い声で話す。
「良いか、清隆。八重崎殿はそなたへの心が所以となって、自ら呪いを掛けておるようじゃ。しかしこの話を受け入れるかはそなた次第よ。答えによっては、八重崎殿が苦しみかねぬがな」
 鼓動が速まり、朝重に殺されかけた際よりも息苦しくなる。そんな清隆の身に生じている変化など構わぬ様子で、シャシャテンは続ける。
「もしかしたら、そなたも既に分かっておるやもしれぬ。いや、これはそなたがいくら疑おうと、もう嘘が付けぬのではないか?」
「何が言いたい。先輩はどうしたんだ」
 耐え切れずに問い掛けた清隆を見つめ、シャシャテンは少し間を置いてから明かした。
「……八重崎殿は、そなたに心寄せておるのじゃよ」
 息が詰まり、何も考えられなくなる。一瞬だけ大きく跳ね上がった心臓が締め付けられる。言葉は耳を通り抜けたようで、胸に強く刻まれていた。いきなり言われて、整理が追い付かない。すぐに信じられるものか。
 突然の告白に、清隆は情けない驚きの言葉を零すので精一杯だった。

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