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六段の調べ 序 四段 四、上を向いて歩こう

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序・初段一話へ


 北道雄が、母の教える箏教室への入会を望んでいる。清隆がそれを聞いたのは、空から降った紙を拾った日の夕食時だった。冬でもないのに珍しくすき焼きを振る舞いながら、先日北本人に連絡を受けたと母は自慢げに言っていた。北とは今週末に学校で会えるだろうか。しかし文化祭が終わってから行われる後夜祭というタイミングで、直接話すのは難しいか。ピアノ発表の前後となると、忙しいに違いない。
 北と話をするかは保留にし、翌日の登校中に信へ母の言っていたことを口にした。
「お箏の教室かぁ。見学くらいなら行きたいかも……」
 以前は母に勧誘されても断っていた信が、今回は真面目に考えつつある。どうも夏に宮部から笑われた件を、まだ根に持っているようだ。演奏にはついて行けるようになりたいと言う彼には同情する。しかし教室の方でも発表会を控えており、すぐには入れないかもしれない。
「それじゃあ、せめてどんなところにあるか見るっていうのは? そうだ、清隆が案内してよ!」
 母の教室は何度か訪ねているが、なぜ自分に頼むのか分からない。しかし外観を見るだけなら、忙しい母の手を借りるのも迷惑だろう。
「……分かった。だが楽器体験は出来ないからな」
「それでもいいよ! よし、今度の週末に行こう!」
「今週は土日とも文化祭だ」
 秋学期が始まるまでの連休中に予定を合わせ、学校に着いてからは各々のクラスへと別れた。
 
 
 その日は隣町にある箏教室の行われる建物を、鍵を開けられないので外から見るだけにする予定だった。しかし目的地へ向かう途中で清隆が何気なく、数年前は別の場所に教室があったと零すなり信が食い付いた。今いる町の境辺りより遠くない場所にあるが、老朽化で建て替え工事が行われているはずだ。それでも気になると言い張る信に折れ、清隆はいったん行き先を変えることにした。
 駅に近いものの交通量の少ない車道に面した場所に、かつての箏教室を内包していたビルはある。記憶を頼りに歩いていると、ちょうどビルの見えてきたところで数日前も学校にいた後ろ姿があった。長めの髪はあまり整っているとはいえず、ズボンのポケットには駅前で貰ったらしいティッシュやらが押し込まれている。
「北さん、後夜祭聴きましたよ! やっぱりよかったです!」
 信が駆け寄ると、振り向いた北は一瞬驚いてから笑みを浮かべた。ここで会えたことを不思議に思っているピアニストへ信が説明している間、清隆は二人に追い付く。そういえば、『芽生書』の一件以来で彼と直接言葉を交わすのは初めてだった。
「へぇ、あれは清隆くんのおかあさんがやってたんだね。ネットで見て気になってたんだよね」
 北がポケットに手を入れ、ティッシュをいくつも落としながら畳んだ紙を取り出す。落下物を拾いつつ清隆たちが広げられた紙を見ると、それは箏教室の公式サイトを印刷したものであった。しかし清隆は、表示されている住所と地図を見てすぐに気付く。
「このサイト、二年ほど更新されていません」
 ちょうど引っ越しが始まる前で情報は止まっている。母が幾度か父に更新を催促されている様は家で目にしていたが、本当に何もされていないというのは驚きだった。ここ最近、なかなか生徒が新しく入ってこないと母が嘆いていたが、自業自得の可能性が出てきた。
「つまり、ぼくは間違った場所に行こうとしていたんだね?」
 北はがっくりと肩を落とし、己の確認不足を悔いた。そして以前と同じく、言葉で自らを手ひどく傷付ける。
「サイトを隅から隅までちゃんと見ていれば……いや、そもそも箏教室に入りたいなんて思ったのがよくなかったんだ。今までピアノしかやらせてもらえなかったから、それ以外に何か始めたいと思ってたけど、ぼくには早い話だったんだね――」
 延々と自虐をやめそうにないピアニストへ、彼は悪くないことを清隆は必死で言い聞かせる。そして後でまだ見ていない信ともども、現在の場所に案内すると伝えた。その前に信の頼みを聞いてやっても良いか尋ねると、北も喜んで同行を決めた。すぐそばなのだから、一人で待っているより一緒に行きたいと頼んでくる。
「それにきみたちと話しているのは楽しいしね。音楽のこととか、瑞香のこととか。……『芽生書』については、シャシャテンさんから聞いたよ。きみたちは頑張ってくれたみたいだけど……」
 もし知らないなら黙っていようと思っていた件は、既に知られていた。清隆が懸念した通り、北は自分を責め始めた。
「やっぱり、ぼくがあれを持っていたのが悪いんだよ――」
 川に飛び込む前と似たような懺悔が始まる。先ほどにも増して北の声色は暗く、周囲にも重い空気が漂いそうであった。
「さすがに燃えてなくなっちゃうとは思わなかったよ。でもぼくが持っていない運命だったら、あの巻物は……」
「北さん、そんなことを考えていても仕方ありません」
「そうですよ! むしろ悪いのは、ちゃんと取り返せなかったおれたちですから!」
 清隆だけでなく、信も宥めに必死となる。今は何も通っていないが、もし北が車道に飛び出して自動車に轢かれたらまた騒ぎになる。そこでふと、ピアニストは清隆を一瞥する。
「……清隆くんが、前にもこんなふうに励ましてくれたんだよね。せっかくぼくを助けようとしてくれていたのに、ぼくはなんてばかなことを――」
 北が笑ってビルの壁に寄り掛かる。『芽生書』についてだけでなく、今度は別の方へ自分を追い込もうとしている。自殺未遂で多くの人々に迷惑を掛けた身を恥じ、せめて清隆の言葉を聞き入れていればと北は息をつく。
「ぼくは清隆くんに、ひどいことを言ったんだよ。確か――」
「北さん、もう良いです」
 傷付いた言葉だろうが、今さら文句を言うつもりはない。それよりこれ以上北を、自分だけの考えで苦しませたくない。そんな気持ちを含めて話し続けながら、清隆は目的地へ歩いていった。
 ビルの並ぶ角に、目指す建物はあった。赤茶色の壁が目立つ五階建てのそれは、まだ工事がされていない。半ば追い出すように引っ越しを頼んだのは何だったのかと思って清隆が見上げると、教室のあった三階の窓が赤くなっていることに気付いた。
 車道に車がないと確認して、清隆は後ろへ下がっていく。赤い紙が貼られた上に墨で書かれた「越界衆」の文字が、次第に視界へ入り込んだ。興味を持った信も、清隆の隣でそれを仰ぐ。
「シャシャテンと一緒にいたときに見た気がするんだよ、あの文字。えっと……」
「前に空から降ってきた紙に書いてあった奴だ。あれには何とあったか――」
 現物を持ってきておらず思い出そうとするが、詳細は清隆もすっかり忘れてしまっていた。そこにしばらくビルを眺めていた北が清隆たちの方へ向かい、おずおずと紙を差し出す。北も以前拾ったというそれの文面を目で追っているうちに、四辻姫の言葉が清隆の脳裏に蘇った。
 ――死を恐れ、長命を望み、建国回帰がために力を尽くす。青桐の教えを、今こそ世に広める。不死鳥の冥助を以て死を忘れ、永遠に生きて古の日々を思い出せ。こういった文章をよく読むと、不老不死を望んでいるようにも思える。
「これは、大友の『建国回帰』と関係があるのか」
 聞き慣れぬ語に戸惑う北へ、清隆は「建国回帰」について説明する。「越界衆」は不老不死、そして「建国回帰」を望む、大友に縁のある組織だろうか。王と協力して文にあるような瑞香国民の不老不死を成し遂げ、ゆくゆくは最大の目標も達成しようとしているのではないか。しかしなぜこのような紙を日本にばら撒く必要があったのか、清隆は訝る。日本と友好関係を持ちたいなら、むしろ相手の国に迷惑を掛けるような動きはしないはずだ。それともシャシャテンが言っていたように、本当に侵攻を企てているのか。清隆の思いを読んだかのように、北も疑問を口に出す。
「大友さんは、何がしたいんだろうね。昔の姿に戻っても、昔と同じになるわけじゃないのに。それで、あの部屋には誰がいるんだろうね?」
 北が三階を指差すと、信が中を確かめたいとビルへ入っていった。偵察に向かう彼を止められず、しばらく北と待つ。やがて信が控えめな足音で、それでも急ぎ気味で戻ってきた。ドアは開いておらず、廊下からは何も見えなかったという。部屋の物音は一切なかったが、人の気配は確かにあった。
「それで急にドアが開いたら怖いなって思って、すぐ戻ってきたんだよ。いやぁ、危なかった」
 信の無事を密かに、心の中で安堵する。北に勝手へ付き合わせてしまったことを詫びてから、清隆は彼らを今ある箏教室へと連れて行った。
 
 
 清隆が帰ると、和室でシャシャテンが険しい顔で手紙を広げていた。初めは普通に読んでいるだけかと清隆は思ったが、よく見るとシャシャテンは目を動かさず、同じ部分だけにじっと視線を注がせている。先ほどの出来事を話すのは後にした方が良いか。清隆がひとまず部屋を出ようとした時、シャシャテンは叫びを上げて手紙を丸めた。
「あの女! 日本にも手を出しておったとは意地の悪い奴め!」
 四辻姫に「越界衆」を相談した返事には、日本に介入して「建国回帰」を手助けしようとする組織の詳細が書かれてあったという。そんな大事な情報がある手紙を、なぜ雑に扱うのか。疑問に思っていた清隆は、シャシャテンの答えを聞いて息を呑んだ。
「『越界衆』の長がな、あの千鶴――伊勢千鶴子なのじゃよ」
 母の仇がのうのうと活躍していることを、居候は恨んでいるらしい。本当に伊勢が組織を率いているのなら、シャシャテンが激情する理由も分かる。しかし宮廷に仕えているはずの女官が、日本への働き掛けなど出来るのか。清隆は怪しんだが、シャシャテンはすっかり信じ込んでいるようだった。彼女の母を殺し、自身にも手を加えた元拷問吏が、怪雨や通り魔を起こした者たちを束ねていた。その「越界衆」に関連しているだろうと、清隆は箏教室の跡で見つけた部屋についてシャシャテンに話す。途端に彼女は怒りで顔を赤らめ、手紙を投げ捨てるなり畳を拳で叩いた。
「あやつが日本におるかもしれぬということじゃろう? なら行くしかないのぅ。――母上の仇を討つために」
 シャシャテンが箪笥の一番下を開け、以前瑞香で清隆に託した短刀「雪解百合」を取り出す。彼女が伊勢を殺そうとしていると勘付き、そこまでする必要があるのか清隆は問う。
「当たり前じゃろう。あやつは大友と並ぶ、私の憎き敵よ。母上を死へ追いやった罪は重い!」
 幽閉中に武芸の稽古を頼むほど、シャシャテンは本気で伊勢を狙っているらしい。畳に爪を立てる彼女が、「越界衆」の部屋はどこで見つけたのか清隆に尋ねる。今の勢いでは飛んでいって襲撃しかねない。危ぶんだ清隆は、ただ隣の町としか答えなかった。詳しい場所を聞かれても黙っていたが、それがさらに彼女の憤りを加速させる。そもそも部屋に伊勢がいるかも分からないと話すが、聞き入れられない。
「私は『立派な女王』になるため、そして奴を殺すために生きてきたと言っても過言ではない! そなたに阻ませはさせぬぞ!」
 そこに玄関の扉が開く音がし、家族が帰ってきたと分かる。まだ日も暮れていないから、授業日だった妹だろう。シャシャテンは廊下に飛び出し、階段を上ろうとした美央に仇を討ちたい自身への同意を求めた。
「のぅ美央、清隆とくれば私が母上のためにせんとしておることを止めようとするのじゃ。そなたは如何に思う?」
「興味ない」
 あっさり跳ね返して去った美央に、シャシャテンは「情のない奴め」と悪態をつく。それは昔からで、清隆は妹が他人を気にしない性格だったと伝えた。人の喧嘩を仲裁することも、変に集団で群れることもなかった。人が何を考えていようが、自分には関係ないと考えているようだ。それを聞くと、シャシャテンは伊勢への感情がすり替わったかのように呆れて座り込んだ。
「物分かりがないのぅ。それでは男も寄ってこぬぞ。男どころか、友も出来ぬのではないか?」
「むしろ友人がいない方が気楽だと言っていた」
 シャシャテンは美央の向かった階上を心配そうに見ていたが、やがて諦めたように和室へ戻った。

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