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六段の調べ 序 四段 三、雨に唄えば

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「あれこれ言われてきて……そうですね、染めていると誤解されて天然か聞かれたことはしょっちゅうですよ」
 直接言われなくても、変に視線を受けていた感じはする。美央は思い返しながら、自分がどれほど特異な存在として認識されていたかに気付いた。どうも周りでは、生まれつき黒髪であるのが当たり前であるようだ。写真でしか知らない、母方の祖母譲りであるこの髪色は、奇妙なものらしい。伊勢も瑞香で同じような例があると呆れていた。
「……わたし、何がいけないんでしょうか。いくらか変人だとは思いますが……それでは駄目なんでしょうか」
 今通っている中学校では問題なく過ごせているが、高校に進学したらどうなるか分からない。昔小耳に挟んだ話では、色が地毛だと示すための届け出が必要な場合もあると聞いた。忘れていたはずの話に、胸の辺りが熱くなる。
 こうした記憶は、今になって突然降ってきたように美央には思えた。恐らく何か言われた当時は気にしていなかったか、すぐに忘れていたのだろう。ここまで抱え込んでいたことに、自分でも驚く。積み重なっていた思いにめまいを感じ、美央は咄嗟に顔を下に押し付けた。
 何も考えないようにしようとするが、すぐに切り替えられない。昔なら何とも思わなかったことに左右され、以前の自分になりたくても出来ない。いつからそうなったのか分からないまま、美央は目を上げた。いまだ床に倒れている男が着ているシャツの左肩辺りが、うっすらと濃くなっている。途端に美央の顔が火照り、これまでに経験のない衝動が全身を突き上げた。
 染みを手で隠すように男の両肩を掴んで押すと、床から鈍い音がした。わずかに浮かせていた頭がぶつかったのだろう。痛みを訴える彼を無視し、美央は何もなかったように振る舞う。
「兄はいつ戻ってくるか分かりません。とっとと帰ってください」
「いや、もうちょっと待ちたいんだけど」
「あなたが遅くなっても、ご家族とかが困るでしょう?」
「それは……そうだね」
 彼も折れたのか、早々に家を出て行った。それに鼓動が鎮まるのを感じながら、美央は床に寝転がる。思いがけず男にした行動が浮かび、忘れようと目を閉じる。人にあれほど醜い様を見せるのは、初めてではないか。
 突然、体が大きく震えるのを覚えた。今の行動で、彼に悪い印象を持たれていないか。次に会った時、彼が冷たく当たってきたらどうすれば良いのか。目の前がうっすら滲む。なぜこうも、心が不安定なのか。
 生きてきた間で考えてこなかったことが、美央の脳内を支配していた。人に関して不安を覚えるなどなかったのに。誰にも興味のなかった自分は、変わってしまったのか。無自覚に物事が進んでいたとは恐ろしい。美央はしばらく部屋に戻れず、彼の座っていた場所を眺めていた。
 
 
 映画撮影の翌日、清隆は小雨が降る帰り道で傘の上から異音を耳にした。見ると、雨に混ざって降ってきた長方形の影が滑り、地面に落ちていく。先週もニュースで話題になった怪雨だろうか。拾った紙片をポケットに入れて清隆が帰宅すると、信がシャシャテンと和室にいた。信は指で紙を挟み、ひらひらと揺らしている。
「清隆も拾ったの、それ? 気になってシャシャテンに教えにきたんだけどさ」
「そのことでな、私からも話があるのじゃ」
 片手に四辻姫の文を広げ、シャシャテンはもう一枚の紙を清隆に渡す。見覚えがあると思って清隆がポケットから紙片を取り出すと、全く同じものであった。シャシャテンが持っていたのは、先日捕らえられて自白した通り魔の懐から出てきた紙だった。その者と同じ組織の人間が、これと同じ紙片を日本にばら撒いているという。どうやら怪雨と通り魔を起こしている犯人の間には、繋がりがあるらしい。
「関わりが公になっておらぬ日本で瑞香の者が騒ぎを起こしておると聞いてな、伯母上も手を尽くしたそうじゃ」
 思えば『芽生書』の件といい、四辻姫は幽閉時でも外に働き掛けられるのか。シャシャテンの言葉に清隆は首を捻る。それなら大友が幽閉した意味はないようにも見えるが。
 シャシャテンは最初に捕まった者が共犯者も全て明かし、今日の昼までには全員捕らえられたと言う。組織について何か知れないかと、清隆は拾った紙を見る。やたらと「死は恐るべきもの」「不老不死を果たす」といったことが楷書で記されている一番左側に、一回り大きな字で「越界衆えっかいしゅう」とあった。これが組織の名だろうか。
「私も聞いたことがないのぅ。伯母上に尋ねるとしよう」
 シャシャテンが手紙を書く間、清隆はまだ部屋に残っている信へ目を向けた。拾い物の報告を終え、話も聞いたはずの彼はまだ動かない。帰らないのか尋ねると、信がぎこちなく口を開いた。
「……あの、昨日は妹さんに申し訳ないことしたなって」
 よく見れば信の表情は硬く、姿勢もきっちりとした正座だ。罪人のようにも見える彼の真意が、清隆には読めなかった。撮影で自分がいない間、何があったのか。
「あれ、特に聞いてない? ……そうだよね、話すわけないか」
「はぁ!? そなた、あやつに何をしたのじゃ!」
 シャシャテンが筆を置き、信へ振り返る。そして抵抗も許さず、彼女は相手の襟を掴んで畳に倒した。頭を打つ男の喚きも聞き入れず、居候は問い詰める。どうやら信がやましいことをしたとでも思っているようだ。
「小僧、白状せい! よもや美央を――」
「いえ、何も! 何もしてません!」
 必死で否定する信を、シャシャテンは解放しようともしない。むしろ襟を掴む力は強くなっているように見える。居候を落ち着かせるのに、清隆はいくらか時間を要した。信の隠し事を模索したくなる気持ちは、清隆にも分かる。だが無理に吐かせても逆効果だろう。ようやく彼女が手を離した後、信は起き上がる気力もなくなったように倒れていた。今の状態で事実を話すよう促しても、それどころではないかもしれない。
「あんまりというか、早合点し過ぎじゃないか」
 清隆の指摘を、シャシャテンが聞き入れたようには見えなかった。彼女は先ほどと変わらぬ様子で筆を走らせている。疲れた顔で信が帰ってから、居候は手を止めた。
「美央はな、私の妹が如き者じゃからな」
 だから心配なのだと彼女は言う。兄である自分は、さほど妹に深入りしようとは思っていないが。シャシャテンは違うのだろうと思い、清隆は自室に向かう。美央の私室から漏れるピアノの音色を耳にしながら部屋へ入ると、窓の外で不可解な雨音がしていた。カーテンをわずかに開けてベランダを見ると、数え切れないほどの小魚が床に叩き付けられている。これも瑞香と関わりのあるかもしれない怪雨の影響か。カーテンを閉め切り、四辻姫が夏に言った話を心で反復する。瑞香のことばかり考えていても良くないと自身に言い聞かせる一方、それでも清隆の胸騒ぎはやまなかった。

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