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六段の調べ 序 四段 二、黒髪

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序・初段一話へ


 月末の文化祭に向けて、桜台高校では準備が進んでいた。部活もなく揃って帰った清隆と信は、それぞれクラスで行われる出し物について話題が盛り上がる。清隆のクラスでは短い映画をグループごとで数本作ると決まり、週末に撮影があると話す。
「いいなぁ、映画。出演するの? 主役?」
「いや、今回は撮影担当だ」
「なんだ、残念。撮ったら編集するんだよね? あ、それなら手伝おうか? わりと得意だからさ」
 別のクラスから手を借りるのはどうなのか。多少疑問を覚えつつ、清隆は自宅の最寄り駅を出る。商店街を横切った先、角を曲がった所に差し掛かると、シャシャテンと出会った記憶が自然と呼び起こされる。あの衝撃は忘れられないだろうと思って坂を上っていた時、それほど遠くもない場所から女の悲鳴が聞こえた。
 清隆の足が、まっすぐに声の方へ走る。肩下まである黒髪を押さえてうずくまる女性会社員の先には、着物を着た男の後ろ姿がある。その手に光るものが見え、信に女を任せると清隆は敵を追った。しかし相手をはっきり捉え切れないうちに、先行く者の前方に炎で出来た輪が見えた。それが瑞香の結界が手繰られたためと分かった直後には、人影は火の中へ消えていた。
 清隆が信たちのもとに戻ると、立ち上がっていた女に礼を言われた。彼女自身に怪我はなかったが、髪の毛先から数センチメートルを切り取られてしまったらしい。警察へ伝えるよう提案すると、女はスマートフォンで電話を掛け始めた。通話の途中で加害者の見た目について聞かれ、困ったように目配せされたのを受けて清隆が彼女に教えてやる。
 話しながら、清隆はあの男が瑞香と関わっているのかという疑念がやまなかった。移動方法からして、彼は確かに瑞香へ消えていった。なぜ日本に来て、人を襲うなどしたのか。女と別れた後、清隆は男の様子と共に信へ懸念を伝える。
「もしかしたら、瑞香にまつわる事件かもしれない」
「そうなの!? じゃ、さっそくシャシャテンから話を聞いてみようよ!」
 いきなり押し掛けられて、居候は厄介に思わないだろうか。だが現場を見てしまった以上、事情を探りたくなるのも当然だろう。唐突な信の案も、清隆は了承する。
 家に帰ると、シャシャテンは和室で居間から持ち出したであろう本を読んでいた。誰が買ったかも分からない『万葉集』を熱心に見る彼女へ話し掛けるのは気が引ける。そんな清隆の遠慮をよそに、信が和室へ上がり込む。
「シャシャテン、事件だよ! さっきね――」
「何じゃ、やかましい!」
 案の定叱られた信は歩きながら正座に姿勢を転じ、滑らせた膝をシャシャテンの隣で止めた。しばらく本に目を向けていたシャシャテンだったが、信の話を聞いているうちに顔を上げた。
「瑞香の者が日本にか……。さては大友が関わっておるやもしれぬのぅ」
 王が掲げる方針の中に、日本との再交流があった。シャシャテンも「建国回帰」の詳細は伯母に聞いているとして、日本へ直接的な行動があったことを警戒している。
「しかし交流したいというなら、人を襲うなんて印象を悪くするような動きはしないと思うが」
「大友が日本に悪しき企みを抱いておるやもしれぬぞ?」
 清隆の言葉にシャシャテンは首を振り、表情を険しくする。最初は友好的な形を保ちつつ、後に侵攻するともあり得る。その可能性もないとは言い切れないか清隆が考える中、シャシャテンは本を置いて文机に向かいだした。引き出し内の巻紙を手にし、四辻姫への文を書き付けていく。
「意見は貰えるかもしれないが、四辻姫から直接日本の方に何か働き掛けるのは難しいだろう」
「伯母上なら何とかしてくださるじゃろう」
 幽閉されている四辻姫を思って清隆は不安を零すが、シャシャテンは平然と筆を走らせる。伯母を信じ切る姿には危うさがある。だが恐らく、シャシャテンにとって頼れるのは彼女しかいないのだろう。そう浮かんですぐ、別の頼れそうな人を思い出して清隆は尋ねた。
「山住だったか。あいつはどうした」
 知らない名前に目を瞬かせる信へ、清隆は説明してやる。途端に信は大声を出し、うるさいとシャシャテンに叱責された。
「だって、シャシャテンにそんな人がいるなんて、これっぽっちも思ってなかったんだもん!」
「悪いのぅ、匂わせてもおらんで。あやつはな、人に指図するより、従う方が向いとるのじゃよ!」
 それに年を重ねてきた四辻姫は経験を積んでおり、何かあっても冷静に対処できる。だから一層、彼女に重きを置いているのだ。シャシャテンからそう聞きながら、四辻姫よりは頼りなく思われているような山住の心中が、清隆は気になってしまった。まだ彼には会ってもいないのに。
 階段を下りる音がし、妹が来たのだと推測する。少し開いていた襖の向こうで、彼女はこちらを見るなり仏頂面で立ち去る。最近の妹はどうも不機嫌そうだと清隆が思い返していると、隣で鈍い音が上がった。うなだれた信が畳に額を付け、言葉にならない声を上げている。
「なんかさ、美央さんに嫌われている気がするんだよね、おれ。お土産忘れたからかな……」
「それ以前に、付き合い方が問題なんじゃないか」
 八重崎にそうしようとした件を始め、信は誰彼構わず同級生を下の名前で呼ぼうとしている。一部には受け入れられているようだが、大半は気に入らずに別の呼称を頼む。呼び方だけでなく、初対面の人でも積極的に話し掛けるその態度には、馴れ馴れしさがある。
「おれはただ、仲よくなりたいだけなんだよ……」
 信の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。その言葉の裏に深い意味がないか、清隆の疑いは収まらなかった。
 
 
 伊勢に短刀を渡されて一週間が過ぎたが、美央は彼女の作戦通りに動かなかった。既に瑞香から来た人の動向は、伊勢が送ってくる手紙で知っている。
 日曜日である今日は、楽団の練習に行っている両親はもちろん、兄も文化祭で発表する映画の撮影とやらで不在だ。髪を切られることを警戒して和室に籠もっているシャシャテンにさえ気を付ければ、こっそり外へ出て作戦を実行できるかもしれない。だが人を困らせる気など、美央には毛頭なかった。
 自室の電子ピアノに向かっていた美央は、指を鍵盤に置いたまま考えていた。人をどうしようとも思わない自分は、普通の人間と違うのだろうか。加えて見た目の上でも、周りとの違いは明らかだ。生まれつき黒髪の者を襲っている通り魔への心配は持っていない。だがこの髪を何度話題に出されたか――。
 手が止まっていたと気付き、美央は慌てて譜面台上の楽譜に鉛筆を走らせた。しかし思い通りの音符が描けず、何度も直す。消しゴムで黒く汚れてしまった紙を眺め、息をつく。自分は何をするつもりだったのか、忘れてしまっていた。先ほど弾いた旋律が、もう思い出せない。
 インターホンの音がし、一度はそれを聞き流す。再び鳴ってから美央は電子ピアノの電源を落とし、居間のモニターを確かめる。映っていたのは、伊勢に教えたうちの一人だった。誰かいないか尋ねる相手を無視し、しばらく画面を見つめる。そして向こうが諦めたと見えて背を向けた時、美央は通話状態に切り替えていた。
『あ、もしかして美央さん? 清隆っている?』
「兄はいません。でも用件があれば聞きますよ」
 美央は軽く応答して玄関に向かう。扉を開けると、シャツのボタンを一つ開けて着崩している生田信が手を振っていた。
「また近くで黒い髪をした女の人が襲われているのを見てね、念のため清隆とシャシャテンに教えようとしたんだけど……いないかぁ。でもせっかく来たんだから、清隆が帰るまで待つよ」
 美央が制する暇もなく、男は家へ上がり込む。兄が帰ってからシャシャテンにも一緒に話すと、居候は箏の音が漏れる和室に留めていた。ここがすっかり第二の家みたいだと言う彼に、複雑なものが浮かぶ。居間で座卓のそばに腰掛ける信から少し距離を置いて、美央は座った。学校であった出来事など他愛もない話をするが、なかなか続かない。途切れ途切れな会話の中で、通り魔の件が出てきた。
「美央さんは大丈夫? 一応出かけるときとか気をつけたほうがいいよ」
「わたしには関係ないですから」
 頭頂部の髪に指を入れ、根本から引っ張る。色素の明るい髪は、照明でさらに眩しく見える。
「美央さんみたいな髪の人、この辺りじゃあまりいないんじゃない? やっぱりおれにはうらやま――」
 彼の言葉が終わるより前に、美央の腕が伸びていた。相手の肩を掴んで後ろへ押し、倒れた男を起き上がらせまいと強く力を込める。空いた手は顔のそばに置きながら、今にも首へやろうとして止まった。
 なぜ自分は、こんなことをしているのか。些細な言葉なのに激しいものが体中から湧き出し、美央を自然と動かしていた。これまで人に対して乱暴な態度を取るなどなかったのに。
「……ああ、申し訳ない。けがはない?」
 床に頭を打ちそうになった向こうの方が気遣われるべきなのに、相手はけしかけてきたこちらを気にしている。余裕にも見えるその態度に吐き気がしたが、美央は面に出さないよう努めて答えた。
「わたしは大丈夫です。それよりこの髪は、わたしにとって自慢でもなんでもないですから」
 これまで髪色への指摘は何回もあった気がするが、その度にどんな反応をしてきたか。蘇ってもこなかった記憶が、なぜか次々と溢れてきた。

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